高見盛精彦
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高見盛 精彦(たかみさかり せいけん、1976年5月12日 - )は大相撲現役関取である。青森県北津軽郡板柳町出身。本名は加藤 精彦(かとう せいけん)。東関部屋。得意は右四つ、寄り。アマチュア相撲出身。血液型はO型。最高位は小結。身長188cm、体重140kg。
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[編集] 人物
- 角界屈指の人気力士で、その取組には常に多数の懸賞金がかけられる。
- 土俵上で肩や腕を動かしたり握り締めたりする仕草や島木譲二の「パチパチパンチ」のように顔や胸を叩く、ユーモラスな「気合入れ」がファンの人気を集め、貴乃花引退後の角界を沸かせている。またこのぎこちない仕草から角界のロボコップの愛称で親しまれる(名付け親は同部屋の元横綱・曙)。この「気合入れ」は立ち合いでの恐怖を取り除くため、また過去に土俵で怪我をした経験から、二度と怪我をしないように気を引き締めようと始めたという。
- また、勝った際には反り返るほどに胸を張ってずんずんと、負けた際には肩を落としてしょんぼりと花道を退くという好対照な姿も面白い。
- 得意の右四つの体勢になると力を発揮するが、なれない場合あっけなく負けてしまうことが多い。
- 稽古場では格下の力士にあっさり負けてしまうことが多いため、しばしば親方衆や横綱・朝青龍、大関・魁皇などから稽古場でも本気を出すよう叱責される。
- 2003年には幕内上位~三役に定着し、大関昇進を強く期待されていたが、同年11月場所前の出稽古で、朝青龍から同年7月場所で敗れた報復ともとれる極めて危険なバックドロップのような吊り落としを受け、右差しを得意とする相撲の生命線ともいえる右肩を亜脱臼。医者から「もう治らない。ずっと痛みと付き合っていくしかない」と診断されるほどの重傷を負い以後低迷。(この際師匠の東関親方は高砂部屋への出稽古の中止を宣言。またこのような重傷を負ったにもかかわらずマスコミは面白おかしく扱った。)この影響からかその後も衰えない人気とは裏腹に、現在は幕内中位以下が定位置となってしまっている。横綱・朝青龍とは2004年5月を最後に対戦がない。
- 元関脇・追風海は板柳町出身の同郷で中学、大学の1年先輩、岩木山は弘前実業高校の1年先輩、琴光喜とは日本大学時代の同級生である。また、中学時代、若の里、武州山は青森県で同学年の相撲のライバルだった。
- 最近はアサヒビールの発泡酒、永谷園、日本盛、全日空のCMに出演するなど、さらに人気が沸騰している。そのせいか、館内の懸賞紹介で館内放送が永谷園の懸賞を4つ読み上げている時、笑いが起きる。
- 相撲は板柳北小学校の4年生から始めた。きっかけは当時いじめられっ子だった高見盛を見かねた担任が「相撲部に入らなければ給食を食べさせないぞ!」と叱責したことによる。以来、現在と変わらない"ここ一番の勝負強さ"で中学横綱、国体優勝、全日本選手権優勝(アマチュア横綱)の実績を重ねた。
- 近眼であり、普段は眼鏡をかけている。そのせいか、勝ち名乗りを受け懸賞金を受け取る際に掴み損ねて落とすというハプニングを起こして館内に爆笑を誘ったこともある。また、女性も眼鏡をかけた人が好みということで、メガネがトレードマークのタレント・時東ぁみから花束を贈呈されたことがある。
- 気の弱い性格で、高校時代は後輩にもいじめられ、恩師の著書では「泣き虫」とまで揶揄された。愛のエプロン鍋王決定戦で千代大海と一緒に登場し、城島茂に「負けたくないのは誰ですか?」と言われ、千代大海を見た後「言ったら殴られるのでやめます」と言ったほど。
[編集] 略歴
- 弘前実業高校を経て日本大学経済学部を卒業。
- 1999年3月 - 3月場所にて幕下付出で初土俵。四股名は本名と同じ加藤 精彦。
- 2000年1月 - 十両昇進、四股名を高見盛 精彦に改める。
- 2000年3月 - 初めて髷を結う。
- 2000年7月 - 幕内昇進。
- 2000年9月 - 初めて大銀杏を結って土俵に上がり、念願であった部屋の横綱・曙の土俵入りで露払いを務めた(幕内に昇進しても大銀杏が結えないと横綱土俵入りに参加できない)が、3日目の若の里戦で右膝前十字靱帯を断裂し途中休場。
- 2000年11月場所と翌年1月場所を全休し、幕下東筆頭まで番付を落とす。
- 2001年11月 - 十両に復帰。
- 2002年1月 - 十両優勝。
- 2002年3月 - 幕内に復帰し「気合入れ」を始める。
- 2002年9月 - 小結昇進。
- 2003年11月17日 - 日本相撲協会のアンケートで好きな力士1位に選ばれる。
- 2004年7月6日 - 7月場所3日目、同郷の先輩・追風海戦で幕内では初めて「後ろもたれ」の珍しい決まり手で白星をあげる。ちなみに幕下時代の2001年3月場所5日目には田中に後ろもたれで敗れている。
- 2005年9月 - 途中休場の朝赤龍に代わって横綱・朝青龍の土俵入りで太刀持ちを務めるが、最初の日に太刀を天井にぶつけるアクシデントも。
- 2006年11月 - 東前頭9枚目で2005年7月場所以来、8場所ぶりに10勝をあげる(ちなみに2005年7月場所での10勝は、2003年1月場所以来15場所ぶりのことであった)。
[編集] 幕内での場所別成績
場所 | 地位 | 勝数 | 敗数 | 休場 | その他 |
---|---|---|---|---|---|
平成12年(2000年)7月 | 東頭11枚目 | 10 | 5 | 0 | 敢闘賞 |
平成12年(2000年)9月 | 西前頭7枚目 | 1 | 3 | 11 | 右膝前十字靱帯断裂 |
平成14年(2002年)3月 | 東前頭13枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成14年(2002年)5月 | 西前頭6枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成14年(2002年)7月 | 東前頭2枚目 | 9 | 6 | 0 | 技能賞 |
平成14年(2002年)9月 | 東小結 | 4 | 11 | 0 | - |
平成14年(2002年)11月 | 東前頭4枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成15年(2003年)1月 | 東前頭9枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成15年(2003年)3月 | 西前頭2枚目 | 8 | 7 | 0 | 技能賞 |
平成15年(2003年)5月 | 西前頭筆頭 | 6 | 9 | 0 | 両肘関節挫傷 |
平成15年(2003年)7月 | 西前頭3枚目 | 9 | 6 | 0 | 殊勲賞、金星(武蔵丸・朝青龍) |
平成15年(2003年)9月 | 東前頭筆頭 | 9 | 6 | 0 | 敢闘賞 |
平成15年(2003年)11月 | 東小結 | 5 | 10 | 0 | - |
平成16年(2004年)1月 | 東前頭3枚目 | 4 | 11 | 0 | - |
平成16年(2004年)3月 | 東前頭8枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成16年(2004年)5月 | 西前頭4枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成16年(2004年)7月 | 西前頭7枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成16年(2004年)9月 | 東前頭7枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成16年(2004年)11月 | 西前頭7枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成17年(2005年)1月 | 西前頭4枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成17年(2005年)3月 | 西前頭8枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成17年(2005年)5月 | 東前頭7枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成17年(2005年)7月 | 西前頭11枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成17年(2005年)9月 | 東前頭5枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成17年(2005年)11月 | 東前頭9枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成18年(2006年)1月 | 東前頭10枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成18年(2006年)3月 | 西前頭11枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成18年(2006年)5月 | 東前頭12枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成18年(2006年)7月 | 西前頭8枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成18年(2006年)9月 | 東前頭9枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成18年(2006年)11月 | 東前頭9枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成19年(2007年)1月 | 東前頭5枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成19年(2007年)3月 | 東前頭6枚目 | 7 | 8 | 0 | |
通算 | 229 | 240 | 11 | 殊勲賞(1回)・敢闘賞(2回)・技能賞(2回)・金星(2個) |
[編集] 主な成績
2007年1月場所終了現在
- 通算成績:324勝283敗41休(48場所)
- 幕内成績:229勝240敗11休
- 幕内在位:32場所
- 三役在位:2場所(小結2場所)
[編集] 各段優勝
- 十両優勝:1回(2002年1月場所)
[編集] 三賞・金星
[編集] 四股名履歴
- 加藤 精彦(かとう せいけん)1999年3月場所-1999年11月場所
- 高見盛 精彦(たかみさかり -)2000年1月場所-
[編集] その他
- 四股名の高見盛は、「部屋が盛んになるように」との願いを込めて師匠の東関親方(元関脇・高見山)が命名した。また日本盛にも因んでいる。(その他の候補には高見桜・高見城・高見岳があった。)
- 同じ青森県は深浦町出身の安美錦には非常に相性が悪く、2007年3月場所時点での対戦成績は高見盛の1勝11敗で、新入幕の場所で勝って以来11連敗中である。また、2005年11月場所中日には大逆手という珍しい決まり手で敗れている。これは2001年1月にこの技が追加されてから幕内では初めてのこと。
- 人気力士故、1場所で獲得する懸賞金の額は、横綱・大関には及ばないものの、調子がいい場所では常に上位にランクされる。平幕ではもちろんトップクラスである。
- 大先輩の曙が引退・角界を去った後は、東関部屋の部屋頭の地位にあり、関係者の間では潮丸とともに「2009年の師匠の東関親方の定年退職後は部屋を継いでもらいたい」との期待の声もある。ただ、師匠の定年時でも33歳であり、あと2年余しかないため、今後高見盛を含めた去就の話し合いが持たれるものとみられる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 高見盛 精彦 - goo 大相撲
- 高見盛◇精彦の間(ファンサイト)