高見山大五郎
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高見山大五郎(たかみやま だいごろう、1944年6月16日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州マウイ島出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。現東関(あずまぜき)親方。血液型はA型、星座はふたご座。身長192cm、体重205kg。本名は渡辺大五郎(わたなべ だいごろう)、米国名はジェシー・ジェームス・ワラニ・クハウルア、愛称はジェシー。
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[編集] 四股名の由来
高見山の名前の由来は、三重県と奈良県の県境にある高見山からと言われている。初代高砂、また優勝制度確立後初の優勝力士が名乗るなど、高砂部屋で由緒ある四股名である。
[編集] 来歴
高校時代に交通事故で足腰を負傷、これには生涯悩まされる。昭和39年(1964年)2月に師匠高砂に5年間衣食住を保障するとスカウトされ3月初土俵。最初はちゃんこの味になじめず、ケチャップをかけて食べていた。若い頃は心労が溜まってもすることがなく(パスポートは親方が預かっているため許可がなければ帰国できなかった)山手線に乗って時間を潰しストレス解消するなど、慣れない力士生活に苦労が絶えなかった。昭和41年(1966年)には扁桃腺の手術を受けたが手術後翌日から稽古を再開し、このとき執拗な喉輪攻めを受けたために声帯を痛め、独特のかすれ声になった(医師からは、手術をすれば元の声に戻ると言われたが、長い期間リハビリを行わなければならないため、今の所手術は受けていない)。元々は美声で知られる人物で、歌も上手かったという。昭和42年(1967年)3月新十両、初の外国出身外国籍の関取となった。昭和43年(1968年)1月新入幕、史上初の外国出身幕内力士となり3月には佐田の山に引導を渡す金星、9月には柏戸からも金星を挙げた。
昭和44年(1969年)11月に小結。その後小結と平幕の往復が続くが、昭和46年(1971年)師匠が亡くなると廃業も考えた。しかし師匠夫人ら周囲に励まされて現役続行を決意し、昭和47年(1972年)7月に13勝2敗で史上初の外国出身力士による幕内最高優勝、表彰式では当時の米国大統領リチャード・ニクソンの祝電が読み上げられた。表彰式に外国語(英語)スピーチが流れたのはこの時だけだという。
翌場所には外国出身で初の関脇、その後大関・横綱を期待させるような場面も数度あったが、足腰の脆さに邪魔されて果たせなかった。しかし足腰の脆さゆえに投げられると弱かったが負傷が少なく、長寿に繋がったと言える。化粧廻しにも掲げた"Go for broke"(当たって砕けろ!の意。第二次世界大戦当時のアメリカ日系人部隊のスローガンだった)のように、ぶちかまして一気に前に出る破壊力抜群の取り口はこの弱点の克服を狙ってのものとも。よく稽古をつけてくれた大関前の山の引退も取り口の成長を止めた一因といわれる。輪島に強く12個の金星のうち7個が輪島だった。大関貴ノ花との対決は弁慶と牛若丸のそれに譬えられ人気を博した。常々「40歳まで相撲をとりたい」と言っていたがあと1ヶ月のところで力尽きた。引退宣言はあまりにも唐突の、しかも場所中の出来事であったため当時の新聞では大きく取り上げられた。同場所千秋楽の最後の一番は黒星であったが、満員の国技館から大声援を受け、花束を贈呈されて花道を引き上げていく姿は印象的であった。16年、97場所にもわたる幕内在位は現在でも大相撲記録である。なお、連続出場記録が怪我のために途絶えた昭和56年(1981年)9月場所では「親方は記録より体が大事だと言われたが、ワシにはからだよりも記録の方が大事だった」と語り多くのファンの胸を熱くさせた。引退時、「20年間、相撲を取り続けてきたことを誇りに思う」「生まれ変わっても力士になりたい」と力強く語った。
年寄名跡の襲名を希望して1980年に日本国籍を取得。日本名は渡辺大五郎(夫人の姓と、相撲の四股名を合わせたもの)。
中国・韓国(朝鮮)など東アジア圏の出身者を除けば、外国出身者として当時最も上位で活躍した力士であり、後の各国出身力士、特にハワイ勢活躍の道を開いたと言える。アメリカ人らしい陽性さとひときわ目立つ巨体を持つのと同時に、異境での辛い修行に耐え忍ぶという古き良き時代の日本人を思わせるような生き方も広く知られ、相撲ファン以外にも絶大な人気があり、独特の長いもみあげなど特徴ある容貌もあって布団のTVCMなどに出演するなど土俵の外での活躍も多かった。小錦をスカウトし、曙を横綱まで育てるなど、大相撲の国際化にも大きく貢献した。ハワイ出身の関取としては、この他に大喜を育てている。最近は、高見盛の師匠としても知られる。
2009年5月場所終了後、6月で定年となる。東関部屋には部屋付き親方がいないため、部屋は高見盛か潮丸のどちらかが引き継ぐか、または部屋を閉じ、力士が移籍するかの2択になる可能性が高い。この去就については、今のところ未定のようである。
NHK大相撲中継では英語での解説も務める(衛星第2テレビ放送)。
長男の渡辺弓太郎は、小学校時代に力士の道を断念。中学卒業後単身渡米し、スポーツ・エージェントの道へ進んだ。2003年、松井秀喜の入団に合わせるかのように米メジャーリーグベースボールのニューヨーク・ヤンキースに入り、ヤンキースタジアム運営部職員として活躍。サンケイスポーツ紙は2007年1月、弓太郎が阪神タイガースからフリーエージェントにより入団した井川慶の通訳を務めることになったと報じた。
[編集] 主な成績
- 通算成績:812勝845敗22休(通算勝星:歴代4位)
- 幕内成績:683勝750敗22休(幕内勝星:歴代5位)
- 幕内在位:97場所(歴代1位)
- 通算連続出場:1425回(歴代3位)
- 通算出場:1654回(歴代2位)
- 幕内連続出場:1231回(歴代1位)
- 幕内通算出場:1430回(歴代1位)
- 横綱対戦人数:11人(歴代1位)
- 幕内最高優勝:1回(1972年7月場所)
- 三賞:11回(殊勲賞6回、敢闘賞5回)
- 金星:12回(歴代2位)
[編集] テレビCM
- 丸八真綿 彼のしゃがれ声で発する「マルハッチ」 二枚、二倍、のキャッチフレーズは一躍ブームに。子供たちからタレントまで、彼の声マネは物真似のスタンダードになった。
- 日本船舶振興会(日本財団) 火の用心を呼びかけるコマーシャル。大きな太鼓を叩きながら登場。おじいさんおばあさんを大切にしよう、とチンパンジー・子供たち、山本直純、当時の会長である笹川良一と出演。
- 永谷園 お茶づけ海苔、お好み焼きの素、ミルクセーキの素のCMに出演。現在は弟子の高見盛が出演している。
- 松下電器産業 携帯型テレビ「トランザム」のCM。ジャケットに帽子を被りタップダンスを踊りながら「トランザム!!」と叫ぶ。
- 富士通 ワープロオアシスのCM。
CMで見せたユーモアな姿とは反面、仕事中にサインを求められるのが嫌いで2000年9月場所の水戸泉の引退式では来賓の一人一人に握手をしている最中に母子にサインを求められたが、「今、仕事中だからダメっ!」とキッパリ断ったこともある。
[編集] 歌
- スーパー・ジェシー(1977年)
[編集] 関連項目
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