A寝台
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A寝台(Aしんだい)とは、JR及びそこから乗り入れる私鉄における寝台車の区分の一つ。座席車のグリーン車に相当する。
車体の種別記号は等級記号であるイロハの「ロ」と、寝台車を表す「ネ」を組み合わせた「ロネ」である。3等級制時の1等・2等寝台車、2等級制時の1等寝台車にあたる。
個室寝台車と開放式寝台車の2種類があるが、21世紀初頭現在のA寝台においては個室寝台が主流となっている。
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[編集] 等級制時代
[編集] 戦前
日本の鉄道における寝台車は、1900年に山陽鉄道が神戸-三田尻(現・防府)間急行に連結した1等寝台車が最初である。山陽鉄道はさらに1903年には2等寝台車も開発している。
以後、官営鉄道や日本鉄道が追随し、鉄道国有化後には長距離列車に欠かせない存在となった。地方の長距離普通列車にさえも、車体の半分が2等寝台となった車両が連結されていた時期がある。
戦前の3等級制時代には、1等寝台車は室内に折畳み洗面台を備えた2人又は4人用区分寝室、2等寝台車は2段のツーリスト形開放寝台を標準とした。ツーリスト形とは、窓を背にしたソファー形式の座席(一種のロングシート)が、夜間はそのまま下段寝台として使われる構造である(上段は折り畳み式。1960年代までに消滅した)。台車には、当時乗り心地の良い台車とされていた3軸ボギー式台車を用いた。
当時の優等寝台車は多車種少量製作で変形車が多く、2等寝台車ではあるが、例外的に4人用区分寝室を備えた車両(マロネ37480形。後のマロネ38形)や、定員2名の特別室を備えた1等寝台車等も存在した(マイネ37130形。後のマイネ38・マロネ49形)。このマイネ37130形には、当時の鉄道大臣の発案でシャワールームを改造装備したものが1両存在し、特急「富士」に運用されたが、シャワー自体当時の日本人に馴染みがなく、短期間で消滅した。
[編集] 戦後の展開
太平洋戦争後の一時期、優等寝台車は進駐軍専用に運用されていたが、1948年に戦後初の新造1等寝台車マイネ40形が新製され、この時期から日本人でも乗車できる寝台車が復活した。この寝台車は製造当初から冷房を搭載した日本で初めての寝台車である。なおこの年11月10日に復活した当初は「特別寝台車」と称し、翌年5月1日に1等寝台車と呼称を改めた。
その後1等寝台車増備や進駐軍接収の1等・2等寝台車の返還が進行し、また4人用区分室方式の2等寝台車(マロネ39形・スロネ30形等)が新製や在来車改造で登場した。こうして1950年代前半には日本各地の長距離急行列車において、1等・2等寝台車が、ほぼ戦前並みに復活した。
格下前 | 格下後 |
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マイネ40 | マロネ40 |
マイネ41 | マロネ41 |
マイネ29 | マロネ48 |
マイネ38 | マロネ49 |
マイロネ39 | マロネ58 |
マイネフ29 | マロネフ48 |
マイネフ38 | マロネフ49 |
マロネフ38 | マロネフ58 |
マイロネフ38 | マロネフ59 |
しかし、1等寝台はその運賃・料金の高さによって利用率が低迷する一方で(当時の航空料金よりも高くなる区間があった)、2等寝台車は需要が非常に高かったことから、1955年(昭和30年)7月1日に1等寝台は廃止され、1等寝台車は2等寝台車に格下げ統合された。旧1等寝台の形式称号である「イネ」も廃止され、「ロネ」となった。
ただし、右の1955年等級改正対照表でマロネフ58に格下げされたマロネフ38は0番台。マロネフ38 10番台は等級制改正後、改造によって登場した。
このとき2等寝台車のうち、旧1等寝台区分室を2等A寝台、旧1等寝台開放室冷房を2等B寝台、従前からの2等寝台開放室非冷房を2等C寝台とした(現代のA寝台、B寝台とは無関係)。ただし、旧1等寝台でも冷房のないものは2等C寝台扱い又はA寝台とするが、冬季のみの運用に限定するなど、実際の整理の経緯は非常に複雑である。
なお、この頃までの1等寝台区分室は2人または4人用のみであったが、1958年に開発された20系客車においては、2等寝台車に初の1人用個室寝台「ルーメット」が導入された。これは、2等A寝台とされたが、従来の2等A寝台下段の料金よりも600円高い3360円の料金が別途設定されている。
1960年に国鉄の等級制の整理が行われ、従来の2等を1等に、従来の3等を2等として2等級制になった。これに伴い優等寝台は1等寝台となる。
1967年に登場した寝台電車581・583系においては、2等寝台のみの編成となり、1等寝台を製作しなかった。これは昼夜兼帯で使用されることが前提となっており、昼行列車1等車で標準のリクライニングシート車に比肩できる水準の1等寝台・座席両用の設備を開発することが困難と考えられたためである(現存の583系A寝台車は後年のサハネ581改造によるものである。昼夜兼用しないことが前提のためこれができた)。
[編集] 等級制廃止後現在まで
1969年の等級制廃止により、旧1等寝台がA寝台、旧2等寝台がB寝台となった。
個室寝台車は20系客車以降製作されず、その後作られた14系寝台車では編成の自由度と輸送力を重視したことから、A寝台についても開放式寝台のみを製作した。
個室寝台車として久々に新製されたのは1976年(昭和51年)の24系オロネ25形である。2段式寝台で製作されたB寝台車に対して、A寝台を個室とすることでこのクラスの品質を確保する意図があった。片側通路とした一人用個室寝台車である。
その後、プライバシーの重視と居住性の改善の見地から、寝台車の個室化が進展した。特に国鉄民営化後に登場した北海道直通特急の「トワイライトエクスプレス」では、ダブルベッドやトイレ・シャワールームの設置など、質的に高い個室A寝台サービスを提供し、ブランドイメージの構築に成功している。
これを更に推し進めた特急「カシオペア」に使用しているE26系客車では、個室A寝台車のみで編成を組むという試みを行っている。
なお、2006年現在開放型A寝台を連結しているのは大阪~青森間を結ぶ寝台特急「日本海3・2号」と、東京~大阪を結ぶ寝台急行「銀河」のみである。
[編集] 旧一等寝台車の保存車両
大阪市の交通科学博物館に、1938年(昭和13年)に製造されたマイロネフ38 3(→マロネフ59 1)が保管されている。内装は当時のままで、車内に入ることも可能である。
[編集] 参考文献
- 『鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション 10 国鉄客車開発記 1950』(電気車研究会、2006年)
- 星 晃「寝台車戦後版 -戦後における寝台車復活事情について-」(初出:『鉄道ピクトリアル』1953年9~11月号 No.26~28) p61~p72
- 平林喜三造「1等寝台車の廃止」(初出:『鉄道ピクトリアル』1955年8月号 No.49) p116~p117
- 齋藤雅男「『イネ』を始末する」(初出:『鉄道ピクトリアル』1955年8月号 No.49) p118~p120
日本国有鉄道(鉄道院・鉄道省)・JRの客車 |
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木造ボギー客車 |
9500系・12000系・22000系・28400系 |
鋼製一般形客車 |
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新系列客車 |
20系・12系・14系・24系・E26系 |
その他 |
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事業用車/試験車 |
オヤ31形・マヤ34形・マヤ50形 |
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