国鉄20系客車
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国鉄20系客車(こくてつ20けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1958年(昭和33年)に開発した寝台特急列車用客車である。
日本で初めて、同一系列・同一意匠の車両による「固定編成」を組むことを前提に設計された客車であり、冷房装置や空気ばね台車の装備などで居住性を大きく改善した画期的な車両であった。青一色に統一された外観はデザイン的にも優れ、以後の客車寝台特急も含めて「ブルートレイン」と呼ばれる起源となった。
1958年10月から、東京~博多間特急「あさかぜ」に投入され、運行を開始した。1986年(昭和61年)11月に定期運用を終え、1998年(平成10年)までに全車廃車となった。
最初に投入された列車にちなみ「あさかぜ形客車」と呼ばれ、その設備の優秀さから登場当時は「走るホテル」とも評された。
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[編集] 沿革
1958年から1970年(昭和45年)までに合計16形式473両が製造(その他改造による編入形式3形式6両あり。最終的には19形式479両となる)され、本州・九州において長距離寝台特急に広く使用された。日本各地に寝台特急列車網を構築した功績は大きい。
1970年代後半からは設備の陳腐化により、本来の特急列車仕業を離脱して急行列車や臨時列車に用いられることが多くなった。1980年(昭和55年)10月の「あけぼの」の24系化を最後に特急での定期運用が、1986年11月には急行でも「だいせん」「ちくま」を最後に定期運用が消滅した。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には主に臨時列車用として東日本旅客鉄道(JR東日本)に34両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に63両が承継されたが、東日本車は1996年に全廃、西日本車も1998年までに全車廃車となった。
[編集] 構造
車体構造は、10系客車の延長上にある軽量構造である。国鉄で最初に、全車両に空調装置・空気バネ台車(TR55系台車)を完全装備し、著しい居住性の向上を成し遂げた。
当初の最高速度は95km/hだったが、のちに1968年10月1日のダイヤ改正に向け、ブレーキシステムをAREB電磁指令式自動空気ブレーキに改良し110km/h運転を可能とした。この改良により、以後営業運転時は原則として、牽引機関車はEF65形500番台(P形)のように110km/h運転に備えて増圧ブレーキ装置、電磁指令ブレーキ回路等を増設したものに限定される事となり、また110km/h運転とはならない場合でもEF58形(P形)のように機関車を選ぶ事となった(なお後述のカヤ21形を連結した編成や、1000・2000番台車は除く)。
大断面の丸い屋根が特徴的で、編成最後尾に連結される緩急車は2面の曲面ガラス(電源車は3枚の平面ガラス)を用いた流線型デザインを備え、一方で運用により編成の中間に入る事がある緩急車は別に形式が起こされ、全体の意匠を統一した編成によって非常に流麗な外観となっていた。
編成の一端に連結された電源車により、編成内の冷暖房や食堂車調理設備等の電源の一切を供給する集中電源方式を採用した最初の系列でもあり、従来型客車が装備した蒸気暖房や車軸駆動冷房、石炭レンジなどをすべて排除した「完全電化」車である。電源車には三相交流600V電源を供給するディーゼル駆動発電機を搭載したが、架線電源を利用する電動発電機を併設した形式(カニ22形)も存在した。なお電源車を採用した事により、牽引・走行性能が確保されていれば、暖房装置を持たない機関車でも20系列車の営業運転に使用できる事となった(後に前述のブレーキ改良による制約が新たに生じた)。
また、1人用個室(ナロネ20形・ナロネ22形に設置)は本系列で初めて採用されたもので、「ルーメット」と称された。
扉はまだ自動ドアとはなっておらず、電磁弁で遠隔ロックのみ可能な手動式折り戸であった。
[編集] 形式
- 新造形式
番号は製造メーカーで区別され、下2桁が1~49は日本車輌製造、51~99は日立製作所となっていた。(日立は早くに撤退、多くが日車製となった)
形式 | 車種 (1960年~1969年の 二等級制による) |
製造 初年 |
製造 両数 |
備考 |
---|---|---|---|---|
マニ20 | 電源荷物車 | 1958年 | 3 | 荷重3t 全長17.5m |
カニ21 | 電源荷物車 | 1959年 | 29 | 荷重5t |
カニ22 | 電源荷物車 *MG(電動発電機)併用 |
1960年 | 6 | 荷重5t のち MG撤去 |
ナロネ20 | 一等個室寝台車 (一人用、二人用) |
1958年 | 3 | - |
ナロネ21 | 一等寝台車 (開放式) |
1958年 | 59 | プルマン式 |
ナロネ22 | 一等寝台車 (一人用個室、開放寝台) |
1959年 | 8 | ルーメット・ プルマン合造 |
ナロ20 | 一等座席車 | 1958年 | 9 | 旧特ロ リクライニングシート 装備 |
ナハ20 | 二等座席車 | 1958年 | 3 | ※ 回転式 クロスシート |
ナハフ20 | 二等座席緩急車 | 1958年 | 9 | ※ 同上 |
ナハフ21 | 二等座席緩急車 (切妻・貫通式) |
1959年 | 10 | ※ 同上 |
ナハネ20 | 二等寝台車 | 1958年 | 252 (新製分) |
他に改造 編入車10両 |
ナハネフ22 | 二等寝台緩急車 | 1964年 | 26 (新製分) |
他に改造 編入車5両 |
ナハネフ23 | 二等寝台緩急車 (切妻・貫通式) |
1964年 | 20 (新製分) |
他に改造 編入車4両 |
ナシ20 | 食堂車 | 1958年 | 36 | 日本車輌製造製と 日立製作所製 で内装相違 |
- 改造形式
形式 | 車種 (ナハ21を除き 1960年~1969年の 二等級制による) |
改造 初年 |
改造 両数 |
備考 |
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マヤ20 | 簡易電源車 | 1963年 | 6 | オハシ30・スハ32を 改造 |
ナハネフ20 | 二等寝台緩急車 | 1964年 | 3 | ナハフ20を 改造 |
ナハネフ21 | 二等寝台緩急車 | 1964年 | 6 | ナハフ21を 改造 |
カヤ21 | 電源車 | 1976年 | 18 | カニ21を 改造 |
ナハ21 | 普通座席車 | 1977年 | 16 | ナロネ21を 改造 |
オニ23 | 荷物車 | 1988年 | 1 | ナハネフ23を改造。 オリエント急行用控車 |
- 等級については、一等車・二等車の項を参照のこと。
- 1960年以前の三等級制時代においては、一等→二等、二等→三等と読み替えのこと。
- 1969年のモノクラス制以降、座席一等車はグリーン車・座席二等車は普通車に相当。
- 寝台車については、A寝台・B寝台の項も参照されたい。
- カニ22形は軸重が16tと機関車並みに重く、運用区間に制限が出ていたため、早い時期にMGとパンタグラフを撤去。
- ※は改造により消滅。
[編集] 改造
[編集] マヤ20形
1963年(昭和38年)6月に「みずほ」を20系化する際、付属編成を門司~大分間で別に運用する事で分割併合運用が生じたことから、分割された附属編成の電源を補う目的で、供奉車460号の改造実績を参考に旧型客車のオハシ30形を改造した簡易電源車マヤ20形2両(1・2)が門司に配置された。塗色は20系に合わせられたが、車体の大部分は種車であるオハシ30形の状態を残すが、屋根にはラジエターファンが付くという特異な外観であった。なお短区間用なので荷物室は不要として設計され、形式は職用車記号の「ヤ」となっている。
「みずほ」時代には事故対応で東京まで臨時編成の電源車として使用した実績もあり、1964年(昭和39年)10月に「みずほ」の付属編成が「富士」として独立した際は、定期運用から外れ1を休車とし2は予備電源車として門司に待機させた。予備車の間に数回故障した電源車の代車として使用され、品川から下り列車で手配される電源車と岡山辺りで交換されたこともあった。その後も1968年(昭和43年)頃に新大阪まで代走した記録もある。
1965年(昭和40年)10月改正時にスハ32形からの改造で1両追加され(3)、以後長崎本線・佐世保線で「さくら」(1972年3月まで)が14系に置き替えられた際に、2・3が廃車となり、「あかつき」の運用数減少で10も廃車された。最後は、「あかつき」・「はやぶさ」(1968年10月から)用の付属編成用として、1・11・12が1975年(昭和50年)3月9日まで使用された。その後長崎駅に留置され同年4月末には小倉工場で順次解体された。
なお1968年にスハ32形から改造された3両は発電用エンジンの出力向上により10番台に区分されており(10~12)、形式はそのままだが前位(機関車連結)側に荷物室が設けられた事で扉が2箇所とも残り窓割なども1~3とは異なっていた。また種車の個体差や改造時期により各車で細かい差異があった。
[編集] 国鉄時代の主な改造
1964年の東海道新幹線開業後、夜行特急列車の寝台専用列車化が推進される事となり、同年度以降、車体改造や、のち1968年~72年にかけては殆ど車体新造に近い形で寝台車への改造が行われた。ただしナロ20 4・5・9は1975年3月まで、「あさかぜ」用として一等車→グリーン車として使用され、そのまま廃車となった。
一方で1970年代中期に至ると今度は急行列車転用に当たって普通座席車が不足し、ナロネ21形の寝台設備を撤去してクロスシート化する形でナハ21形が改造製作された。また急行列車では一般型の荷物車を連結する事情により機関車からの増圧圧縮空気の供給に支障が生じ、これを補うため電源車の荷物室を潰して空気圧縮機を搭載する改造が行われた。改造対象となったカニ21形は荷物室を失ってカヤ21形とされた。
B寝台車の一部は急行列車運用向けに三相交流440V電源の12系客車と併結可能なよう変圧器搭載などの改造を施され、1000番台・2000番台車となったが、こちらは12系との一括操作可能な自動ドア仕様になっている。
カニ22形のうち2両は24系に転用されてカニ25形となった(カニ22 53・2→カニ25 1・2)。発電機の巻き替えにより電圧を600V→440Vに変更、ジャンパ連結器を交換している。外観は屋上パンタグラフ跡にベンチレーター(通風器)が追加された他、車両番号標記がペンキ塗りとなった以外は原型を留めていた。長崎に配置され、1975年3月から24系における、前述のマヤ20形の如き存在として「あかつき」に用いられた。先に2が1978年4月20日に廃車。1は同年向日町に転じ「彗星」、「明星」でも使用された後、1984年9月29日に廃車された。
[編集] ジョイフルトレイン「ホリデーパル」
「ホリデーパル」は、1984年(昭和59年)に当時の広島鉄道管理局が、幡生工場(現在の下関地域鉄道部下関車両センター)で製作したジョイフルトレインである。改造内容としては、寝台の下段の間をスペーサーで埋められるようにしてフラット化し、モケットの色をオレンジ色に変更して簡易個室として使用できるようにした程度で、スペーサーを外して通常のB寝台として使用することも可能であった。電源関係は元の20系のままであり、当然ながら未改造の車両との混結も可能であった。
この編成は、B寝台車6両(ナハネ20 325~329→701~705,ナハネフ22 21→701)と14系食堂車(オシ14 1)改造のラウンジカーオハ14 701からなり、これに電源車(カヤ21形)を連結して運用された。当初は20系標準色を纏っていたが、民営化後の1990年12月に白を基調としたオリジナル塗装に変更された。
オハ14 701は形式が示す如く14系そのものであって、サービス電源回路やブレーキ装置は14系のままで20系との変換装置を搭載していた。20系の他、元となった14系や12系とも連結可能だった。
ホリデーパルは登場から分割民営化後しばらくは団体専用列車だけでなく、多客時の臨時列車として上京する事もあった。そのため、カヤ21形1両(123)、ナハネフ23形1両(14)およびナハネ20形2両(331,335)が車内無改造のまま「ホリデーパル」新色に変更され、臨時寝台急行「玄海」などで運用された。「ホリデーパル」は、老朽化のため、塗装変更された電源車やオハ14 701を含め1997年(平成9年)3月31日に廃車された。
[編集] オニ23形
1988年(昭和63年)に来日した「オリエント急行」の連結器変換用控車として、国鉄時代に除籍され国鉄清算事業団が所有していたナハネフ23 8を改造、復籍させた車両である。編成片側端部、スタッフカー側に連結され、ハイビジョンシアターカーとして使用された。
改造は日立製作所笠戸工場で施工し、塗色はプルマン車をイメージして上半分が白、下半分が紺に塗り分けられ、また他車と釣り合いを取るべく金色のロゴが書き込まれていた。「オリエント急行」と連結する洗面室側の連結器がねじ式となり、あわせてバッファーも装備された。車内は当時日立製作所が試作していたハイビジョンテレビのデモンストレーションコーナーとなっており(日立製作所は「オリエント急行」来日に際してのメインスポンサーであった)、そのため床下は水タンクおよび冷房装置1台が撤去され、ディーゼル発電機が設置された。
日本における「オリエント急行」の走行が終了したことで不要となり、以後使用されることなく廃車された。なお、もう片方の控車にはマニ50 2236が使用されたが、オリエント急行の荷物車にあわせ、青15号に塗られていた車体に金色の帯が巻かれ、レタリングが施された。
[編集] 保存車両
- ナロネ21 551、ナロネ22 153、ナハネ20 132…北海道新得町の新内駅跡で、SLホテルとして利用された後、保存。
- ナハ21 8…群馬県伊勢崎市のカフェレストランで利用。
- ナハネ20 347…天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅構内に保存。
- ナハネ20 352、ナハネ20 355、ナハネ20 363…岩手県雫石町の小岩井農場で、SLホテルとして利用。
- ナハネ20 2237…三重県亀山市の国民宿舎関ロッジ[1]で利用。
- ナハネフ22 1…さいたま市大宮区の大宮総合車両センターに保管中。2007年、さいたま市大宮区に開館する鉄道博物館に移される予定。
- ナハネフ22 1007…福岡市東区の貝塚公園に保存。
- ナシ20 24…大阪市港区の交通科学博物館に保存。休日は食堂として営業。
大阪府豊中市の履正社学園豊中中学校には、生徒の学校内合宿用に3段寝台車が1両存在したが、解体されて現存しない。
[編集] 参考文献
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1985年3月号 No.444 特集・20系固定編成客車
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2005年7月号 No.763 特集・20系固定編成客車
- 中村光司「門鉄の簡易電源車 マヤ20」
- 鉄道友の会 編『車両研究 1960年代の鉄道車両』(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2003年12月号臨時増刊) p84~p95
[編集] 外部リンク
日本国有鉄道(鉄道院・鉄道省)・JRの客車 |
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木造ボギー客車 |
9500系・12000系・22000系・28400系 |
鋼製一般形客車 |
オハ31系・スハ32系・オハ35系・70系・マロネ40形・60系・スハ43系・10系・50系 |
新系列客車 |
20系・12系・14系・24系・E26系 |
その他 |
マニ30形・ナハ29000形・ハテ8000形・オハフ17形 |
事業用車/試験車 |
オヤ31形・マヤ34形・マヤ50形 |
車種別 |
皇室用・一等寝台車・二等寝台車・三等寝台車・一等車・特別二等車・二等車・三等車・展望車・病客車 A寝台車・B寝台車・グリーン車・普通車・食堂車・郵便車・荷物車 |