防府駅
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防府駅(ほうふえき)は、山口県防府市戎町1丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅。
戦前から山陽新幹線開通までは、優等列車の停車が多く貨物取扱も盛んな山口県央部の主要駅の一つであった。現在は貨物取扱業務を防府貨物駅に移管し廃止され、高架化により駅の規模が縮小されている。
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[編集] 駅構造
- 島式1面2線のホームを持つ高架駅。南北2箇所ある駅出口にはそれぞれ愛称があり、防府天満宮側の北口は「てんじんぐち」、三田尻港側の南口は「みなとぐち」と名付けられている。
- 改札員兼務のため規模は小さいがみどりの窓口・みどりの券売機がある。
- 駅前後の線形がよいため、通過列車はかなりの速度で通過する。
- もとは貨物設備も備えた2面4線の地上駅だったが、鉄道による南北分断(駅出口も北側1箇所のみ)や、貨車入換えに伴う開かずの踏切問題などが慢性化したため、防府貨物駅新設と駅周辺の高架化を実施、南北に通り抜けできるロビーを備えた高架駅となった。
- 駅舎概要
- 1994年(平成6年)5月落成
- 駅舎コンコース
- のりば
- ■ 徳山・柳井・岩国方面
- ■ 新山口・宇部・下関方面
[編集] 駅周辺
- てんじんぐち
- 防府市役所
- 防府市公会堂
- 防府郵便局
- 防府駅前郵便局
- 防府天満宮(日本三大天神)…駅天神口から歩いて20分のところに鎮座する
- ルルサス防府(防府駅てんじんぐち第一種市街地再開発事業)
- ゆめタウン防府店
- 防府競輪場
- 周防国分寺
- みなとぐち
- 防府サティ (1999年3月までは、防府ニチイ=防府ぱる)
- 桑山公園
- 三田尻中関港(重要港湾)
- 鉄道記念広場(駅西方の高架沿い遊歩道 防石鉄道で使用された蒸機1両客車2両が露天静態保存されている)
- カルビ大陸
[編集] 利用状況
- 1日平均の乗車人員は4,292人である(2005年度)
[編集] 歴史
- 1898年(明治31年)3月17日 - 山陽鉄道 徳山駅~当駅間の開通と同時に、三田尻駅として開業。
- 1899年(明治32年)5月25日 - 国内で初めての食堂車連結の急行列車が京都との間で運行開始
- 1900年(明治33年)12月3日 - 当駅~厚狭駅間が開通。
- 1900年(明治33年)4月8日 - 国内で初めての寝台列車が神戸との間で運行開始。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国鉄の駅となる。
- 1919年(大正8年)7月5日 - 防石鉄道線が開業。
- 1931年(昭和6年)5月31日 - 省営バス(旧国鉄バス・現 JRバス )が全国で2番目の路線を山口との間に運行開始
- 1962年(昭和37年)11月1日 - 防府駅に改称。
- 1964年(昭和39年)7月1日 - 防石鉄道廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 高架化工事準備につき貨物取扱業務を新設の防府貨物駅に移管し廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
- 1993年(平成5年)10月 - 下り線が改築した新駅で営業開始。
- 1994年(平成6年)5月27日 - 上り線も新駅に移る。
[編集] 鉄道唱歌
1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した鉄道唱歌第2集(山陽・九州篇)25番の歌詞は、三田尻駅を題材にしている。
- 出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は 山陽線路のをはり(終わり)にて 馬關に延ばす汽車のみち
当時は馬関駅(下関駅)開業前で、三田尻駅が山陽鉄道の終点駅だった。この後鉄道唱歌では、徳山駅まで一旦戻って海路で門司へ行き、そこから九州鉄道線に入っていった。
[編集] 駅弁
- 特製お弁当(木村寿軒)
追捕 防府駅高架化時に(木村寿軒)が一度撤退。 利用者の声により復帰した経緯がある。
[編集] 路線バス
- てんじんぐち
- みなとぐち