しらさぎ (列車)
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しらさぎとは、西日本旅客鉄道が名古屋駅・米原駅~金沢駅・富山駅・和倉温泉駅・泊駅間を東海道本線・北陸本線経由で運行するエル特急。
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[編集] 運行概況
名古屋発着、米原発着がそれぞれ1日8往復運行される。名古屋発着は富山・和倉温泉(1日1往復、3・12号)まで、米原発着は米原~金沢間の運転となる。但し、上り4号はおはようエクスプレスの代替として平日に限り泊から運行される。なお3号・12号は高山本線不通による代替として通常金沢発着の所を臨時として富山まで運行している。
乗務員は、名古屋~米原間をJR東海が、米原~富山・和倉温泉間をJR西日本が担当する。かつては全区間を両社の車掌が交互に乗り通していた。車内販売は北陸トラベルサービスが全区間で営業している。
なお、名古屋発着列車は米原駅より進行方向が変わる(スイッチバック)。そのため乗客は座席の回転を米原駅にて任意(ほぼ強制的に)で行うことになる。名古屋~富山間の最短所要時間は3時間30分(名古屋~米原間を新幹線を利用すればほぼ3時間)。車両は加速性能が優れている683系電車を使用してはいるものの、同じ車両を使用している特急「サンダーバード」や大阪発着の特急「しなの」の米原駅~名古屋駅間と比べて停車駅数が多すぎる為に車両性能を生かしきれていないという点もある。また大阪と比べて直線距離からして名古屋との距離が短い和倉温泉へ直通する列車が1日1往復しか運転されない為に名古屋及び東海道新幹線経由で東京方面からのアクセスに難があり、これらの地区からの観光客が集まりにくいという問題点も残している。
また8両(一部11両)編成に対し自由席が3両しか連結していないので年中通して自由席は混んでいる(上下ともに米原~福井間は自由、指定席ともほぼ満席が常態化している)。また、名古屋発17時57分(13号)と富山発7時46分(4号)に関しては着席できないぐらい混雑している時がある。また、米原発では週末の夕方から夜にかけての列車は自由席が2両と少ないためやはり混雑が激しくなっている。これらの要因は現在高山本線経由のルートが災害で途絶えているため富山から中京方面への利用はこの列車に限られていることがある。
[編集] 停車駅
- 名古屋駅 - 尾張一宮駅 - 岐阜駅 - 大垣駅 - 米原駅 - (長浜駅) - 敦賀駅 - 武生駅 - 鯖江駅 - 福井駅 - 芦原温泉駅 - (大聖寺駅) - 加賀温泉駅 - 小松駅 - (松任駅) - 金沢駅 - (石動駅) - 高岡駅 - 富山駅(米原発着は名古屋・富山方面には進行せずすべて金沢止まり)
[編集] 担当車掌区
- JR西日本管内
- JR東海管内
[編集] 使用車両・編成
- 使用車両
- 編成
- 名古屋-富山間 8両編成(4号・10号・11号・13号は米原~富山間11両編成)※ラッシュ時以外は8両での運行もある。
- 米原-金沢間 5両編成(ラッシュ時等一部列車は8両編成)
- 名古屋-和倉温泉間(富山発着を併結)運転の列車(3号・12号)は名古屋-金沢間8両編成、金沢-富山間5両編成、金沢-和倉温泉間3両編成
名古屋-富山間
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多客時には以下の編成を連結する場合がある。
名古屋・富山← | →米原 | ||
9 指× |
10 指× |
11 指○ |
名古屋-富山・和倉温泉間
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この列車の5号車(富山行き)と6号車(和倉温泉行き)の間の通り抜けはできるが、切り離し作業準備のため金沢到着10分前になると通り抜けが出来なくなる。
米原-金沢間
金沢← | →米原 | ||||||||
1 指× |
2 指○ |
3 指× |
4 自× |
5 自○ |
ラッシュ時等一部列車には以下の編成を連結する場合がある。
金沢← | →米原 | ||
6 自× |
7 指× |
8 指○ |
[編集] 中京圏対北陸本線優等列車沿革
- 1957年10月1日 大阪駅~金沢駅間を東海道本線・北陸本線経由で運行していた準急列車「ゆのくに」に名古屋駅発着編成が設定される。
- 1959年9月22日 東京駅~金沢駅間を東海道本線・北陸本線経由で運行する急行列車「能登」が運行開始する。
- 1960年10月1日 名古屋駅~金沢駅~高山駅~名古屋駅間を運行する循環準急列車として「こがね」・「しろがね」を運行開始。
- 運行経路は「こがね」が名古屋駅→金沢駅→高山駅→名古屋駅とし、「しろがね」が名古屋駅→高山駅→金沢駅→高山駅→名古屋駅とした。
- 1961年10月1日 「能登」全区間を単独運転化。また、「ゆのくに」の名古屋駅発着編成を廃止。
- 1964年10月1日 東海道新幹線開業に伴い名古屋駅~富山駅間を運行する特別急行列車「しらさぎ」が設定される。しかし、使用車両である485系電車が間に合わず運休扱いとなる。また、敦賀駅~金沢駅間を運行する電車準急列車「くずりゅう」運行開始。
- 1964年12月25日 「しらさぎ」運行開始。
- 1965年10月1日 「能登」・「大和」と併結運転を開始。また、「くずりゅう」運行終了。
- 1966年3月5日 準急制度の変更に伴い、「こがね」・「しろがね」急行列車に昇格。
- 1966年10月1日 「サン・ロク・トオ」と称されるダイヤ改正に伴い、名古屋駅~金沢駅を運行する電車急行列車「兼六」が運行を開始。
- 1966年12月1日 米原駅~福井駅・金沢駅間を運行する電車急行列車「くずりゅう」が運行を開始。
- なお、福井駅発着列車は毎日運行の臨時列車扱いであった。
- 1968年10月1日 「ヨン・サン・トオ」と称されるダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「しらさぎ」1往復増発。2往復とする。
- 高山本線内を夜行列車で運行していた「しろがね2号」を廃止。
- 「くずりゅう」3往復増発し、5往復の運行とする。
- 「能登」廃止。
- 1969年10月1日 「くずりゅう」福井駅発着の1往復を増発し、6往復体制とする。
- 1972年3月15日 「こがね」・「しろがね」を廃止。「しらさぎ」2往復増発し、4往復とする。
- 1975年3月10日 湖西線開業に伴うダイヤ改正により、以下のように変更される。
- 1978年10月2日 ゴー・サン・トオと称されるダイヤ改正に伴い以下のように変更する。
- 「しらさぎ」から583系撤退。
- 485系使用の「しらさぎ」「加越」にイラストマーク使用開始。
- 1982年11月15日 ダイヤ改正により「くずりゅう」1往復を残し廃止。「加越」、6往復で運行される。
- 1984年12月12日 「しらさぎ」の食堂車の営業を廃止。
- 1985年3月14日 ダイヤ改正に伴い、以下のように変更される。
- 「しらさぎ」食堂車連結を中止。
- 「くずりゅう」廃止。
- 「加越」「くずりゅう」廃止分を含め2往復増発。8往復体制となる。
- なお、「加越」は主に米原駅~金沢駅間の運行とし、「しらさぎ」は名古屋駅~富山駅間の運行が主体であった。
- 1988年3月13日 米原駅~金沢駅間の速達列車として、「きらめき」が運行開始する。
- 1989年3月11日 「加越」の2往復を名古屋駅~富山駅間に延長、「しらさぎ」とする。これにより「加越」の富山駅乗り入れは終了。
- 1991年3月16日 「加越」1往復を「きらめき」に変更。「きらめき」1往復増発するも、自由席が設定される。
- 1991年9月1日 七尾線電化に伴い「しらさぎ」和倉温泉駅まで1往復延長。
- 1992年3月14日 「きらめき」速達運転を中止。これ以降、米原駅発着の普通車のみで運行される特急列車という意味合いでしかなくなる。
- 1997年3月22日 「きらめき」を「加越」に吸収。「加越」7往復となる。
- 2001年9月 「しらさぎ」の編成を10両編成化。これに伴い、米原駅での一部車両の分割・併結を行うようになる。また、「スーパー雷鳥」で用いられていたグレードアップ編成を投入。青系の塗装を用いたことから「あおさぎ」とも呼ばれた。
- 2003年3月15日 「しらさぎ」「加越」の一部に683系電車が導入される。7月までに全列車を置換。
- 2003年10月1日 米原駅発着の「加越」を吸収し、中京圏対北陸本線特急列車の名称を「しらさぎ」に統一。これに伴い、米原駅発着の「しらさぎ」に50番台の符番を行う。
- 2006年9月23日 10月21日の北陸本線長浜~敦賀間直流化開業のプレイベントとして、金沢~米原間で急行「くずりゅう」をリバイバル運転。
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