サッカーイスラエル代表
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国または地域 | ![]() |
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協会 | イスラエルサッカー連盟 |
愛称 | The Holy XI |
監督 | ドロル・カシュタン |
最多出場選手 | アロン・ハラジ(90試合) |
最多得点選手 | モルデハイ・シュピグレル Mordechai Spiegler(32得点) |
初の国際試合 | 1948年9月26日対アメリカ合衆国 1-3 |
最大差勝利試合 | 1988年3月23日対チャイニーズタイペイ 9-0 |
最大差敗戦試合 | 2002年2月13日対ドイツ 1-7 |
W杯出場回数 | 1回 |
W杯初出場 | 1970 FIFAワールドカップ |
W杯最高成績 | 1次リーグ敗退(1970) |
AFCアジアカップ出場数 | 4回 |
サッカーイスラエル代表(נבחרת ישראל בכדורגל)はイスラエルサッカー連盟によって編成されるサッカーのナショナルチーム。
目次 |
[編集] 歴史
AFCに所属していたが、イスラエル=アラブ紛争により周辺アラブ諸国との関係が悪化し、アラブ諸国のボイコットにより対戦不可能な状態にまで追い込まれた。そしてアジアサッカー連盟に所属しながらも1972年よりアジアカップへの出場を辞退せざるを得なくなり、またワールドカップ予選においては1970年、1974年、1978年にはアジア・オセアニア枠へと組み込まれたものの、1950年、1954年、1966年、1982年にはヨーロッパ枠に組み込まれ、1986年、1990年には完全にオセアニア枠に組み込まれ遠方への遠征を強いられることとなった。このためイスラエルサッカー連盟は欧州サッカー連盟(UEFA)への加盟を希望していた。これが認められて1992年よりUEFAに加盟している。UEFA加盟後、ワールドカップ、欧州選手権には出場していない。
[編集] ワールドカップの成績
- 1950 - 予選敗退
- 1954 - 予選敗退
- 1958 - 予選敗退
- 1962 - 予選敗退
- 1966 - 予選敗退
- 1970 - 1次リーグ敗退
- 1974 - 予選敗退
- 1978 - 予選敗退
- 1982 - 予選敗退
- 1986 - 予選敗退
- 1990 - 予選敗退
- 1994 - 予選敗退
- 1998 - 予選敗退
- 2002 - 予選敗退
- 2006 - 予選敗退
[編集] AFCアジアカップの成績
- 1956年 - 準優勝
- 1960年 - 準優勝
- 1964年 - 優勝
- 1968年 - 3位
- 1972年 - 不参加
- 1976年 - 不参加
- 1980年 - 不参加
- 1984年 - 不参加
- 1988年 - 不参加
- 1992年 - 不参加
[編集] 欧州選手権の成績
[編集] 歴代監督
[編集] 歴代代表選手
- タル・ベン=ハイム
- ヨッシ・ベナユン
[編集] 外部リンク
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