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サッカーの世界大会である第7回FIFAワールドカップは1962年に南米のチリで開催された。優勝国はブラジルで決勝でチェコスロバキアを3対1で破り、ワールドカップ2連覇を成し遂げた。
西ドイツ、アルゼンチン、チリのわずか3カ国が大会誘致に立候補し、アルゼンチンが優勢と思われたが、結果的にチリが大会を開催することになった。1960年のチリ地震で大きな被害を受けていたが、新しいスタジアムの建設を含め、精力的に準備が行われた。1958年と同じ大会方式が採用された。地域予選を突破した16チームを4チームずつ4つのグループに分け、1位と2位チームが決勝ラウンドに進出する方式である。
予選ラウンドでブラジル代表のペレがわずか2試合で怪我のため、以後の欠場を余儀なくされた。しかし代役のガリンシャが活躍し、ブラジル代表を優勝まで牽引する原動力の1つとなった。ガリンシャは先天的に足に障害を抱えていたが、手術を受けて歩くことができるようになったという経歴の持ち主である。この大会以後も活躍を続け、偉大な選手の1人に数えられるようになる。
ブラジルとチェコスロバキアがメキシコとスペインを押さえて、予選ラウンドをそれぞれ1位と2位で通過した。他のブロックではソ連とユーゴスラビア、ハンガリーとイングランドが同じく通過した。しかし一方ではアルゼンチンやブルガリアは予選ラウンドで姿を消した。西ドイツとチリも予選ラウンドを通過し、イタリアはホスト国のチリとの荒れた試合で2対0と完敗したこともあり通過することができなかった。この試合では退場者は2名に留まったものの、会場から去るために警察の警護が必要となるなど大会お盛り上がりに水をさすことになった。同じグループのスイスは3連敗を喫して予選ラウンドで敗退している。
準々決勝でチリは不利と予想されていた対ソ連戦に2対1で勝利し、イングランド対ブラジル戦の勝者と準決勝で対戦することとなった。ガリンシャが2得点を決め、ブラジルは3対1でイングランドを下した。ユーゴスラビアは西ドイツを1対0で下し、チェコスロバキアも1対0でハンガリーに競り勝ち、もう一方の準決勝は中欧同士の対戦となった。
準決勝は同日に行われ、結果としてわずか6000人弱がチェコスロバキアが3対1でユーゴスラビアを下す試合を観戦した。一方のチリ対ブラジル戦には76,600人が集まり、両チームは1名ずつ退場者を出したものの、ブラジルが4対2でチリを下し、決勝に進んだ。3日後に行われた3位決定戦でチリはユーゴスラビアを1対0で下し、3位を獲得している。
首都サンティアゴの国立スタジアムが決勝戦の舞台となり、開始15分でチェコスロバキアは1点のリードを奪い、ブラジルは2大会連続で決勝でリードを奪われる展開となった。しかし2分後にブラジルはアマリウドの得点で1対1のタイに追いついた。後半半ばにブラジルはジトとババの得点で3対1と逆転し、チェコスロバキアは追いつくことができなかった。試合は3対1で終わり、ブラジルは前回大会で大活躍したペレ抜きで第2、3回大会のイタリア以来の史上2カ国目の2連覇を達成した。
- 優勝: ブラジル
- 準優勝: チェコスロバキア
- 3位: チリ
- 4位: ユーゴスラビア
[編集] 出場国
南米
ヨーロッパ
北中米カリブ海
[編集] 第1ラウンド
[編集] グループ A
[編集] グループ B
チーム |
勝ち点 |
試合数 |
勝 |
引 |
負 |
得点 |
失点 |
西ドイツ |
5 |
3 |
2 |
1 |
0 |
4 |
1 |
チリ |
4 |
3 |
2 |
0 |
1 |
5 |
3 |
イタリア |
3 |
3 |
1 |
1 |
1 |
3 |
2 |
スイス |
0 |
3 |
0 |
0 |
3 |
2 |
8 |
|
|
[編集] グループ C
チーム |
勝ち点 |
試合数 |
勝 |
引 |
負 |
得点 |
失点 |
ブラジル |
5 |
3 |
2 |
1 |
0 |
4 |
1 |
チェコスロバキア |
3 |
3 |
1 |
1 |
1 |
2 |
3 |
メキシコ |
2 |
3 |
1 |
0 |
2 |
3 |
4 |
スペイン |
2 |
3 |
1 |
0 |
2 |
2 |
3 |
|
|
[編集] グループ D
[編集] 決勝トーナメント
[編集] 準々決勝
[編集] 準決勝
[編集] 3位決定戦
[編集] 決勝
1962ワールドカップ
優勝国: |
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ブラジル
2回目 |