サッカーハンガリー代表
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国または地域 | ハンガリー |
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協会 | ハンガリーサッカー連盟 |
愛称 | The Magyars |
監督 | Péter Bozsik |
最多出場選手 | hu:Bozsik József(101試合) |
最多得点選手 | フェレンツ・プスカシュ(84得点) |
初の国際試合 | 1902年10月12日対オーストリア 0-5 |
最大差勝利試合 | 1912年7月1日対ロシア 16-0 |
最大差敗戦試合 | 1909年3月16日対イングランド 0-9 |
W杯出場回数 | 9回 |
W杯初出場 | 1934 FIFAワールドカップ |
W杯最高成績 | 準優勝(1938、1954) |
サッカー欧州選手権出場数 | 2回 |
サッカーハンガリー代表(Magyar labdarúgó-válogatott)はハンガリーサッカー連盟によって編成されるサッカーのナショナルチームである。
1950年代初頭、ナショナルチームの連勝記録となる33連勝を達成、当時の世界最強チームとしてその名を轟かせマジック・マジャールと呼ばれた。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 誕生
サッカーハンガリー代表が誕生したのはオーストリア・ハンガリー帝国末期の20世紀初年である。翌1902年にオーストリアとの親善試合を行っている。なおこの試合はオーストリアにとっても最初の国際試合である。このことからも分かるように、オーストリア・ハンガリー帝国で単一の協会は作られず、ナショナルチームも別個に編成された。この時点でのハンガリー代表は、ハンガリー王国の歴史的地域を代表するナショナルチームであり、現在のスロバキアやクロアチアを含んでいた。
[編集] マジック・マジャール
ハンガリーは第二次世界大戦以前から、ヨーロッパの強豪のうちの一つに数えられていたが、戦後1949年から代表監督に就任したグスタヴ・セベシュは、当時主流だった、WMシステムを改変したMMシステムを採用して、ハンガリーを一気に世界最強のナショナルチームへ押しあがらせた。このMMシステムは、バックスが3人と言う点ではWMと同一であるが、中盤を5人と厚くし、特に両サイドの動きを重視したシステムであった、人数は後ろから3-5-2であるから、現在のシステムにかなり近いといえる。
1950年から連勝街道を突っ走った、ハンガリー代表は、1952年当時世界最強と信じられていたイングランドにアウェイで6-3と大勝した。さらに翌1953年にはホームにイングランド代表を迎え7-1の大差で再び下している。これにより世界はハンガリー代表こそが世界最強であると気が付き、彼らに「マジック・マジャール」と言う称号を与えた。1952年のヘルシンキオリンピックでは、金メダルを獲得。迎える1954年のワールドカップでは間違いなくハンガリーが優勝するであろうとの予想が大方を占めていた。しかしこの大会で虎視眈々とハンガリーの安永を脅かそうとする存在があった。西ドイツ代表である。そしてこの時点でヘルシンキオリンピックの金メダルが、マジック・マジャール唯一の国際タイトルになる事は誰も予想していなかった。
[編集] ワールドカップスイス大会(1954年)
1954年のワールドカップスイス大会はハンガリーと西ドイツは同一のグループリーグに回された。西ドイツはグループリーグで、あえてハンガリーと争おうとはせず、トルコ代表とのプレーオフにかってトーナメント進出を決めた。但し、西ドイツはハンガリーとの対決で、ハンガリー代表のFWフェレンツ・プスカシュに重大な損傷を与えており、今尚議論の対象になっている。
この時点で西ドイツとしては出来ればハンガリーに難しい山に入って欲しいと言う狙いがあったようである。その願いは見事適い、ハンガリーはトーナメント初戦の準々決勝で前回大会、後一歩の所で優勝を逃したブラジルと対戦した。この試合はベルンの戦いと呼ばれる激しいものでありハンガリーが苦戦しながらも、4-2でブラジルを撃破、準決勝にコマを進めた。所が準決勝の相手は前回大会優勝国のウルグアイであり、この対戦でもハンガリーは苦戦、それでも延長戦の末4-2で打ち破ったのは世界最強チームの面目躍如といった所であるが、ハンガリーの連勝記録もここまでであった。
決勝はグループリーグで当たった西ドイツと再びまみえたが、FWプスカシュを失い、ブラジル、ウルグアイと言う強豪チームを何とか下したばかりのハンガリーにもう余力は残っていなかった。機能的に組織する中盤への対策に、ディフェンスラインを強化した西ドイツの前に、ハンガリーは序盤2 - 0とリードするも、2-3で逆転負けした。ハンガリーの連勝記録は33でストップしたが、この記録を破るチームは未だ現れていない。
この出来事は、後に「西ドイツがハンガリーの栄光を奪取した」と言う言い方がなされるようになった。それは「世界最強」と言われながらも、ワールドカップで優勝できなかった「マジック・マジャール」が消滅してしまった事による。
[編集] マジック・マジャールの消滅
1954年のワールドカップが終了した時点で、マジック・マジャールには未だチャンスが残されていた。事は簡単で1958年のワールドカップでリベンジすればよかったのである。事実彼等は再び連勝街道をひた走りはじめた。この後1955年11月のイタリア代表戦まで、引き分けを挟んで15連勝している。
しかし、これを覆す事態が、ハンガリーに起こる。1956年のハンガリー動乱である。この動乱は最終的にソビエト連邦を筆頭とするワルシャワ条約機構軍の介入によって鎮静化されたが、ソ連の介入を嫌った、マジックマ・ジャールの選手たちは、大多数が西側諸国へ亡命した。主力選手を喪失する事によって、マジック・マジャールは消滅したのである。
[編集] マジック・マジャール以降のハンガリー代表
非常に興味深い事に、純然たる社会主義国家に戻ったハンガリーは西側のプロチームの上位には立てない普通の東側のナショナルチームになってしまった。
以降ワールドカップでは54年大会の成績を上回る記録を残せていない。1990年大会以降は欧州予選での敗退が続いている。
欧州選手権では出場国の少なかった初期においては上位に食い込む成績を残しているが、1976年以降はこちらも予選での敗退が続いている。
[編集] 記録
1902年10月12日、オーストリアのウィーンで行われた、オーストリア対ハンガリーの試合は、イギリス4協会のナショナルチーム以外で行われた、最初の国際試合であった。
1953年11月25日、イングランドのウェンブレー・スタジアムで行われたイングランド対ハンガリーで、ハンガリーが6-3でイングランドを下した。これはイギリス4協会以外のナショナルチームがイングランドをホームで破った初めての試合であった。(en:England v Hungary (1953)参照)。翌年にはリベンジに燃えるイングランドを、ブダペストに迎えて、7-1で下した。これがイングランド代表の最大敗北記録である。これらの出来事は1863年のフットボール・アソシエーション設立以来、イングランドサッカーシーンにおいて最大の衝撃であった。
最も特筆するべきは、1950年5月14日から1954年6月30日までの間に達成された、ナショナルチームとしての連勝記録33である。1991年から1993年までの間にアルゼンチン代表が31まで迫ったが、結局これを破る事は出来なかった。このハンガリー代表の記録は現在に至るまで破られていない。
[編集] ワールドカップの成績
- 1930 - 不参加
- 1934 - ベスト8
- 1938 - 準優勝
- 1950 - 不参加
- 1954 - 準優勝
- 1958 - グループリーグ敗退
- 1962 - ベスト8
- 1966 - ベスト8
- 1970 - 予選敗退
- 1974 - 予選敗退
- 1978 - 1次リーグ敗退
- 1982 - 1次リーグ敗退
- 1986 - グループリーグ敗退
- 1990 - 予選敗退
- 1994 - 予選敗退
- 1998 - 予選敗退
- 2002 - 予選敗退
- 2006 - 予選敗退
[編集] 欧州選手権の成績
- 1960 - 予選敗退
- 1964 - 3位
- 1968 - 予選敗退
- 1972 - 4位
- 1976 - 予選敗退
- 1980 - 予選敗退
- 1984 - 予選敗退
- 1988 - 予選敗退
- 1992 - 予選敗退
- 1996 - 予選敗退
- 2000 - 予選敗退
- 2004 - 予選敗退
[編集] オリンピックの成績
- 1952 - 優勝
- 1960 - 3位
- 1964 - 優勝
- 1968 - 優勝
- 1972 - 準優勝
[編集] 選手
[編集] 過去の有名選手
- フェレンツ・プスカシュ
- ジュラ・グロシッチ
- ナーンドル・ヒデクチ
- シャーンドル・コチシュ
- ラディスラオ・クバラ
- ヨーゼフ・ボジク
- フロリアン・アルベルト
[編集] 外部リンク
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