中島公園
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中島公園(なかじまこうえん)は、
札幌の中島公園は明治時代に中島遊園地(なかじまゆうえんち)として設けられた。1957年3月23日に都市公園告示、面積210,416m²。札幌市が管轄し、民間企業3社で構成する「さっぽろパークマネジメントグループ」が指定管理者として管理する。公園内には、コンサートホール、文学館、天文台、重要文化財の豊平館と八窓庵など様々な施設が立地し、中を鴨々川が流れる。
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[編集] 歴史
中島の名は、後に鴨々川にまとめられる二つの流れにはさまれた地であることに由来する。豊平川の対岸にある「中の島」も事情は同じだが、はさんだ川が異なるので別地名である。
中島公園の辺りは、明治初めには市街の外にあり、明治末にも市街の縁辺部に位置した。市の中心とみられるようになるのは、戦後になってからである。
- 1886年(明治19年)に札幌区に編入され、翌年の第10回北海道物産共進会の会場となった。これ以後中島遊園地は1958年(昭和33年)まで様々な博覧会の会場になった。展示場として建てられた建物の一部は、閉会後も残されたが、今に伝わるものはない。
- 1990年~1992年さっぽろ雪まつりの第4会場となる。こうした経緯から2006年には前年度で終了した真駒内会場の代替地として雪まつりの開催が検討され、北海道新聞に決定記事が掲載されるまでに至ったものの、巨大で重量のある雪像が札幌市営地下鉄施設へ与える影響などの懸念が出され見送りになった(最終的にはサッポロさとらんどで開催)。
初期の中島公園は、大部分が手入れのない林のまま、今日でいう自然公園に近かったが、しだいに施設が増加し密度を増した。2005年現在までに廃止あるいは移転となったのは、スケート場、野球場、体育センター、遊園地、ラジオ局、食堂などである。公園に移転してきた国の重要文化財に、豊平館と八窓庵がある。現在は、札幌コンサートホール Kitara、人形劇場、児童会館、文学館、天文台などがある。
[編集] 公園内の施設等
[編集] ちびっこ広場
児童会館とこぐま座に面した広場である。遊具が置かれる。中に彫刻をほどこした円柱があり、「森の歌」という。年一回の「さっぽろっ子まつり」の会場である。
[編集] 中島児童会館
アメリカ軍の野戦用兵舎の払い下げを受けて、日本初の公立児童会館として、1949年(昭和24年)7月3日に開館した。当初のかまぽこ型兵舎4棟は、1958年(昭和33年)に木造モルタル2階建てに、1985年(昭和60年)に鉄筋2階建てに替わった。子供のための遊びと学習の催しを行っている。
[編集] 札幌市こども人形劇場こぐま座
1976年(昭和51年)7月、日本ではプーク人形劇場に続く二番目、公立としては初めての人形劇場として開館した。後に東区に立てられたやまびこ座とともに、年間を通じて子供向けの様々な人形劇を行なっている。
[編集] 八窓庵
江戸時代初めの茶人大名、小堀遠州が近江国小室城に建てたと伝えられる茶室である。1919年(大正8年)に札幌市の北4条西12丁目に移され、さらに1971年(昭和46年)中島公園に移築された。国の重要文化財である。
[編集] 豊平館
豊平館は明治はじめに、来賓を迎える旅館として開拓使が大通に面して作った西洋館である。1878年(明治11年)に計画され、1880年(明治13年)に完成した。設計は開拓使技師の安達喜幸による。安達は棟梁出身で、お雇い外国人のアメリカ人・ホイーラーの指導を受けて日米の建築技法を身に付けた技術者であった。その後様々な用途に転用され、1958年(昭和33年)に中島公園に移築された。国の重要文化財に指定され、市営結婚式場として利用されている。
[編集] 札幌市天文台
岡田山という小さな丘の上に建つ小さな天文台である。口径20cmの屈折式望遠鏡を備える。年間60日、様々なテーマで天体観測の夜間公開を行なう。
[編集] 菖蒲池
菖蒲池が整備される以前には、鴨々川につながる貯木場として利用された池があった。中島遊園地になったときには、現在の池の中央は陸でつながり、北東と南西の二つの池に分かれていた。今では中に二つの島を持つ池である。ボート乗り場があり、しばしばボート池と呼ばれる
1896年(明治29年)頃から、スケートに利用されるようになった。1920年(大正9年)に札幌スケート協会が設立され、池の東側をスケート場に整備した。使用料金はシーズンと当日のみで分けた。1925年(大正14年)から、滑り納めの2月11日、紀元節の日に氷上カーニバルを開催した。これは様々に仮装した市民がスケートを楽しむものである。1954年(昭和27年)に中島球場にリンクが作られてから利用が少なくなり、現在では使われていない。
[編集] 札幌コンサートホール Kitara
札幌コンサートホールKitaraは、北海道初の音楽専用ホールとして、1997年(平成9年)7月4日に開館した。2008席の大ホールと、453席の小ホールがある。現在の中島公園で最大の建築物である。近くからは規模に見合った大きさを見せるのに、他の場所に移ると視界から消える。周囲に威圧感を与えないことがこの建物の設計目標にあり、高さを下げて丘と木の間に隠れているのである。
[編集] 札幌市中島体育センター
北海道立中島体育センター本館として、1980年(昭和55年)に中島スポーツセンターの西隣に建てられた。スポーツ指導者の養成を目的に、各種設備を備えている。
[編集] 丘の広場
芝生のある広場。
[編集] 北海道立文学館
北海道立文学館は、北海道の文学を紹介するために、1995年(平成7年)に開館した。
[編集] 多目的広場
自由広場ともいう。様々な野外の催しを行なうための空間である。春から秋はフリーマーケット、5月にはさっぽろ園芸市などが催される。
[編集] 鴨々川遊び場
1975年(昭和50年)、子供が危険なく遊べる川を用意するために作られた。鴨々川の流れを分けて、底を浅くし、水遊びができるようにしてある。
[編集] テニスコート
公園内のテニスコートの初めは、1928年(昭和13年)8月7日に開かれた硬式庭球場である。現在位置には、1954年(昭和29年)に造られた。
[編集] 過去に存在した施設等
[編集] 中島競馬場
市内の偕楽園にあった競馬場が移転する形で1887年(明治20年)に造られた。1907年(明治40年)に廃止された。
[編集] ライオン食堂
1918年(大正7年)に開道五十年北海道博覧会の西洋館として建てられ、終了後洋風レストランになった。白い立派な建物であったという。ライオン食堂に行くためには、南東にかかる白く塗られた木橋で池を渡った。
[編集] 中島球場
1918年(大正7年)の開道五十年北海道博覧会の跡地に作られた野球場である。設備としてはバックネットとベンチを設けただけだが、1935年(昭和9年)に札幌外苑球場(現在の札幌市円山球場)が開かれるまでは、札幌の中心的野球場であった。
1949年(昭和24年)に、札幌市は新しい野球場をほぼ同じ場所に建設した。両翼94メートル、中堅111メートルで、収容人数2万1千人。設備は充実したが、円山と比べるとなお手狭だったので、プロ野球の利用は稀で、社会人と学生に利用された。1954年(昭和27年)からは、冬季にスケート場として利用された。1980年(昭和55年)に廃止された。
[編集] 中島プール
1923年(大正12年)、製氷用の池の一部を夏季にプールとして開放したのが始まりである。
1929年(昭和4年)に改造して、側面をコンクリート壁とし、全面をプールとして利用した。縦140メートル横23メートルで、当時日本一広かった。しかしその実態は川の水を引き入れた巨大な池で、時に水が濁ったり藻が発生した。
1969年(昭和44年)に、札幌テレビ放送(STV)の寄付により、50メートル×21メートルの新しいプールが建設された。後に他の市営プールの数が増え、民間のプールも作られるようになると利用者が減少した。1996年(平成8年)に閉鎖された。
[編集] 札幌短期大学
札幌学院大学の前身。1946年6月、旧農業館に札幌文科専門学院を開校した。農業館は、1918年(大正7年)の開道五十年北海道博覧会の展示場として建てられたもので、以後様々な催し物の会場に利用されていた。1950年(昭和25年)3月に札幌短期大学と改称し、1955年(昭和30年)に移転した。
[編集] 子供の国
1958年から1994年まであった(現代的な意味での)遊園地である。子供の国の起源は、1926年(大正15年)の国産振興博覧会にあり、このとき第一会場になった中島公園の西隣、岡田花園の土地を借りて「子供の国」を作って好評を博した。
1958年(昭和33年)の北海道大博覧会でも子供の国が作られ、博覧会終了後、札幌振興公社がその運営を引き継いだ。現在、札幌コンサートホール Kitaraがある場所である。営業は4月から11月までで、冬季は休業。移転までの36年間に約1200万人が利用した。1994年(平成6年)5月、札幌市円山動物園の中に移転するため終了した。円山での再開は翌年4月になされた。
[編集] NHK札幌放送局
1928年(昭和3年)に、公園の東部に日本放送協会(NHK)札幌支部の札幌放送局が設けられた。後に札幌中央放送局と改称した。放送局はさっぽろテレビ塔の建設とテレビ放送開始に伴い、テレビ塔の北に移転した。
[編集] 北海道地下資源調査所
北海道立地質研究所の前身である。1950年(昭和25年)に設立された。1951年(昭和26年)8月からしばらくの間、旧拓殖館にあった。拓殖館は、1918年(大正7年)の開道五十年北海道博覧会の展示場として建てられたものである。
[編集] 北海道簿記専修学校
札幌商工会議所付属専門学校の前身である。1955年(昭和30年)に開校し、1959年(昭和34年)10月に中島公園の旧NHKの建物に校舎を移した。1961年(昭和36年)9月に、公園内の旧拓殖館に移転した。学校は、1964年(昭和39年)10月に南4条西18丁目に移転した。その後校名を北海道簿記専門学校、札幌商工会議所付属専門学校と変えて現在は白石区にある。
[編集] 中島体育センター別館
1954年(昭和29年)に、北海道で開催する国民体育大会の会場とするために、公園の東側に北海道立の中島スポーツセンターが造られた。スポーツ大会のほか、プロレス興行、歌手の公演、各種展示会、展覧会など多目的に用いられた。中島体育センターの建設とともに、中島体育センター別館と改称した。豊平公園における北海道立総合体育センター「きたえーる」の開館に伴い2000年に閉鎖した。
[編集] 冬のスポーツ博物館
1980年(昭和55年)2月3日に旧NHK局舎に開館した。スキー、スケートなどのスポーツの博物館である。スポーツの歴史や内容のほか、札幌オリンピックを記念する展示があった。2000年(平成12年)に市内の大倉山ジャンプ競技場に、「札幌ウィンタースポーツミュージアム」と改称して移転した。
[編集] 百花園
1959年(昭和34年)に、1200株の薔薇を植えて開設した。1995年(平成7年)からの再整備で廃され、広場に替わった。その後、広場の周りに再び薔薇が植えられている。
[編集] 周辺
南北に細長い公園の北の端がいわば正面入口で、地下鉄中島公園駅がある。入口から前に通じる駅前通は、すすきのの繁華街、大通を経て札幌駅に通じる。東は、豊平川と公園にはさまれた細長い地区で、料理店、ホテル、業務用のビル、高層住宅が立ち並ぶ。西は対照的に中・低層の住宅地である。南端に地下鉄幌平橋駅があり、豊平川の幌平橋のそばとなる。
[編集] 札幌護国神社
公園の西南に接してある神社で、西南戦争で戦死した屯田兵を祀るため、屯田兵司令部内に作られた。1907年(明治40年)2月に中島公園内に移転した。当初の名は札幌忠魂社、1922年(大正11年)7月1日に札幌招魂社、1939年(昭和14年)4月1日に札幌護国神社と改称した。1933年(昭和8年)に公園内の現在位置に移転した。現在は政教分離の原則により公園と切り離されている。
[編集] 札幌水天宮
公園の北西に隣接する。
[編集] 彌彦(伊夜日子)神社
公園の東に、三面を公園に囲まれるように位置する。1911年(明治45年)1月1日建立。
[編集] 参考文献
- 札幌市教育委員会編『中島公園』(さっぽろ文庫 84)、北海道新聞社、1998年、ISBN 4-89363-083-0
[編集] 外部リンク
- 中島公園管理事務所(さっぽろパークマネジメントグループ)
- 札幌市公園検索システム
- 札幌市環境局みどりの推進部
- 中島公園写真館