交響曲第1番 (ブラームス)
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ヨハネス・ブラームスの交響曲第1番ハ短調作品68(こうきょうきょくだい1ばん ドイツ語:Sinfonie Nr. 1 in c-Moll, op. 68 )は、ブラームスが作曲した4つの交響曲のうちの最初の1曲である。ハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの交響曲第10番」とまで言わせたほどの完成度を示し、交響曲史上でも最も重要な作品のひとつとなっている。「暗から明へ」という聴衆に分かりやすい構成ゆえに、第2番以降の内省的な作品よりも演奏される機会は多く、最もよく演奏されるブラームスの交響曲となっている。
目次 |
[編集] 概要
ブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の発表に関して非常に慎重であったことで知られている。最初の交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した労作である。(なお、通常は数ヶ月から数年で完成するといわれる。)
この作品は、ベートーヴェンからの交響曲の系譜を正統的に受け継いだ名作として聴衆に受け入れられ、交響曲の歴史上でも最も偉大な一曲という意味で、指揮者のビューローには「ベートーヴェンの第10交響曲」と絶賛された。(ビューローは当初は反ブラームスとして知られていたが、ワーグナーとの仲違いからこの頃にはブラームスに接近していた。)もっともこの言葉は、ベートーヴェンの影響下から全く脱しきれていないという皮肉の意味に解釈することもできる。
この交響曲はハ短調で書かれているが、これはベートーヴェンの交響曲第5番(運命)と同じである。また、第4楽章の第1主題はベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章の「歓喜の歌」を思わせるものとなっている。ブラームスもそのことを十分意識していたととれる発言を残している。これも「暗黒から光明へ」というベートーヴェン的な交響曲を意識したためであると言われている。
ベートーヴェン的な高度な構成力から「ベートーヴェンの第10交響曲」と評され、ロマン派全盛時代に古典回帰を試みた新古典主義の代表的作品と、かつてはいわれた。しかし、やがて一時代を築くことになる新古典主義運動の全盛時代を経験した現代的視点から見ると、オーケストラや和声の扱い、曲の構成などにおいて、この曲はまぎれもなくロマン派の特徴を備えているということがわかる。例えば、第1楽章冒頭の、ティンパニの強打に支えられた、高音域のヴァイオリンによる半音階的な旋律にも既にそのような特徴を見て取れる。
[編集] 作曲の経緯・初演
着想から完成まで21年を費やして作曲。集中して取り組んだのは最後の5年間。1876年に完成したが、初演後も種々の改定を加えた。
ブラームスは、22才の時にロベルト・シューマンの『マンフレッド序曲』を聴き、自分も交響曲を作ろうと思い立った。しかし、ブラームスはベートーヴェンを尊敬しており、自らが交響曲を書こうと思っていてもベートーヴェンを越えるほどのものでなくてはならないと考えていた。このため、ブラームスは推敲に推敲を重ね、最初の交響曲の完成までに20年を要した。もっとも、20年間ずっと推敲を重ねていたのではなく、何度も一から書き直すような過程があったと考えられる。この過程で破棄された旋律は、ピアノ協奏曲第1番の第2楽章や『ドイツ・レクイエム』に転用されたという。1862年になると第1楽章の原型と見られるものが現れており、直接の起源はこの付近の時期に遡ることができると考えられている。最終的に交響曲が一通りの完成を見たのはこの時点から14年後の1876年で、既にブラームスは43歳になっていた。
これだけの時間を要したのは、必ずしもブラームスが遅筆であったというわけではない。当時は、ワーグナーやリストといった前衛的な作曲家は既に交響曲という古臭い形式から脱却し、それぞれが楽劇や交響詩といった新たなジャンルを開拓していた時代であった。また、交響曲のジャンルの中においても、ベートーヴェンの死後すぐにベルリオーズは幻想交響曲を発表していた。しかしながら、聴衆の中にはこのような前衛的な運動にはついていけない者も多く、ベートーヴェンの交響曲を正統的に次ぐ新しい作品が待ち望まれていた。そのような作品として、ロベルト・シューマンは4曲の交響曲を発表したが、それらも必ずしも聴衆の期待に応えうるような作品にはならなかった。古典的な交響曲を待望するこのような聴衆の存在が、交響曲を完璧に仕上げなければならないという使命感をブラームスに負わせ、ブラームスもそれに誠実に応えたため、このような時間を要する結果となったのである。
初演は、1876年11月4日、オットー・デッソフ指揮、カールスルーエ宮廷劇場管弦楽団。初演後も改訂が続けられ、決定稿が出版されたのは翌年1877年。ジムロック社より出版された。
[編集] 編成
- 木管
- 金管
- ティンパニ
- 弦五部
ピッコロを欠きホルンが増強された点を除けば、ベートーヴェンの交響曲第5番と編成がほとんど一致する。また、第4楽章でのみトロンボーンが使用される点でも類似している。 いずれの楽器も扱い方は古典的であり、たとえばベルリオーズの幻想交響曲で要求されるような特殊奏法は要求されていないほか、金管楽器は当時ある程度バルブ式のものも普及していたが、ここでは古典的なナチュラル管を想定して書かれている。
[編集] 構成
交響曲の定石通り4つの楽章で構成されているが、舞曲(メヌエットまたはスケルツォ)に相当する楽章を欠いている。また、楽章の調の構成は、5度の関係を基本とした古典的なものではなく、3度関係の調となっている(ハ短調-ホ長調-変イ長調-ハ長調)。
全曲を通して、「C-C♯-D」の半音階進行が曲を統一するモティーフとして重要な役割を果している
演奏時間は約45分。
[編集] 第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro
序奏は主部よりも後に作曲されて追加されたものである。提示部には繰り返し記号があるが、繰り返して演奏されることはあまりない。ティンパニのC音の強打にヴァイオリン,チェロの上向する半音階的な旋律と木管とホルン、ヴィオラの旋律が交錯する冒頭部は印象的。
[編集] 第2楽章 Andante sostenuto
オーボエとヴァイオリンのソロがある。オーボエは主部とトリオ、ヴァイオリンは後の主部でそれぞれ演奏される。
[編集] 第3楽章 Un poco allegretto e grazioso
[編集] 第4楽章 Adagio - Più andante -Allegro non troppo, ma con brio
冒頭はハ短調で、第1楽章の序奏の気分が回想されながら、第1主題が断片的に予告される。弦楽器のピチカートと交互に発展しながら序奏の第2部に入る。序奏の第2部ではハ長調に転じ、アルペンホルン風の朗々とした旋律と、トロンボーン・ファゴットによるコラールが聞こえる。なお、このアルペンホルンの主題はクララ・シューマンへの愛を表しているとされ、クララへ宛てた誕生日を祝う手紙の中で"Hoch auf'm Berg, tief im Tal, grüß ich dich viel tausendmal"(「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」)という歌詞が付けられている。
管弦楽全体が休止し、弦楽合奏が第1主題を演奏し始める。この主題は歌曲風であり、16小節からなる二部形式の明確な楽節構造をとっている。この交響曲のそれまでの部分は、構造をあえて不明瞭にしている部分が多いが、それとは好対照をなす明晰さである。さらに、ハ長調という誠実さを象徴するかのような調が選ばれており、借用和音などを効果的に使いながら、感動的に歌い上げている。この部分はしばしばベートーヴェンの第九における歓喜の歌との類似性も指摘される。
[編集] 編曲・サウンドトラック
- TVアニメデビルマン(最終回)
- TVCMサントリーピュアモルトウイスキー「響」
- 風の歌 1978年NHKみんなのうた(作詞:柴田陽平、編曲:三枝成章、歌和田アキ子・杉並児童合唱団)
- TVドラマのだめカンタービレ
[編集] トリビア
サントリーのウイスキー、『響(ひびき)』はこの曲をイメージして作られた。
[編集] 外部リンク
- ブラームスの交響曲第1番の総譜 (HTML) - IUDLP: The Indiana University Digital Library Program
- ブラームスの交響曲第1番の総譜 (PDF) - IMSLP: The International Music Score Library Project
- ブラームスの交響曲第1番の演奏 (MP3) - The Columbia University Orchestra (楽章別, bit rate:160Kbps)
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