伊藤公介
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伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年10月23日 - )は自由民主党の衆議院議員。東京都第23選挙区(東京都町田市、多摩市)選出。町村派所属。長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身。
生年月日 | 1941年10月23日 |
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出生地 | 長野県高遠町(現・伊那市) |
出身校 | 法政大学法学部法律学科 |
学位・資格 | 法学士 |
前職・院外役職(現在) | 塾講師、代議士秘書 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆議院・外務委員会 |
世襲の有無 | 世襲ではない |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
東京23区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(町村派) |
党役職(現在) | 自由民主党住宅土地調査会会長 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館302号室 |
ウェブサイト | [1] |
目次 |
[編集] 概要
1964年、法政大学法学部卒業。その後ベルリン留学、オハイオ州立大学、外国語学校講師、サラリーマンを経て、代議士秘書になる。
1976年、衆議院議員に初当選し、新自由クラブに入党。その後、党外交委員長・自治政務次官・新自由クラブ政策委員長を歴任し、1986年、自由民主党に入党した。入党後、国土政務次官、衆議院法務委員長・衆議院文教委員長・衆議院外務委員長を経験。1996年には国土庁長官に就任。パラリンピック推進議員連盟会長・自民党財務委員長なども経験した。2003年には国家基本政策委員長に就任した。自民党住宅土地調査会会長でもある。
2005年11月、構造計算書偽造問題で取り糺された株式会社ヒューザー並びに東日本住宅株式会社と癒着し、両社の社長を国土交通省の建築指導課長に3度も引き合わせ、公的資金の注入を求めさせていたと言う疑惑が持たれ、この疑惑に関連して野党から参考人招致や証人喚問が要求されている。本人は著書「駅頭からの挑戦」の中でロッキード事件証人喚問について、「政治家が証人喚問を要求されたら堂々と身の潔白を明らかにするべきで、そのくらいのことができないなら議員を辞職するべき」と述べている(p. 130)。前首相秘書官の飯島勲とは同郷であり、仲が良いと一部の報道で言われている。
2006年3月10日、資金管理団体と自民党支部が受けた政治献金について収支報告書を虚偽記載、提出させたとして、政治団体の元幹部が伊藤元長官を政治資金規正法違反の容疑で東京地検に告発した。
2007年1月15日東京地検は、「収支報告書の記載に関与したと認める証拠がない」として、 嫌疑不十分で不起訴処分とした。
[編集] 年譜
- 1941年10月23日 - 長野県上伊那郡高遠町にて誕生。
- 1960年3月 - 長野県伊那北高等学校卒業。
- 1964年 - 法政大学法学部法律学科卒業、ベルリン留学。
- 1966年 - 米国オハイオ州立大学に学ぶ。
- 1967年 - 神田外語学院講師
- 1969年 - サラリーマンを経て代議士秘書。
- 1976年 - 新自由クラブから衆議院議員初当選。
- 1982年12月 - 党外交委員長(-1983年11月)
- 1983年12月 - 自治政務次官(-1984年11月)
- 1984年11月 - ボンサミットに中曽根康弘総理随行。
- 1986年1月 - 新自由クラブ政策委員長(-1986年6月)
- 1986年 - 激動のフィリピンで大統領選リポート。
- 1987年8月 - 自由民主党に入党。
- 1990年3月 - 国土政務次官(-1991年1月)
- 1991年1月 - 衆議院法務委員長(-1991年11月)
- 1991年11月 - 衆議院文教委員長(-1993年1月)
- 1993年1月 - 衆議院外務委員長(-1993年6月)
- 1993年1月 - 首相公選を考える国会議員の会幹事長
- 1996年11月 - 国土庁長官就任(-1997年9月)
- 1997年9月 - 衆議院予算委員会理事(-1999年10月)
- 1998年8月 - 党東京都支部連合会政調会長
- 1998年10月 - 党国際医療協力特別委員会副委員長
- 1998年10月 - 党地球環境問題特別委員会副委員長
- 1999年3月 - 党東京都支部連合会幹事長
- 1999年7月 - 党磁気浮上式鉄道に関する特別委員会副委員長
- 1999年11月 - 衆議院外務委員会理事
- 1999年11月 - 党司法制度調査会副会長
- 1999年11月 - 党都市問題対策協議会会長
- 1999年12月 - 自然エネルギー促進議員連盟副会長
- 1999年12月 - パラリンピック議員連盟会長
- 2000年4月 - 衆議院予算委員会理事
- 2000年4月 - 道州制を実現する会会長代理
- 2000年7月 - 党総務会副会長(-2000年12月)
- 2000年7月 - 衆議院予算委員会委員(-2000年12月)
- 2000年7月 - 衆議院外務委員会委員(-2000年12月)
- 2000年9月 - 日本パプアニューギニア友好議員連盟副会長
- 2000年9月 - IT議員連盟幹事長
- 2000年1月 - 衆議院財務金融委員会筆頭理事
- 2001年1月 - 党政治制度改革本部本部長代理
- 2001年5月 - 党財務委員長(-2002年10月)
- 2002年1月 - 予算委員会理事、憲法調査会(-2002年10月)
- 2003年1月 - 国家基本政策委員会筆頭理事、外務委員会、憲法調査会
- 2003年7月 - 全国障害者卓球連盟会長
- 2003年11月 - 国家基本政策委員会委員長(-2005年10月)
- 2005年 - 公団住宅を守る議員連盟会長、日本パプアニューギニア友好議員連盟会長、断熱議員連盟会長
- 2005年10月 - 衆議院予算委員会理事、憲法調査会。国家基本政策委員会、自由民主党住宅土地調査会会長
- 2006年10月 - 党衆議院議員総会副会長、党総務副会長、党都市公園緑地対策特別委員会委員長
[編集] 著書
- 『なんてったって小泉純一郎―変(革の)人 生みの親は国民だ』 あ・うん 発行年2001年 ISBN 4901318055
- 『63か国1000日の記録 時代を開く青年の力』しなの出版 発行年1969年 絶版
- 『駅頭からの挑戦』絶版
[編集] 関連項目
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