大津駅
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大津駅(おおつえき)は、滋賀県大津市春日町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線(琵琶湖線)の駅である。
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[編集] 駅構造
島式ホーム2面4線の地上駅。駅の北側に北口改札(びわ湖口)、南側に南口改札がある。地下道から各ホームへ、階段が2本、ホームエレベーターが1本ずつ通じている。
- のりば
- ■ 草津・米原方面(外側線・優等列車)
- ■ 草津・米原方面(内側線・新快速及び普通列車)
- ■ 京都・大阪方面(内側線・新快速及び普通列車)
- ■ 京都・大阪方面(外側線・優等列車)
- 朝夕の一部の新快速と一部の草津線直通電車が外側線(1,4番のりば)を使用、その他の電車は内側線使用。
- 開業時から2面4線駅だったが、複々線化の際、棒線化。
- 絶対信号はなく、閉塞信号のみを持つ。
[編集] 駅周辺
全体的に駅周辺は官公庁が多く、買い物客や行楽客などの利用は少ない(大津の中心地は京阪浜大津駅周辺とされている)。これが草津駅周辺より地価が安い大きな原因にもなっている。
[編集] 利用状況
2005年の乗車人員は平均17,555人/日である
[編集] 歴史
大津駅は、当初大阪方面からの線路が延びてきた際には、現在の京阪京津線浜大津駅の地点に置かれていて、列車は馬場駅(現、膳所駅)でスイッチバックを行って当時の大津駅に入っていた。これは、まだ大津~米原間の線路がなく、代わりに琵琶湖航路を用いて輸送を行っていたため、船との接続を重視したからであった。
1889年(明治22年)に現行の東海道本線が全通すると、馬場~大津間は東海道線の無名貨物支線となり、旅客営業をいったん廃止し大津駅は支線の貨物駅となった。しかし、請願により1898年(明治31年)に旅客営業を再開した。この際に設けられた紺屋関駅と、旅客営業を再開した石場駅の間はわずか0.3哩(≒500m)で、当時の官鉄の最短駅間区間であった。1909年(明治42年)大津線と正式に命名される。1913年(大正2年)3月、京阪石山坂本線の前身となる大津電車軌道が旅客営業を開始し、大津線の旅客営業が廃止されると共に、再び東海道本線の無名貨物支線となる。同6月に馬場駅を(2代目)大津駅に、(初代)大津駅を浜大津駅に改称した。
更にその後、(2代目)大津~京都間のルートを新逢坂山トンネルの開削によって短絡することになった。これに伴い、新線上に(3代目)大津駅をそれまでの駅より西に移ったところに設置し、それまでの(2代目)大津駅は馬場駅に名が戻され、貨物駅となった。同駅は1934年(昭和9年)に再び旅客駅となり、膳所駅に改称した。
なお、この貨物支線は1913年(大正2年)から線路を京阪石山坂本線と共用していたが、軌間が異なるため三線軌条となっていた。この支線は、1945年より近江今津からの江若鉄道も直通運転したが、江若鉄道の廃止に伴い1969年(昭和44年)に廃止された。かつては駅弁も販売されていた。
- 1880年(明治13年)7月15日 - 大津駅(初代・後の浜大津駅)。
- 1913年(大正2年)6月1日 - 馬場駅を大津駅(2代目)に、大津駅(初代)を浜大津駅に改称。
- 1921年(大正10年)8月1日 - 東海道本線のルート変更により、新線上に大津駅(3代目)開業。大津駅(2代目)を馬場駅に改称。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
[編集] 隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- ■東海道本線(琵琶湖線)