きたぐに (列車)
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きたぐには、西日本旅客鉄道(JR西日本)が大阪駅~新潟駅間を東海道本線(米原駅回り)・北陸本線・信越本線経由で運転する夜行急行列車。
2006年9月現在、大阪・京都方面対北陸本線の特急料金または急行料金を必要とする列車では唯一米原駅経由で運転されている。但し、京都-敦賀間を途中下車しないで乗車する場合の運賃・料金は、規定により湖西線経由で計算される。
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[編集] 運行概要
[編集] 利用概況
大阪・京都から北陸3県を経由して、新潟県内を結ぶ夜行列車である。関西圏~新潟間利用客の乗車も多く、休日前後や連休期間中は旅行者や帰省者などの利用が多い。また乗車券のほか急行券のみで長距離を利用できるため、時には自由席が非常に混みあう(繁忙期には全区間立ちっぱなしになる可能性もある)ので、混雑が予想される時期には寝台もしくはグリーン券を早めに確保しておくとよい。また、自由席は減光されないので注意が必要である。
また、始発・終着地付近での地域輸送も担っている。
大阪口では彦根・米原・長浜方面への最終列車として、通勤需要が若干ある。
新潟口では長岡で上越新幹線に接続し、上越・北陸方面とを結ぶ列車として機能している。
下り・新潟行は、北陸から新幹線に接続する始発列車という位置づけ。直江津でほくほく線の始発、快速・越後湯沢行に接続しており、新幹線への乗換えには長岡経由・ほくほく線経由の2通りのルートが利用できる。
また、下りは新津から快速列車となり、新潟都市圏の通勤通学の足としても利用される。但し、新津・亀田から乗車できるのは普通車自由席4両のみ。グリーン車・寝台車には乗車できない。またこの間、普通車は全車禁煙となる。
上り・大阪行は新幹線から北陸への最終列車。東京発新潟行の最終「とき353号」と長岡で接続する。
[編集] 使用車両
- 583系電車10両編成(多客期にはB寝台が2両増結されて12両編成)。2007年現在、583系電車が定期列車として運用に充当される唯一の列車である。
[編集] 583系電車が使用される理由
- すでに耐用年数を越え、また内装・装備が特急用としては劣り、昼行の急行用、近郊用(→国鉄419系・715系電車)としての運用には難があるため、ほとんどが老朽廃車となり淘汰期を迎えている、というよりそれすら過ぎている感のある583系電車だが、本列車用としては代替の噂すらない。JR西日本は所有する583系電車全てに延命N40工事を施工している。
- ファンに人気が高いことや、三電源対応のため臨時列車でも広範囲に運用できる、という理由もあるが、本列車に関しては、特に上りの大阪圏のダイヤが通勤ラッシュ時間帯に食い込む(2006年時点では大津6:06着、京都6:16着、新大阪6:43着、大阪6:49着であるが、かつて寝台特急「つるぎ」が運行されていた時期には大阪に7時40分頃到着するダイヤが組まれていた)という事情がある。
- 「きたぐに」は需要の多い列車ではあるが、特急列車ほどには華やかさはなく、地味な存在といえる。更に「きたぐに」は交流区間も走行するため、仮に車両を新造する場合、新たに交直両用寝台電車を開発するためのコストがかさんでしまう。また、2014年度の北陸新幹線の長野-金沢間の開業時点において輸送体系の激変が予想されることから、新たに専用形式を開発・製造するコストを捻出するだけのメリットは少ないともいえる。その結果、583系を延命させて運用に充当する形が現在に至るまで続いている。
- なお、本来583系の寝台は全て3段式B寝台で、A寝台車は存在しなかったが、「きたぐに」が客車時代にA寝台車を連結しており需要もあったことから、2段式A寝台に改造したサロネ581形が583系電車化と同時に用意された。なお、当時の国鉄は寝台急行「銀河」にも583系を投入することを検討していたといわれるが、結局実現には至らず、583系の定期列車としては現在に至るまで唯一のA寝台導入例となっている。
- 一形式で寝台・座席の両設備、およびそれぞれ2等級(普通車・グリーン車、A寝台・B寝台)が賄え、また(「きたぐに」ではそのような対応は取っていないが)需要に応じて寝台・座席を柔軟に切り替えられることも、本形式が使用されて続けている理由のひとつと考えられる。
[編集] 停車駅
大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 大津駅 - 彦根駅 - 米原駅 - 長浜駅 - 敦賀駅 - 武生駅 - 福井駅 - 小松駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - (滑川駅) - 魚津駅 - (黒部駅) - (入善駅) - (泊駅) - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 柿崎駅 - 柏崎駅 - 来迎寺駅 - 長岡駅 - 見附駅 - 東三条駅 - 加茂駅 - 新津駅 - (亀田駅) - 新潟駅
- ( )内=下り・新潟行のみ停車。
大阪駅~新大阪駅~米原駅間で、「きたぐに」と同じ区間を走行している特急「びわこエクスプレス」や「はるか」が停車する山科駅・石山駅・草津駅・守山駅・野洲駅・近江八幡駅には「きたぐに」は停車しない(同区間を走行する寝台急行「銀河」の停車駅も、彦根駅を通過する以外は「きたぐに」と同じ)。このため、前述の各駅は「特急が停車するのに急行が停車しない駅」である。
[編集] 担当車掌区
全区間大阪車掌区が担当している。
[編集] 沿革
- 1947年7月5日 大阪駅~青森駅間で運行を再開した急行列車が源流。1950年11月8日に「日本海」の愛称が付与される。列車番号も501・502列車となり、この列車が現在の「きたぐに」の源流とされる理由である。
- 1961年10月1日 金沢駅~新潟駅間の急行列車「きたぐに」運転開始。また、大阪駅~富山駅間を運行していた夜行普通列車を準急列車格上げし、「つるぎ」の名称を与える。
- 1963年4月20日 「きたぐに」の運転区間を大阪駅~新潟駅間に延長。この列車には和倉駅・輪島駅発着の急行列車「奥能登」が併結される。また、「つるぎ」が急行列車に昇格。寝台列車化される。
- 1965年10月1日 大阪駅~富山駅間の寝台急行列車の名称を「金星」(きんせい)に変更し、大阪駅~金沢駅間を運行していた「加賀」の夜行列車の名称を「つるぎ」に変更。同時に富山駅まで運行区間を延長する。
- 1968年10月1日 ヨン・サン・トオと称されるダイヤ改正に伴い、以下のように変更される。
- 1971年10月1日 大阪駅~富山駅~直江津駅~長野駅~松本駅~名古屋駅~大阪駅間を運行する臨時急行列車として、「アルペン」が運行を開始する。但し、この運行は翌1972年夏で終了する。
- この列車は、直江津駅を境に夜行列車として運行され、運行形態としては、北陸本線を先に経由する列車を1号とし、中央本線を先に経由する列車を2号とする1往復の形態を取った。
- 1972年3月15日 「つるぎ」新潟駅まで運行区間を延長。
- 1972年10月2日 「つるぎ」が特急(ブルートレイン)に昇格。
- 1972年11月6日 下り「きたぐに」(青森行)において、北陸トンネル内で食堂車を火元とする火災が発生、犠牲者30名を出す(北陸トンネル火災事故を参照)。
- この事故をきっかけに、地下鉄や長大トンネルを走行する車両の不燃化が進む。
- 1975年7月 「立山」の増発列車として「アルペン」が大阪駅~富山駅間で設定される。なお、このときは大阪駅発は夜行列車として運行された。
- 1973年10月1日 「きたぐに」座席車(大阪~青森間)が12系客車化される。なお、大阪駅~新潟駅間に連結した寝台車は10系寝台車のままで、新潟駅で増結・解結が行われた。
- 1982年11月15日 「きたぐに」上越新幹線開通に伴い、新潟駅~青森駅間をエル特急「いなほ」に系統分離し新潟発着となる。同時に「きたぐに」14系客車(座席・寝台の混結)化。また、季節列車化した「立山」に583系を充当させる。
- 1983年 名古屋駅~新潟駅間に臨時急行「にいがた」が運行開始。
- 1984年 臨時急行「にいがた」が運行終了。
- 1985年3月14日 「きたぐに」、583系(12両編成)化。「立山」廃止。
- 1985年7月 「立山」の代替として大阪駅~富山駅間を運行する臨時急行列車として「アルペン」運行開始。
- 1986年11月1日 「きたぐに」10両編成となる。
- 1988年3月 「きたぐに」下り(新潟行)、新津~新潟間が快速列車に。
- 1992年2月 「アルペン」運行を終了する。
- 1994年12月3日 寝台特急「つるぎ」が臨時列車に格下げ。
- 1996年12月 臨時寝台特急「つるぎ」廃止。「きたぐに」は、関西地区と北陸・新潟県を結ぶ唯一の夜行列車となる。
- 2000年 「きたぐに」使用の583系のサロネが抜かれて、485系のモハユニットが組み込まれた。なお、この際には同車両搭載のパンタグラフも使用された。
- 2004年10月23日~2004年11月28日 - 新潟県中越地震の影響により、列車運休。
- 2007年3月18日 ダイヤ改正に伴い、3号車自由席を禁煙席に変更。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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