序曲1812年
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序曲「1812年」(じょきょく1812ねん)変ホ長調 作品49は、チャイコフスキーが書いた演奏会用序曲である。「大序曲1812年」、または「荘厳序曲1812年」と呼ばれることもある。
目次 |
[編集] 1812年について
1812年、チャイコフスキーの生国・ロシア帝国に、ロシアが「大陸封鎖令」を順守しないことを理由に、ナポレオン率いるフランス帝国とその同盟軍が侵略してきた。当初、フランス軍がモスクワを制圧するなど優勢であったが、すぐにロシア軍が全国の軍隊をモスクワに集め反撃しフランス軍は敗北した。いわゆる「ナポレオンのロシア遠征」と呼ばれるものである。この戦争はナポレオンの没落のきっかけとなり、またロシアでは「祖国戦争」とよばれ、ロシア愛国主義の象徴的出来事とされてきたのである。
[編集] 成立・初演
1880年5月、チャイコフスキーは知り合いの楽譜出版社ユルゲンゾーンから、「ニコライ・ルービンシュタインが今度行われる博覧会の音楽担当に任命され、貴殿の登用を当局に推奨している。何か作品を書いてもらいたい」という内容の手紙を受け取った。チャイコフスキーは祭事的な機会音楽を作曲することに不快感を覚え、しばらくもの間依頼を放っておいた。9月になって、当のニコライ本人から作曲を依頼する手紙が来てようやく作曲する気になり、1ヶ月で完成した。このような経緯をたどったせいか、生前のチャイコフスキー本人は書簡等で、あまりこの曲に愛着を持っていないことを語っている。
初演は、「イタリア奇想曲」とともに1882年8月8日(8月20日という資料もある)にモスクワの産業芸術博覧会で開催されたコンサートの一つで行われた。当時の評判は芳しくなかったが、1年後にサンクトペテルブルクでチャイコフスキー自身の指揮で演奏された際には大評判となった。1888年には楽旅先のベルリンでも演奏された。最初は別の曲を演奏するつもりだったが、ハンス・フォン・ビューローらが「1812年」に変えるよう勧めた。ウィーン初演は1899年1月15日で、マーラー指揮のウィーン・フィルだった。ナポレオンに攻められたことのある国々では好く受け入れられたが、敗者であるフランスでの反応は伝えられていない。
[編集] 内容
チャイコフスキー自身は曲の各部分に表題をつけるとかはしなかったが、解説書などでは便宜上いくつかの部分にわけて解釈されているものもある。
- 1~76小節:Largo
ヴィオラとチェロのソロが奏でるロシア正教会の聖歌を主題とする序奏に始まり、以後木管群と弦楽器群が交互に演奏する(後述のように、この部分を合唱に置き換える演奏もある)。和音の強奏で序奏を終えるとオーボエ、ついでチェロとコントラバスに第1主題がゆだねられる。Andanteの部分が近づくにつれてメロディーも次第に激しくなるが、解説書ではロシア民衆の嘆きや怒りに準えるところもある。
- 77~95小節:Andante
ロシア軍の行進と準えられるこの部分は、ティンパニの弱いトレモロに始まり、低音部楽器や小太鼓が主題を引き継ぎ、次第に盛り上がりを見せる。
- 96~357小節:Allegro giusto
ボロディノ地方の民謡を題材に書かれたものと言われている部分があるため、この部分は「ボロディノの戦い」と説明がつくこともある。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律をホルンが演奏するのをきっかけに、金管楽器群で反復して演奏される。やがて、木管群と弦楽器群がメインの主題の部分に入り、やがてラ・マルセイエーズの主題と咆哮する。激しい咆哮が終わると、一転して緩やかな主題に引き継がれる。227小節からは再びラ・マルセイエーズの主題が響くが、前半部分とはうって変わり各パートを転々としながら演奏される。そのため、「「パルチザンに追い散らされるナポレオン軍」を表現している」と書かれる場合もある。ラ・マルセイエーズの主題は次第に貧弱になり、326小節から332小節にかけてコルネットとトロンボーンで伸びに伸びきって演奏され、それを凌駕するように管楽器群・弦楽器群・打楽器群が咆哮する。最初の大砲もこの部分で5回「発射」される。山場を越えると各楽器群とも駆け下りるような音形となる(Poco a poco rallentando)。
- 358~379小節:Largo
冒頭の主題と同一の旋律であるが、冒頭とはうって変わって勝利を表現している。
- 380~422小節:Allegro vivace
全楽器強奏で始まり、ロシア帝国国歌がバスーン、ホルン、コルネット、低音弦楽器で演奏され、鐘が響き大砲もとどろく。なお、ソ連時代にはロシア帝国国歌が演奏禁止され、それに伴いロシア帝国国歌の部分がミハイル・グリンカ作曲の歌劇「イワン・スサーニン」(皇帝に捧げし命)の終曲に書き換えられた版も存在する。これについては編曲者の名前を取って「シェバーリン版」とも言われる。
[編集] 本物の大砲
クライマックス付近では楽譜上に大砲(cannon)の指定がある。初演の際に本物の大砲を使ったかどうかについては、解説書等でも「実際の大砲が使われ・・・」という肯定説や、「チャイコフスキーが生前意図しながら果たせなかった・・・」という否定説まで様々あり、結論は出ていない。記録上で最初に大砲を使った「1812年」の演奏としては、年次不明ながらロンドンのクリスタル・パレスにおけるコンサートが挙げられるが、詳細は不明である。日本では、1962年5月12日に西宮球場で行われた「第2回2000人の吹奏楽」での演奏が記録では古い物の一つである(2年後の第4回、2000年の第40回で再演されている。第40回では大砲は使わなかった)。現在では陸上自衛隊朝霞駐屯地の野外コンサート、富士総合火力演習や、ボストン交響楽団の夏の拠点であるタングルウッド音楽祭における演奏等で本物の大砲を使った「1812年」の演奏が聴ける。いずれも、空砲で発射される。通常のコンサートホールで行われる演奏では大太鼓で代用される事が多く、この場合は片面の除去やチューニングを狂わせる等の効果音的な楽器加工も行われる。電子楽器の使用に対して前向きな指揮者らによりシンセサイザーが使用されるケースも増えている。
[編集] レコーディング
最初の録音は1915年に行われている(ロシア軍がフランス軍を敗走させる部分よりの数分間)。戦前にはチャイコフスキーも巧みに演奏したウィレム・メンゲルベルクが録音をし、戦後はアルトゥール・ロジンスキが戦後初の録音をしたが、この曲で特に話題になった演奏は、1958年にアンタル・ドラティがミネアポリス交響楽団、ミネソタ大学吹奏楽団を指揮したもの(米マーキュリー。1954年に同曲を同じ組み合わせでモノラル録音でレコード化していた)で、大砲は無論実物(青銅製の12ポンド曲射砲。United States Military Academyからの借り物)であった。その後はドラティ盤に倣って実物の大砲を使う録音が増えた。録音技術がアナログからデジタルに移行しつつあった1978年にはテラークがエリック・カンゼルとシンシナティ交響楽団を起用して、デジタル録音を前提とした会社最初の録音をこの曲で行い、兵器博物館から借り出した当時の大砲と教会の鐘を使用し迫力あるサウンドを作り出した。この録音には「音量を大きくしすぎてスピーカーを壊さないように注意」という注意書きがあり、発売されたLPレコードを正確に再生出来るかは聴く者にとっては試練となり、レコード針のメーカーも方針転換を迫られた程であった。通常LPレコードの音溝は肉眼ではっきり認識できないがこのLPレコードでは大砲実射部分のピッチが数ミリで確保されており、誰にでも目に見える形で実射音の迫力を伝えていた。なお、この録音でテラークとカンゼルの名は一躍有名になり、シンシナティ交響楽団から「シンシナティ・ポップス・オーケストラ」が正式に設立されることになり、テラークはアメリカ有数のレコードレーベルに成長した。また、冒頭の部分(オリジナルはヴィオラとチェロのソロ演奏)を合唱に変えている録音もあり、カラヤン盤(ドン・コサック合唱団)、マゼール盤(ウィーン国立歌劇場合唱団)が代表的である。
レコーディングに際しては、オーケストラの演奏と大砲の音は別々に録音している。野外における演奏の録音は、オーケストラの残響等の面で難しいからであるためだが、両者の音を同時に録音した例としては1990年12月1日にサンクトペテルブルクで行われた、チャイコフスキー生誕150年記念コンサートでのライヴ録音がある(指揮ユーリ・テミルカーノフ、演奏レニングラード・フィルハーモニー交響楽団)。もっともこの時も大砲はホール前の広場で撃ったが、オーケストラはホールで演奏していた。
[編集] 楽器編成
※任意でバンダ(金管楽器群の増強)、原曲にはないが、合唱を加える場合もある。
[編集] 参考文献
- 園部四郎『全音スコア 荘厳序曲「1812年」』全音楽譜出版社。ISBN 4-11-891651-7
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