小野田線
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小野田線(おのだせん)は、山口県宇部市の居能駅から山口県山陽小野田市の小野田駅までと雀田駅から分岐して長門本山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
かつては石灰石や石炭輸送で賑わった。現在は山陽小野田市中心部と山陽本線小野田駅との旅客輸送が中心である。
雀田~長門本山間の支線は本山支線もしくは本山線と呼ばれ、最後の旧型国電運転区間として、2003年3月14日までクモハ42形電車が運転されていたことで有名である(詳細後述)。
目次 |
[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):居能~小野田間11.6km、雀田~長門本山間2.3km
- 軌間:1067mm
- 駅数:11駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
- 最高速度:85km/h
- 運転指令所:厚狭CTCセンター
※小野田駅を除き西日本旅客鉄道広島支社宇部新川鉄道部の管轄である(小野田駅はともに同下関地域鉄道部が管理)。広島支社独自で与えられているラインカラーはスレートブルー。
[編集] 運行形態
全ての列車が小野田駅と宇部線の宇部新川駅間に運転されており、1~2時間おきの運行になっている。このため、「宇部・小野田線」と呼ばれることもある。奇数月の第2水曜日の昼間時間帯に運休する列車があり、この場合は5時間近く運行間隔が開く。
雀田~長門本山間の本山支線は朝2往復・夕方3往復の計5往復のみの運転で、朝の始発が宇部新川駅発、朝の2本目と夕方の最終列車が宇部新川駅着で運転される。かつては通学客のため昼間に土曜日のみ1往復運転があったが、完全学校週五日制の実施により昼間の運転はなくなった。
全ての区間でワンマン運転が実施されている。
[編集] 使用車両
車両は宇部線と共に下関地域鉄道部下関車両管理室の105系・123系電車が使われている。全車両トイレはない。本山支線は各駅のホームの長さが1両分しかないため、2003年3月14日まで単行運転可能な旧型国電のクモハ42形電車で運行されていたが、同年3月15日から123系電車に置き換えられている。なお、クモハ42形電車の検査期間中、またはイベント運用で他線に出払う場合には123系電車またはキハ40型気動車で代走していた。
[編集] 歴史
小野田~小野田港間は小野田軽便鉄道(のちに小野田鉄道と改称)により、長門本山~雀田~居能間は宇部電気鉄道により開業した。宇部電気鉄道は宇部鉄道に合併され、同社の臨港線となった。
小野田鉄道と宇部鉄道は、石炭などの重要物資輸送路線として1943年に国有化され、旧小野田鉄道線は小野田線に、旧宇部鉄道線の新沖山~宇部港~沖ノ山新鉱間、雀田~長門本山間は宇部西線となった。
小野田港~雀田間が開業して小野田線と繋がったのは1947年。この時小野田線は宇部西線に編入され、一時小野田線が名称が消滅したが、翌年宇部西線が小野田線に改称され復活した。また、岩鼻~居能間が1945年、居能~宇部(現在の宇部新川)間が1952年に開業し、居能駅が宇部線との接続駅となった。
[編集] 小野田軽便鉄道→小野田鉄道
- 1915年(大正4年)11月25日 小野田軽便鉄道により小野田~セメント町(現在の小野田港)間が開業。
- 1921年(大正10年)8月15日 中川町駅を南中川駅に改称。
- 1923年(大正12年) 小野田鉄道に社名変更。
[編集] 宇部電気鉄道
- 1929年(昭和4年)5月16日 新沖山~沖ノ山旧鉱(のちの宇部港)間を開業。600V電化。
- 1930年(昭和5年)4月29日 沖ノ山旧鉱~沖ノ山新鉱間が開業。600V電化。
- 1937年(昭和12年)1月21日 雀田~本山(現在の長門本山)間が開業。600V電化。
- 1938年(昭和13年)1月16日 居能~助田(宇部鉄道の助田とは別)間の花河内駅廃止。
- 1941年(昭和16年)11月29日 宇部鉄道に合併。
[編集] 国有化以後
- 1943年(昭和18年)4月1日 小野田鉄道全線が国有化。小野田~小野田港間が小野田線となる。
- 小野田~目出間の旦駅廃止。セメント町駅を小野田港駅に改称。
- 1943年(昭和18年)5月1日 宇部鉄道全線が国有化。新沖山~宇部港~沖ノ山新鉱間、雀田~長門本山間が宇部西線となる。
- 沖ノ山旧鉱駅を宇部港駅に、長沢駅を長門長沢駅に、本山駅を長門本山駅に改称。
- 新沖山~雀田間の松原駅、妻崎~居能間の新開作駅、雀田~長門本山間の療養所前駅、子持御前駅廃止。
- 1944年(昭和19年)4月1日 宇部港~沖ノ山新鉱間旅客営業休止。
- 1945年(昭和20年)6月20日 宇部東線(現在の宇部線)とを繋ぐ貨物支線として岩鼻~居能間が開業。
- 1946年(昭和21年)4月1日 宇部港~沖ノ山新鉱間旅客営業再開。
- 1947年(昭和22年)10月1日 宇部西線の新沖山~雀田間が廃止、小野田港~雀田間が開業(600V電化)し宇部西線と接続。小野田線を宇部西線に編入。
- 小野田港駅を500m南に移転、これまでの小野田港駅を小野田港北口乗降場とする。
- 1948年(昭和23年)2月1日 宇部西線から小野田線に改称。
- 1949年(昭和24年)3月1日 西沖山~宇部港~港町間旅客営業廃止。西沖山~港町間が徒歩連絡に。
- 1950年(昭和25年)3月1日 小野田港~宇部港間、雀田~長門本山間の架線電圧を1500Vに昇圧。
- 1950年(昭和25年)4月1日 岩鼻~居能間1500V電化。
- 1950年(昭和25年)8月10日 小野田~小野田港間が電化され全線電化。
- 1952年(昭和27年)4月20日 宇部線の居能~宇部(現在の宇部新川)間の新線が開業し宇部線の宇部新川方面と直通可能となり、居能~西沖山間、港町~沖ノ山新鉱間の旅客営業が廃止。
- 居能~宇部港間の助田駅、西沖山駅、宇部港~沖ノ山新鉱間の港町駅、発電所前駅廃止。
- 岩鼻~居能間、居能~宇部港~沖ノ山新鉱間を宇部線に編入。
- 1957年(昭和32年)6月1日 雀田~長門本山間に浜河内駅開業。
- 1962年(昭和37年)3月15日 小野田港北口乗降場を駅に格上げし南小野田駅開業。
- 1983年(昭和58年)3月8日 CTC化。
- 1986年(昭和61年)3月3日 貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。
- 1989年(平成元年)3月11日 宇部新川・雀田~長門本山間でワンマン運転開始。
- 1990年(平成2年)6月1日 宇部新川~小野田間でワンマン運転開始。
- 2003年(平成15年)3月14日 雀田~長門本山間のクモハ42形電車この日限りで運行終了。
[編集] 駅一覧
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
居能駅 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:宇部線 | 山口県 | 宇部市 |
妻崎駅 | 2.5 | |||
長門長沢駅 | 3.2 | |||
雀田駅 | 4.5 | 西日本旅客鉄道:小野田線本山支線 | 山陽小野田市 | |
小野田港駅 | 6.5 | |||
南小野田駅 | 7.1 | |||
南中川駅 | 8.3 | |||
目出駅 | 9.7 | |||
小野田駅 | 11.6 | 西日本旅客鉄道:山陽本線 |
[編集] 本山支線
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
雀田駅 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:小野田線 | 山口県 | 山陽小野田市 |
浜河内駅 | 1.3 | |||
長門本山駅 | 2.3 |
[編集] 廃止区間
新沖山駅 - 松原駅 - 雀田駅
居能駅 - 花河内駅 - 助田駅 - 西沖山駅 - 宇部港駅 - 港町駅 - 発電所前駅 - 沖ノ山新鉱駅
- 居能~沖ノ山新鉱間は1952年に宇部線へ編入。その際には宇部港駅除く途中駅廃止。
[編集] 備考
2004年『小野田線』(歌:浅野佑悠輝)という曲が発売された。小野田線の各駅と沿線風景が歌詞に入っている。NHK山口の『ゆうゆうワイド』でも放送された。 また、1999年には大分県の二階堂酒造(焼酎メーカー)のテレビCMにクモハ42の走行シーンが登場している。