国鉄123系電車
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国鉄123系電車(こくてつ123けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)およびJR各社が1986年(昭和61年)から1988年(昭和63年)にかけて、手荷物・郵便輸送の廃止・縮小に伴って余剰になった荷物電車などを改造し、電化されたローカル線向けに投入した直流近郊形電車。
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[編集] 概要
1両単位で運転できるように車両の両端に運転台を持つ。国鉄の新性能電車では動力を持つ「電動車」は2両1組となることを基本としており、2両が最小編成単位となっているが、本系列は1両単位で使用可能な車両を改造したため単行運転ができることから、利用者が少ないローカル線向きの車両である。路線によっては、2両以上を連結して運行されることもある。
いずれも、車内の座席はロングシートとされた。
合計13両が改造されたが、改造元の車両(種車)の違いから、車両ごとに特徴が見られる。
現在は、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)が保有・運用している。このうちJR東海については2007年3月17日までに定期運用から撤退した。
[編集] 車両概説
[編集] JR東日本
[編集] クモハ123-1
最初に改造された1両が在籍している。
中央本線の塩嶺トンネル完成に伴い支線化した辰野~塩尻の区間(中央本線辰野支線)の輸送力適正化を目的として、1986年に長野工場(現・長野総合車両センター)でクモニ143-1から改造された。松本運転所(現・松本車両センター)に配置され、同年11月のダイヤ改正にあわせて使用開始された。車両の愛称は「ミニエコー」と名付けられた。
将来のワンマン運転を考慮し、側面両端部に幅1,000mmの片開扉を設けた。側面窓は幅674mmのユニット窓となっており、一部の窓は種車のものをそのまま流用している。ワンマン運転の設備は1990年(平成2年)に設置した。改造当初は冷房装置が搭載されていなかったが、1995年(平成7年)に冷房装置(AU712形×2基)が搭載された。改造当初は白地(クリーム10号)に緑帯(緑14号)の塗装であったが、現在はローズピンクと白色のツートンカラーに変更されている。
終日辰野~塩尻間で運行され、朝晩には松本車両センターの入出庫を兼ねた辰野~松本間の列車も1往復ある。1両しかないため、この車両の検査時や多客期は長野総合車両センター所属の115系が代走する。
[編集] JR東海
静岡車両区に4両が在籍している。身延線(富士~西富士宮間)の区間輸送(愛称「富士ポニー」)用として、1987年1月に40番台が5両(41~45)投入された。さらに1988年3月には600番台が2両(601・602)追加投入された。
当初は白地(クリーム10号)に赤帯(赤2号)と前面に富士山をイメージした山型の模様の塗装であったが、のちにJR東海の他の車両と同じく白地にオレンジと緑の帯の現在の塗装に変更された。
種車のクモユニ147形とクモヤ145形はどちらも101系からの改造名義である。40・600番台とも2001年、前面に電気連結器が装備され、また近年主電動機をMT46形からMT54形に換装している。
2007年3月18日ダイヤ改正で全車が313系に置換えられ引退した。このうちすでに5041・5044・5145が廃車となっている。
[編集] 40番台
1987年1月に郵便荷物合造車クモユニ147形より改造された。運転台直後に片開扉を設けた2扉車で、外観・車内ともクモハ123-1に準じているが、側面窓がやや大きくなり、戸袋窓が廃止された。
1989年に冷房装置(DC-DCコンバータ電源によるインバータ式のC-AU711D形×2基)を搭載して5040番台(5041~5045)に改番された。翌1990年のワンマン化改造に際しては5045のみ前面に貫通扉が設置され、5145に再改番された。
[編集] 600番台
1988年3月に牽引車のクモヤ145-601・602から改造された。同時期登場の愛知環状鉄道100形に類似した両端部と中央部に扉を設けた3扉構造となっており、種車の前面にあった貫通扉は2両連結した時に貫通路が構成できるように改造している。改造当初は非冷房で、1988年12月に冷房装置(C-AU711A形×2基)が搭載されたが、電動発電機からの電源供給とされたため、改番はされていない。1990年にワンマン運転設備を設置している。
[編集] JR西日本
クモハ123-2~6の5両が在籍する。可部線および阪和線羽衣支線向けとして、国鉄分割民営化直前の1987年にクモニ143-2・3・6~8から改造された。クモハ123-1とは種車が同じで、番号も続番となっているが、外観は大きく異なる。
[編集] クモハ123-2~4
可部線向けに改造された3両は、クモハ123-1や40番台と同様両端2ヶ所に片開扉を配置しているが、側面窓の形状は上部三分の一が手前に開く大形窓となっており、座席はバケットタイプとなっている。
改造時に第2パンタグラフを撤去し、改造当初から集中型冷房装置(AU75系列)を搭載している。冷房電源用の70kVA電動発電機は485系などの食堂車の廃車発生品を再用した。105系との併結が可能である。前面は種車のままの非貫通構造であったが、1993年度に貫通扉が設置された。
1993年に下関地域鉄道部に転属し、宇部線と小野田線での単独運用の他、105系に併結されて山陽本線でも運用されている。
[編集] クモハ123-5・6
阪和線向けの2両は201系と類似した2段式側窓となっており、改造当初から前面に貫通扉が設置されている。2箇所に両開扉を設けたが、種車の荷物用扉の位置を踏襲したため、変則的な位置にあった。改造時に第1パンタグラフを撤去し、改造当初から集中型冷房装置(AU75系列)を搭載している。103系と併結が可能で、ラッシュ時は103系クハ103-194を併結という特異な運用をし、日中は単行で運行された。1989年にワンマン運転設備を追設している。
1995年にクモハ84形を置換えるために岡山電車区に転属し、宇野線の末端区間(茶屋町~宇野間)で使用された。さらに2002年には宇部線・小野田線用として下関地域鉄道部に転属し、2003年に最後の営業用旧形国電クモハ42形を置換えた。2002年度に扉位置を運転台直後に移設する改造を受けたため、外観が大きく変わっている。