岩手県立宮古工業高等学校
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岩手県立宮古工業高等学校 | |
創立 | 1973(昭和48)年 4月16日 |
記念日 | 1973(昭和48)年 5月23日 |
校長 | 及川敏昭(第13代) 2004(平成16)年 4月1日~ |
設置課程 | 全日制機械科 全日制電気電子科 全日制建築設備科 (詳細は本文参照) |
所在地 | 〒027-0202 岩手県宮古市赤前1-81 |
地理情報 | 北緯39度34分35秒/東経141度56分47秒 (世界測地系に基づく値・事務室付近) |
電話番号 | 0193-67-2201(代表) 0193-67-2215(FAX) |
交通機関 | JR山田線 津軽石駅から徒歩15分 岩手県北バス 津軽石川帳場から徒歩10分 |
外部リンク | 公式サイト メールアドレス |
岩手県立宮古工業高等学校(いわてけんりつみやここうぎょうこうとうがっこう)は、岩手県宮古市赤前にある本州最東端に位置すると自称する県立の工業高等学校(本州最東端の魹ヶ崎をもつ宮古市の中にあって、その最も東にあることから)。 男女共学だが、圧倒的に男子が多い。 生徒のほとんどは宮古市(旧宮古市・田老町・新里村)か山田町から来ているが、川井村、岩泉町、洋野町(旧大野村)などから来る者もごく少数ながらいる。
略称として、校内では「宮工(みやこう)」が使われているが、同じ宮古市内の「岩手県立宮古高等学校」、略称「宮高(みやこー)」と発音が酷似しているため、その微妙なイントネーションの違いは「生粋の宮古民」にしか聞き分けができない。 誤解を避けるなら、単に「工業」あるいは「宮古工業」「工業高校」などと言った方が、通りは良い。
1971年(昭和46年)に県立工業高校の設置が計画された際、宮古市赤前地区では誘致期成同盟(正式名称「岩手県立宮古工業高等学校誘致期成同盟会」、会長盛合光蔵)を結成して誘致活動に当たった。 翌1972年(昭和47年)、校地を宮古市赤前地区とすることが決定し、現在の場所への設置が決まった。
従来は「機械科(M)」「電気科(E)」「電子機械科(I)」「設備工業科(F)」の4科(定員各40名、計160名)であったが、県の推進する学科再編により、2006(平成18)年度からは「機械科(M)」「電気電子科(E)」「建築設備科(F)」の3科(定員各40名、計120名)となった。
沖縄県宮古島の沖縄県立宮古工業高等学校とは同名校交流を行っている。
目次 |
[編集] 校訓
- 友愛(ゆ)
- 協調(き)
- 責任(せ)
地元中学校や学校内では、下から順に「せきゆ(石油)」と覚える様に指導されているらしい。 また、「石油」にもじって校訓を作り、あからさまにならないよう逆に並べたとする説もある。
[編集] 目指す生徒像
- 目的意識が明確である人
- 向上心が旺盛である人
- 人間の和を重んずる人
[編集] 設置課程
- 全日制
- 機械科(創立~)
- 電気科(創立~2007年度)
- 設備工業科(創立~2007年度)
- 電子機械科(1991年度~2007年度)
- 電気電子科(2006年度~)
- 建築設備科(2006年度~)
[編集] 部活動
校内規定により、生徒全員が何らかのクラブに所属する事に決まっている。 クラブに顔を出さない生徒(事実上「帰宅部」生徒)もどこかに所属しなくてはならないが、運動部では顧問から入部拒否されるため、その多くは「囲碁部」や「工作部」に幽霊部員として所属している。 なお「囲碁部」「工作部」とも、幽霊部員以外はまじめに活動をしている。 近年は学校公認の非公式なクラブもある模様。
以下のクラブ名は「生徒会会則 第2章第6節 各部」に記載された正式名称である。 大会成績などは主に学校やクラブの公式HPを参考にしているため、情報は古い場合がある。
[編集] 文化部
文化委員会に属するクラブ。
- アマチュア無線部
- 1993年度コンテスト初参加。電気科実習棟屋上に各種アンテナを設置できるように専用アンテナマスト(地上14m)3基が造られたが、部員の資格取得状況に応じてアンテナが設置されたり撤去されたりしている(電波法)。2005年度、無線免許を持つ最後の生徒が卒業することとなったが、2月末に1年生4名が資格取得したため、アンテナは残っている。近年の成績は1999年度「全市全群コンテスト」全国27位・東北地区2位、2003年度「全市全群コンテスト電信電話部門」マルチジュニア全国18位など。2002年度には宮古港開港385周年記念交信で340局に記念カードを発行した。
- 写真部
- 校内行事の撮影をメインとするほか、コンテストに応募することもある。度々廃部の危機となっているため、その活動は安定しているとは言い難いが、細々と続いている。
- 工作部
- ワールドエコノムーブ(WEM)を中心に参加。製作に時間が掛かるため、例年2年生チームと3年生チームの2台が出場している。かつては「幽霊部員」の受け入れ先と言えば工作部であったが、近年は囲碁部へと移行しつつある。
- 吹奏楽部
- 1974年(昭和49年)創部。校内行事での演奏など細々と活動しているが、部員数が少なく、活動できないことも多い。教材室(実態は美術準備室)を部室としているが、その部屋の存在は意外と知られていない。
- 囲碁部
- 1982年(昭和57年)発足。1984年(昭和59年)、正式に「囲碁部」となる。視聴覚準備室での活動をメインとし、将棋大会へ参加する部員もいる。実質部員数はさほど多くはないが、幽霊部員が50名ほど居るため、最も所属人数の多いクラブである。大会参加が増えるなど、最近また活動が活発化してきている。
- 太鼓部
- 2003年(平成15年)、創立30周年記念行事で演奏するために有志が集められた。周年行事終了後、このまま解散するのはもったいないと「太鼓同窓会」を発足。2004年(平成16年)後期生徒総会に於いて「太鼓部」への昇格が承認された。祭や大会に参加する際の団体名は「宮工一心太鼓(みやこういっしんだいこ)」。
[編集] 運動部
運動委員会に属するクラブ。
- 陸上競技部
- 女子生徒がメインで大会参加できる数少ないクラブの一つ。過去にインターハイや国体へ出場もしている。
- 硬式野球部
- 校内で最も礼儀正しいクラブ。毎週土日も朝から夕方まで練習している。練習試合では、近くにある宮古運動公園の野球場を使用することも多い。
- 卓球部
- 部活動を盛り上げる一環として、部顧問が学校のHPから独立した単独のHPを立ち上げた。ここ数年、目覚ましい活躍がみられる。平成16年度は、県新人戦団体3位・ダブルス3位、県選抜大会団体3位。平成17年度は、県高校総体団体3位・ダブルス3位(東北大会出場)、県新人戦団体3位、県選抜大会団体3位、全日本ジュニアの部出場、全国選抜個人戦出場。平成18年度は卓球部創設以来初のインターハイ出場を目指す。
- ソフトテニス部
- 校舎裏手の山の一部を切り崩してコートが造られた。宮古市小山田のテニスコートを借りて練習することも多い。
- 弓道部
- テニスコートと電気科・設備工業科実習棟の間に弓道場が造られた。市民総合体育館「シーアリーナ」の上階にある弓道場で練習することもある。学校を代表するクラブの1つであるが、個人の技量による部分も大きい。
- バレーボール部
- 卓球部のHPを見て、同じく部顧問が独立したHPを立ち上げた。最近はブログの更新がメインとなっている。
- ラグビー部
- 校舎敷地の北東の角にあるが、グランドの一角は宮古市から借りる形となっている(水路などの関係で、市の管理区域となっている)。
- サッカー部
- 1985年(昭和60年)、県民体で県3位。近年、自主的に練習・活動するようになり、躍進が期待されている。
- バスケットボール部
- 県高総体準優勝(1980年(昭和55年)~1981年(昭和56年))、三陸沿岸大会優勝(1999年(平成11年))、県民体で県ベスト4(2000年(平成12年))など。
- 柔道部
- 1979年(昭和54年)~1980年(昭和55年)にかけて、県ベスト8。近年では県民体で県大会2回戦進出など。
- 剣道部
- 県民体や高総体で県ベスト8。1989年(平成元年)には「はまなす国体」県代表出場(個人)、「北鴎旗争奪大会」優勝(個人)。
- 山岳部
- 山や自然に興味を持っている生徒が集まり、1998年度(平成10年度)「山岳同好会」として活動を開始。1999年度(平成11年度)「山岳部」へ昇格。県内の山への登山を中心として活動している。
[編集] 同好会
文化委員会(文化部)にも運動委員会(運動部)にも所属しない、活動実績のないクラブ。 10名以上の加入者と50名以上の賛同者、顧問と活動場所の確保を条件に新設を申請できる。 予算がない、公式な対外的活動が出来ないなどの制限が付く。 6ヵ月以上の継続活動により、部への昇格を申請できる。
- 現在、該当団体無し。
[編集] 非公式部
運動部・文化部・同好会のいずれにも属さないが、学校側に公認されて活動している個人や団体。 部活動振興の一環として、特別な事情がある場合に限定して認められている模様。
- ヨット部
- 2005年度(平成17年度)~。テレビ報道で「ヨット部」として紹介された為、事実上非公式クラブのような扱いになっている。入学以前から活動していた生徒が個人活動として行っているようで、大会参加や入賞の実績もある。
- レスリング部
- 2005年度(平成17年度)~。レスリング関係の先生がいた時に、その先生の勧誘で活動を始め、その先生が転勤後も続いているらしい。部員は少ないが、大会参加等の実績もあり、テレビ報道では「レスリング部」として紹介された模様。
[編集] 主な行事
学校(先生)側で仕切るものを「学校行事」、生徒会で仕切るものを「生徒会行事」の項に記載している。 境界が曖昧なものは「学校行事」に分類している。 また、現在行われていない行事を「廃止行事・休止行事」、生徒が参加しない行事を「教員行事」としている。
[編集] 学校行事
全校行事
- 新任式、入学式、各科歓迎会、部集会、一日体験入学、交通安全講話、芸術鑑賞、避難訓練、校内ロボット大会、卒業式、離任式
1学年対象
- 飲酒喫煙防止講話、ブラッシング指導、薬物乱用防止教室
2学年対象
- 性教育講演会、インターンシップ、進路説明会、修学旅行
3学年対象
- 自動車学校説明会
[編集] 生徒会行事
対面式、部紹介、応援歌練習、壮行式、校内球技大会、津軽石川原清掃、生徒総会、体育祭(隔年)、工業祭(隔年)、通学路・駅清掃
[編集] 廃止行事・休止行事
- 予餞会
- 所謂「3年生を送る会」。週休二日制などに伴う授業日数の減少に対する授業時数確保のため、また近隣でも廃止した学校が多いことから廃止が提案された。すでに形骸化しつつあったこと、生徒アンケートで反対意見が多かったことから2004年度(平成16年度)を最後に事実上廃止された。あるいは、生徒がそう思っているだけで休止である可能性もある。
- 校内マラソン大会
- 天候による中止、当日の津波警報発令による中止と、2年続けて中止となったのをきっかけに、そのまま事実上の廃止となっている。授業時数確保のため、このまま廃止にしてしまおうという意見があったとも言われる。全校生徒と新任の先生が往復およそ8キロの道のりを走るものだった。
- 部対抗駅伝
- 運動委員会主催による、運動部のみの行事。1周およそ3キロの周回コース(一部往復区間含む)を、運動部代表選手が4人1チームで走るもの。各部とも、出場チーム数の制限はない。リレーのたすき用にスズランテープが支給されるが、柔道の帯(柔道部)、登山用ザック(山岳部)など、各部で工夫できる。部員数の少ないクラブや、当日の欠席などで端数が出た場合は合同チームが作られたりする。近年ではチーム総合タイムの他、全選手についてラップタイムも出されるようになった。2月末などの寒い時期に実施されるため、レース後には豚汁などが振る舞われるようになった。2005年度(平成17年度)は授業時数確保のために中止された模様。
[編集] 教員行事
- 鞴祭(ふいごまつり)
- 工業高校特有の各種実習に於ける安全を祈願する祭。近くの神社から神主さんを招いて祈願する。基本的に先生方全員が出席する。祭の費用は先生方から集金され、祭に使用した御神酒や蜜柑なども先生方で「消費」するらしい。
- 卒業祝賀会
- 卒業担任の先生方を慰労し、卒業式に出席された学校関係者(=来賓)の方々とをもてなす行事。卒業式後、学校の外で勤務時間外に行われる。裏話を聞く会とも。
- 地区PTA
- 先生方が各地区に出向き、その地区のPTAの人達(=生徒の保護者)に運営方針や学校の様子を報せ、意見や質問に答え、親交を深める。基本的に酒の席ではないが、議事進行などの細かい次第については各地区に一任されているため、酒が振る舞われる地区もあるらしい。当然、勤務時間外に行われる。
- PTA総会
- 学校を会場として行われるPTAの総会。学校に対して公(おおやけ)に意見できる場なので、色々喋りたい保護者が集まる。従って、年によって所要時間の差が大きい。保護者が集まりやすいよう、勤務時間外に行われる。まれに、重大かつ緊急の案件やお知らせがある場合に臨時総会が開かれる場合もある。
- PTA理事会
- PTA全員を集めるほどではない場合などに、機動性の高い集まりとして開かれる。PTA理事は地区PTAの際に各地区・各学年からそれぞれ2名(程度?)選出される。
(執筆募集)
※詳細は、公式HPをご覧になるか、直接お問い合わせ下さい。
[編集] 沿革
日付は記念誌や生徒手帳を参考にしている。 記事内容は書き直したり追加・削除を行っていますが、基本的にほぼ同一。
- 1971年(昭和46年)12月12日 - 「岩手県立宮古工業高等学校誘致期成同盟会」結成発足(会長 盛合光蔵)
- 1972年(昭和47年)9月23日 - 宮古市赤前横枕地内に校地設定、第一期工事着工。校地面積 57,200.0平米、建物面積 3,235.2平米
- 1973年(昭和48年)3月25日 - 第1期工事完成
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 初代校長「渡邊文正」(前岩手県立黒沢尻工業高等学校長)
- 1973年(昭和48年)4月16日 - 開校宣言(機械科A、機械科B、電気科、設備工業科)
- 1973年(昭和48年)5月23日 - 開校記念式典挙行
- 1973年(昭和48年)11月22日 - グランド造成工事完成、グランド開き
- 1974年(昭和49年)5月29日 - 校旗制定(制作デザイン 海野經)
- 1974年(昭和49年)6月 - 第2期工事(実習棟)完成
- 1974年(昭和49年)7月 - 校歌制定(作詞 須知徳平、作曲 広瀬量平)
- 1974年(昭和49年)7月 - 体育館完成(現在の第1体育館)
- 1974年(昭和49年)11月29日 - 落成式挙行
- 1975年(昭和50年)12月22日 - 「第三種電気主任技術者」認定校となる
- 1980年(昭和55年)3月 - 柔剣道場完成
- 1981年(昭和56年)2月27日 - ミニコンピュータ設置
- 1982年(昭和57年)10月 - 水泳プール完成
- 1982年(昭和57年)10月29日 - 創立10周年記念式典挙行
- 1985年(昭和60年)12月1日 - NC工作機械マシニングセンタ設置
- 1986年(昭和61年)3月30日 - 環境整備緑化事業(中庭造園・立志の樹・詩碑等を設置)
- 1987年(昭和62年)7月31日 - 第2回「空気調和・衛生工学会振興賞 高校教育賞」受賞(設備工業科)
- 1988年(昭和63年)3月 - 電子計算機組織一式(パソコン22台、ホストコンピュータ1台、他)設置
- 1990年(平成2年)3月24日 - 第2体育館完成
- 1990年(平成2年)3月24日 - 第8回全国高等学校弓道選抜大会出場(初出場)
- 1991年(平成3年)1月22日 - NC工作機械NC旋盤設置
- 1991年(平成3年)3月12日 - 高電圧実験装置設置
- 1991年(平成3年)3月22日 - 第9回全国高等学校弓道選抜大会出場(2年連続2回目)、団体競技準優勝
- 1991年(平成3年)4月1日 - 電子機械科設置、機械科は1学級減(機械科、電気科、電子機械科、設備工業科の4科になる)
- 1991年(平成3年)4月24日 - 第1回「津軽石川原・45号線清掃」実施(後の「川原清掃」)
- 1991年(平成3年)7月30日 - 第6回「空気調和・衛生工学会振興賞 高校教育賞」受賞(設備工業科)
- 1992年(平成4年)3月25日 - 電子機械科・家庭科実習棟完成
- 1993年(平成5年)10月 - トレーニングセンター完成
- 1993年(平成5年)10月22日 - 創立20周年記念式典挙行
- 1994年(平成6年)1月20日 - 電子計算機組織一式(パソコン40台、ホストコンピュータ1台、他)設置
- 1994年(平成6年)2月15日 - 全国工業高等学校長協会より「教職員表彰」受賞(設備工業科)
- 1994年(平成6年)3月23日 - 万能製図台42台設置
- 1997年(平成9年)8月7日 - 第12回「空気調和・衛生工学会振興賞 高校教育賞」受賞(設備工業科)
- 1999年(平成11年)11月6日 - 第7回全国高等学校ロボット競技大会3チーム出場(初出場)
- 2000年(平成12年)3月 - 弓道場新築工事完了、太陽光発電設備工事完了
- 2000年(平成12年)11月11日 - 第8回全国高等学校ロボット競技大会2チーム出場(2年連続2回目)
- 2001年(平成13年)2月 - 電気科・設備工業科実習棟改修工事完了
- 2001年(平成13年)3月 - 校舎耐震補強工事完了
- 2001年(平成13年)3月 - 電子計算組織一式更新、材料試験機更新
- 2001年(平成13年)5月 - (社)日本河川協会より津軽石川原清掃活動が表彰(生徒会)
- 2002年(平成14年)3月 - いわて教育情報ネットワーク整備事業で光ファイバー接続
- 2002年(平成14年)3月 - CAD(自動製図装置)設置
- 2002年(平成14年)10月 - 総合学習としてのインターンシップ開始
- 2003年(平成15年)10月24日 - 創立30周年記念式典挙行
- 2004年(平成16年)8月31日 - 道路愛護活動により「県知事感謝状」を受ける
- 2004年(平成16年)10月31日 - 第12回全国高等学校ロボット競技大会4チーム出場。電気科「ツイスター」ベスト8(敢闘賞受賞)
- 2006年(平成18年)4月1日 - 県教育委員会の推進する学科再編事業により1科減。機械科、電気電子科、建築設備科の3科になる
- 2006年(平成18年)4月 - 小中高キャリア教育地域ぐるみ推進事業の研究指定校に指定される
- 2006年(平成18年)4月 - 通学路・駅清掃開始
- 2006年(平成18年)12月12日 - 修学旅行中にノロウイルスによる集団食中毒発生
[編集] 津軽石川原清掃
正式名称は「津軽石川原及び国道45号線(津軽石地内)の清掃活動」だが、長いので、通常は「津軽石川原清掃」、あるいは略して「川原清掃」と呼ばれる。 1991年度(平成3年度)、
- 地域の環境整備を協力し、地域の人々とのつながりを大切にする
- 創立20周年に向けて生徒会活動を盛り上げる
- 生徒自身の通学マナーを見直す
の3つを主目的として、それまでの通学路清掃を拡大する形で開始された。 津軽石川周辺、津軽石駅周辺、国道45号線沿い(払川地区)、なども範囲に含めた、学校周辺や通学経路周辺などを清掃する全校行事。 2001年(平成13年)5月には日本河川協会より表彰を受けている。
開始当初はごみが多く時間切れで終わることが多かったが、近年は時間を余す程度までごみは減ってきた模様。 しかし、ポイ捨てする生徒も残存しているらしく、「自分達の捨てたごみを自分達で拾っている」という言われ方をすることもあるという。 また、かつては古タイヤやおしめ、自転車の車輪や椅子なども回収していたが、不法投棄の可能性もあるからという警察からの指示により、近年は回収せずそのままにして連絡するようになっている。
[編集] 通学路・駅清掃
月に1回保健委員会で実施、雨天順延。 生徒が最もよく利用するJR山田線の津軽石駅と、そこから学校までの通学路を清掃する。
2005年度(平成17年度)末の保健委員会の反省の中で、津軽石川原清掃について
- 年1回しか行われない上、その間はごみがあっても放置されている
- 小規模でも定期的に清掃した方が良いのではないか
という意見が出され、これを受けて翌2006年度(平成18年度)より開始された。
[編集] おふくろ亭
赤前地区への学校誘致活動の中で、学校の前に生徒用の食堂を作るという約束があったということで、校門の真ん前には「おふくろ亭」という食堂が作られた。 無断外出は校則で禁止されているが、設立前からの約束もあったため、「おふくろ亭」だけは例外的に外出が許可されていた。2001年度(平成13年度)末に「おふくろ亭」が店終いし、外出禁止の例外措置も終了した。
その後しばらくして同じ場所に「イエローショップ」という駄菓子屋が出来た。カップ麺なども販売しており、そこで食べることも出来るようになっている(「おふくろ亭」の名残)ため、従来通り外出しようとする生徒と、「おふくろ亭」ではないから例外措置の対象にはならないとする学校側で衝突があり、その後も度々生徒総会などで外出許可を求める意見が出されている。学校側の見解としては「担任に外出許可を得れば、イエローショップへの外出も同様に可能」ということのようだが、実態としては無断外出が後を絶たない。
なお、無断外出禁止に代わる措置が欲しいということが生徒総会などで議論され、校内でのパン販売(西野屋)や、自動販売機の設置なども行われている。 弁当・おにぎり類の販売(刈屋商店)も要望により検討されたが、試験販売での売上げが悪く立ち消えになった。