ラグビー
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ラグビー (Rugby) は、フットボールの一種であり、正式にはラグビー・フットボール (Rugby football) と呼ばれる。2つのチームに分かれて行われ、楕円形のボールを奪い合って相手陣のエンドまで運ぶ、あるいはH型のゴール上部に蹴り入れて得点を競うスポーツである。
ヨーロッパ(イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、イタリア、これらはシックス・ネイションズと称される{イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズはホームユニオンである)やオセアニア(オーストラリア、ニュージーランド、サモア、フィジー、トンガ)および南アフリカ、アルゼンチンで人気の競技である。 かつて日本ではラ式蹴球(しゅうきゅう)とも呼んでいたが、サッカー(ア式蹴球)と混同されるため、単にラグビーと呼ぶ言い方が定着した。闘球(とうきゅう)という呼び方もあるが、ドッジボールを意味する場合があり、一般的ではない。
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[編集] 歴史
ラグビーの起源は、1823年、イングランドの有名なパブリックスクールのラグビー校でフットボールの試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリス (William Webb Ellis) がボールを抱えたまま走り出したことだとされていたが、これは後世のロマンティックな創作だという説が有力である。19世紀初頭からボールを持って走る「ランニングイン」が始まったのは確かだが、その第1号がエリス少年だったかどうかは不明であり、手を使うこと自体はそれ以前でも許されていた。エリス少年自体は実在の人物で、オックスフォード大を卒業して神父となり、フランスで没したことが確認されている。南仏コートダジュールの小都市・マントンに墓地がある。ラグビーとクリケットを愛したと伝えられている。
なお、日本では「フットボールの試合中」というところを「サッカーの試合中」と誤訳している文献が散見される。英国では一般的に「フットボール」という言葉はサッカーを表すので、英語の文献で“Football”となっているところを、翻訳者が「サッカー」と誤訳したのだろう。
当時はまだサッカーとラグビーは未分化であったので、正確には「サッカー」ではなく「フットボール」か「原始フットボール」となる。
この「原始フットボール」とは中世イングランドに起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って町と町の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。ちなみに1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようとオフサイドが生まれ、今日のラグビーにもルールとして生き永らえている。試合は祝祭でもあり、死者も出るほど激しかった。19世紀に入り、イートン校やハロー校などパブリックスクールでは学校ごとに独自のルールでそれぞれのフットボールを行なっていた。
1871年、サッカーのFA(フットボール・アソシエーション、1863年設立)に対抗して、ロンドンでラグビー協会(RFU:ラグビー・フットボール・ユニオン)が設立された。そしてラグビーは英国でも指折りの炭鉱地帯であるマンチェスターを中心とするイングランド北部のランカスター、ヨークシャー地方ならびにウェールズ南部で発展したが、1895年選手の労働会社などへの休業補償問題(現在も兼業しながらプレーする選手が多数だが、当時は今と違ってラグビーにはプロ契約が存在しなかった)から、北部でラグビー協会からの分裂が起き、22チームからなるプロリーグが発足した。それ以降、ケンブリッジ大学対オックスフォード大学戦に代表される南部を母体とするアマチュア主義をうたった組織はラグビーユニオン、北部を母体とする報酬を目的とするものはラグビーリーグと呼ばれ、現在ではルールもかなり異なっている。現在はユニオンもプロを認め、英国ではラグビーリーグとラグビーユニオンの両方のルールで前後半の試合を行うクロスコード・ゲームが行われることもある。
[編集] 日本におけるラグビー
日本で「ラグビー」といわれるものはラグビーユニオンであり、1899年、慶応義塾大学の塾生に田中銀之助がイギリスのクラークとともに伝えたのが最初だと言われる。以来日本のラグビーは同志社大学、早稲田大学、明治大学など大学ラグビーの伝統校によって発展してきた。ただし、近年では関東学院大学など新興勢力が伝統校に肩を並べる実力を備えつつある。また、(大学スポーツ全体に言えることであるが)関東の大学が他地域の大学を戦力の質・量、実績共に圧倒している。もっとも、高校ラグビーでは西日本の高校が優勢であり、西日本の高校の人材を関東の大学が集める構図が続いている。
社会人では新日鐵釜石、神戸製鋼が一時代を築き上げた。しかし、日本では前述した通り大学ラグビーの人気が高く、それが必ずしも社会人ラグビーの人気につながっていない現状がある。日本選手権での対戦成績を見ても実力では社会人が大学に大きく水をあけているにもかかわらず、社会人ラグビーのトップクラス同士の集客力は大学ラグビーの人気カード(早明戦、早慶戦など)に及ばず、日本ラグビー界の大きな課題となっている(もっとも、かつてプラチナカードと呼ばれた早明戦のチケットも近年では入手が容易になりつつあり、ラグビー界全体が人気回復という課題を背負っているとも言える)。トップリーグの創設はこれらの問題を解決する切り札として期待されているが、メディア露出が少ないせいもあって観客数の劇的な増加にはつながっていない。
日本代表はワールドカップには1987年の第1回大会から途切れなく出場を続けているが、本大会ではなかなか勝利を挙げることができていない。1991年にジンバブエに勝ったのが唯一の勝ち星で、国際ラグビー評議会 (IRB) がプロを認めた1995年にはオールブラックス(ニュージーランド代表)に17‐145の大敗を喫している。
ラグビーユニオンによる規則では、アマチュア競技であることが永らく定められてきたが、1995年にこの「アマチュア宣言」が撤廃され、プロもアマも認める「オープン化」が宣言された。
[編集] ルール(ラグビーユニオン)
相手陣地のゴール領域(これをインゴールという)でボールを地面に置くことをトライ(TRY)と呼び、ゴールラインの上空、線上に建てられた2本の柱の間にボールを蹴り入れることをゴールと呼ぶ。プレー中にドロップキックしてのゴールをドロップゴール、相手の反則の際に与えられるペナルティーキックでのゴールをペナルティーゴールと呼び、また、トライに成功したチームにはゴールの機会が与えられ、これをコンバージョンと呼ぶ。それぞれの得点は、トライが5点、ペナルティーゴール及びドロップゴールが3点、コンバージョンによるゴールが2点である。
選手は、ボールを持ち、走り、投げ、蹴ることができるが、ボールを前方に落としたり(ノックオン)前方に投げたり(スローフォワード)してはいけない。ボールを持った選手に対しては、タックルをすることができ、これによって倒された選手はボールを素早く手放さなければならない。これを行わないと、ノット・リリース・ザ・ボールという反則になる。
タックルによって選手の動きが止まることで、後に続く攻撃側、守備側双方の選手らが集まり密集が形成されるが、その中の選手がボールを持っている状態をモール、ボールが地面にある状態をラックと呼ぶ。この他に審判の指図で意図的に形成される整然としたスクラムと呼ばれる密集状態があり、スクラム及びラックの中では、ボールの操作は足でのみ許されている。スクラムは、審判の「クラウチ」→「タッチ&ポーズ」、そして「エンゲージ」の合図で両チームのフォワード同士が円陣を組むように組み合い、スクラムハーフがボールをスクラム内に投入し、攻撃側、守備側双方のフッカーがこれを取り合う。ただし、ゴールラインが近い場合にはスクラム内にボールをキープしたままインゴールに押し込んでしまう場合がある。この場合はスクラム・トライというトライになる。
ラグビーでは常に危険が付き纏うため、反則が事細かに規定されているが、反則があっても必ずしも競技が即中断されるとは限らず、反則を犯したチームに不利な展開が続く限り猶予される場合があり、アドバンテージ(を見る)といわれる。この時、主審は有利なチームに向けて水平に腕をあげている。
反則からの再開には、スクラムによるものとペナルティーキックによるものとがあり、反則の種類によってどちらで再開されるかが定められている。比較的軽い反則からはスクラムで再開し、重い反則からはペナルティーキックから再開される。1チーム15人で競われる(重大な反則を犯したときは、シンビンとよばれる10分間の一時的退出や退場もあるので、その場合は14人以下になる)。大学生以上の場合、試合時間は前後半あわせて80分であり、ハーフタイムは10分以内である。
ボールがタッチラインから外に出るとラインアウトという方法で再開する。出た地点からゴールラインと平行に引かれた仮想線(これをラインオブタッチという)の両側に両チームのフォワードが並び、出た地点から出したチームの相手側の選手がラインオブタッチ上にまっすぐに投げ(まっすぐでないときはノットストレートという反則になる)、それを両チームが取り合う。ただし、反則によるペナルティーキックで直接外に出した場合は出したほうが投げる。そのほか、タックルによりボールが出た場合はタックルしたほうが投げる。ところが、タッチラインの外でボールを投げ入れる側がボールを直接捕ったとき、フォワードが並ばないうちにボールを投げ入れてしまうことがある。これをクイック・スローインといい、戦術の一つとなっている。ただし、どちらか片方のフォワードが並んでいた場合は当然反則である。
ラグビーではしばしばゲインラインという用語が使われる。ゲインラインは攻撃の有効性をはかる指標のひとつであり,直前の攻撃の結果できたポイント(スクラム,モール,ラック等の地点)を通りゴールラインに平行な線がゲインラインとなる.ゲインラインからどれだけ前進(後退)するかは,その攻撃でどれだけ自分たちの地域を獲得できたか(できなかったか)を意味し,すなわち,得点できる(される)かのキーポイントとなる。ラインアウトの場合はラインオブタッチが、スクラム、モール、ラックの場合はその中心線がゲインラインとなる.
試合終了は80分が経過した時点だが、どちらかのチームが反則を犯した場合は、ペナルティーが終わるまで終了できない。この試合終了のことをノーサイドと呼ぶ。戦い終えたら両軍のサイドが無くなって同じ仲間だという精神に由来する言葉である。ノーサイド精神はプロ化の進んだ今日でもラグビーに影響を与えている。例として、観客席を区別しないことや、最近までラグビー場はシャワー室が一つだけで敵味方が譲り合って使用していたこと、さらに試合後にアフターマッチ・ファンクションと呼ばれる親睦会を行う習慣は19世紀から今日まで続いている。試合が終わって相手と親睦を深めるまでがラグビーという考え方である。
[編集] ラグビーのポジション
- 詳細はラグビーのポジションを参照
ポジションは、大きくフォワードとバックスに分かれており、それぞれ次の様に呼ばれる。フォワードの8人は、スクラムを構成する。
- フォワード (FW)
- (最前列)3人 - フッカー (HO)(2) と、左右のプロップ (PR)(1, 3)
- (第二列)2人 - 左右のロック (LO)(4, 5) 海外ではSRと書きセカンドローと呼ばれる
- (第三列)3人 - ナンバー・エイト (NO8)(8) と、左右のフランカー (FL)(6, 7)
- バックス (BK)
- ハーフバック (HB) 2人 - スクラムハーフ (SH)(9) と、スタンドオフ (SO)(10)海外ではFHと書きフライハーフと呼ばれる ※ハーフ団とも呼ばれる。
- スリークォーター・バック (TB) 4人 - 左右それぞれのウィングスリークォーターバック (WTB)(11, 14) とセンタースリークォーターバック (CTB)(12, 13)
- フルバック (FB)(15) 1人
各ポジションの呼び方は、国によって微妙に異なる。
[編集] ラグビーの大会
[編集] 国際大会
[編集] 日本国内の大会
- 日本ラグビーフットボール選手権大会
- ジャパンラグビートップリーグ・マイクロソフトカップ
- 全国社会人ラグビーフットボール大会
- 全国大学ラグビーフットボール選手権大会
- 全国高等学校ラグビーフットボール大会
- 全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会
[編集] テストマッチ
ラグビー界では、海外に遠征したり海外から招待したりして試合をすることが多い。その中でも、国を代表して行われる試合をテストマッチと呼んでいる。このテストマッチに出ることは名誉なこととされ、選手にはキャップが与えられる。元木由記雄(明治大学→神戸製鋼)が現在キャップ数(日本代表での試合経験数)最多。
[編集] 主なラグビーネイション
[編集] シックス・ネイションズ(6か国対抗ラグビー)
イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、イタリア(以前はファイブ・ネイションズと呼ばれていたが、現在はイタリアを入れた6カ国で争われている。)
それぞれの特徴は次の通り
- 2003年ワールドカップで優勝したディフェンディング・チャンピオン。北半球として初めてワールドカップを制した。2005年までの10年間で6カ国対抗で5回優勝した。伝統的に強力FWを前面に出すスタイルで、激しいぶつかり合いや、塊となって進むモールが多い。パワープレーを重視し、バックスにボールが出てもキックの比重が高い。このため、「古い」「遅い」などと批判もある。代表選手は、ローレンス・ダラーリオ、ジョニー・ウィルキンソン。
- 1871年に、史上初めての国際試合としてスコットランドとイングランドの間で試合をした伝統国。正統的なチーム作りをし、1991年ワールドカップではベスト4に進出し、準決勝のイングランドとの死闘は語り継がれている。
- ナショナル・カラーのグリーンのジャージで、魂のこもった熱い試合をすることから、ファンが多い。固い結束力やひたむきな守備は見るものの胸を打つ。かつては貧しさから新世界への移民が後を絶たなかったことから、4年に1度のワールドカップや毎年の6カ国対抗は親族が集う場の役割も果たしている。近年は若年層の強化に成功しランキングも上位に入っている。オールドファンにとっては、劣勢の中のあきらめないタックルや、ロスタイムまで追い上げる精神力、そしてたまに列強に番狂わせを見せるのが喜びである。「頑張るいじめられっ子」といった役回りか。サッカーとは異なり、アイルランドと北アイルランドの統合チームである。
- 1970年代に黄金時代を迎えて世界中を席巻し、「レッドドラゴン」の異名で恐れられた。当時の主産業は石炭産業で、選手は昼間は炭鉱員として働き、仕事が終わるとラグビーでナショナル・ヒーローになるというのがウェールズの古き良き時代だった。バックス展開も華やかで、フォワードの強さとバックスのひらめきを融合したラグビーをした。英国皇太子を英語で「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ぶ関係もあり、故ダイアナ妃がよく観戦に訪れていた。
上記ホームユニオン内で他3ヶ国に勝利したチームはグランドスラムを達成し、称えられる。
- 2000年に新加入した新興国だが、ワールドカップには全大会連続出場を続けている。ハーフ団にいい選手を生む。主な人気選手はマウロ&ミルコ・ベルガマスコ兄弟、セルジオ・パリセらがいる。彼らはフランスの強豪スタッド・フランセに所属。
- ワールドカップで準優勝2回の名門。個人主義に基づいてバックスの個人技を評価する。洗練されたプレーや流麗なトライを見せ、「シャンパン・ラグビー」と称される。その反面で、個人の身勝手なプレーから危機に陥ることがしばしばで、反則も多く、不安定な試合運びをする。「わがままな美女」といったところか。主な人気選手は、フレデリック・ミシャラクら。
[編集] 南半球3カ国対抗ラグビー(トライネイションズ)
南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド3カ国の対抗で争われる。
[編集] スーパー14
南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドのクラブチーム成績上位チームが優劣を競う大会。
[編集] その他
アルゼンチン、カナダ、アメリカ、日本、香港、ルーマニア、トンガ、サモア、フィジー
[編集] ネーションズ・カップ
ヨーロッパでトップレベルの6カ国が参加するのが6カ国対抗(シックスネーションズ)。その次に位置する国々が参加するのがネーションズ・カップで、2部制を取っている。1部と2部は入れ替えがあり、頻繁に力関係が変わるが、1部と6カ国対抗の入れ替えや編入はない。主な強国はポルトガル、ルーマニア、ロシア、グルジアなど。チェコやウクライナといった新興国が加盟し強化しており、大会は競技の普及と国際化の進捗状況を見るバロメーターとも言える。
[編集] 関連競技
[編集] 関連項目
- 国際ラグビー評議会
- 日本ラグビーフットボール協会
- ラグビー日本代表
- ジャパンラグビートップリーグ
- ラグビーチーム一覧
- 日本の大学ラグビーチーム
- オールブラックス
- プレミアシップ (ラグビー)
- マウスピース (スポーツ)
- スクール☆ウォーズ
- 国際ビーチフットボール協会
- スーパー14スーパー12から改称
- 近鉄花園ラグビー場
- 秩父宮ラグビー場
- IRBパシフィックファイブネイションズ
- 秩父宮雍仁親王
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