東急バス川崎営業所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東急バス川崎営業所(とうきゅうバスかわさきえいぎょうしょ)は、川崎市中原区小杉御殿町2-74にあり、同市幸区、中原区、高津区及び、横浜市港北区を主に管轄する営業所である。営業所の略号は「KA」であるが、2文字となっているのは、略号を制定した当時、都内に存在した駒沢営業所の「K」との重複を避けたためである。
目次 |
[編集] 沿革
川崎における東急バスの幕開けは昭和初期のことであり、2つの前身事業者による路線を挙げることができる。1つは、1933年に旧・東京横浜電鉄が直営バス事業を再開するにあたり買収した溝ノ口乗合の路線で、川崎~溝ノ口間を府中街道経由で結ぶものである。もう1つは、玉川電気鉄道が1932年に個人事業者の八木哲より買収した路線で、丸子~新丸子駅~勝田間を中原街道経由で結ぶものと、溝ノ口~市ヶ尾~中山駅・柿生駅間を大山街道経由で結ぶものであった。
川崎営業所は、1940年6月12日の開設であるが、これは旧・東横電鉄が溝ノ口乗合を買収した際に設置した溝ノ口営業所を、玉川電鉄の吸収合併を経て新丸子に移転し、さらに現在の小杉御殿町に移転してできたものである。現在地への移転当初は小杉営業所と呼ばれており、大東急時代に現所名に改称された。ところで、終戦直後まで神奈川県内の営業所はこのほかに横浜市側に神奈川営業所が置かれていたが、1947年に同所が休止されたため、以後1962年に日吉営業所が開設されるまでの間、神奈川県内のほぼ全路線が川崎営業所に集約されていた。しかし、両市にまたがる大規模な路線網も、終戦直後は大半が休止状態であり、昭和20年代後半まではその復旧が優先された。
昭和30年代に入ると、多摩田園都市の建設事業が開始され、川崎市では野川・宮前地区において急速な人口増加が始まった。当時は東急田園都市線の開通前であり、人口定着化を図るため、主に武蔵小杉、溝の口を起点としてこれらの地区に向かうバス路線が先行投資的に新設されていった。なお、武蔵小杉における東急バスのターミナルは当初、工業都市(現・東横線小杉駅)にあったが、国鉄武蔵小杉駅前広場の整備に伴い、1959年12月に小杉駅前に移り、発着路線のルート変更が行われている。
こうした中、1962年に日吉営業所、高津営業所が相次いで開設された。これにより、所管路線のうち日吉駅・綱島駅を起点に横浜市内を運行する9路線が日吉営業所に、主に溝の口から郊外へ向かう7路線が高津営業所に移管され、営業所の規模はほぼ現状のようになった。
その後も周辺営業所との所管路線調整が何度か行われているが、2006年3月には東急トランセへの運営委託化を前提とした移管が実施された。これは、野川線と久末線を委託路線の受け持ち営業所である高津営業所に分離する(統合により野川久末線となる)一方、新城線を新羽営業所より受け入れ、鷺沼線の受け持ち本数を大幅に増やしたというものである。
[編集] 現行路線
[編集] 川崎線
- 川31:川崎駅西口北~東芝前~下平間~東横線小杉駅~川崎営業所~宮内~下野毛~高津駅~溝の口駅
- 川31:川崎駅西口北→東芝前→下平間→東横線小杉駅→小杉駅→川崎営業所→宮内→下野毛→高津駅→溝の口駅(夜間のみ)
- 川32:川崎駅西口北~東芝前~下平間~東横線小杉駅~川崎営業所
- 川32:川崎駅西口北~東芝前~東芝小向工場
- 川33:川崎駅西口北~東芝前~下平間~東横線小杉駅~市民ミュージアム
- 直行:川崎駅西口北~東芝小向工場
川崎線は、旧・東京横浜電鉄がバス事業を再開するにあたって1933年に溝ノ口乗合自動車より譲り受けた路線を起源に持つ古い路線である。主に府中街道を走り、小杉・高津経由で溝の口に至るが、溝の口まで運行する便の本数は全体の2割ほどしかなく、多くは市民ミュージアムや川崎営業所までの折り返し便である。その分、小杉より北では後述する小杉線が運行されている。
直行・東芝系統は通勤時間帯のみ、頻発で運行される。現在の運行形態となったのはは1999年のことであるが、東芝への輸送も歴史が長く、東芝通信部門の前身・東京電気無線が小向工場を発足させた直後の1940年の路線案内にはすでに川崎駅~無線前系統の記載がある。
この路線には、その東芝系統を除き、「土手廻り」との呼称がある。これは、ソリッドスクエア~妙光寺付近で多摩川の土手沿いを走ることを示すものだが、以前はこのほかにも「幸町廻り」、「新道廻り」と呼ばれる便があった。「幸町廻り」は、明治製菓前(現・ソリッドスクエア前)~下平間間で中幸町・神明町・小向交番前を経由するものであり、「新道廻り」は、同区間で中幸町・神明町・小向西町を経由するものであった。
同じく川崎駅を発着する荏原営業所の五反田線反01系統はソリッドスクエア~東芝科学館前(2007年3月31日まで小向交番前)を別経路で運行するので「遠藤町経由」と呼称される。東芝系統も反01系統と同じ経路で運行。
2007年4月1日より乗り場が東口から「西口北」バスターミナルに変更された。
[編集] 小杉線
- 溝02:小杉駅~川崎営業所~宮内~下野毛~高津駅~溝の口駅
- 溝03:溝の口駅→高津駅→下野毛→宮内→新丸子駅西口→小杉駅
- 小杉駅→中原駅前→中新城→新城駅→溝の口駅
- 小杉駅~等々力グランド(直行)
- 1959年9月7日:溝の口線が延長により、渋谷駅~用賀~溝の口駅~中新城~工業都市(現・東横線小杉駅)の運行となる。
- 1959年12月15日:発着点を工業都市から小杉駅前に変更。
- 1960年3月21日:玉川通り新道経由となり、線名が小杉線に変更。
- 1966年4月1日:溝の口駅~中新城~小杉駅~高津駅~溝の口駅の循環となる。
- 1974年頃:ほとんどの便を小杉駅~高津駅~溝の口駅の往復線に変更。
- 2006年3月16日:杉06・09系統の高津営業所移管に伴い、小杉駅前~高津駅前系統を新設(高津営業所所管運行)。
- 2006年9月1日:溝03系統を川崎市バスより移譲。
小杉線は、小杉・溝の口両駅間を宮内経由で結ぶ路線である。今でこそ川崎線の折り返し系統のような役割を担っているが、もともと渋谷と小杉を結ぶ路線であり、田園都市線の開通時に中新城・溝の口・宮内経由の循環路線となった。しかし、南武線に並行する中新城側の利用者が少なかったため、1974年頃に現在のような往復路線に改められた。当時の社内報には、これにより10%の増収になったと記されている。なお、この名残で現在でも中新城経由便が平日早朝1本片方向のみ残されている。 現在の溝の口のバスターミナル完成前は、手狭であったことから、 川31系統と共に、一つ先の溝の口操車所(県税事務所付近)にて折返しを行っていた。
溝03系統は2006年9月1日より川崎市バスから移譲された路線で、小杉駅方向の片道のみ運行。市バス時代に存在した第三京浜入口発着便および小杉二丁目経由便は廃止されている。誤乗防止の為、幕式行先表示機の車両は黒地の幕で表示し、LED式行先表示機の車両は系統番号部分を反転表示としている。
区間途中に路線を管轄している川崎営業所が存在するため、同停留所を発着する折り返し系統があり、鷺02系統などで運行された車両が入庫する際にも溝02系統として運行されている。23時台に終車となり、その後数本が深夜バスとして運行されている。
この他、川崎営業所(一部高津営業所)が担当する、小杉駅から市営等々力グランド(グランド入口ではなく、その奥まで入り込む)までの臨時直行便がある。 等々力緑地内の等々力競技場でのJリーグサッカー・川崎フロンターレ戦や、とどろきアリーナでの川崎市主催の成人式が行われる際に川崎市バスと共同で運行する。
[編集] 新城線
南武線武蔵新城駅と東横線綱島駅を川崎・横浜両市にまたがって結ぶ路線である。県道子母口綱島線を走る子母口住宅前~天満宮前間は道幅が狭く、アップダウンやカーブの激しい道を走行する。川崎市内に乗り入れる関係上、1970年代後半より系統番号を持っており、2001年の系統番号一斉付与以前は、綱島駅発着の東急バスで唯一系統番号を持っていた。長年新羽営業所が担当していたが、2006年3月16日の改正より川崎営業所が受け持つこととなり、それに伴い新城駅前~蟹ヶ谷~新羽営業所間の出入庫便が廃止となっている。移管後の出入庫については、川崎営業所~両駅間の回送のほか、新城駅前~蟹ヶ谷間、綱島駅~子母口住宅前間の区間運行によって行う。
新城線の開通は、東急の社内報によると1957年3月25日のことであり、当初の運行区間は新城駅~工業都市である。その後数年のうちに、現在のような綱島とを結ぶ便が開業した。
なお、川崎市内区間の新城駅~蟹ヶ谷間のみを乗車する場合と、それ以外の場合で運賃が異なるため、この区間から綱島駅方向に乗車する際は、乗務員に行き先を告げる必要がある。
[編集] 鷺沼線
- 鷺02:鷺沼駅~中有馬~稲荷坂~久末~野川~千年~中原/中原駅前~小杉駅前(東山田営業所と共管、川崎市バスと共同運行)
- 鷺02:鷺沼駅~中有馬~稲荷坂~久末~野川~千年~新城駅前(同上)
- 鷺02(出入庫):鷺沼駅~中有馬~稲荷坂~久末~野川~千年~中原/中原駅前~川崎営業所
川崎市バスと共同運行し、東急バス・市バス共通定期券(小杉駅・新城駅~鷺沼駅)を取り扱うが、小杉駅の乗り場は両者で異なるので注意を要する。鷺沼駅~久末間の利用客が多い。全体的に渋滞の多い道路を走行するため、ラッシュ時は新城駅発着便が運行されるほか、鷺沼口の区間運行も多数見られる。
[編集] さくらが丘線
- 日23:日吉駅~井田坂~さくらが丘
- 2003年9月3日:日吉駅~さくらが丘を開通。
- 2006年9月16日:朝ラッシュ時を除き日吉矢上停留所に停車。
横浜市港北区の日吉駅から新日鐵跡地のIsaac(アイザック)日吉のアクセスと井田病院への日吉駅からのアクセス向上のために2003年9月3日に開設された。さくらが丘入口~さくらが丘間はフリー乗降制になっており、自宅前で降りられ、かつこの区間からさくらが丘を通り越しての乗車も可能である。日吉駅~日吉町間は日21,22系統と併走するものの、その間の停留所は通過となっていたが、2006年9月16日のダイヤ改正で朝ラッシュ時を除き日吉矢上停留所に停車するようになった。運賃区間は日吉駅~井田坂間は横浜市内、井田坂~さくらが丘は川崎市内の扱いとなるが、横浜市発行の敬老乗車証などは日吉駅~さくらが丘入口間で利用可能である。
超狭隘路を走行するため、小型バスを使用して運行される。車両の詳細は後述する。
[編集] 廃止路線
[編集] 平間線
- 川65:川崎駅~下丸子折返場
[編集] 車両
[編集] 一般路線車
本営業所には日産ディーゼル(以下UD)製およびいすゞ製が在籍する。ノンステップ車の割合は少ない。LED式行先表示機については、新車及び車体更新車のみの装備にとどめられていて、このため新城線の移管時においては、一度消滅した方向幕表示が復活することとなったが、一部を除き2006年12月までに装備を完了した。なお、UD製のKA1511~1515号車は、社番と登録番号の数字部分が一致している。これは東急バスでは唯一の例である。現在は全ての車両がLED式行先表示機を装備している。
[編集] さくらが丘線用
三菱・エアロミディME(以下ME)が1台、日野・リエッセが5台、日野・ポンチョが1台それぞれ在籍する。運行開始当初は専用色の日野・ポンチョ4台の体制であったが、利用者数が増加したため、2004年4月にMEが2台増備された。その後も乗客の増加は続き、2005年1月にはポンチョ4台のうち3台をより収容力の大きいリエッセに置き換えた。捻出されたポンチョは一般色化の上新羽営業所へ転属し、綱74系統に投入され、うち2台はその後高津営業所へ再転属した。その後2006年5月16日のダイヤ改正に伴い、リエッセが2台増車され、それに伴い残っていたポンチョ1台も転出した。しかし、宇奈根・喜多見地区コミュニティバス(玉05系統)開設に伴いエアロミディMEが1台瀬田営業所へ転出、予備車確保のためポンチョが1台高津から戻ってきた。床形状については、ポンチョとMEはノンステップ、リエッセはツーステップであるが、中扉に車椅子用リフトを装備している。塗色については、ポンチョは前述のように専用色、MEは一般色、リエッセは一般色の上に専用色と同等のラッピングを施している(一般色のままのものもある)。これらによって、本営業所には大型4メーカの車両がすべて配置されるという見方も出来る。
カテゴリ: 加筆依頼 | 東急バス | 関東地方のバス営業所