松田駅
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松田駅(まつだえき)は、神奈川県足柄上郡松田町惣領にある東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線の駅。
日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅でもあり、小田急電鉄向けの甲種車両輸送列車が希に発着する。また、小田急電鉄小田原線の新松田駅に連絡する。
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[編集] 駅構造
2面3線のホームを持つ地上駅である。構内配線はいわゆる国鉄式。本駅舎に隣接する1番ホームを特急「あさぎり」が使用し、普通列車は島式ホームの2、3番ホームを発着している。駅の国府津方に、特急「あさぎり」が小田急小田原線乗り入れに使用する連絡線がある。
駅の出入口は沼津方にある本駅舎(北口)と国府津方にある南口の2箇所があり、うち南口は小田急小田原線新松田駅に近い。
なお、特急「あさぎり」で小田急小田原線内からの到着旅客のため、本駅舎・南口とも改札事務室内にパスネット窓口処理機・PASMO処理機が設置されている。当然、パスネット・PASMOで御殿場線に乗車することはできない。
- のりば
1 | ■あさぎり号 | 小田急新宿・沼津方面 |
2 | ■御殿場線 | 国府津方面 |
3 | ■御殿場線 | 御殿場・沼津方面 |
[編集] 駅周辺
以下は、南口の新松田駅からバス利用。
- 寄自然休養村
- 第一生命保険大井本社
[編集] 路線バス
[編集] 駅本屋側
以前は駅前からバスが発着していたが、現在は近隣の路上バス停からの発着となる。
[編集] 南口側
新松田駅駅前広場からの発着となる。新松田駅を参照。
[編集] 歴史
- 1889年(明治22年)2月1日 開業。旅客・貨物取扱を開始。
- 1955年(昭和30年)10月 小田急線直通準急「銀嶺」・「芙蓉」運転開始のため小田急小田原線との間に連絡線設置。
- 1982年(昭和57年)11月15日 貨物取扱が廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化によりJR東海の駅となる。
- 1994年(平成5年)10月1日 JR貨物の駅が開業し貨物取扱再開。
東海道本線は、当初熱海経由では山岳地帯を通ることから建設が困難とされたため、現在の御殿場線の経路で建設された。そのため松田の駅は、開設されたときは東海道本線の駅であり、矢倉沢往還の宿場町として栄えた松田の町に大きな利益をもたらす事になる。利用客も多かった。
しかし、1927年4月1日に小田急小田原線が開通して松田に新松田駅を設けると、東海道本線より速く東京へ往来できることもあって客の流れはそちらに向かうようになった。1934年に丹那トンネルが開通してそちらが東海道本線になり、松田を通る路線が御殿場線という地方路線に格下げされて東京への直通列車が殆どなくなると、この地域の中心で新しい東海道本線が通る所でもあった小田原に直通していた小田原線と新松田駅の重要性は更に増し、それと連動して松田駅の地位は低下していった。
第二次世界大戦中、小田急電鉄は東京急行電鉄に統合されて俗に言う大東急となっていたが、東海道本線には根府川駅近くなど橋脚の多い区間があり、空襲や砲艦攻撃を受けて同区間が不通になる恐れがあった。そのため、東急小田原線と御殿場線によってその代替ルートを設けようという案が陸軍から出され、この松田に連絡線を設けることにした。それに伴って用地の確保と連絡線橋脚が完成したが、まもなく終戦となったため工事は中止された。
その後、東急ではこの未成となっていた連絡線を完成させて東京から御殿場線へ直通する列車を設定しようと考えたが、御殿場線の電化を要するためこの時は見送られた。東急から小田急が再独立し、高出力気動車のキハ5000形気動車が完成したことで、ようやく1955年に連絡線は完成し、直通運転が開始された。1968年には御殿場線と連絡線の電化も完成し、直通列車も電車化され現在の「あさぎり」となった。