沼津駅
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沼津駅(ぬまづえき)は、静岡県沼津市にある東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。JR東海の駅は大手町1丁目1に、JR貨物の駅は1kmほど東の本字下中溝601-4にある。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
島式ホーム3面6線を有する地上駅で、ホームは東西に延びている。通路は西側の跨線橋と東側の地下通路がある。出口は南口と北口の2箇所があるが、南北出口を結んでいる通路は跨線橋のみである。また、南北を結ぶ自由通路は無く、駅構内の通り抜けには入場券を買わなければならない。また南口には駅ビルのアントレが併設されている。
- アントレ改札口
前述の西側跨線橋上にアントレ改札口(営業時間:10:00~20:00)があり、アントレの2階で直接出入りできる。自動改札機のみで有人通路は無い。
- のりば
1・2 | ■東海道線(下り) | 富士・静岡・浜松・豊橋方面 |
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3 | ■東海道線(上り) | 三島・熱海・小田原・横浜・東京方面 |
■特急「あさぎり」 | 御殿場・松田・(小田急線直通)本厚木・町田・新宿方面 | |
4 | ■東海道線(上り) | 三島・熱海・小田原・横浜・東京方面 |
5 | ■御殿場線 | 御殿場・国府津方面 |
6 | ■東海道線(上り) | 三島・熱海・小田原・横浜・東京方面 |
■御殿場線 | 御殿場・国府津方面(主に東海道線からの直通が多い) |
[編集] 貨物駅
- 取扱貨物
- 駅構造
- 3面のコンテナホームと4本の荷役線を有する。うち1面1線のホームは上屋付で、小口貨物の混載輸送に対応している。旅客駅西側に小規模な操車場があり、そこに到着した貨物列車は一旦片浜駅方面への引込み線に入った後、推進運転でコンテナホームへ入る構造になっている。
- 貨物駅の北にある明電舎沼津事業所へ専用線が通じ、希に変圧器を輸送する特大貨物列車が運行される。
- かつては、フジクラ沼津事業所や東芝機械本社工場など駅周辺の工場へも専用線が続いていた。
- その他
[編集] 駅周辺
駅南口は静岡県東部を代表する商業地区(「沼津仲見世商店街」等)となっており、百貨店や商店街、映画館やボウリング場が入居するジョイランド沼津などがあり多くの人で賑わう。また、地域経済の中心としてスルガ銀行本店や静岡中央銀行本店を含む多数の銀行がある。沼津市内各地や伊豆半島方面への路線バスの発着場所になっている。しかし1990年代以降は、駅前にあったニチイや丸井などが次々と撤退、富士急百貨店も規模を縮小し、全体的に南口側の市街地は衰退傾向にある。現在南口側にある百貨店は富士急百貨店と西武百貨店のみであるが、今後、再開発ビルが完成予定である。
駅北口では、広大な旧国鉄沼津機関区の跡地を利用して、催し物開催施設である「キラメッセぬまづ」が設置されている。また、イトーヨーカ堂沼津店が近い。風俗店が多く、人通りは南口に比べてそれほど多くないが、2006年4月15日にシネマコンプレックスを含む大型商業施設、BiVi沼津が開業し、今後の発展が期待される。
なお、1906年(明治39年)から1963年(昭和38年)まで(実際に運行されたのは1961年(昭和36年)まで)は、駅前に路面電車(駿豆電気鉄道線~伊豆箱根鉄道軌道線)も乗り入れていた。
[編集] バス路線
[編集] 南口
南口のバスターミナルは、駅前と富士急百貨店前の2ヶ所に別れている。
駅前バスターミナルの1番~8番のりばからは、伊豆箱根鉄道バスと沼津登山東海バスの路線が発着し、主に沼津港、沼津市南部、三島、伊豆方面などへのバスが出る。
富士急百貨店前の1番~6番のりばからは富士急シティバスの路線が発着し、沼津市西部・北部や富士、御殿場方面などのバスの便がある。かつては新松田駅行き、新静岡駅行き、八王子駅行き(スキッパー号)の高速バスが出ていたが、利用客低迷により廃止された。
[編集] 北口
南口ほどの規模ではないが、北口にも小規模なバスターミナルがある。
このターミナルには、次の高速バスも停車する。
[編集] 歴史
- 1889年(明治22年)2月1日 - 国鉄の駅として開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 開業当時は御殿場駅経由が東海道本線であったが、同経路には25‰(パーミル)という急勾配が存在するため、大阪方面からの鉄道車両は勾配を越えられる機関車と同駅で付け替えを行い、更に両数が多い場合は補助機関車を列車後部に追加連結する必要性があった。そのため、沼津駅に上り列車は必ず停車していた。なお、東京方面からの下り列車は、国府津駅で補助機関車を連結した後、普通列車を除いて御殿場駅構内を通過する時に機関車を走行解放していたため、停車を必要としなかった(実際には1930年に運転を開始した特急「燕」の下りを除き、全ての旅客列車が沼津に停車していた)。
- この必要から操車場・整備施設はもとより、難所とされる峠越え線路の保守関係設備も発展したが、これらの操車関連により必然的に停車時間が長引き、結果的に沼津の観光産業に少なくない影響を与えることになった。
- 1934年(昭和9年)12月1日 - 丹那トンネルを通過する熱海駅から当駅の間が開通。東海道本線と御殿場線の接続駅となる。
- 以後1949年(昭和24年)2月に電化区間が静岡駅へ延ばされる時まで、今度は上下とも東海道本線の列車を牽引する電気機関車と蒸気機関車を同駅で付け替える事になり、全ての旅客列車・貨物列車が何分間か停車する事になった。余談ながら丹那トンネルは長大なトンネルであり、蒸気機関車牽引の列車がそのまま直通することは、機関士が煤煙で失神する危険性を妊んでいた為に不可能であった。その為に、停車時間を使用して駅弁や土産などを買う人が多くなり、「沼津まではぬまず(飲まず)食わずで我慢しよう」という詞も生まれた。
- 東海道新幹線が計画された際には、線形の関係と沼津付近の地盤が悪いことから隣の三島を経由するルートが建設され、沼津に駅は設けられなかった。戦前の弾丸列車計画でも、これは同様であった。
- 1974年(昭和49年)9月1日 - 当駅~沼津港駅間の貨物支線が廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東海・JR貨物の駅となる。
- 2004年(平成16年)10月16日 - ダイヤ改正により、従来は沼津駅には東京駅から直通する普通列車が毎時1~2本程度は乗り入れている駅であったが、それまでの1日上下合わせて53本から20本に減らされた。
- 熱海以東からの直通需要の減少やJR東日本管内の東海道本線で新型車両(E231系電車)に置き換えなどがその主な理由であったが、現在はE231系電車が沼津まで乗り入れている。2006年現在では早朝や夕方の通勤時間帯以降の直通列車がおおむね1時間に1本の割合で残されており、それ以外の時間帯は熱海駅での乗換が必要となっている。また、かつては東京駅から静岡駅まで直通する普通列車も少なからずあったが、現在は373系による1往復を残すのみで、事実上この沼津駅が東京駅からJR東海エリアに直通する普通列車の終点となっている。東京方面からのグリーン車連結の普通列車はここが終点となっており、ここより西は「マリンライナー」が乗り入れる山陽本線の岡山駅まで、グリーン車連結の普通列車は見られない。
- 沼津駅高架化に関する静岡県と沼津市とJR東海の協議もまもなくまとまる見通しで、2006年にも駅高架化の工事が着工する見通しである。市の進める再開発事業、沼津駅周辺総合整備事業の一環として駅高架化の準備が進められている。
[編集] 駅弁
- 海ひこ山ひこ(桃中軒)
- 奥駿河の磯ちらし(桃中軒)
- 桜えびめし(桃中軒)
- 鯛めし(桃中軒)
- 美詩真旅情(桃中軒)
- 港あじ鮨(桃中軒)
- 桃の花膳(桃中軒)
[編集] 隣の駅
- 御殿場線
- 大岡駅 - 沼津駅
[編集] その他
御殿場線が東海道本線であった時代、東海道を東から西へ移動する際は山中の御殿場から下って来る形になるため、旅人からは沼津は海からの心地よい潮風を浴びる事ができる開放的な所と見られていた。1900年に大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第1集東海道編でも、以下のように歌っている。
- 17.沼津の海に聞こえたる 里は牛伏我入道(うしぶせ がにゅうどう) 春は花咲く桃のころ 夏はすずしき海のそば