浜村純
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浜村純(はまむらじゅん 1906年2月7日-1995年6月21日)は、俳優。福岡県出身。本名は武内武。
[編集] 来歴・人物
呉服商の家に生まれる。1926年に福岡市立商業学校を卒業後は、東京美術学校を受験するが不合格に、呉服店の店員を勤める。その後、上京して様々な職に就いていたが、1932年に舞台装置家を志しプロレタリア演劇研究所に入る。同期には宇野重吉がいた。翌年には新築地劇団に入り、1937年に退団してからは数本の映画作品にエキストラで出演した後、中国人の演技指導の為に満洲に渡る。のちにハルピンに渡り、昼は市公署官吏や不動産会社に勤め、夜は劇団に参加していた。帰国後は1944年に劇団文化座に入り浜村純と改名、文化座の公演で再び満州に渡るも、奉天で終戦を迎える。
翌年に復員し、移動劇団で地方を巡業するが、肺結核で倒れる。回復後は映画を中心に出演し、痩せこけた頬とギョロリと目の光る特異なマスクで活躍し、1955年には新藤兼人監督の「狼」に生活に窮して銀行強盗に走る保険外交員役で主演する。その後も大島渚、今村昌平、浦山桐郎、篠田正浩、田坂具隆といった一流監督の作品に出演する。日本屈指のバイプレイヤーとまでなった。
「怪奇大作戦」第7話の「青い血の女」で人形を作る孤独な老人を演じているが、浜村自身も戦後の一時期、人形を作って生計を立てていたという。
[編集] 出演作
- 「巨人伝」(1938年 デビュー作)
- 「ビルマの竪琴」(1956年、日活)
- 「キューポラのある街」(1962年、日活)
- 「私は二歳」(1962年、大映)
- 「青い山脈」(1963年、日活)
- 「太閤記 (NHK大河ドラマ)」(1965年、NHK)
- 「ザ・ガードマン」第6話「ガラスの太鼓」(1965年、大映テレビ室、TBS)
- 座頭市シリーズ「座頭市の歌が聞える」(1966年、大映)
- 「日本のいちばん長い日」(1967年、東宝)
- 「怪奇大作戦」第7話「青い血の女」(1968年、円谷プロダクション、TBS)
- 「帰ってきたウルトラマン」(1971年、円谷プロダクション、TBS)
- 「木枯し紋次郎」(1972年、CX)「暁の追分に立つ」
- 「ウルトラマンタロウ」(1973年、円谷プロダクション、TBS)
- 「砂の器」(1974年、松竹)
- 「花神 (NHK大河ドラマ)」(1977年、NHK)
- 「八つ墓村」(1977年、松竹)
- 水戸黄門 第9部(1978年 TBS・C.A.L.)第6話「恐怖の標的・一ノ関」 彦兵衛役
- 「草燃える (NHK大河ドラマ)」(1979年、NHK)
- 「俺はあばれはっちゃく」(1979年、テレビ朝日)
- 「3年B組金八先生」(第2シリーズ)(1980年~1981年、TBS)
- 「先生は一年生」(1982年、日本テレビ)
- 「メイン・テーマ」(1984年、角川書店)
- 「おじいさんの台所」(1985年、TBS)
- 「森田一義アワー笑っていいとも!」、テレフォンショッキングゲスト(1985年2月19日、フジテレビ(年長ゲスト第2位、出演時79歳))
- 「國語元年」(1985年、NHK)
- 「おじいさんの台所・二年目」(1985年、TBS)
- 火曜サスペンス劇場「穴」(1986年、日本テレビ)
- 「武田信玄 (NHK大河ドラマ)」(1988年、NHK)
- 「時間ですよたびたび」(1988年、TBS)
- 「純ちゃんの応援歌」(1988年~1989年、NHK)
- 「世にも奇妙な物語」『仰げば尊し』(1990年、フジテレビ系)
- 「炎立つ (NHK大河ドラマ)」(1993年~1994年、NHK)
ほか多数。