阪急千里線
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千里線(せんりせん)は、大阪府大阪市北区の天神橋筋六丁目駅から大阪府吹田市の北千里駅までを結ぶ阪急電鉄の鉄道路線。
千里丘陵に広がる千里ニュータウンの通勤・通学路線となっている。
目次 |
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):13.6km
- 軌間:1435mm
- 駅数:11駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 最高速度:80km/h
- 車両基地:正雀車庫・工場、桂車庫
[編集] 路線の特徴
淡路駅で、阪急京都本線と平面交差している。下り・上りともに淡路駅構内手前に複雑な分岐点があり、いずれの方向から進入する際も早朝や深夜を除きほとんどの列車が京都本線の列車を待つために淡路駅手前で信号待ち停車を余儀なくされる。2012年の全線開通を目指すJR大阪外環状線とは、淡路駅が乗り換え駅となり、またそれにあわせて千里線と京都本線は立体交差になる予定である。
天神橋筋六丁目駅から千里山までは、古くからの区間で急曲線も多く運行速度は遅い。特に豊津~千里山間は勾配も急である。
千里山駅から北千里駅までは1963年以降に開通した阪急の鉄道路線の中では最も新しい区間で直線的であり運行速度も速い(山田~北千里間は90km/h走行の時も)。また、完全に高架、堀割またはトンネルであるため踏切は一つもない。
[編集] 運行形態
千里線内だけで完結する列車は早朝と深夜のみであり、大半は、以下のいずれかのように他の路線との直通運転を行っている。これらは、いずれも普通列車だけが運行されている。
- 北千里駅~淡路駅~梅田駅 (淡路駅~梅田駅は阪急京都本線)
- 北千里駅~天神橋筋六丁目駅~天下茶屋駅 (天神橋筋六丁目駅~天下茶屋駅は、大阪市営地下鉄堺筋線との直通運転)
- 阪急京都本線高槻市駅~淡路駅~天神橋筋六丁目駅~天下茶屋駅 (淡路駅~天神橋筋六丁目駅が千里線にあたる。天神橋筋六丁目~天下茶屋駅は、大阪市営地下鉄堺筋線との直通運転)
また、平日の朝夕のラッシュ時にのみ、京都本線河原町駅方面と、地下鉄堺筋線の天下茶屋駅とを直通運転する優等列車として、「堺筋準急」が平日朝に河原町駅から、平日夕方に茨木市駅まで運転されている。千里線にあたる区間では、柴島駅を通過する。2007年3月17日に行われたダイヤ改正で従来の「急行(堺筋急行)」「快速急行(堺筋快速急行)」から名称が改められた。
なお、1970年の大阪万博の開催時、万博利用客のための臨時準急「EXPO準急」が走ったことがあり、千里線内の停車駅は淡路、吹田、関大前、南千里であった。
現在でも淡路以北で急行運転をしてほしいとの要望の声が利用客から挙がるが、線形が悪く、また、緩急接続の出来る駅がないことなどから、急行を運転してもそれほど時間短縮にはならないということで実現には至っていない。
淡路駅では原則として下記のように相互接続を行う。
- 梅田~高槻市、河原町間の列車(快速急行・準急・普通)と天下茶屋~北千里間の列車(普通)
- 梅田~北千里間の列車(普通)と天下茶屋~正雀、高槻市間の列車(普通)
[編集] 歴史
北大阪電気鉄道が1921年に十三~豊津間を開業させたのが始まり。同年中に千里山駅まで開通した。当初から大阪市内への乗り入れを計画していたが、資金難から淀川への架橋ができず、崇禅寺~吹田間は東海道本線の旧線跡を転用し、阪急の十三駅接続とすることで当面の市内アクセスにした。
同社は沿線で霊園の開発を積極的に行ったため、「墓地電車」とも呼ばれていた。
1923年に大阪~京都間で淀川右岸の高速新線(現・京都本線)を計画し、大阪側の起点を模索していた新京阪鉄道に鉄道事業を譲渡した。新京阪鉄道は北大阪電気鉄道が取得していた免許を利用し、1925年に淀川を渡る天神橋~淡路間を開業して大阪市内乗り入れを果たした。
後に親会社の京阪電気鉄道に合併して千里山線となり、1943年阪神急行電鉄との合併で京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の路線となる。
1961年12月、宝塚本線の混雑緩和を目的として、千里山線と箕面線とを連絡する千里山延長線(千里山~桜井間)の事業免許を取得した。このうち千里山~新千里山(現在の南千里)間は1963年8月に開業した。新千里山からは千里中央を経由して桜井へ向かう北西方向へのルートをとる予定であったが、大阪府からの要請によりルートを変更して北方向の北千里へ延伸された。後に宝塚線の輸送力が増強されたことなどから、桜井駅に至る事業免許は1972年12月に廃止された。
南千里~北千里間が延伸開業した1967年、路線名が千里線に改称される。日本において本格的な自動改札機が導入されたのは、北千里駅が初めてである。オムロン(当時の立石電機)によって設置された。当初は鑽孔式の定期券専用のものであったが、1971年に同駅の改札機は普通乗車券も使える磁気券式のものになった。
1969年に大阪市営地下鉄堺筋線との相互直通運転開始に伴い、新京阪鉄道以来のターミナルだった天神橋駅が地下駅に移転し、天神橋筋六丁目駅と改称された。
[編集] 年表
- 1921年(大正10年)4月1日 北大阪電気鉄道が十三~豊津間を開業
- 1921年(大正10年)10月26日 豊津~千里山間が開業。
- 1922年(大正11年)4月17日 花壇前~千里山間に大学前駅開業。
- 1923年(大正12年)4月1日 新京阪鉄道が北大阪電気鉄道の鉄道路線を譲り受ける。
- 1925年(大正14年)10月15日 新京阪鉄道が天神橋(現在の天神橋筋六丁目)~淡路間を開業。
- 1928年(昭和3年)1月16日 全線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1930年(昭和5年)9月15日 京阪電気鉄道が新京阪鉄道を合併。千里山線となる。
- 1938年(昭和13年)9月15日 花壇前駅を千里山遊園駅に改称。
- 1943年(昭和18年)10月1日 阪神急行電鉄が京阪電気鉄道を合併し京阪神急行電鉄が発足。東吹田駅を吹田駅に、西吹田駅を市役所前駅に改称。
- 1943年(昭和18年)12月1日 千里山遊園駅を千里山厚生園駅に改称。
- 1944年(昭和19年)2月1日 天神橋~柴島間の長柄駅廃止。
- 1944年(昭和19年)9月1日 大学前駅休止。
- 1946年(昭和21年)4月7日 千里山厚生園駅を千里山遊園駅に改称。
- 1946年(昭和21年)6月25日 大学前駅営業再開。
- 1949年(昭和24年)12月1日 京阪電気鉄道が分離。千里山線は京阪神急行電鉄の路線に。
- 1950年(昭和25年)8月1日 千里山遊園駅を女子学院前駅に改称。
- 1951年(昭和26年)4月1日 女子学院前駅を花壇町駅に改称。
- 1959年(昭和34年)2月18日 京都本線の天神橋~淡路間を千里山線に編入。千里山線の列車が梅田駅乗り入れ開始。
- 1963年(昭和38年)8月29日 千里山~新千里山(現在の南千里)間が開業。
- 1964年(昭和39年)4月10日 市役所前駅に(旧)吹田駅を統合し吹田駅開業、花壇町駅を大学前駅に移転統合し関大前駅開業。
- 1967年(昭和42年)3月1日 南千里~北千里間が開業し千里線に改称。新千里山駅を南千里駅に改称。
- 1969年(昭和44年)11月10日 翌年9月14日まで日本万国博覧会アクセスのため南千里~北千里間に万国博西口駅を開設。
- 1969年(昭和44年)12月6日 大阪市営地下鉄堺筋線との相互直通運転開始。天神橋駅を移転し天神橋筋六丁目駅に改称。
- 1973年(昭和48年)11月23日 旧万国博西口駅の400m南に山田駅開業。
- 1979年(昭和54年)3月5日 淡路以南で堺筋急行を運転開始。
[編集] 駅一覧
- ●:停車、|:通過
- 準急 …堺筋準急:平日朝夕のみ運転。堺筋線内では各駅に停車。
- 普通:各駅に停車するため省略。
駅名 | 営業キロ | 準急 | 接続路線 | 所在地 | |||
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大阪市営地下鉄堺筋線天下茶屋駅まで直通運転 | |||||||
天神橋筋六丁目駅 | 0.0 | ● | 大阪市営地下鉄:■堺筋線(K11:直通)・■谷町線(T18) | 大阪府 | 大阪市北区 | ||
柴島駅 | 2.2 | | | 大阪市東淀川区 | ||||
淡路駅 | 3.5 | ● | 阪急電鉄:京都本線 西日本旅客鉄道:大阪外環状線(2012年春開業予定) |
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下新庄駅 | 4.4 | 河原町方面 | |||||
吹田駅 | 6.0 | 吹田市 | |||||
豊津駅 | 6.9 | ||||||
関大前駅 | 7.8 | ||||||
千里山駅 | 8.6 | ||||||
南千里駅 | 10.2 | ||||||
山田駅 | 11.6 | 大阪高速鉄道:大阪モノレール線 | |||||
北千里駅 | 13.6 |