高千穂鉄道高千穂線
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高千穂線(たかちほせん)は、宮崎県延岡市の延岡駅から宮崎県西臼杵郡高千穂町の高千穂駅に至る高千穂鉄道の鉄道路線である。
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[編集] 路線データ
[編集] 概要
旧国鉄特定地方交通線であった高千穂線を転換して開業した路線。五ヶ瀬川に沿って宮崎県北部の工業都市延岡市と神話の里高千穂町を結ぶ。深角~天岩戸間の高千穂橋梁(全長353m)は日本一高い鉄道橋としても有名で、水面からの高さは105mある。そのため、旧国鉄時代から同橋梁上では乗客に対して眺望や高さを堪能させることも目的とした徐行運転を行っていた。
しかし、2005年9月6日の台風14号による増水で第一五ヶ瀬川橋梁、第二五ヶ瀬川橋梁が流失するなど全線にわたって甚大な被害を受け、運行休止となった。宮崎県や沿線自治体が復旧費用の負担に難色を示したため、高千穂鉄道としての復旧・運行再開を断念し、全線廃止とすることが決定された。しかしながら、民間で復旧・運行再開をする企業・団体が現れれば譲渡を検討するとしており、宮崎県内外からいくつかの企業が名乗りを上げたほか、高千穂町の観光・商工関係者らが部分運行再開のための会社の設立準備をしている。地元資本による会社では、会社名を「神話高千穂トロッコ鉄道」とし(「高千穂神話鉄道」とする予定であったが、「高千穂鉄道」に酷似しているという理由で不許可となった)、まずは日之影温泉~高千穂間での部分運行再開を計画し、その後日之影温泉から槇峰、将来的には延岡までの再開を目指している。
なお、鉄道輸送休止後の延岡~高千穂間の鉄道輸送の代替的輸送は、既存のバス路線もあった宮崎交通を中心とするバス輸送によって実質的に行われている。
[編集] 運行形態
全て線内折り返し運転で、ワンマン運転を実施していた(2両編成の場合は車掌乗務だが、ほぼ1両での運転のため、滅多に乗務しない)。
1991年から運転されていた「たかちほ号」に代わり、2003年春から運行停止まではトロッコ列車の「トロッコ神楽号」が運行されていた。
運行停止の段階では毎時1本程度のダイヤだった。
[編集] 歴史
元々は改正鉄道敷設法で「熊本県高森ヨリ宮崎県三田井ヲ経テ延岡ニ至ル鉄道」として定められ、延岡から三田井(高千穂)を経て高森線(現在の南阿蘇鉄道高森線)の高森駅までの延伸が計画されていたが、国鉄時代に延岡~高千穂間が開業したのにとどまった。高千穂~高森間23.0kmの建設はトンネル掘削中の異常出水事故により中断、1980年に工事が凍結された(詳細は「未開業区間」の項で後述)。
- 1935年(昭和10年)2月20日 - 【開業】日ノ影線 延岡~日向岡元 【駅新設】西延岡、行縢、日向岡元
- 1936年(昭和11年)4月12日 - 【延伸開業】日向岡元~川水流 【駅新設】曽木、川水流
- 1937年(昭和12年)9月3日 - 【延伸開業】川水流~槇峰 【駅新設】早日渡、槇峰
- 1939年(昭和14年)10月11日 - 【延伸開業】槇峰~日ノ影 【駅新設】日向八戸、日ノ影
- 1957年(昭和32年)2月1日 - 【駅新設】細見、吐合、上崎、亀ヶ崎、吾味
- 1972年(昭和47年)7月22日 - 【延伸開業】日ノ影~高千穂(旅客営業のみ) 【駅新設】影待、深角、天岩戸、高千穂 【線名改称】高千穂線
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 【貨物営業廃止】延岡~日ノ影
- 1975年(昭和50年)2月 - 建設中の高森トンネル坑内で異常出水事故。高森町内の井戸水が枯れ水道が断水。
- 1976年(昭和51年)9月 - 高森トンネル工事が一時中断。
- 1980年(昭和55年) 国鉄再建法成立により高千穂~高森間の鉄道建設凍結。
- 1982年(昭和57年)8月13日 - 台風11号による増水で川水流~日ノ影間が不通に。12月復旧。
- 1984年(昭和59年)6月22日 - 第2次特定地方交通線として廃止承認。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 【承継】開業区間を九州旅客鉄道が承継。未開業区間は日本国有鉄道清算事業団が承継。
- 1988年(昭和63年)6月21日 - 第三セクター会社への転換を決定。
- 1989年(昭和64/平成元年)4月28日 - 【転換】高千穂鉄道
- 1993年(平成5年) 高千穂~高森間の鉄道建設用地、工作物などが日本国有鉄道清算事業団から高千穂町、高森町へ無償譲渡。
- 1995年(平成7年)1月1日 - 【駅名改称】日ノ影→日之影温泉
- 2005年(平成17年)9月6日 - 台風14号による増水で第一五ヶ瀬川橋梁、第二五ヶ瀬川橋梁が流失し、全線で運行休止。同年12月に復旧断念と廃止の方針が決定する。
- 2006年(平成18年)9月5日 - 延岡~槇峰(29.1km)の廃止届が国土交通省九州運輸局に提出される。
[編集] 駅一覧
- 開業区間
延岡駅 - 西延岡駅 - 行縢駅 - 細見駅 - 日向岡元駅 - 吐合駅 - 曽木駅 - 川水流駅 - 上崎駅 - 早日渡駅 - 亀ヶ崎駅 - 槇峰駅 - 日向八戸駅 - 吾味駅 - 日之影温泉駅(日ノ影駅) - 影待駅 - 深角駅 - 天岩戸駅 - 高千穂駅
- ()内は、転換前の旧駅名。
- 未開業区間
高千穂駅 - 上野(かみの)駅 - 田原(たばる)駅 - 河内駅 - 日向泊(ひゅうがどまり)駅 - 高森駅
[編集] 未開業区間
- 鉄道敷設について
日清戦争の直後、軍事産業路線として熊本~延岡間の鉄道敷設の話が持ち上がり、国鉄が延宇線(宇土~延岡)を計画したり、熊延鉄道が熊本~延岡を結ぶ鉄道敷設を目的として設立されたりするなどその気運は高まったが、いずれも実現には至らなかった。1922年の改正鉄道敷設法で熊本~立野~高森~高千穂~日ノ影~延岡という鉄道計画が最終案となり、1922年に高森線(現・南阿蘇鉄道)立野~高森間の工事が着手された。しかし国の財政難で工事が中断されたため、1925年には熊本県・宮崎県・大分県の関係者による「高千穂高森間鉄道速成同盟会」を結成され、鉄道建設促進運動を起こした結果、1939年までに宮崎~日ノ影間が開通したもの、戦争の激化により再び鉄道建設の目処が立たないこととなった。 戦後の1947年、地元で「日ノ影高森間鉄道敷設期成同盟会」が結成され、この鉄道の全線貫通を国に請願したことから、1962年鉄道審議会が高森~日ノ影間の建設を決定した。1966年に日ノ影~高千穂間の敷設工事が着工され1972年に完成、残る高千穂~高森間の工事も1973年に着工、1977年完成を目指して工事が進められた。
しかし1975年2月、掘削中の高森トンネルの入口から2.05km地点の坑内で、地下水の水脈を切断してしまったために毎分36tの異常出水が発生、これにより高森町内の井戸水が枯れ、水道が断水するという事故が起きた。そのため日本鉄道建設公団側はトンネルからの水をポンプで吸い上げ、町内の家に配水するよう処置したが、翌年トンネル工事は一時中止となり、日本鉄道建設公団と地元との補償交渉が開始され、1989年補償協定が成立した。
この出水事故が最大の要因となり鉄道敷設工事は中断のまま、その後の1980年国鉄再建法成立により工事予算が凍結され、全面的に中止となった。高千穂~高森間の工事の進捗率は30%であった。
高森線は1986年、高千穂線は1988年それぞれ第三セクター会社へ転換されたものの、結局この2つの鉄道を結びつける工事が再開されることはなく、明治時代からの悲願であった「九州横断鉄道」の夢は幻となって消えた。
- 現在の状況
建設用地は国鉄の分割民営化時に、その用地、工作物などすべてが日本国有鉄道清算事業団に承継され、1993年沿線自治体に無償譲渡された。完成していた一部のトンネルや高架橋は1998年までに解体され、その後高千穂町内の用地の60%は旧地権者に払い下げられた。そのため、未成線となった建設用地は未着工の部分もあって、そのほとんどが分からなくなっているが、ところどころ用地の境界標や封鎖されたトンネル、橋脚の跡などが残っている。
高千穂町内に建設された葛原トンネルは現在神楽酒造が「トンネル貯蔵庫」として利用しており、周辺は「トンネルの駅」として整備されている。このトンネル貯蔵庫は無料で見学出来る。またその近くの用地の一部が「夢見路公園」として整備され、夢に終わった「九州横断鉄道」の敷設時を偲ばせている。
異常出水により工事中断となった高森トンネルは、無償譲渡を受けた高森町が親水公園として整備を行い、現在は「高森湧水トンネル公園」として一般に開放されている。但し、トンネル内に入るには入園料が必要。なお、この全通工事完成の暁には、終点の高森駅がこのトンネル付近へ移転する予定だった。