高木琢也
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高木 琢也(たかぎ たくや、1967年11月12日 - )は、長崎県南高来郡北有馬町(現・南島原市)出身の元サッカー選手(FW)。現横浜FC監督。大阪商業大学卒業。
目次 |
[編集] プレースタイル
現役時代は、恵まれた体格を生かしたポストプレーやヘディングを武器に得点を重ねたセンターフォワード。
[編集] 経歴
[編集] クラブ
国見高校から大阪商業大学、フジタを経て1991年にマツダSCに入団。 早くから攻撃の中心選手として活躍し、チームがサンフレッチェ広島として発足するとプロ契約、1992年にはJSL新人王に輝く。
Jリーグ2年目の1994年には、イワン・ハシェックと抜群のコンビで、広島のサントリーシリーズ優勝の原動力となった。 しかし、チャンピオンシップでアキレス腱を断裂。 以後常に故障に悩まされ続けるも広島の中心選手として活躍を続ける。
1998年、広島の経営が悪化にともない移籍金を得るため放出を余儀なくされ、ヴェルディ川崎へ移籍。 怪我が多く目立った活躍できなかった。
2000年にコンサドーレ札幌へ移籍(この年、コンサドーレはJ2優勝)し、同年膝の負傷などもあって引退した。
[編集] 日本代表
ハンス・オフト率いる日本代表では、エースストライカーとして活躍し、「アジアの大砲」とも呼ばれた。 1992年アジアカップ決勝では日本を初のアジア王者に導く歴史的なゴールを挙げている。 1993年のアメリカW杯予選では「ドーハの悲劇」の日本代表メンバーでもあった。
[編集] 引退後
引退後はサッカー解説者として活動するかたわら、2005年には将来のJリーグ参入を目指して結成されたV・ファーレン長崎から監督就任のオファーを受けた。 しかし、解説者としての仕事の都合や、また当時まだS級ライセンス取得中であったことから(その後ライセンスは無事取得)監督就任は見送り、技術アドバイザーとしてチームを支えることになり、主にサッカー解説のないときに来県して指導していた。
2006年から横浜FCのコーチに就任し、指導者としての一歩を踏み出していたが、第1節終了後の3月6日に足達勇輔が監督を解任された事に伴い急遽監督に昇格した。 ここで、先輩であるカズの上司となったことや、新米監督がチームをまとめられるのか、などが不安視された。 また前年度の解任ではなく、シーズンが始まって1試合という早期の監督解任のタイミングに納得がいかなかったサポーターが、ホーム開幕戦で横断幕ゼロ、一切のコールを行わず試合を見守るのみという沈黙応援を行うなど、決して順風万端のスタートとは言えなかった。 しかし、高木の就任後、チームは6月2日に水戸ホーリーホックに敗れるまで、実に15戦無敗(新監督として就任してからのJリーグ新記録。従来の記録はサンフレッチェ広島の小野剛監督の11試合)と息を吹き返し、万年下位に沈んでいたチームを一気に昇格争いに参入させた。 さらにチームは770分間連続無失点のJリーグ新記録(従来は1993年清水エスパルスの731分)および7試合連続無失点のJ2タイ記録も樹立し、選手・サポーターの信頼を勝ち取った。 11月26日、J1昇格を決定させると共に、指導者として初のタイトル(J2優勝)を獲得した。
[編集] エピソード
- 小学生時代は「堀内2世」と言われるほどの豪腕投手だった。
- 中学3年生の時、自身が高校2年生に進級する年に、島原商業高校サッカー部監督(当時)の小嶺忠敏が国見高校に異動になるという噂を耳にしていたため、島原商業ではなく、あえて国見高校に進学した。2年生になり、小嶺が国見高校に赴任してきた時、新3年生の部員はおらず、また、2年生の部員も、小嶺の指導のあまりの厳しさに、1人減り、2人減りして、秋になる頃には高木1人しか残っていなかったため、小嶺新体制の国見高校サッカー部の、いわば「長男坊」として、早くからチームのまとめ役を任された。3年時には主将として、インターハイに初出場し、また、国見高校の選手を中心に編成された長崎県選抜チームで臨んだ国体サッカー少年男子の部の競技では、準優勝と得点王に輝いたが、全国高校サッカー選手権初出場を果たすことはできなかった(1学年下が3年時に初出場を果たし、準優勝)。余談だが、選手権長崎県予選準決勝で国見を、決勝で前年度全国選手権優勝の島原商業を破って選手権に出場した平戸高校には、元日本代表GKの前川和也がいた。
- 彼の性格は温厚で、前園真聖は、体がでかくて温厚な高木のことを「社長」と呼んでいたらしい。また中山雅史など一部の選手は「ブーやん」と呼ぶことがある。おそらく苗字から高木ブーが由来(もしくは琢也の「琢」の字が「豚」に似ているから)と思われる。
- 好きな芸能人は唯一浜田省吾。中学生の頃からファンで、サンフレッチェ時代に郷里が広島の浜省と対面すると、それ以降浜省以外は興味を持たなくなったらしい。
- 2006年から、地域、家庭、学校が協力して子供を育む長崎県の県民運動「こころねっこ運動」のイメージキャラクターを務めており、テレビCMではお父さん役をこなす。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1992年 | 広島 | J | - | - | - | 7 | 4 | 0 | 0 | ||
1993年 | 広島 | J | - | 29 | 11 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |
1994年 | 広島 | J | - | 42 | 14 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1995年 | 広島 | J | - | 24 | 5 | - | - | 5 | 4 | ||
1996年 | 広島 | J | - | 30 | 11 | - | 6 | 1 | 5 | 2 | |
1997年 | 広島 | J | 18 | 26 | 12 | - | 0 | 0 | 2 | 1 | |
1998年 | V川崎 | J | 18 | 22 | 9 | - | 1 | 0 | 3 | 0 | |
1999年 | V川崎 | J1 | 18 | 18 | 2 | - | 3 | 1 | 0 | 0 | |
2000年 | 札幌 | J2 | 18 | - | 17 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | |
通算 | 191 | 64 | 17 | 0 | 19 | 6 | 20 | 8 |
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 45試合 27得点(1992-1997)
年度 | 試合 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|---|
出場 | 得点 | ||
1992年 | (11) | 11 | 5 |
1993年 | (16) | 13 | 7 |
1994年 | (9) | 5 | 2 |
1995年 | (16) | 0 | 0 |
1996年 | (13) | 10 | 6 |
1997年 | (24) | 6 | 7 |
通算 | 45 | 27 |
[編集] 指導歴
[編集] 監督成績
年度 | 所属リーグ | 大会名 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝ち点 | 順位 | チーム |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年途 | J2 | - | 47 | 26 | 6 | 15 | 93 | 優勝 | 横浜FC |
2007年 | J1 | - | 34 |
※2006年は第2節より監督就任
[編集] 背番号
[編集] 経歴・タイトル
- 高校時代
- 1985年 国体 準優勝・得点王
- クラブチーム
- 初出場 1993年5月16日対ジェフユナイテッド市原戦(広島スタジアム)
- 初得点 1993年5月26日対横浜マリノス戦(広島スタジアム)
- 1994年 Jリーグ サントリーシリーズ 優勝、ベストイレブン (サンフレッチェ広島)
- 2000年 Jリーグ ディビジョン2 優勝(コンサドーレ札幌)
- 代表
- 初出場 1992年5月31日対アルゼンチン代表戦(国立霞ヶ丘陸上競技場)
- 初得点 1992年8月24日対中国代表戦(北京)
- アジアカップ1992 優勝
- 指導者時代
- 2006年 Jリーグ ディビジョン2 優勝(横浜FC)
[編集] 関連項目
J1記念ゴール | ||
前回: 3000ゴール 三浦泰年 |
3500ゴール 高木琢也 1997.5.3 |
次回: 4000ゴール 横山貴之 |
横浜FC - 2007 |
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1 小山健二 | 2 早川知伸 | 3 アンデルソン | 4 和田拓三 | 5 室井市衛 | 6 山口素弘 | 7 吉野智行 | 8 アドリアーノ | 9 久保竜彦 | 10 内田智也 | 11 カズ | 12 滝澤邦彦 | 13 鄭容臺 | 14 奥大介 | 15 坂井洋平 | 16 薮田光教 | 17 シウバ | 18 小野智吉 | 19 難波宏明 | 20 玉乃淳 | 21 菅野孝憲 | 22 秋葉陽一 | 23 岩倉一弥 | 24 根占真伍 | 26 太田宏介 | 27 中島崇典 | 30 小村徳男 | 31 岩丸史也 | 監督 高木琢也 | クラブ | |
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