国立霞ヶ丘陸上競技場
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国立霞ヶ丘陸上競技場 | |
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国立 |
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所在地 | 東京都新宿区 |
開場年 | 1958年 |
収容人数 | 50339人 |
フィールド | 長さ 107 m × 幅 71 m |
使用チーム | 特に本拠地とするクラブなし |
アクセス | 都営地下鉄大江戸線国立競技場駅下車徒歩1分 東京地下鉄銀座線外苑前駅下車徒歩10分 JR中央・総武緩行線千駄ケ谷駅下車徒歩5分、信濃町駅下車徒歩10分 |
国立霞ヶ丘陸上競技場 (こくりつかすみがおかりくじょうきょうぎじょう)は、東京都新宿区及び港区に跨る国立霞ヶ丘競技場内にある独立行政法人日本スポーツ振興センター(NAASH)によって運営される陸上競技場である。
一般に「国立競技場」という場合、この国立霞ヶ丘陸上競技場を指す場合が多い。
本稿では他との区別のため、特に断りの無い限り当競技場を「国立霞ヶ丘陸上競技場」と言及する。
目次 |
[編集] 概要
世界的には1964年の東京オリンピックのメインスタジアムとして、又2001年までのトヨタ・カップの会場として知られている。
当競技場を明確にホームグラウンドと謳うチームは存在しないが、サッカー日本代表、及びラグビー日本代表が国際試合を行うスタジアムとして定着しており、それぞれの代表チームにとってのホームスタジアムということができる。
Jリーグで当競技場をホームスタジアムにするクラブはない(リーグの方針としてホームチームを置かないことになっている。イングランドサッカー界におけるウェンブリー・スタジアムのような位置づけ)。ただし、首都圏周辺にホームタウンを置くクラブが、集客の都合やホームスタジアムでの開催に何らかの支障がある場合、当競技場でホームゲームを開催することはしばしばある。首都圏以外に本拠を置くチームでも、清水エスパルスや名古屋グランパスエイト、ジュビロ磐田などが主催試合を行ったことがある。
またホームスタジアムの新築・増築・改修期間中の代替開催地としても活用されてきた。例としては2000年シーズンにFC東京がJ1リーグ戦主催15試合中10試合をホームスタジアムとして使用したことが挙げられる。これは翌2001年開業の新本拠地東京スタジアム(現在の味の素スタジアム)が建設中がゆえの、あくまで特例的なホーム使用であった。ちなみに、同シーズンFC東京は川崎フロンターレ主催試合において、当競技場に招かれアウェイチームとしても試合を行っている。この事例からもJリーグ、日本サッカー界における当競技場の中立的位置づけが伺い知れよう。
[編集] 沿革
当地には1924年完成の明治神宮外苑競技場があったが、アジア競技大会と東京オリンピック開催のため、1956年に国に譲渡された。現在の競技場は1957年1月に起工、1958年3月に竣工した。1964年の東京オリンピックではメインスタジアムとして使用された。
インフィールドには芝生のグラウンドがあり、サッカー、ラグビーの主要大会の決勝戦や国際試合が開催されてきた。これらのスポーツの選手にとって、「国立のピッチに立つ」というのはひとつのステータスにもなっている。特に高校サッカー界においては「聖地」と呼ばれており、全国高等学校サッカー選手権大会などで上位進出を決めたチームが国立のピッチでプレーすることが許される(ただし全国高等学校サッカー選手権大会においては、2000年度大会から開幕戦も国立で開催)。
完成当初は間違いなく日本一のスタジアムであったが、1958年の竣工以来、50年近くを経過すると共に、建築技術の向上、各種スポーツ大会の大型化、それに伴う大会運営サイドからのスタジアムへの要求水準の向上により、その老朽化、陳腐化が否めない状況となっている。
2002年のワールドカップ日韓大会でも当競技場での開催が検討されたもの、FIFA(国際サッカー連盟)がスタジアムに要求するスペックとして、「観客席の3分の2以上に屋根が架設されること」が条件とされており、それを満たすことができなかったことから、べニューとなることを断念せざるを得なかった。
既存の規格の古いスタジアムであっても、1960年のローマオリンピックのメインスタジアムとなったスタディオ・オリンピコや、1936年のベルリンオリンピックのメインスタジアムになったオリンピアシュタディオンのように改装により屋根を架けることは可能であるが、予算等の問題からこの方法は実施されていない。
ワールドカップ日韓大会の決勝戦は横浜国際総合競技場で実施されたが、以降もビッグゲームは当競技場よりも観客収容人数が多く、その分の収入増が見込める横浜国際もしくは埼玉スタジアム2002で開催することが多くなっている。また陸上競技についても、古い国際規格の8レーンしか設けられておらず、現在の国際陸上の規格を満たしていないことから、同様に横浜国際などにその開催場所を譲ることが多くなった。
2005年からSMAPがコンサート会場として使用を開始した。尚、使用する際には同会場スタッフによる厳しい審査と、そのほか使用に関する規制が厳格に決められており、(例えば、「同会場をコンサートとして使用する際は、音を出すのを午後9時まで」等)、その厳しい審査に合格し、かつ使用に関する規制を厳格に守れるアーティストに限り使用を許可している。 例えば、同会場はそれまで近隣への騒音問題に配慮し、コンサート等で使用する際の規制を厳しくしていた為、原則としてコンサート会場として同会場を行なうことを許可していなかった。単独のアーティストとしてはSMAPが最初に使用したが、、SMAPが同会場の使用許可を得るまで、実に3年の期間を要している。 また、SMAP側が使用の打診を行い使用許可を得るまでの3年間に、SMAPの公演内容、スタッフの対応、観客のマナーの様子等総合的に厳しくチェックされ、3年間事故も無く、また観客のマナーも良かったことの功績を認め、SMAPのコンサートによる使用を許可した。 2007年9月にはドリームズ・カム・トゥルーが使用に関する審査をパスし、同会場にてコンサートを予定している。
[編集] スペック
[編集] トラック
トラック8レーンを有する日本陸上競技連盟公認第一種陸上競技場である。
現在の規則によると、日本陸連の第一種競技場として登録されるには1周400mの補助トラック(公認第三種登録相当)を併設することが義務付けられている。当競技場はその補助トラックがないが、東京都営の東京体育館の付属陸上競技場が事実上のサブトラックと見なされ、第一種トラックとして登録されている。
前述の通り、レーンが8列しかないと言うのは、最新の国際規格を満たしていない。
[編集] フィールド
1981年2月、トヨタ・カップ第1回(1980年度)大会がイングランド・ノッティンガム・フォレストとウルグアイ・ナシオナル・モンテビデオの間で開かれた。この際、この大会の事前練習で当スタジアムを使用した両チームの選手から、当スタジアムのピッチの芝生の悪さが指摘された。
ヨーロッパや南米など海外の多くのスタジアムにおいては、寒冷地型のケンタッキー・ブルーグラスやトールフェスク等といった冬場でも緑色を保つことが出来る芝生を採用していたのに対して、当時、国立霞ヶ丘陸上競技場の芝生はいわゆる温暖地型の高麗芝という種類しか使われていなかった。よって、冬場になると芝生が枯れて、黄色味のかかった状態になることは避けられなかった。
更にある年の大会においては、その芝生を緑色に見せて、両大陸の代表チームに国際的な大舞台にふさわしい試合環境を提供することを目指し、枯れた芝生の上に緑色の塗料を塗ったり、緑色の砂を撒いたりした。これも当然ながらお粗末に過ぎると批判・非難が殺到してしまった。[要出典]
1991年の世界陸上選手権開催を機に、国立霞ヶ丘陸上競技場のリニューアル工事が実施された。その時、ティフトン419(栄養繁殖系)の芝をベースにし、冬芝(ペレニアルライグラス)の種を初秋にピッチに撒くオーバーシードという方式で、一年間常に緑色の芝生の状態を保つことが出来る芝生の生育方法を取り入れるようになり、海外のサッカークラブからの信頼を取り戻すことができた。
[編集] スタンド
収容観客人数は50,339人。スタンドの形状は4階建て楕円形スタンドとなっている。この形状のためラグビーの試合では、しばしばラインアウトでのノットストレートの反則をとられることがあり、テレビ中継などで「(楕円形スタンドに惑わされて)まっすぐに投げ入れることが難しい」と解説される。
2005年9月から複数年の予定で、スタンドの改修工事が始められている。座席スペースの拡張や背もたれ、カップホルダー付き座席の設置、および記者席の機能強化が図られた。1963年には翌年の東京オリンピックを控え、バックスタンドを中心に大幅拡張され、72,000人収容の大スタジアムとして生まれ変わったが、1978年の改修では約62,000人収容に減少。その後も数度にわたる改修が進むに連れキャパシティは縮小し、2005年の時点ではそれまでの収容人数60,057人から55,903人に縮小され、さらに2006年8月時点では50,339人にまで縮小されている。
[編集] 照明及び視聴覚装置
照明施設はバックスタンドに照明塔4機、メインスタンドの照明は屋根の先端部に内蔵されている。
視聴覚装置は、千駄ヶ谷門寄りサイドスタンドに大型画像モニターが設置されている。改修以前は文字情報のみだったが、世界陸上開催を契機とした改修でアストロビジョンを設置した。
[編集] アクセス
[編集] 所在地
東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号。
[編集] 最寄り駅
- 千駄ケ谷門(メインスタンド北側)
- 青山門(バックスタンド)
- 中央・総武緩行線信濃町駅
- 代々木門(メインスタンド南側)
入場門によって最寄り駅が異なる。
[編集] 主な大会・イベント
- 日本陸上競技選手権大会(最近は地方都市持ち回りが多い)
- 日本学生陸上競技対校選手権大会
- 東京国際女子マラソン
- サッカー日本代表の強化試合(A代表・オリンピック代表が主)
- Jリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ)決勝
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝戦(準決勝の1試合も行う時がある)
- 全日本女子サッカー選手権大会決勝戦
- 全日本大学サッカー選手権大会決勝戦
- 全国高等学校サッカー選手権大会開幕戦・準決勝・決勝戦
- 全国大学ラグビーフットボール選手権大会準決勝・決勝戦
- 関東大学ラグビー対抗戦 早稲田大学対明治大学(早明戦)
- サッカーFIFAクラブワールドカップの会場の一つ(2005年、2006年)。
[編集] 過去に開催された主な大会・イベント
コンサート等のイベントが開催される際、近隣の騒音問題に配慮し、必ず午後9時にて終了(午後9時以降は、一切音を出してはならない)しなければいけない規定がある。
- 1958年 : 第3回アジア競技大会
- 1964年 : 第18回オリンピック東京大会
- 1967年 : 第5回ユニバーシアード東京大会
- 1981年 - 2001年 : トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ(2002年からは横浜国際総合競技場)
- 1983年 - 1989年 : ライスボウル(1990年以降東京ドームで開催)
- 1985年 : 国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW(はっぴいえんど、サディスティック・ユーミン・バンドなどが出演)
- 1991年 : 第3回世界陸上競技選手権大会
- 1993年 : Jリーグ開幕戦(読売ヴェルディ(当時)対日産FC横浜マリノス(当時))
- 1996年 : ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス 世界3大テノール・コンサート
- 1998年 : 1000万人ラジオ体操祭中央大会(NHK・郵政省簡易保険局・全国ラジオ体操連盟主催、誕生70周年を記念して開催)
- 2002年 : Dynamite!史上最大の格闘技ワールド・カップ(プロレス・格闘技イベントで初開催)
- 2003年 : ジャパンラグビートップリーグ開幕戦(東芝府中対神戸製鋼)
- 2005年 : SMAPとイク? SMAP SAMPLE TOUR FOR 62 DAYS.(単独公演としては、競技場史上初)
- 2006年 : Pop Up!SMAP-飛びます!トビ出す!トビスマ?TOUR2006(SMAPのCDデビュー15周年の日に行われた)
- 2006年 : GOAL!ジャパンプレミア
- 2007年 : 史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007 (開催予定)
[編集] 関連項目
- 国立競技場
- 国立霞ヶ丘競技場
- 国立代々木競技場
- 国立西が丘サッカー場
- 明治神宮野球場
- 織田幹雄 - メインスタンド千駄ヶ谷駅寄りにあるポールは織田ポールと呼ばれている。
- 宮本三郎 - メインスタンドの壁画の原画の作者
- 明治神宮外苑
[編集] 外部リンク
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先代: 県営陸上競技場 (富山市) |
国民体育大会 主競技場 東京国体 |
次代: 水前寺陸上競技場 (熊本市) |
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