高橋聡文
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高橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )は、プロ野球中日ドラゴンズの投手である。背番号は67番。
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[編集] 人物
投球は140km後半の直球と、100km台のスローカーブが武器。最近ではフォークボールも使うようになってきた。プロ野球界の投手としては小さい体ながら、柔らかい体全身を使い、投げ終わった後、左足と右手を上に大きく上げるダイナミックなフォームが特徴。ただ、コントロールはあまり良くないと評され、絶好調の時は面白いように三振を取るが、悪い時は四球を連発することが多い。 入団してしばらくは怪我が多く、高校2年まで野手であったため、打者転向の話もあった。
しかし、プロ入り初登板で2004年4月13日満員の東京ドームでの対読売ジャイアンツ戦、8対8の同点で迎えた9回裏。清水隆行、小久保裕紀、高橋由伸を抑え延長10回もロベルト・ペタジーニ、タフィ・ローズ、林昌範の計6人を2三振を含む凡退に抑える活躍を見せる。堂々としたマウンドさばき強心臓ぶりを発揮しこの年から就任した落合監督の期待に応えた。2004年中継ぎ左腕として落合博満監督が一軍に抜擢。思いきりのいい投球で日本シリーズ登板も果たした。
2005年はチーム最多の61試合に登板、31試合連続無失点を記録した。シーズン中盤までは好調を維持していたが、終盤に疲れからか打ち込まれた。
2006年シーズンは序盤からなかなか波に乗れず、4度も登録抹消と一軍登録を繰り返した。 2006年10月チームはペナントレースを制したが、その胴上げに参加することなく来季に向けチームメイトの長峰昌司とともにドミニカ共和国のウィンターリーグへ旅立った。ドミニカでは小柄な左腕投手が剛速球を投げ込む姿が人気となり、「象の火炎放射器 (el lanzallamas de los elefantes)」というあだ名を付けられる。160キロ近いと報道された速球を武器に奪三振を重ねたが、反面四球も多く、所属チームの監督からは「長峰はすぐにでもメジャーに通用するが、高橋は変化球のコントロールを覚える必要がある」とコメントされた。
2007年からは森繁和コーチからは中里篤史と共にセットアッパーを任されると言われている。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m76cm、80kg
- 投打 左/左
- 出身地 福井県大飯郡高浜町
- 血液型 A
- 球歴・入団経緯 青郷小・高浜中(福井県)-高岡第一高(富山県)-中日ドラゴンズ(2002年- )
- プロ入り年度・ドラフト順位 2001年(ドラフト8巡目)
[編集] プロ時代の戦歴
- プロ入り初登板 2004年4月13日 対巨人戦(東京ドーム)
- プロ入り初勝利 2005年4月12日 対広島戦(ナゴヤドーム)
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
- 111試合 3勝5敗 87奪三振 防御率5.15
[編集] エピソード
- 富山の高岡第一高校時代にドラゴンズのスカウトが学校へ高橋の投球練習を見に行ったところ、ちょうど練習試合で高橋は投げていなかったが(ケガをしていたとも言われるらしい)、監督が「バッティングも良いもの持ってますから」と急遽、代打で高橋を出したところ、初球をライトスタンドへホームランを打ち「ピッチャーでダメだったら打者でもいける」とドラフト8巡目で指名された。
- 福井県の高浜町の実家は代々続く和菓子屋さんで現在、祖母、父母と長兄夫婦が営んでいる。店内には聡文の大きな写真が飾ってあり六方焼がおいしいと評判。
- 小学校時代の壁に向かっての一人トレーニングは地元では有名なエピソード。
- 2004年に掲載された中日スポーツの読者コーナーで、「ドラゴンズで一番年俸の安い選手は誰ですか?」という質問があり、高橋の名前こそ出さなかったものの、3年目の左腕投手ということだったが、一致する投手は高橋だけだった。ちなみにこの年の推定年俸は560万円。
- プロ入り後3年間、一度も1軍登録されていなかった高橋聡が、4年目に落合監督が就任すると家族も予想もしてなかった開幕早々の4月に対巨人戦の8回同点の場面からいきなりプロ入り初登板を迎えた。しかし、実家では巨人戦の全国放送もすでに地上波の放送は終了しており、家族は高橋の勇姿が見れなくなりラジオでその後の投球内容を聴いていたという。初登板後は1軍での登板が多くなり、試合の最後までテレビ中継されるスカイパーフェクTVを急いで契約したとのこと。
- 2004年に広島東洋カープの前田智徳に決勝2ランを打たれ初黒星を喫したが、翌年の2005年4月12日ナゴヤドームの広島戦で7回表、先発の朝倉健太の後、1対1の同点の場面で中継ぎで登板、ツーアウト一塁からまた前田にライトオーバーへ大飛球を打たれ、広島勝ち越しかと思われたがフェンス50センチ手前でホームランにはならず、福留孝介がクッションボールをうまくさばいて結局単打となり、一、三塁から何とか後続の木村拓也を三振に抑え事無きを得た。その裏に自軍が勝ち越し、念願の初勝利が転がり込んだ。広島市民球場だったら完全にホームランだっただけに、強運でつかんだ初勝利だった。試合後初めてお立ち台に立ち「初勝利までは結構長かったので勝てないかと思いましたが勝つことができてうれしいです。」と語ったが、後日談、本人から苦手な打者は誰かと聞いたら、やはり広島の前田とのことだった。
[編集] 関連項目
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201(育成選手) 加藤光教 | 202(育成選手) 竹下哲史 | 203(育成選手) チェン | 220(育成選手) R・クルス | 222(育成選手) E・ラミレス 66 監督 落合博満 | 81 高代延博 | 80 森繁和 | 89 高橋三千丈 | 88 高柳秀樹 | 78 小林聖始 | 77 宇野勝 | 87 仁村薫 | 72 田村藤夫 | 90 三木安司 | 85 二軍監督 辻発彦 | 84 早川和夫 | 75 石嶺和彦 | 83 音重鎮 | 86 古久保健二 | 71 川相昌弘 | 92 勝崎耕世 | 74 風岡尚幸 | 79 長谷部裕 | 82 奈良原浩 | 76 近藤真市 | 93 宮前岳巳 | 91 塚本洋 |
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