後村上天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
後村上天皇(ごむらかみてんのう 嘉暦3年(1328年) - 正平23年/応安元年3月11日(1368年3月29日) ; 在位:延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日) - 正平23年/応安元年3月11日(1368年3月29日))は、南北朝時代の第97代、南朝第2代天皇である。名を義良(のりよし/のりなが)という。名前の読みが二種類あることについては、後醍醐天皇の皇子の読みを参照。 明治44年(1911年)に南朝が正統とされたため、歴代天皇として認定されるようになった(それまでは一貫して現皇統につながる北朝が正統とされていた)。
目次 |
[編集] 系譜
- 皇后:藤原氏(名前不明)
- 女御:藤原勝子
- 女御:源顕子
- 第一皇女:憲子内親王(新宣陽門院)
- 宮人:中原師治の娘
- 第三皇子:惟成親王
- 宮人:越智家栄の娘
- 第四皇子:師成親王
- 第六皇子:良成親王
- 第七皇子:説成親王
- 宮人:不明
- 第八皇子:長成親王
[編集] 略歴
1333年(元弘3年/正慶2年)に鎌倉幕府が滅亡し、父の後醍醐天皇が建武の新政を始めると、幼い親王は北条氏の残党の討伐と東国武士の帰属を目的に陸奥守北畠顕家・北畠親房に奉じられて奥州多賀城へと向かう。1335年(建武2年)に足利尊氏が新政から離反すると、北畠親子と共に尊氏討伐のために京都へ引き返す。比叡山で元服を行い、1336年(建武3年)に尊氏が京都で敗れて九州落ちすると再び奥州へ戻るが、1337年(延元2年/建武4年)多賀城が襲撃されたため西国に戻る。足利尊氏は京都を奪還し、後醍醐らは吉野へ逃れて南朝を成立させる。後醍醐天皇が全国の南朝勢力を結集するため各地に自分の皇子を派遣する中、義良も1338年(延元3年/建武5年)に宗良親王や北畠親房らとともに伊勢国大湊から奥州へ向かうが、途中で暴風に遭い一行は離散し、義良は吉野に戻る。1339年(延元4年/暦応2年)皇太子になり、同年の8月15日に後醍醐天皇から死の直前に譲位され即位する。
1348年(正平3年/貞和4年)に足利方の高師直に吉野を襲撃されると、大和賀名生(奈良県五條市)へ移る。観応の擾乱が起こると、直義、尊氏が交互に申し出た降伏を受け入れる。尊氏が南朝に降伏し正平一統が成立すると、北朝方の三種の神器(後醍醐は偽器と主張していた)を接収し、尊氏に対して直義追討の綸旨を与える。尊氏が直義の養子足利直冬討伐のために西国向かうと、その隙をついて1351年に足利義詮を追い京都を奪回するが、尊氏の帰京と共に京を追われる。
1352年閏2月19日山城国の男山(京都府八幡市)に入り、七条大宮の戦いで楠木正儀が足利義詮を破り再び京都を奪回する。義詮は光厳・光明・崇光3上皇と皇太子直仁親王を置いて逃げ、後に南朝は3上皇と直仁親王を男山に連行する。3月に足利軍の反撃に遭い京を放棄し、男山に立てこもるが、義詮の軍により敗走、河内国東条に逃れ、6月賀名生へ帰還。1355年、再び南朝に帰順した足利直冬を立てて京の奪回を目指すが、尊氏・義詮の軍に敗れて頓挫する。
1361年(正平16年/康安元年)12月8日には、足利幕府の政争に敗れて失脚した幕府執事細川清氏の帰服を受け、清氏や楠木正儀らとともに京へ攻め込み、一時的に京を奪回するが、すぐに義詮軍の反撃に遭い、12月26日には撤退している。その後も京都奪回を目指すが、南朝の力は既に弱体化しており、足利義満将軍就任後の1368年3月11日に御座所にしていた住吉大社宮司の津守氏の住之江殿(大阪市住吉区)にて崩御(死去)。
音楽や学問に長けていたと言われている。
[編集] 諡号・追号・異名
父の後醍醐天皇が、醍醐・村上天皇の延喜・天暦の治を理想とし、醍醐にあやかって生前自ら後醍醐の号を定めていたことを受け、後村上と追号された。
[編集] 在位中の元号
[編集] 陵墓・霊廟
大阪府河内長野市寺元の檜尾陵(ひのおのみささぎ)に葬られた。
[編集] 関連事項
|
|
|
![]() |
歴代天皇一覧 | ![]() |
|||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |