藤岡弘、
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藤岡弘、 ふじおか ひろし |
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プロフィール | |
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本名: | 藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ) |
別名: | 藤岡 弘(旧芸名)・藤岡隊長 |
出生地: | 日本・愛媛県上浮穴郡 |
民族: | 日本人 |
血液型: | O |
生年月日: | 1946年2月19日 |
現年齢: | 61歳 |
活動 | |
ジャンル: | 俳優(映画・テレビドラマ) 声優・歌手・ナレーター |
活動時期: | 1965年- |
活動内容: | 1965年:デビュー 1971年:『仮面ライダー』 1984年:日本人初のSAG入会 2002年:『藤岡弘、探検隊』 2005年:CDアルバムリリース |
主な作品: |
映画 『仮面ライダー』劇場版 『日本沈没』『SFソードキル』 『逆境ナイン』『I am 日本人』 テレビドラマ NHK大河ドラマ 『仮面ライダー』『あすか』 『白い牙』『特捜最前線』 テレビコマーシャル セガ『セガサターン』 資生堂『Uno』・オートレース 声の出演 『キングダムハーツII』 『シェンムー』 『FFⅦ ADVENT CHILDREN』 |
その他 | |
『グローバルレインボーシップ』理事 米国映画俳優組合会員 |
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藤岡 弘、(ふじおか ひろし、本名:藤岡 邦弘 ‐くにひろ 1946年2月19日 - )は、愛媛県上浮穴郡久万町(現・久万高原町)出身の俳優兼国際武道家。旧芸名:藤岡 弘(最後の「、」がない)。三貴プロダクション所属。O型。
身長は180cm、体重は79kg。趣味は世界各地を旅すること、映画・音楽鑑賞、温泉、釣り、サバイバル。座右の銘は「天命に生きる」「不動心」。
「バリトンヴォイス」と称される独特の渋く低い声と、武士道を通して悪を制し世界平和の実現を目指すという直向な姿勢は、彼のものまねをする関根勤や、番組で「お母さん、弘さんを私にください」と言った上沼恵美子を始め数多くの熱狂的ファンに支持を受けている。
目次 |
[編集] 略歴
など、現代武道や武術に広く精通する。
- 1965年、松竹映画ニューフェイスとして映画『あんこ椿は恋の花』でデビュー。
- 1971年、変身ヒーロー物特撮テレビドラマの傑作『仮面ライダー』で、仮面ライダー1号・本郷猛役を演じたことにより、人気スター俳優となった。
- 1973年、東宝映画『日本沈没』に主演。歴代の観客動員記録を破る空前の大ヒットとなった。
- 1976年、同じく東宝映画『大空のサムライ』(坂井三郎・著の同名の自伝的なノンフィクション本の映画化作品)で主演。
- 1984年、ハリウッドで『SFソードキル』に主演し話題となる。
- 1986年、東京国際ファンタスティック映画祭でヒーロー賞を受賞。
- 1987年、1974年にテレビドラマ『白い牙』で共演した女優の鳥居恵子と結婚したが3年3ヵ月後に離婚。2001年の11月に24才年下の女性と再婚。同年12月には子供も誕生している。
- 1992年、統一教会の信者であると報じられたが、特に否定しなかった。この件については「俳優以外の活動」を参照。
- 1999年には「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」に招かれている。
- 2002年、故・川口浩氏の遺志を継ぎ、第二代探検隊隊長に就任する。
- 2004年に、『たけし&マチャミの世界に誇る日本の技術に驚いてみませんか?SP』というフジテレビの番組で、超硬合金製の日本刀を「リアル斬鉄剣」と名付けた。
- 2007年3月29日に、知人との間で金銭の貸し借りにトラブルが起き、藤岡に対し4億5000万円の支払い命令が下された。[1]
[編集] 俳優としての藤岡 弘、
アクションスターを夢見て昭和38年故郷松山から上京して松竹入社。しかし当時松竹は女優中心の文芸路線で気風が合わず移籍を模索する。ところが、時の映画界は五社協定で俳優引抜が禁じられており移籍は極めて困難だった。悩んだ末に新人奨励金を受け取らない代わりにさまざまなオーディションに応募する許可を取り付ける。初主演作かつ代表作となる『仮面ライダー』もその一つだった。
昭和46年『仮面ライダー』の主役・仮面ライダー1号・本郷猛を演じたことで、俳優・藤岡弘の名は、当時子供たちの間で大流行した「ライダーごっこ」と共に全国的に認知されることになる。その後も『特捜最前線』、『白い牙』、『日本沈没』、『大空のサムライ』、『SFソードキル』など、千葉真一らと共にアクションドラマ、映画全盛の時代を牽引する。
ちなみに、歴代の『仮面ライダー』シリーズのレギュラーで、恒常的に変身後の仮面ライダーの中に入りアクションをこなした(バイクで階段を登ったりもしている)のは藤岡ただ一人である(単発では他にも多数の役者がライダーの中に入っている)。藤岡自身も、撮影中のバイク転倒事故(転倒した際に足がガードケーブルに引っかかり、骨折と言う大事故になったが、もしガードケーブルが無かったら、そのまま下へ転落して、死亡していたであろうと云われている)が原因で10話までしかアクションができず、以降は同じ事態を回避するため、それまでも藤岡と一緒にライダーを演じていた大野剣友会の岡田勝らスタントマンが起用されるようになった。なお藤岡によれば、当初のライダースーツはのぞき穴の問題で前はろくに見えない、レザースーツのため動きにくいと言う代物を、毎回現場で改善しながら撮影しており、彼自身がヒーローのスーツはどうあるべきかの実験台になった側面もあったそうである。
だが『仮面ライダー』で知名度が上がったものの、あまりの人気ぶりに、当初はそのイメージで固定されてしまうのを嫌った。後続の『仮面ライダー』シリーズで本郷猛役での客演は実は少なく、声のみの出演は『仮面ライダーV3』22話、『仮面ライダーX』劇場版及び『仮面ライダーストロンガー』第38話、顔出し出演は『仮面ライダーV3』第1話・第2話・第33話、第34話と『仮面ライダーストロンガー』最終話だけとなる。ただ、本人は自分の役者としての飛躍があの作品であったことは当時から忘れておらず、俳優として地歩を築くことに成功した現在では、「『仮面ライダー』は僕の青春でした」と語り、ゲームなどでも本郷猛を演じてオールドファンを喜ばせている。ちなみに、『仮面ライダーアギト PROJECT G4』では本郷猛役ではないものの、警視総監役で出演し、主人公達に「俺達に出来ないことを君達がやってくれ」と激励するという意味深なシーンがある。
その後、本人曰く「最も信頼していた者達の裏切り」(恐らく海外映画への出資に関わるものと思われる)に遭い多額の負債を抱える。それが元で暫く活動を休止する時期があったが、セガサターンのイメージキャラクター・「せがた三四郎」を演じたテレビコマーシャルが大きな話題となり本格的に復帰する。彼が出演する、このCMと翌年のオートレースのコマーシャルが、CM大賞を受賞する。
(藤岡の復活、セガタ三四郎人気はNHK紅白歌合戦に応援出場するほど。舞台上のセガタ(藤岡)がコメントしていると、ショッカー怪人が現れ思わず藤岡が対戦、ついにライダー変身して大活躍と言う場面だった)
その後はヒロインの父親や校長、ヤクザの組長など、年齢に応じて風格の加わった存在感のある演技を見せている。
[編集] 俳優以外の活動
俳優として不動の地位を確立した藤岡は、その活動の傍ら積極的にバラエティ番組に出演するようになる。特にお笑いコンビのダウンタウンやとんねるずとの親交はとても深い(特にとんねるずの2人にとって藤岡は「憧れのヒーロー」であり、『オールナイトフジ』で藤岡と初めて共演した際は狂喜乱舞していた。藤岡への敬意が高じて「仮面ノリダー」が生まれたとの説もある)。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』の中の「藤岡弘と遊ぼう!」というコーナーでは鬼ごっこ、ドッジボール、ハンカチ落としなどの遊びを展開。子供に扮したレギュラーメンバーが、大真面目に遊びに取り組む藤岡を集中的に負けに追い込んだりからかったりする構図は藤岡のファンはもとより、同番組のファンからも好評を博す。また、とんねるずとはカーレース対決を行った。
民間ボランティア団体「グローバルレインボーシップ」の理事として国内外問わず幅広く救済活動を行い、その経験を生かした青少年育成や防犯のための講演会活動も精力的に行っている。印象深いのは、やはり奥尻島の地震津波災害のおりに「映画撮影の際にお世話になったので」と駆けつけた事だろう。「正義の味方!」「仮面ライダーは実在した!」などとマスコミも取り上げていた。
1992年9月、『東京スポーツ』などで「統一教会の信者」と報じられた。桜田淳子などが統一教会(統一協会)の合同結婚式に参加して話題になった後だった。詳細は、統一教会の名を隠した自己啓発セミナーの広告塔になっていたにすぎなかった。藤岡は、映画やドキュメントを撮る時に、歴史や背景を徹底的に調べる傾向があるそうだが、中には事実でない「英雄伝説」を掴んでしまう場合もある。そんな中で、上記セミナーの主催者と出会った。セミナー主催者によると、当時、藤岡が撮った『オジロの海』や『K2』という作品にも、セミナーや統一教会の教義が現れているとのことだったが、実際はそうは見えない。なお、同じ時期に丹波哲郎や名高達郎も広告塔に利用されたが、いずれもセミナー主催者が勝手に言っていただけだった。なお、藤岡は自らの責任を感じたか、この件に関しては一切言い訳をしていない。
2005年9月、11月福岡市で開催された国内外のヒーロー映画を上映する映画祭「FUKUOKAヒーローフェスタ2005」の実行委員長に就任。イベント前の記者会見では「子供たちに夢と希望と生きる勇気を与えてきたヒーローの復権を訴えたい」と語った。そして映画祭の期間中行われたトークショーでは盟友ショッカーO野の進行で往年の映像を交えながら自らの人生を熱く振り返り、最後には「レッツゴー!! ライダーキック」を熱唱して集まったファンを狂喜させた。
[編集] 藤岡弘、探検シリーズ
近年、彼の幅広い人気を決定的にしたのはテレビ朝日の『スイスペ!』枠で不定期に放送される「藤岡弘、探検シリーズ」である。もともと同局では『水曜スペシャル』枠で探検シリーズが放送されていたのだが、初代探検隊長の俳優・川口浩が亡くなると自然と立ち消え状態になっていた。しかし、探検シリーズ復活を希望する声が途絶えないことと、藤岡の探検好きとが相まって2002年の12月25日、悲願の復活。藤岡弘、探検隊はこれまでに後述にあるとおり、6度の探検を行っており、ファンの間では隊長を務める藤岡の勇気ある行動、隊長にふさわしい発言は常に語り草である。その展開などがやらせではないかという指摘がある一方でテレビ評論家からは「一生懸命な姿を、家族全員で、肩の力を抜いて見られる番組」と、1つのバラエティ番組として高く評価する声もあり、あくまで演出であることを前提にその過程を楽しむ番組として全国紙4紙が「今日の注目番組」として推薦したこともある。これ以降、「藤岡弘、といえば隊長」という認識が広まり、実際にライセンスやセイン・カミュらが、藤岡と共演した番組の中で「隊長」と呼んだ(なお、隊長と初めて呼ばれたのは『深夜戦隊ガリンペロ』で、探検隊復活もこの番組がきっかけといわれている)。しかし、2005年3月19日に第6弾が放送されて以来「藤岡弘、探検シリーズ」は放送されていない。これまで1年以上ブランクが無かった為ファンの間では「打ち切りになってしまったのか」と心配され、第7弾の放送を望む声が公式・非公式ページを問わずに寄せられている。
- 今夜復活! あの伝説の探検隊が帰ってきた! アマゾン奥地1500km! テラプレータの密林に 謎の猿人 ジュンマは実在した!
- ベトナム・ラオス国境地帯 死の密林踏破! 呪われた竜の使い ヅォン・ドゥーは実在した!
- 南米ギアナ高地 切り裂かれた大地の闇に 謎の地底人 クルピラは実在した!!
- エチオピア奥地3000km! 幻の白ナイル源流地帯! 古代裸族に人類の原点を見た!!
- アマゾン奥地6000km! 密林の恐怖 イプピアーラ 大追跡! これが半魚人伝説の正体だ!
- ミャンマー奥地 赤い密林縦走3000km! 伝説の野人 ナトゥーを追え!
[編集] 芸名に「、」を付けるまで
1986年にアメリカ映画の『SFソードキル』で、武道を通してかねてから関心のあった侍を演じることとなった。しかし手元に渡った台本を見ると、外国人が想像する「侍」は史実のそれと全く異なるものであった。戸惑った藤岡は、通訳を通して日本の伝統文化における侍の地位、役割を粘り強く説明。苦労の甲斐あって藤岡の演じる「侍」は各国で高い評価を得て、パリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞し日本人として初めて米国俳優協会の会員となる。その熱意に深く感銘した現地のスタッフも藤岡のことを「ヒロシさん」と呼び、敬意をもって接するようになったという。この出来事が切っ掛けとなり、「昔の武将は一度"、"を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と「『我未だ完成せず』との意味を込めて」改名に踏み切った。映画の本場であるハリウッドという名前に流されれば史実と異なった侍を演じて誤解を招いてしまうかもしれないという自分の立場と昔の武将を重ね合わせたものであろう。
本人にとっては一つの大きな決心であったが藤岡自身が無理強いしなかったこともあって番組クレジットなどにも「、」が表示されることは殆どなく、一部のファンを除いてこの事実は知られなかった。しかしモーニング娘。などの台頭で藤岡の「、」も注目され次第に業界関係者に浸透しはじめる。当初はモーニング娘。の人気に肖ったものとの見方が多くを占めていたが2003年1月8日に関西テレビの『痛快!エブリデイ』に生出演した際、司会の桂南光に芸名について質問されるとそこに至る経緯を説明し句読点及び記号ブームの元祖は藤岡であることが公となり、それ以降は番組クレジットなどでも「、」が表示されるようになった。
[編集] 藤岡弘、熱血エピソード
藤岡弘、の人生を語るうえで、自他共に認める「熱血」という言葉を欠かしてはならない。現代に生きる侍、藤岡弘、の熱血エピソードを以下に紹介する。
[編集] 母親の胎内で九死に一生
第二次世界大戦の最中、藤岡を身籠っていた母は、医者からの「動いたら命の保証はない」との忠告を無視し、汽車で実家に帰る。その夜、松山市は大空襲に見舞われ病院は全焼。医者も入院患者も犠牲になる。母親の鋭い危機センサーなしには藤岡弘、は存在し得なかったのである。
[編集] 父親の突然の失踪
幼い頃より藤岡に武道とその心を教えていた父が、藤岡が中学生の頃に突然の失踪。自己犠牲の精神に富む藤岡は母親に迷惑をかけられない一心でアルバイトを始める。新聞や牛乳の配達は元より農作業、道路・配線工事や花屋の屋台、野球場の売り子など数多くのアルバイトを体験。お金を稼ぐこととその価値を身をもって知ることになるのである。
[編集] 8人の猛者との格闘
高校で柔道部の主将を2年務めていた藤岡は大学生に他流試合を申し込むほどの実力者となっていた。そんな藤岡はいい意味で際立った存在となり不良連中の目の敵となってしまう。
そんなある日8人の愚連隊が藤岡に因縁をつけてきた。「忍耐こそが武力」と心得ていた藤岡は無視するもあまりにしつこいので仕方なく格闘。長年の鍛錬で培った技で8人を次々なぎ倒すのであるが、「明らかに相手の骨をへし折っていた」と後に述懐。図らずも荒々しい青春を送った藤岡のちょっとしたエピソードである。
[編集] 極貧生活で見出したサバイバル精神
俳優を志して上京した藤岡に、都会は過酷な試練を課す。自然豊かな愛媛県で、大いなる愛情に満たされて育った藤岡は、自己中心主義に代表される都会独特の冷たい空気に失望する。キセル乗車で始末書を幾度となく書かされるなど生活も貧しさを極めており、
- インスタントラーメン1ダースで3週間
- ラーメン屋で、おろしニンニクと醤油をかけたライスだけを食べる
など、上京前とはまた別次元の、サバイバル精神を身につけることになるのである。 今日を生き抜くことで精一杯であった藤岡の熱血ぶりを象徴するエピソードである。
[編集] 香港で体感した人生の真理
1988年、既に一大アクションスターとなっていた藤岡の元に、香港から本格アクション映画の出演依頼が舞い込むのだが、その『香港・東京特捜刑事』という映画の中で、藤岡は衝撃的な体験をする。
撮影中の事故でスタッフが1人死亡してしまうのだ。しかし事も無げに撮影を継続する現地スタッフを見て、藤岡は躊躇しながらも、プロ根性と人生の厳しさを知ることになるのである。それ以外にも「裏のウラまで見た」という藤岡は改めて武士道精神の素晴らしさとその伝承を決心することになる。
[編集] 鍛錬の証明・資格と免許
芸能界において教員免許や英語検定など、趣味の延長線上や在籍していた学校の卒業条件で資格を取得するものは少なくないが藤岡の所有する資格は
- 普通・大型特殊自動車
- 大型自動二輪
- スキューバダイビング免許
- 小型船舶・パワーボート免許
- 銃砲免許
- 自家用飛行機
- 調理師免許
- アマチュア無線
[編集] 4輪のライダー
真面目な藤岡だが、空港にあるカートをみると、つい童心に帰りキックボードのように蹴って走ってしまうというお茶目な所もある。
[編集] サムライinロシア
ロシアで誘拐された女性の話を聞き、救出しに行こうと本気で計画を立てるものの、武器となる日本刀を持ち込めないため計画は頓挫。しかしどうにかして持ち込めないか未だに思案中らしい。
[編集] 藤岡が怖いもの
数々の武勇伝を持つ藤岡にも怖いものもある。それはヘビ。少年時代、ヘビがカエルを飲み込む姿を見て以来トラウマになっている。『ナインティナインのオールナイトニッポン』で自身がそう語った。和製インディ・ジョーンズを地で行くエピソードである。
[編集] その他
- 先述の通りヘビが苦手なせいなのか事務所の裏には「マムシ注意」と書かれた看板がある。ゴールデン移行後の『トリビアの泉』で紹介されていた。
- 右利きであるが、腕時計を右手首につける習慣がある。これは世間の常識に捉われないことを示すものらしい。
- 苦手な食べ物はホワイトアスパラガス。『新・食わず嫌い(とんねるずのみなさんのおかげでした)』より発覚した。
- 「“情報”は“情け”に“報いる”と書きます」という意味だと説いた。
- 無類のコーヒーマニアで、コーヒーを入れるために、いい水を求めて富士山まで水を汲みに行った。
- 東京の刀匠・ナイフメーカーである加藤清志のファンであり、藤岡が所有しているナイフ・日本刀の殆どは彼が製作している。
[編集] メディア出演
[編集] レギュラー番組
- 藤岡弘、探検シリーズ(テレビ朝日、不定期放送)
- @サプリッ!(日本テレビ、2005年9月終了)※「男前ニュースコーナー」に出演
- ヴァケスケ(フジテレビ、2006年3月終了)※準レギュラー
- NHK趣味悠々 ([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ)『中高年のための 楽しいサイクリング生活入門』(2006年9月7日~2006年10月26日、全8回)
- 共演 講師 丹羽隆司(にわ たかし)生徒 奥山佳恵(おくやま よしえ)
[編集] テレビドラマ
[編集] NHK
- 大河ドラマ
- マイ・ポンコツ車 (1967年 NHK劇場)
- はだれゆき (1973年)
- さようならの夏 (1975年 銀河テレビ小説)
- いごっそう段六 (1976年)
- 高層の死角 (1977年 土曜ドラマ)
- 魂の夏 (1980年 土曜ドラマ)
- 海辺の家族 (1980年 銀河テレビ小説)
- 海峡 (1981年 ドラマ人間模様)
- 雄気堂々 若き日の渋沢栄一 (1982年)
- 夢家族 (1985年)
- ビジネスマン空手道 (1995年)
- 余命半年 (1998年 NHKドラマ館)
- あすか (1999年~2000年 NHK朝の連続テレビ小説) (宮内禄太郎 役)
[編集] 民放
- ゴールドアイ (1970年 東映、日本テレビ)
- 仮面ライダーシリーズ (仮面ライダー1号/本郷 猛 役)
- 仮面ライダー (1971年~1973年 東映、毎日放送)
- 仮面ライダーV3 (1973年 東映、毎日放送)
- 仮面ライダーストロンガー (1975年 東映、毎日放送)
- 全員集合!7人の仮面ライダー!! (1976年 東映、毎日放送)
- 私は忘れたい (1972年 TBS)
- 愛のはじまるとき (1973年 フジテレビ)
- 思い橋 (1973年 TBS)
- 白い牙 (1974年 大映テレビ、日本テレビ) (有光洋介 役)
- 白い華燭 (1975年 TBS)
- 愛と死の夜間飛行 (1977年 TBS)
- 特捜最前線 (1977年~1987年 東映、テレビ朝日) (桜井哲夫 役)
- 霧氷 (1977年 フジテレビ)
- 消えた巨人軍 (1978年 日本テレビ)
- 愛の殺意 (1979年 TBS)
- 関ヶ原 (1981年 TBS) (加藤清正 役)
- 二人の武蔵 (1981年 国際放映、フジテレビ) (岡本武蔵 役)
- 望郷 美しき妻の別れ (1983年 フジテレビ) (石泊守幸 役)
- 五稜郭 (1988年 ユニオン映画、日本テレビ)(松平太郎 役)
- オジロの海 (1990年 テレビ東京) (龍岡 役)
- 明日があるさ (2001年 日本テレビ) (第7話・マッスル佐々木 役)
- カバチタレ! (2001年 フジテレビ) (さわやかなライダー 役)
- 3年B組金八先生 第6シリーズ (2002年 TBS) (鶴本佑介 役)
[編集] 映画
- アンコ椿は恋の花 (1965年 松竹) (猛 役)
- 若いしぶき (1965年 松竹)
- 血と掟 (1965年 松竹)
- やさぐれの掟 (1965年 松竹)
- さよならはダンスの後に (1965年 松竹)
- 青雲やくざ (1965年 松竹)
- 続・青雲やくざ 怒りの男 (1965年 松竹)
- 日本ゼロ地帯 夜の狙え (1966年 松竹) (恭二 役)
- 涙の連絡船 (1966年 松竹)
- 雨の中の二人 (1966年 松竹)
- 天下の快男児 (1966年 松竹)
- 東京無宿 (1966年 松竹)
- 青春の言葉より 風にきけ雲にきけ (1966年 松竹)
- かあちゃんと11人の子ども (1966年 松竹)
- 男の顔は履歴書 (1966年 松竹)
- スチャラカ社員 (1966年 松竹)
- 熱い血の男 (1966年 松竹)
- シンガポールの夜は更けて (1967年 松竹)
- あゝ君が愛 (1967年 松竹)
- 宴 (1967年 松竹)
- 宇宙大怪獣ギララ (1967年 松竹)
- また逢う日まで 恋人の泉 (1967年 松竹)
- 小さなスナック (1968年 松竹)
- 初恋宣言 (1968年 松竹)
- コント55号と水前寺清子の神様の恋人 (1968年 松竹) (岩野純一 役)
- 落ち葉とくちづけ (1969年 松竹)
- コント55号と水前寺清子のワン・ツウー・パンチ 三百六十五歩のマーチ (1969年 松竹) (谷口順吉 役)
- チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行 (1969年 松竹)
- 夕陽が呼んだ男 (1970年 松竹) (相良秀司 役)
- 仮面ライダーシリーズ 劇場版
- 仮面ライダー対ショッカー (1972年 東映) (仮面ライダー1号/本郷 猛 役)
- 仮面ライダー対じごく大使 (1972年 東映) (仮面ライダー1号/本郷 猛 役)
- 仮面ライダーV3対デストロン怪人 (1973年 東映) (仮面ライダー1号/本郷 猛 役) ※声の出演
- 五人ライダー対キングダーク (1974年 東映) (仮面ライダー1号/本郷 猛 役) ※声の出演
- 劇場版仮面ライダーアギト PROJECT G4 (2001年 東映) (警視総監 役)
- 野獣狩り (1973年 東宝)
- 日本沈没 (1973年 東宝) (小野寺俊夫 役)
- エスパイ (1974年 東宝) (田村良夫 役)
- 野獣死すべし 復讐のメカニック (1974年 東宝) (伊達邦彦 役)
- 東京湾炎上 (1975年 東宝) (館 次郎 役)
- 大空のサムライ (1976年 東宝) (坂井三郎役)
- 恋の空中ぶらんこ (1976年 東宝)
- 錆びた炎 (1977年 松竹)
- SFソードキル (1984年、米国)
- 香港・東京特捜刑事 (1988年、香港)
- K2 ハロルドとテイラー (1991年、米国)
- 愛について、東京 (1993年 パイオニアLDC、キネマ旬報社)
- ゴト師株式会社 (1993年 パル企画)
- ヤマトタケル (1994年 東宝) (クマソタケル 役)
- La VIE 共生! (1995年、Office 90)
- SHOGUN COP (1999年、米国)
- さくや妖怪伝 (2000年) (榊備前守芳明 役)
- ホーム・スイート・ホーム2 日傘の来た道 (2003年 シネマエンジェル) (鉄庵 役)
- ファンタスティポ (2005年 J-STORM) (武田芳郎先生 役)
- 逆境ナイン (2005年 アスミック・エース) (校長 役)
- いらっしゃいませ、患者さま (2005年 松竹) (三島武雄 役)
- 恋まち物語 (2005年)
- 恋するトマト (2006年 ゼアリズエンタープライズ)
- I am 日本人 (2006年 ギャガ・コミュニケーションズ)
- かにゴールキーパー (2006年 BBMC)
- 日本以外全部沈没 (2006年 クロックワークス、トルネード・フィルム)(石山新三郎 役)
- ユメ十夜 第八夜(2007年)(夏目漱石 役)
[編集] オリジナルビデオ
[編集] バラエティ番組
- 『元祖!でぶや』(2007年 テレビ東京系列) - ゲスト。
[編集] CM
- 日産 バイオレット(初代)
- フリスキー ワンプチ
- セガサターン (せがた三四郎 役)
- 氷上を道着で走ったり、コントローラを連続パンチしたり、といったアクションはすべて、吹き替えでなく本人自らが行った(1999年末のフジテレビ特番で本人が語った)。
- オートレース
- モランボン
- ネスカフェ サンタマルタX
- 静岡県 安全運転・思いやりパッシング運動
- 資生堂ウーノ
- コカコーラリアルゴールド
- 福井県米穀株式会社
[編集] 声の出演
- PS2用ゲームソフト 『キングダムハーツII』 (シャン・ユー)
- PS2用ゲームソフト 『仮面ライダー正義の系譜』 (本郷猛/仮面ライダー1号)
- DC用ゲームソフト 『シェンムー 一章横須賀』 (芭月巌)
- DC用ゲームソフト 『シェンムーII』 (芭月巌)
- CGアニメ 『ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン』 (ザンガン)
- PC用ゲーム 『FOOD FORCE』 (カルロス・サンチェス)
- ディズニー作品 『ムーラン』 (シャン・ユー)
- 劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ポケモンレンジャーと蒼海の王子 マナフィ (ファントム)
[編集] CDシングル
- レッツゴー!! ライダーキック (『仮面ライダー』主題歌) (B/W 仮面ライダーのうた 歌・藤浩一) (1971年 日本コロムビア)
- 第13話までのオープニングに使用。主役交代に合わせて第14話からは藤浩一バージョンが使用され、それに伴いシングルの音源も差し替えられた。そのため、藤岡バージョンが収録されているのは初回盤のみ。1980年代以降のLPやCDでは、企画意図によっては藤岡バージョンが収録されることも多い。
- 夕陽没ちても (B/W 霧の友よまた逢おう) (1972年 ワーナー・パイオニア)
- 右手に枯れたバラ (B/W BYE-BYE MEMORY) (1985年 ポニーキャニオン)
- セガサターン、シロ (1998年 ワーナーミュージック・ジャパン)
- 荒野のサムライ~明日に向って走れ~ (2006年 サウス・トゥ・ノース・レコード)
[編集] アルバム
- 愛こそすべて 合掌、(2005年 サウス・トゥ・ノース・レコード)
[編集] 著書
- 仮面ライダー 本郷猛の真実 (1999年・ぶんか社刊)
- サムライ学 (1999年・アスペクト刊)
- 熱血・藤岡弘の「人生に喝!」 (2002年・ビジネス社刊)
- 実践・五輪書-武道を通して学んだ宮本武蔵 (2002年・ビジネス社刊)
- 愛と勇気と夢を持て! (2005年・ごま書房刊)
[編集] 脚注
- ^ "藤岡弘に4億5000万円支払い命令" 日刊スポーツ: 2007-4-12. 2007年4月12日閲覧.