利用者:Atysn/テレビ神奈川
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Atysn/テレビ神奈川のデータ | ||
英名 | Television KANAGAWA, Inc. | |
放送対象地域 | 神奈川県 | |
ニュース系列 | - | |
番組供給系列 | 全国独立UHF放送協議会 | |
略称 | tvk | |
愛称 | tvk | |
呼出符号 | JOKM-(D)TV | |
呼出名称 | デジタル:テレビかながわ (デジタル)テレビジョン |
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開局日 | 1972年4月1日 | |
本社 | 〒231-8001 | 神奈川県 |
横浜市中区太田町2-23 横浜メディア・ビジネスセンター内 |
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演奏所 | 本社と同じ | |
アナログ親局 | 横浜 42ch | |
ガイドチャンネル | 42ch | |
リモコンキーID | 3 | |
デジタル親局 | 横浜 18ch | |
主なアナログ中継局 |
横浜みなと 48ch |
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主なデジタル中継局 |
平塚(SFN) 18ch |
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公式ホームページ | 公式サイト |
株式会社テレビ神奈川(テレビかながわ、Television KANAGAWA, Inc.)は、神奈川県を放送対象地域とする放送局である。
現在の放送局名はtvk。 地上波アナログ放送のコールサインはJOKM-TV。地上波デジタル放送のコールサインはJOKM-DTV。
神奈川新聞と資本や経営などで密接な関係を持つと同時に、地方公共団体(神奈川県と横浜市)からも出資を受けているため[要出典]、第三セクターに属する。
目次 |
[編集] 沿革
1972年4月1日、横浜市中区山下町にて独立UHF放送局として開局。
2004年4月、同市中区太田町に横浜メディア・ビジネスセンター(神奈川新聞社と同居)が完成。同年5月10日、開局以来30数年使われてきた中区山下町の社屋から移転。
2004年の社屋移転を契機として、局の愛称が長年使われた「TVKテレビ」から「tvk」に変更された。またこれと同時にコーポレート・スローガンとして「ヨコハマ開放区」が導入された(関連会社の一部では継続して旧ロゴ「TVK」を使用している)。
[編集] サービスエリア
[編集] アナログ放送
推計視聴可能世帯数:565万3千世帯(平成8年11月1日現在)[1]。 この他、アナログ波区域外に再送信しているケーブルテレビ局も多い。
[編集] デジタル放送
- 神奈川県内と東京都の大部分
- 山梨県中西部などの一部地域(ケーブルテレビ経由での視聴)
- 埼玉県・千葉県の一部(東京都内のビルなどに遮られ受信困難になることもある)
- 茨城県・栃木県・群馬県の一部(放送大学の電波の混信などの影響で受信困難な地域が多い)
(備考)デジタル放送整備状況[2]
- 2004年12月1日12:01 地上デジタル放送(18ch・リモコンキーID3)を開始。
- 2005年12月1日 平塚送信所(100W)が開局し、鶴見送信所の出力も能力上限の1kWとなる。
- これにより、神奈川県東部の全域と千葉県の一部と湘南地区の大部分(三浦半島の一部を除く)でも視聴可能となる。
- 2007年3月(予定) 小田原デジタル中継局の本放送開始。
- 対応する放送エリアは神奈川県南西部と静岡県伊豆半島東部。
[編集] キャッチフレーズ
- TVKism (ismはInformation Sports Musicの意味がかかっている)
- ジャンプ2乗 TVKテレビ
- サクッと見せるTVK
- ホネつきテレビ
- おかずテレビ
- テレビ~ニョ
- Good-bye TVKテレビ(2004年4月~2004年5月9日)
- ヨコハマ開放区 (2004年5月10日~)
[編集] 社屋・放送施設
[編集] 本社業務社屋
- 本社・演奏所
- 横浜市中区太田町二丁目23番地(横浜メディア・ビジネスセンター内) 〒231-8001
- 旧本社・演奏所(放送センター)
- 横浜市中区山下町69番1号 〒231-8542(現在はマンションになっている)
- 旧業務センター
- 横浜市中区山下町123番1号 クリードビル内 〒231-0023
[編集] 電波送信中継設備
- 山下町(山下町SSKビル)(◆63ch(SHF))
- 横浜みなと(◆48ch)、鶴ヶ峰(34ch)、根岸岡村(47ch)
- 大船(●38ch)、逗子(●47ch)
- 横須賀逸見(47ch)、衣笠(44ch)、大矢部(38ch)、横須賀鴨居(53ch)、横須賀武(●47ch)、久里浜(◆南方向は●47ch)
- 平塚(◆●31ch)、秦野(◆●61ch)
- 湯ノ沢(◆32ch)、南足柄(◆45ch)、山北(◆46ch)、小田原(◆46ch)、湯河原(◆●51ch)、仙石原(●48ch)
- 愛川(33ch)、串川(44ch)、青野原(45ch)、津久井(●48ch)、相模湖(47ch)、藤野(59ch)
[編集] スタジオ

[編集] 山下町旧社屋内
- 第1スタジオ(1F)
- メインスタジオ。開局記念特番「はばたけTVK」が最初の番組。その後、さまざまな番組に使用される。旧社屋末期には3台のカメラが常設されていた。
- 第2スタジオ(1F)
- ニュースやミニ番組の収録などを想定して作られた学校の放送室並みの超狭小スタジオ。しかし、1スタからのOAでコストがかかっていた昼ワイドの省力化から「スタジオ・きょう」(60分→のち45分)開始(1980年)時に改装され、カメラは当時珍しいリモコン操作が可能、生の無人運行が可能なスタジオとなった。「日本大通り情報」「おしゃべりトマト」「情報ステーション」「KICK OFF F・Marinos」、そしてユースケ・サンタマリア、IZAM、井手功二&佐々木ゆう子&久保弘毅、あかぎあい、木村カエラ時代の「saku saku(saku saku morning call)」はこのスタジオで収録されるなど、皮肉にも小回りが利くことからフル稼働となった。なお、前述のとおり1980年にサブを改修したため、1980年代中期のマスター、サブ更新まで1スタ収録の番組よりテロップなどの質がよかった。
- 第2スタジオ・サブコン(2F)
- 第2スタジオのサブコンとして、またSEAスタジオのサブコンとしても使用された。サブコンの端にアナウンスブースが併設されていた。
- 報道顔出しブース(報道部内)
- 開局から続いたワイドニュースが1983年になくなり(神奈川新聞系列下になる前の報道半放棄路線)、「おしゃべりトマト」および夕方のニュースは報道部の片隅のバックに新聞紙が積み上がったような粗雑な場所から記者が読んでいた。机に大きなマイクと「TVK報道部」のプレートがあったが、それがなければとても見せられる場所ではなかった。のちに簡易セットが設けられ契約女子アナが読むようになったが、あくまでオフィスの片隅であり、スポットライトもなく薄暗かった。1995年に廃止。
1985年頃まで22時台のスポットニュースは項目をブルーバックのテロップで表示、あとはポラロイド写真が出るだけだった。
- SEAスタジオ(3F)
- 1995年、社長室の一部を取り払いオフィス内に開設されたガラス張りのスタジオ。来るべきMXTV開局に備えスタートした「たてながHAMA大国」→「HAMA大国」、PUFFY、Say a Little Prayerの生放送時の「saku saku morning call」、ニュース、スポーツ番組(1998年の横浜ベイスターズ優勝特番も含む)はここから放送。SEAスタジオの名称は一般公募で決まった。「SEA」はオフィスが見える「see」の意味と横浜の海、そして「S」にSports、「E」にEntertainment、「A」にAreaをかけた。その後「SEA戦略」と局のステーションポリシーにも使用。第2スタジオ同様、小回りが利くため重宝された。「HAMA大国」放送中に小学生の社会見学でガラス越しに子供が手を振るのは、恒例だった。スタジオには3台のカメラが常設されており、うち1台はリモート式であった。
なお、3階には報道制作局と編成局、アナウンス部があり、SEAスタジオから見て上手に編成局、上手前方にアナウンス室と報道部、前方方向にミーティングルーム、下手にスポーツ部、制作部があった。その他、編集室が旧社屋南端に設けられていた。
[編集] 横浜メディア・ビジネスセンター内
- ヨコハマNEWSハーバー(横浜メディア・ビジネスセンター1F、HD/SD)
- tvk NEWSハーバー、1230アッと!!ハマランチョ、新車ファイル クルマのツボ[HV]
- 第1スタジオ(横浜メディア・ビジネスセンター2F~中3F、HD/SD)
- saku saku、オンガクのDNA[HV]、Hi!横濱編集局[HV]、TRY!神奈川[HV]、ニッポン早わかり[HV]、みんなが出るテレビ、KICK OFF F・Marinosなどさまざまな番組を収録するメインスタジオ。サブ、カメラなどはすべて新規納入。フルHD対応のスタジオであることから、一度、TVKエンタープライズを介して朝日放送の「富豪刑事デラックス」の収録に貸し出されたことがある。
- 第2スタジオ(横浜メディア・ビジネスセンター2F、現状SD)
- パペットマペットのサイエンスでしょ!?、tvkニュース、ニュース930、北原コレクション、深海魚など。新社屋はフルHD対応だが、2スタは今のところ減価償却の問題もあり、山下町のSEAスタジオの設備を改修(カメラにプロンプター設置、など)して再利用している。
- 第4スタジオ(横浜メディア・ビジネスセンター4F、現状SD)
- (報道制作局と編成局のオフィスの境にあり、敷居のような存在。4階にあるので4スタと呼ばれているに過ぎない)
tvkスポットニュース、深海魚などで使用。
「LOVE CHR」(2006年3月終了)は会議室で収録していた。
[編集] その他
- お天気カメラ
- 設置場所は次の2箇所。
- 横浜そごう屋上(1985.9 - 1998.3)
- 横浜ベイブリッジ・スカイウォーク(1989.9 - )
ベイブリッジカメラがメンテナンス時や故障時などは、鶴見川の河川事務所の監視カメラを利用することもある。かつて横浜そごうの休業日にはカメラが使えず、花の静止画のスライドやマスター室やサブの映像を使用していた。
[編集] 提携局
テレビ朝日系列の名古屋テレビ放送(メ~テレ・NBN)、静岡朝日テレビ(SATV)と社業全般にわたり交流を図り協力をする「相互協力に関する友好協力関係協定」を結んだ。これはtvkの親会社の神奈川新聞が朝日新聞と関係が深いことによる。2004年5月10日のtvk新社屋移転時に、メ~テレの番組「大須ぱっぱ屋」へ向けtvkの尾辻舞アナが新社屋を生放送で紹介をしたことも、この交流の一環である。
その一方で、tvkの人気番組「saku saku」を購入、放送していたメ~テレに対して、このことをよく思わないテレビ朝日から圧力があり[要出典]、「編成上の都合」というよく分からない理由により[要出典]、「saku saku」と「水曜どうでしょう」で交流のあった、同じくテレビ朝日系列の北海道テレビ放送(HTB)共々、2005年10月でメ~テレでの「saku saku」の放送が打ち切られた。
このような経緯があったものの両放送局の提携が解消することはなく、tvkの応接室には今もメ~テレのキャラ「ウルフィ」のぬいぐるみが飾られている(かつてはHTBの社屋には増田ジゴロウのパペットがそこらかしこにあった)。
[編集] アナウンサー
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アナウンサー記事に関する注意 :文中の所属先などの内容は永続的に保証されるものではありません。正確な情報は放送局の公式Webサイトなどでご確認ください。免責事項もあわせてご覧ください。
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[編集] 現職アナウンサー
男性3名、女性7名の計10名。
男性アナウンサー
女性アナウンサー
- 尾辻舞(おつじ まい、高知さんさんテレビより移籍)
- 佐藤亜樹(さとう あき、仙台放送より移籍)
- 中村理恵(なかむら りえ、富山テレビ放送より移籍)
- 仲山今日子(なかやま きょうこ、テレビ山梨より移籍)
- 東美咲(ひがし みさき、山梨放送より移籍)
- 三浦綾子(みうら あやこ、新潟テレビ21より移籍)
- 三崎幸恵(みさき ゆきえ、プロパー)
[編集] 退職アナウンサー
男性アナウンサー
- 阿部実
- 大野義和(現・FMヨコハマ取締役)
- 岡村光芳(元・石川テレビ)
- 田中大士(プロパー、現在はWOWOWのアナウンサー、有田真子は夫人)
- 久保弘毅(プロパー、1995年~2005年)
- 辻豊人(元・朝日放送)
- 豊川浩(元・テレビ岩手、現在は重役)
女性アナウンサー
- 藤村義美(元・エフエム東京)
- 青山頼子
- 原良枝(プロパー、後年、嘱託で一度復帰)
- 鎗田圭子
- 有田真子
- 上田陽子(プロパー、1989年~1993年、結婚退社、現姓・阪田)
- 秋山雅子
- 長瀬佳美(元・テレビユー福島)
- 鈴木美佳
- 平松由美
- 武田川彩子(元・静岡朝日テレビ)
- 松本麻美(元・K-MIX)
- 内田朱美(1998年~2000年)
- 清水美穂(元・長野朝日放送、2000年~2001年)
- 森麻緒(元・中部日本放送、2000年~2001年)
- 野澤はづき(プロパー、1997年~1999年、結婚退社)
- 松本尚子(元・南日本放送、2002年~2003年)
- 野中美里(元・新潟テレビ21、1999年~2005年、後年は正社員)
- 相賀真理子(元・北海道放送、2003年~2005年、結婚退社)
- 大原裕美(元・静岡放送、2004年~2006年、結婚退社)
(備考)
- 女子アナでは鎗田圭子アナ、原良枝アナがtvkの歴史上欠かせない存在。看板生番組『おしゃべりトマト』『TVグラフィック42番街』の司会を勤めるなど人気アナであった。原アナは美人で在京メディアが取材に来るほどであった。逆に鎗田アナはテレビ局よりラジオ局のアナを任せた方がよいのではないかというほどのマシンガントークぶりで「ヤリケイ」のあだ名で親しまれた。時に暴言失言をした(大晦日の生番組で三浦半島の方言をみのもんたとバカにしたり等)りしたが、許せる存在であった。退社後、原は「かながわTODAY」の司会を近年まで務めていたが、鎗田は「かながわ・ゆめ国体」関連の番組が最後になっている。なお、『おしゃべりトマト』最終回時には歴代出演者が総登場したが、原は都合がつかず、また鎗田は妊娠中のためVTR出演した。
- 豊川浩アナはサッカーに非常に詳しく、Jリーグ草創期に活躍した。
- 岡村光芳アナはアナウンス部長まで上り詰めた人物だが、退社して第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で立候補、落選し公選法違反で逮捕された。TVKニュースはそれをトップで大々的に報じた。最近まで身内だった人間にそこまでしたのは男性アナウンサーを何人か退社させたり等、人心掌握に長けてなかったのが理由らしい。今はVTRを流す機会があると映像にモザイクがかかる。
- 退社ないし契約満了のアナウンサーが高校野球期間中の「tvkスポットニュース」や「試合速報本部」のナレーションに臨時登板することがある。
[編集] 輩出アナウンサー
歴代の昼ワイド(「おしゃべりトマト」~「HAMA大国」)のアシスタントはアナウンサー志望大学生の登龍門となっていた。そのエッセンスが「みんなが出るテレビ」に受け継がれている。
[編集] 放送記録
[編集] 番組
- 詳細は利用者:Atysn/テレビ神奈川番組一覧を参照
[編集] CM
- 詳細は利用者:Atysn/テレビ神奈川CM一覧を参照
[編集] 局名告知
放送局が一日の放送を開始・終了する際の放送(局名告知、ジャンクション)において、本放送局が開局から現在までに放送した内容を年代順に以下に記す(OP:放送開始時、ED:放送終了時)。
- 開局(1972年)~1977年
- 1977年~1984年
- 1984年~1989年
- OP:横浜港と三ツ池送信所(音楽はカシオペアの「SunnySide Feelin'」)
- ED:氷川丸と夜の横浜市内(関内、尾上町、伊勢崎町等)とTVK42の看板(同)
- ナレーション:青山頼子
- ※1986年~1988年頃まで、OPの映像は変更なし。ナレーションを鎗田圭子に変更したものが存在する。
- ※この期間に大船と仙石原の各中継局が開局するが、テロップの変更以外に変更なし。
- 1989年~1993年
- OP:神奈川県内の映像(各名所の説明テロップ付き)(同)
- ED:氷川丸と夜の横浜市内、TVK42の本社演奏所屋上看板(同)
- ナレーション:鎗田圭子
- 1993年~2003年3月
- 2003年4月~2004年5月9日
- 2004年5月10日~現在
- OP:横浜の朝・日中の風景をデザイン化し、「tvk」のロゴを飛んで行く電波としてイメージ化したもの。
- ED:横浜ランドマークタワーと横浜ベイブリッジなど、横浜の代表的な夜景をデザイン化した映像。また、デジタル放送は静止画による横浜市の観光スポットの朝、夜を放映。
- ナレーション:不明
[編集] 時刻表示
本放送局が放送映像上に現在時刻の文字を送出し表示する時間帯は以下のとおり。
- 平日:5:30~10:00 (※1)、11:30~13:58、17:00~18:58 (※2)
- 土日:5:30~9:30
※1:平日朝7時台の経済番組放送時は、同番組内で独自に現在時刻の表示をしているため、本放送局の送出による時刻表示はない。
※2:ベイスターズナイター放送等があるときは表示される時間帯が変更される。
- かつては、一日の放送開始時のフィラーやNHKと同様に、正時0分0秒から10秒間表示されていた。表示位置は画面左上。その後フィラーと番組「トマトパーティ」内(CM中を除く)において画面右下に変更。1984年~1989年に段階的にマスター改修が行われたが、本格的な時刻表示は1999年春から。表示時間帯は以後一貫して変わらない(経済ニュースや「KEIRIN(けいりん)レーダー(競輪番組)」放送中を除く)。
- ベイブリッジのお天気カメラ映像のフィラーや、「saku saku morning call」が生放送の頃の一時期には、時刻の文字が巨大で色調もグラデーション(階調)表示されていた。
- なお、時刻表示フォントは、テレビ朝日、TOKYO MX、チバテレビなどと同じ“後期丸フォント”である(tvkのように東芝製のマスター使用局で、後期丸フォントを使用しているのは北日本放送、仙台放送など)。
[編集] エピソード
[編集] 経営関係
- もともとは神奈川県を筆頭に、横浜市、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、中日新聞(5紙が同じ持株数を堅持)、ラジオ関東などが主要株主で、TVK自体が報道というものを半ば放棄していた時期もあり(1983年~2002年)、神奈川新聞の陰は薄かった。神奈川県が経営権を握っていた頃は、平日9:35~11:00、金曜夕方に神奈川県教育委員会制作の教育放送(学校放送)が組まれていた(「のびる子きょうしつ」はその生き残り)。経営は80年代前半まで実に苦しいものだったが、まだBSアナログ放送がなく番組表がキー局の横に大きく載るなどしていたので、倒産寸前までいった千葉テレビ、またテレビ埼玉よりまだ恵まれていた。
- 経営不振で80年初頭にリストラなどで壊滅状態になっていた制作体制だが、90年代初頭の自社制作率は約70%にまでなり、東のTVK、西のKBS京都であった。むろんキー局を除けばダントツの数字である(キー局系列局では朝日放送の約45%が最高であった)。
- かつて横浜そごう(現・そごう横浜店)とTVKの関係は緊密で、「キャプテンロコスタジオ」(2F)「みなとみらい21スタジオ」(地下1階)という2つのサテライトスタジオを設け、「カフェシティ」やかねてからあった夕方のミューコム制作の生番組に威力を発揮した。しかし、バブル崩壊後にそごうが経営不振に陥ると、それらの番組は打ち切りとなり、ついにはスタジオ閉鎖、横浜そごうのTVK持株売却、これにあわせ神奈川県の財政危機と東京MXテレビの開局がTVKにはカウンターパンチとなり、売上が20億円以上も減少(売上最高期の1/4近く)、自社制作番組はどんどん減り(70%→40%)、2002年に売上で東京MXテレビに、2003年にはとうとう自社制作率でもテレビ埼玉に抜かれる事態となった。理由としては、公安出身者を社長に派遣するという報道機関にはあってはならない人事が県の意向で行われた事、「ワンソフト・マルチユース」の意味をはき違えた再放送中心の番組編成(ほとんどの番組を再放送して枠を埋める)により、社内の士気が失われていった事などが挙げられる。
- まさに存亡の危機的状況のなか、TVKの凋落を見て「県が県域メディアを経営する時代は終わった」という岡崎洋県知事(当時)の意向により2001年に株式売却により経営権が神奈川県から神奈川新聞社に移ることとなった。当初は新聞社とテレビ局の違いもあって両社の連携はしっくりいかなかったが、その後、第三者割当増資(県内市区町村、共栄社などが応じる)、新社屋(横浜メディア・ビジネスセンター、このビルをもってtvkはテナントビルに入居したと評した人物がいるが、土地は神奈川新聞社所有で、建設はかなしんとtvk、横浜産業振興公社との共同事業体なので誤り)建設・移転、「ヨコハマ開放区」のVI導入(電通との本格タッグ開始)、県域独立U局初の地上デジタル(2004年12月1日、東京メトロポリタンテレビジョンはキー局と同時、サンテレビはtvkと同時スタートだったが、tvk以外はどちらも簡易マスターでの完全アップコンバート放送でのスタートであり、両局の自社制作のハイビジョン番組の供給は2006年になってからであるので、tvkが初の本格スタートといえる)、独立U局には珍しいインデックス社との提携による携帯公式サイトオープン(全キャリア対応)など、積極的な戦略に出ることになる。これにより、2005年度は3期連続増収、新社屋移転後初の黒字決算を達成、売上もMXTVを再び抜いた。自社制作率もキー局を除くトップに返り咲き「独立U局の雄」の復権を果たした。
[編集] 放送技術・設備関係
- 80年代のフィラーは横浜そごうにお天気カメラが設置されるまでカラーバーであり、下部に42TVKテレビという表示に時刻が表示されていた。音声多重放送開始後は前述の42のマークが消え、上部にTVKテレビの表示、下部に時刻表示とCD(Compact disc Digital AUDIO)のマークが表示されていた。当時はまだCDが本格的に普及していなかったので、音声多重(ステレオ)放送とともに高音質をアピールするためと思われる。
- 1980年代に入った頃はキー局が音声多重放送開始と共にとっくに辞めていたフィルム主体の送出を未だ行っていたため、往時は特にCMやテロップが非常に古めかしいものであった(1971年開局の千葉テレビでもここまで酷くはなかった)。その後、音楽番組が多いことから、経営が好転しだした1984年に関東独立U局初の音声多重放送の試験免許を取得(翌年本免許)、以後、段階的にマスターを改修し、CMバンク導入、マスター送出のシャドウのないテロップ(2スタは改修されていたため、シャドウ、ワイプやロールなどが使用できた)などを解消、1989年にマスター更新を完全に終了し、カラーのアニメテロップや電子テロップ(興和製)なども使用できるようになった。電子テロップはその後ソニー製?(1995年)→ラムダシステムズ製(2002年)と変わった。現在はラムダ社の書体の他、ソニー製?テロッパで使用していたJTCウイン系の書体も併用している。
- 80年代半ばにプロ野球中継、東京・東都六大学・神奈川大学野球中継、高校野球中継で写研ナール体を使ったスコア表示(選手表示などは従前通りギザギザの電子テロップ)を実用化しており、これだけはキー局より見栄えがよかった。
- 今は各局で見られる天気予報の録音によるマスター自動送出システムを日本で初めて運用したのはTVKである。1986年春から実用化され、あわせて映像もキー局のようにCGによる天気予報となった(それまではただの字幕で、ニュース・情報番組以外での天気予報はなかった)。当時は音声は録音されたものをそのまま流すだけであったが、1999年から音声の組み合わせによるリアルタイム放送を可能にした。
- 横浜そごうとのタイアップが行われていた1980年代中期~1990年代中期にかけては、横浜そごうが入居する「新都市センタービル」内に「スタジオロコ」「みなとみらい21スタジオ」という2つのサテライトスタジオを持ち、ここから正午の帯枠『カフェシティ・ヨコハマ』や夕方の音楽情報番組『ミュージックトマト』が生放送されていたほか、現在ベイブリッジ横にある情報カメラも、当時は横浜そごう屋上に設置されていた。
- データ放送に力を入れており、神奈川の県市町村単位の情報に特化、独立U局の意義や有り様を考えれば秀逸の出来である。また大日本印刷と共同開発したQRコードでの携帯端末への地図取り込み機能も備えている。ワンセグ放送では「ハマランチョ」や音楽番組、高校野球等で番組連動型データ放送も行っている。データ放送は地デジ開始より4ヶ月、ワンセグはチバテレビやテレ玉より2ヶ月遅れたが、その分、中味は充実している。(参考)。
- せっかくの新社屋設備であるが、機器の減価償却の関係で、現状HD率は高くない。フジテレビジョンと同様、機器を改修すればすぐHD化できる状態なので、予算が許す限り、徐々に進めると思われる(同局は当初HD率が非常に低かったが、もともとデジタル対応のインフラだったため、急ピッチで改修を進め、現在ではHD化率は非常に高い)。
- かつては独特の音色の3点時報も鳴っていたが、1986年のマスター改修で姿を消した。
- 前橋のフジテレビ地上波デジタル(42ch)が主に西埼玉でtvkアナログ親局とデジアナ混信を引き起こしており、埼玉県内のケーブルテレビは対応に追われた。テレビ熊谷は熊谷でのデジタル直接受信が難しいことから親会社のビック東海からの配信も検討したものの減衰の問題から再送信を停止した。しかしテプコケーブルテレビと川越ケーブルテレビはデジタルコースでの再送信で対応した。この面でもtvkは県外でも一定の支持をされていることが分かる。なお、その他のケーブルテレビは総務省通達[3]や設備[4]の問題もあり、デジアナ混信のまま再送信を続け、態度を保留している。
[編集] 営業・広報関係
- 携帯サイトは「saku saku」の出演者やキャラ、「みんテレ」のレポーターや、アナウンサーの着うた、着ボイス、着ムービーなど充実しており、キー局を除く地方局ではトップ3の加入者数を誇る。最近ではtvkがレコメンドするアーティストのCDのオンライン販売も開始した。
- tvkの新社屋移転とVI導入・新編成告知広告(コピーは「TVK、変わる。」)は、神奈川県内のJR東日本各線、東急、小田急、京急、相鉄、横浜市営地下鉄、みなとみらい線の他、東京メトロ全線にも掲示された。これは乗り入れ路線によっては埼玉・千葉のtvk受信不能エリアにも広告が行き届き、「tvkって何?」「あのtvkが?」といった様々な反響も呼んで、効果は絶大であった。
- 横浜みなと局開局の際は「キー局もTVKもこれ1本」というUHFアンテナ設置キャンペーンが行われた。
- 平塚デジタル(SFN送信)中継局が出力する電波はアナログ同様、垂直偏波であるが、これを知らない視聴者が、垂直偏波に対応しない簡易アンテナを購入し、受信できないというクレームが多発した。そのため都内を含む家電量販店に「平塚局は垂直偏波です」という垂直偏波の説明の張り紙が貼られるありさまであった(簡易アンテナはキー局でも東京タワーから30km圏内が限界のようである)。
[編集] その他
- かつてはキー局よろしくチャンネル数を模した■に○を配したものの中に42(42はただの太ゴシック)と書かれたマークが各所で重用されたが、80年代初頭に姿を消した。しかし、やはり隣県(というより東京)を意識してか、県央・県西や三浦半島では中継局受信となるのに「42」への数字の拘りは強かった。これは90年代前半の「♪Channel 42 Yokohama~」というジングルの穴埋めスポットや、ミューコムの武内和之プロデューサーが制作に関わった木村カエラ(木村のデビューのきっかけは木村本人が渋谷に武内プロデューサーを呼びつけアプローチしたことから始まる)のデビュー曲が「Level 42」というタイトルであったことからも伺える。
[編集] その他の神奈川県の放送局
- アール・エフ・ラジオ日本(RF)
- 横浜エフエム放送(FMヨコハマ・YFM)
- NHK横浜放送局(GP)
[編集] 脚注
- ^ TVKテレビ エリア表
- ^ デジタル放送のエリア表
- ^ 各放送局は免許区域を遵守し、CATVにも区域外再送信をしないよう通達している。しかしこれはあくまで「原則」論であり、再送信はテレビ局とCATVとで取り決めを交わせば何ら問題ない。実際、千葉・埼玉・神奈川でのMXTVデジタルの再送信や東京(イッツコム、としまテレビ)・山梨・埼玉のtvkデジタルの件を含めてもはや形骸化しているのが実情である。
- ^ CATVではUHFのデジアナ混在の状況から、帯域不足が深刻化している。CATV再送信や地元U局、近隣U局のデジタル再送信が未だ行われないCATVなどは、まさにこれに該当しよう。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
ドメイン名は「tvk42.co.jp」または「tvk-yokohama.com」だが、これは「tvk.co.jp」を大阪府のケーブルテレビ局「テレビ岸和田」に先に取られたためである。
◆◇関東地方のテレビ局◇◆ ◆◇NHKの放送局 総合1ch・教育3ch(2ch)◇◆ |
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