アエロフロート航空墜落事故
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アエロフロート航空墜落事故(―こうくうついらくじこ)とはアエロフロート・ソ連航空およびアエロフロート・ロシア航空の航空機による事故の総称である。
設立された1923年から1991年までのソ連時代の国内航空は全てアエロフロートが統括していたため、ソ連国内の航空事故の総覧でもある。そのため数も多く全てを把握していないことを留意のこと。
英語版ウィキペディア(アエロフロートの項)によれば、1953年以降に127件の人身死亡事故をアエロフロートは起こしており、6875名の犠牲者を出している。なおソ連崩壊後は各地の支社が独立したため、この総覧はロシアの航空事故の一覧とはなっていない。また1994年以降は人身死亡事故は引き起こしていない。
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[編集] アエロフロート・ソ連航空時代
[編集] 1950年代
- 1957年8月15日、アエロフロート航空のイリューシンIL-14P、ラトビア・リガからデンマーク・コペンハーゲンへ向かっていたがデンマーク国内の煙突に衝突し海に墜落。乗員乗客23名全員死亡。
- 1958年8月15日、アエロフロートのツポレフTu-104が乱気流に巻き込まれ墜落。乗員乗客64名全員死亡。
- 1958年10月17日、アエロフロートのツポレフTu-104、北京発オムスク経由モスクワ行きの便が乱気流に巻き込まれ墜落。乗員乗客80名全員が死亡。事故機の最期の通信から8月の事故と同様に人工水平儀と水平安定板に構造設計上の欠陥があることが判明し、安全対策がとられた。(詳細はアエロフロートTu-104連続墜落事故を参照のこと)
- 1959年11月16日、アエロフロート航空のアントノフAn-10、ウクライナのリヴォフに着陸進入中に墜落。乗員乗客40名全員が死亡。
- 1959年12月13日、アエロフロート航空のイリューシンIL-18B、アフガニスタン・カブールからウズベキスタン・タシケントに向かっていたがタシケント近郊に墜落。乗員乗客29名全員が死亡。
[編集] 1960年代
- 1962年6月28日、アエロフロート航空アントノフAn-10A(機体記号SSSR-11186)、ウクライナ・リヴィフからロシア・ソチに向かっていたが、ソチ空港へ最終進入中に無資格の航空管制官の経路変更の指示を受け、山岳地帯で変針した直後にアドレル近郊の山中に墜落。この事故で乗員7乗客81名全員が死亡。
- 1962年6月30日、アエロフロートのツポレフTu-104、イルクーツク発オムスク行きの便がクラスノヤルスク近郊で巡航中に墜落。事故原因は不明とされた、乗員乗客84名全員が死亡。
- 1962年7月28日、アエロフロート航空のアントノフAn-10A(機体記号SSSR-11186)、ウクライナ・リヴィフからロシアのアドラー行きの便が、アドラー空港への着陸進入中、標高600mの山腹に墜落。乗員乗客81名全員が死亡。事故機は管制から5000フィートまでの降下承認しか受けていなかったにもかかわらず、2000フィートまで降下し激突していた。
- 1962年9月2日、アエロフロートのツポレフTu-104A。ハバロフスクからペトロパブロフスク・カムチャツキーに向けて空港を離陸10分後に上昇中に墜落。乗員乗客86名全員が死亡。フライトレコーダーが破損したため原因は解明されなかった。
- 1963年7月13日、アエロフロート航空ツポレフTu-104B(機体記号SSSR-42492)モスクワからイルクーツク行きの便が、イルクーツク空港への最終進入中にイルクーツク近郊に墜落した。乗員乗客32名全員が死亡。
- 1964年9月2日、アエロフロートのイリューシンIl-18B、クラスノヤルスクからサハリンのユジノサハリンスク行きの便が、パイロットが早く降下しすぎたためユジノサハリンスク空港の手前の山に墜落。乗員乗客87名全員が死亡。
- 1965年11月10日、アエロフロート航空のツポレフTu-124V(機体記号SSSR-75538)、ムルマンスクへ着陸進入中に墜落。乗員乗客32名全員が死亡。事故機は1965年に製造された新造機であった。
- 1967年11月16日、アエロフロート航空のイリューシンIL-18、スベルドロフスク(現在のエカテリンブルグ)からクラスノヤルスクに向かっていた、スベルドロフスク空港を離陸直後に墜落。乗員乗客107名が死亡した。事故原因は地上が認識できない気象状況で計器が故障したにもかかわらず、予備の計器を使用せずにそのまま盲信したために姿勢制御を失い墜落したとされている。
- 1968年2月29日、アエロフロート航空のイリューシンIL-18D(機体記号SSSR-74252)、モスクワからクラスノヤルスクを経由しペドロパブロフスク・カムチャッキーに向かっていた便が、ブラーツク近郊上空26000フィートを巡航中に燃料漏れのために降下しはじめたが原因不明の要因で突然急降下した。途中高度10000フィートでターボプロップエンジンが主翼から4機とも分離し機体も空中分解した。乗員乗客82名のうち1名が奇跡的に軽傷で生還したが、そのほかは全員死亡した。
[編集] 1970年代
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- 1970年2月6日、アエロフロートのイリューシンIl-18、サマルカンドで管制ミスにより山岳部に墜落、生存者がいたが救助隊が向かうまで3日もかかり凍死した。乗員乗客92名全員が死亡。
- 1970年9月2日、アエロフロートのツポレフTu-124が、巡航中にコントロールを喪失し、ウクライナのドネプロペトロフスク近郊に墜落。乗員乗客37名が死亡。
- 1970年12月31日、アエロフロートのイリューシンIL-18V、レニングラードからアルメニア・エレヴァンに向かっていたが、複数エンジンのトラブルのためレニングラード近郊で墜落。乗員乗客93名全員が死亡。
- 1972年5月18日、アエロフロートのアントノフAn-10、ウクライナで構造欠陥から主翼が脱落し巡航高度から墜落、乗員乗客122名全員が死亡。そのためAn-10は運航を停止されそのまま引退した。
- 1972年10月13日、アエロフロートのイリューシンIl-62がモスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港への着陸に失敗、乗員乗客174名全員が死亡。
- 1973年5月18日、アエロフロートのツポレフTu-104がハイジャックされ、保安要員と犯人の銃撃戦が行われ、犯人が持っていた爆弾が炸裂しシベリア南部に墜落、乗員乗客81名全員が死亡。
- 1973年6月4日:アエロフロート所属のツポレフTu-144超音速旅客機、フランスのパリ航空ショーでデモフライト中に失速(戦闘機を回避するために急旋回したためといわれている)し、パリ郊外のル・ブールジェ空港近くに墜落。地元住人を含む7人が死亡。
- 1976年11月28日、アエロフロートのツポレフTu-104B、モスクワからレニングラードに向かっていたが巡航中に計器が故障し、誤ってバンク角を操縦乗員が限界まで引き上げて墜落。乗員乗客72名全員が死亡。
- 1977年5月27日、アエロフロートのイリューシンIl-62Mがキューバ・ハバナへの着陸進入中に送電線に接触し墜落。乗員乗客70名のうち68名と地上の1名の合わせて69名が死亡した。
- 1979年8月11日、アエロフロートのツポレフTu-134の2機(7880便と7628便)がウクライナ上空で管制ミスで空中衝突して墜落、双方の乗員乗客178名全員が死亡。同一航空会社、同一形式の中型旅客機による空中衝突は前代未聞の惨事となった。
[編集] 1980年代
- 1982年6月28日、アエロフロート8641便、レニングラードからキエフに向かっていたヤコヴレフYak-42が製造ミスによりベラルーシで墜落。乗員乗客132名全員が死亡。
- 1984年12月23日、アエロフロート3519便、ツポレフTu-154がクラスノヤルクス空港へのエンジントラブルによる緊急着陸に失敗、乗客1名が救助されたが乗員乗客110名が死亡。
- 1985年5月3日、アエロフロートのツポレフTu-134とソ連空軍のAn-26輸送機が管制ミスでリヴォフ近郊で空中衝突し双方とも墜落、両機の乗員乗客94名全員が死亡。
- 1985年7月10日、アエロフロート7425便、ツポレフTu-154がウズベキスタン上空を巡航中に昇降舵が故障し失速、パイロットも過労のため緊急事態に対処しきれずフラットスピンに陥って墜落。乗員乗客200名全員が死亡
- 1986年12月12日、アエロフロート891便、ミンスクを出発したTu-134Aが東ドイツ(当時)・ベルリン郊外の森林地帯に墜落。乗員乗客81名のうち72名が死亡。
[編集] アエロフロート・ロシア航空時代
- 1992年8月27日、アエロフロートのTu-134Aがロシアのイヴァーノヴォ空港への着陸進入中に機長の不適切な操縦により墜落。乗員乗客74名の全員が死亡、地上でも1名が負傷した。
- 1994年3月8日、アエロフロートのIl-86、ニューデリー空港で駐機中に訓練飛行中に墜落したサハラ・インド航空のボーイング737-200に巻き込まれ炎上、同機に搭乗していた4名が焼死。(厳密に言うと飛行中に発生したものではなく、アエロフロート側に責任はない)
- 1994年3月22日、アエロフロート593便、エアバスA310が機長が操縦資格の無い息子に操縦させたことが原因で墜落。乗員12名、乗客63名の全員が死亡。(アエロフロート航空593便墜落事故)
[編集] 関連項目
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