アエロフロート
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Aeroflot - Russian Airlines | ||
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IATA SU |
ICAO AFL |
コールサイン Aeroflot |
設立日 | 1932年 | |
ハブ空港 | シェレメーチエヴォ国際空港 | |
マイレージサービス | Aeroflot Bonus | |
会員ラウンジ | First Class Lounge (会員ラウンジ無し) | |
同盟 | スカイチーム | |
保有機材数 | 81機 | |
目的地 | 103都市 | |
親会社 | Aeroflot - Russian Airlines | |
本拠地 | ロシア連邦モスクワ | |
代表者 | Valery Okulov (会長) | |
ウエブ: http://japan.aeroflot.aero/ |
アエロフロート(Aeroflot、ロシア語:Аэрофлотアエラフロート)は、ロシアの航空会社。正式名称はアエロフロートロシア航空(Aeroflot - Russian Airlines,ロシア語:Аэрофлот — Российские авиалинииアエラフロート・ラシィスキイェ・アヴィアリーニイ)。モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港を拠点としている。ロシアを代表する航空会社で、いわゆる「フラッグキャリア」とされている。
目次 |
[編集] コードデータ
- IATA航空会社コード:SU
- ICAO航空会社コード:AFL
- コールサイン:Aeroflot
なお、「SU」は「Soviet Union」の名残。
[編集] 歴史
- 1956年 - ソビエト連邦初のジェット旅客機であるツポレフTu-104が初就航する。
- 1967年 - 東京にツポレフTu-114で初飛来(東京・モスクワ路線を日本航空と共同運航)
- 1968年 - 世界初の超音速民間旅客機としてツポレフTu-144が初飛行
- 1970年 - 東京・モスクワ線でアエロフロートと日本航空がそれぞれ単独運航を開始
- 1973年 - 新潟・ハバロフスク間に就航(現在はダリアビア航空が運航)
- 1977年 - Tu-144の定期旅客便がモスクワ・アルマトイ(当時はアルマアタ、カザフスタン)線で運行されるが、翌年に休止
- 1978年 - 成田開港によりアエロフロートも発着地を変更
- 1989年 - IATA加盟
- 1992年 - 初の西側製航空機としてエアバスA310を購入
- 1993年 - アエロフロートロシア国際航空へ社名を変更し、旧ソビエト国内における全ての民間航空輸送を独占していた体制から転換する
- 1994年 - 函館・ユジノサハリンスク路線が就航(現在はサハリン航空が運航)
- 1995年 - 青森・ハバロフスク路線が就航(現在はダリアビア航空が運航)
- 1996年 - 大阪発モスクワ経由パリ行き路線が就航
- 1998年 - 成田・サンクトペテルブルク路線が就航(現在は休航中)
- 1999年 - 東京発モスクワ経由マドリード路線が就航(現在は休航中)
- 2000年 - 新潟・イルクーツク線をこの年限りで運休(2004年にシベリア航空が夏季運航を再開)
- 2001年 - 社名をアエロフロートロシア国際航空からアエロフロートロシア航空へ変更
- 2006年 - スカイチームに加盟 ロシア製ワイドボディ機IL-86が引退
[編集] 概要
[編集] ソビエト連邦時代
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ソビエト連邦の国営航空会社として1923年に設立されて以来、ソビエト最大の航空会社として運営されてきた。特に第二次世界大戦後の冷戦期は、ソビエト連邦の航空技術を知らしめるショーウィンドウ的な役割を持ち、世界で2番目に実用化されたジェット旅客機であるツポレフTu-104や、世界最大級のターボプロップ旅客機であるツポレフTu-114の就航、世界初の超音速民間旅客機であるツポレフTu-144の就航などを担った。
戦争時や緊急時にソビエト空軍の運送部門へすぐに鞍替えすることができるよう、銃座を装備した大型輸送機を多数所有していた他、東側諸国の衛星国や、アフリカや南米などの遠方にある友好国への路線といった、外交関係を誇示することを第一目的においた採算を度外視した国際線を多く持っていた。また、西側諸国への路線の多くが外交官や諜報員の運搬に使われた他、西側諸国の上空の飛行時に、軍事施設の上を故意に飛行するなど、その活動範囲は一航空会社の枠を大きく超えていたと言われる(それがゆえに、冷戦末期にユジノサハリンスクから新千歳空港までの路線の開設を申請した際に、新千歳空港が自衛隊との兼用空港であることを理由に就航を拒否された経験がある)。
所有機の多くも空軍と共有していたことから、正確な数はいまだに不明ながら、世界最大の保有機数(旅客機、貨物機、ヘリコプター、軽飛行機等も含む)と従業員数を誇っており、「世界最大の航空会社」と呼ばれており、ギネスブックにもその旨が記載されていた。しかしながら、当時の東側諸国のサービス企業の多くと同様に、航空会社としてのサービス水準は西側のそれには遠く及ばず、それがゆえに西側諸国においては航空券の安さだけが選択の理由であるという状態であった。
[編集] 現在
1991年のソビエト連邦崩壊後は、事業分割や不採算路線の縮小を進めるなどのリストラを進めた他、新鋭機のイリューシンIl-96や西側のボーイング767、エアバスA320シリーズなどの導入を進めるとともにサービス水準の向上も図り、現在では旧西側諸国の航空会社並みのサービスを提供しているとの評価を得ている。その甲斐もあり、2006年には世界的航空会社アライアンスの1つであるスカイチームへの参加を果たした。(余談であるがソ連が崩壊した後、アエロフロートの旧式ソ連機がほとんど引退したため、新しい航空会社がロシア国内にたくさんでき、元アエロフロートの機体が今も活躍している)
[編集] 就航地
[編集] 世界有数の規模
ソ連崩壊後の会社の分割、その後のロシアの困難な経済状況と急激な航空料金の値上げによる乗客減を反映して路線を縮減する傾向にあるが、依然としてアエロフロートは世界有数のネットワークを持つ航空会社として世界各地に路線を広げている。かつて独占していた国内線は、モスクワ発着路線以外のほとんどが失われ、残った主要路線でも他社との競合にさらされている。
国内線の拠点空港はモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港第1ターミナル(シェレメーチエヴォI)であり、現時点でモスクワの主要3空港のなかでも交通アクセス、設備ともに最低レベルであるため、アエロフロートは国内線において必ずしも有利な立場にはない。ソビエト連邦時代よりハバナなど、西側諸国の航空会社があまり乗り入れていない都市にも乗り入れており、ネットワークの便利さも伺える。また、冷戦時代にはアフリカ各地の多くの都市にも乗入れていたが、1990年代後半には採算性の悪い路線の多くが運行停止された。
[編集] 日本線
日本では過去は複数の空港に乗り入れていたが、1990年代に関西空港線が短期間で撤退となり、地方発着路線を他のロシアの航空会社に譲ったために、現在は成田国際空港のみに乗り入れている。旅客便は永らくイリューシンのイメージが強かったが、その後エアバスA310、ボーイング777と推移し、現在は767を使用しての毎日運航である(2007年3月現在)。
スカイチーム加盟を表明したが、現在は第2ターミナルで運航しており、空港地上業務の多くを日本航空インターナショナルに委託している。2007年6月末に第1ターミナル北ウイングへ移転予定である。
ヨーロッパ便・中東方面への安価で有効期間の長いチケットが入手しやすいことから、日本からの学生旅行によく用いられる。また本邦在留の中南米国籍外国人が直行便の無い中南米方面との往来に際して、テロ対策強化を機に米国通過査証の義務付けなどからアメリカ経由便を利用し難くなったこともあり、モスクワ経由の同社便利用が増加するといった傾向が近年見られる。
[編集] アメリカ線
冷戦下でもアメリカへ乗り入れていた。この路線は冷戦下でも両国が民間では友好関係を保っていることの象徴的な存在という意味を持っており、それがゆえに、ソビエト連邦軍のアフガニスタン侵攻や、大韓航空機撃墜事件などのソビエト連邦が加害者となった国際的事件の際には、ソビエト連邦に対する抗議の象徴としてアメリカ側がアエロフロート機のアメリカ乗り入れを一時的に中止していた。
[編集] 主な就航地
[編集] 国内
- モスクワ
- サンクトペテルブルグ
- イルクーツク
- ハバロフスク
- ユジノサハリンスク
[編集] 国外
[編集] 保有機材
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旧ソ連時代は、使用機材のほぼ全てがツポレフ、イリューシン、アントノフなどのソ連内で製造されたものであった(例外はチェコスロバキア製L-410くらいしかない。)。1990年代以降は、ボーイング・エアバスなど西側機材の導入を進め、西欧路線にはエアバス機、日本路線には通常期はエアバス機、夏季等は大型のボーイング機、東欧やロシア国内の長距離路線には大型のイリューシン機(ロンドン線にも就航していた)、同短距離路線には小・中型のツポレフ機が使用されることが多かった。西側機が増えたせいか、IL-86が2006年11月に引退した。
しかし、最近ではフランクフルト、ローマ等、冷戦時代から西側に属していた国々にもツポレフ Tu-154M を就航させるなど、再びロシア機の活躍が目立つようになってきている。
なお、2006年12月現在のアエロフロート航空の保有機は以下の通りである。
- エアバスA321(Аэробус А 321) 3機
- エアバスA320(Аэробус А 320) 7機
- エアバスA319(Аэробус А 319) 8機
- ボーイング767-300ER(Боинг 767-300ER) 9機
- Il-96(Ил-96) 6機
- Tu-154M(Ту-154М) 25機
- Tu-134(Ту-134) 11機
- DC-10-40F(ДС-10-40Ф) 4機
(記載順、()内はロシア語による表記の転載)
この内「Il-96」はIl-96MまたはIl-96-300のことを、「Tu-134」はTu-134A-3のことを指している。機材はまた、日本航空より購入したDC-10は旅客用ではなく貨物機として運用されている。西側機材はすべてリース機で、RAの登録記号を持つロシア国籍の機体は存在しない。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- アエロフロートロシア航空(日本語)
- Aeroflot(ロシア語、英語)
- Aeroflot Airbus and Boeing fleet age(英語版)
- Aeroflot Fleet Details(英語版)
- Aeroflot Passenger Opinions(英語版)
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