クリント・イーストウッド
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クリント・イーストウッド(Clint Eastwood, 本名Clinton Eastwood Jr., 1930年5月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州、サンフランシスコ生まれの映画俳優、映画監督、政治家。身長187cm。
俳優として数多くの西部劇やアクション映画に出演し、トップスターの地位を確立した。 監督としても『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー賞作品賞と監督賞を2度ダブル受賞するなど、現代のアメリカ映画界を代表する人物と目されている。
息子として有名なのはジャズ・ミュージシャンのカイル・イーストウッド、娘は女優のアリソン・イーストウッド。彼ら以外に5人の子供がいる。
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[編集] 来歴
[編集] 生い立ちとデビュー後の不遇
- 父・クリント・イーストウッド・シニアと母・モーガン・イーストウッドの間に生まれる。スコットランド、アイルランド、ドイツ、イングランドの4ヶ国の血をひいている。家系はメイフラワー号の乗員で港町プリマスを統治したウィリアム・ブラッドフォードを祖とする名家であるが、幼い頃は世界恐慌の煽りを受け生活は苦しかった。
- オークランド・テクニカル・ハイスクール卒業後、朝鮮戦争の最中であった1951年に陸軍に召集され入隊。2年後の1953年に除隊後サウスカリフォルニアに移住。アルバイトの傍らロサンゼルス・シティ・カレッジの演劇コースを専攻する。1950年代初めにユニバーサル映画と契約を結ぶが、デビュー当初は『半魚人の逆襲』『世紀の怪物/タランチュラの逆襲』といったB級映画の端役しか与えられず不遇の時代を過ごす。
[編集] 『ローハイド』と2人の師との出逢い
- 1959年からCBSで放映されたテレビ西部劇『ローハイド』でロディという名のカウボーイを演じる。同作品は約7年間に亘り150話近く製作される人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は世界的に上昇した。1964年にはイタリアのセルジオ・レオーネ監督に招かれ、マカロニ・ウェスタンの嚆矢的作品『荒野の用心棒』に出演。その後『ローハイド』の撮影の合間を縫って『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と都合3作のレオーネ作品に出演。イーストウッドはレオーネを師と仰ぎ、レオーネの逝去まで親交を続けた。
- 『マンハッタン無宿』で出逢ったドン・シーゲルと再びタッグを組んだ『ダーティハリー』でイーストウッドは型破りな刑事ハリー・キャラハンを演じた。これはシーゲル作品として過去最大のヒットとなり、イーストウッドも人気アクション・スターとしての地位を不動にした。現在においても俳優としてのイーストウッドの代表作として真っ先に挙げられるのがこの作品である。人気を博した『ダーティハリー』シリーズは、この後4作品が製作された。
[編集] 監督業の成功
- 1968年に映画制作会社マルパソ・カンパニーを設立。1971年に『恐怖のメロディ』で初監督。俳優業の傍ら『荒野のストレンジャー』『アウトロー』などの作品を立て続けに発表。監督業に進出した他のハリウッド・スターと違い、所謂「大作」や賞レースに関わる作品への出演はせず、自らのプロダクションで製作した小規模ともB級とも呼べる作品でのみ主演し、監督業と俳優業を両立しながら地位を確立した。1987年の第45回ゴールデン・グローブ賞において、生涯の功績を称揚するセシル・B・デミル賞を受賞。
- 1992年、師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた“最後の西部劇”、『許されざる者』を監督兼主演で制作。第65回アカデミー賞監督賞、作品賞を受賞、第50回ゴールデン・グローブ賞監督賞を受賞した。この頃から『マディソン郡の橋』『ミスティック・リバー』といった文芸性の高い作品も手がけている。同2作品ではアカデミー主演男優賞にノミネートされた。
- 2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー作品賞/アカデミー監督賞のダブル受賞を果たす。74歳という、最高齢での受賞記録を樹立したバイタリティは、アクション映画で培われたものであろうと驚嘆の元に迎えられた。「単に監督もできる俳優」ではなく、「アクション映画から文芸映画まで幅広くこなせる、優れた監督兼俳優」という評価を確立した。
- 2007年1月、『硫黄島からの手紙』でゴールデン・グローブ賞最優秀外国語映画賞を受賞。
- 2007年2月17日、監督としての功績が認められ、仏シラク大統領からレジオンドヌール勲章を授与された。
[編集] 「硫黄島2部作」への挑戦
- 2006年に『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙』の2部作を発表。これはアメリカがかつての日米戦争において最大級の痛手を受けた「硫黄島の戦い」を、日米双方の視点から描くという前例のない方法で製作されている。『硫黄島からの手紙』は、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞作品賞・第32回ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀作品賞を受賞し、同年の賞レース最大の目玉として注目を浴びていたがアカデミー賞受賞はならなかった。なお、この映画に関連する話題として、同年1月ごろに南京大虐殺を題材とする中国映画『南京・クリスマス・1937』の監督にイーストウッドが抜擢されたというデマが流された。
[編集] 私生活その他人物像
- 古くからジャズに対する造詣が深く、『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』では、音楽担当のクレジットにもその名を連ねている。
- 政治活動への参加も積極的であり、1986年から約2年間カリフォルニア州カーメル市(en:Carmel-by-the-Sea)の市長を務めた。また、カリフォルニア州公認の共和党員でありながらリバタリアニズムを主張。自ら資金を調達し第37代カリフォルニア州知事グレイ・デイヴィスへ退陣を迫る投票を行い、民主的な政治家の政治への参加を求めるテレビCMを製作した。2003年5月には、当時開戦したばかりのイラク戦争と、開戦を敢行した国家の双方を「極めて重大な過ちを犯した」と批判。同じく政治論争に積極的で『ミスティック・リバー』で主演に起用したショーン・ペンがバグダッドに向かうのを説得して止めた。他にも、同性結婚に対して臆することなく持論を展開している。
- 1997年にファッションブランド「テハマ」(ネイティブ・インディアンの言語で「大自然」の意)を共同経営者名義で設立。同名のゴルフコースも所有している。
- 彼が出演した映画作品のチラシは映画ファンの間で、往年の大スターであるスティーブ・マックイーンと双璧を成すほど人気が高く、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』『華やかな魔女たち』『奴らを高く吊るせ!』といった作品の初版チラシに至っては1枚で数十万円単位まで価格が高騰しているものも存在する。
- 自分の監督作品で、アカデミー賞・助演男優賞を2年連続で獲得。『ミスティック・リバー』のティム・ロビンス(第76回・2003年)と、『ミリオンダラー・ベイビー』のモーガン・フリーマン(第77回・2004年)である。
- 「Clint Eastwood」という名前はアナグラムで「Old West Action(懐かしい西部劇)」となる。
- 1953年に結婚したマギー・ジョンスンとの間に1男1女をもうけ、ほかにフランセス・フィッシャーとの間に1女、ジーナ・ルイスとの間に1男など、合計7人の子供がいるとされる。ジーナ・ルイスとの再婚の際は、初婚のときに生まれた娘と同年代だということで話題になった。愛人だったソンドラ・ロックから慰謝料を求める訴訟を起こされたり、誹謗に満ちた自伝を出版されたこともマスコミを賑わせた。
[編集] 主な出演、監督、製作作品
- 『荒野の用心棒 Per Un Pugno Di Dollari』(1964年) 監督:セルジオ・レオーネ
- 『夕陽のガンマン Per Qualche Dollaro In Piu』(1965年) 監督:セルジオ・レオーネ
- 『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 Il Buono,Il Brutto,Il Cattiivo』(1966年) 監督:セルジオ・レオーネ
- 『奴らを高く吊せ! Hang 'em High』(1968年)
- 『マンハッタン無宿 Coogan's Bluff』(1968年)
- 『荒鷲の要塞 Where Eagles Dare』(1968年)
- 『ペンチャーワゴン Paint Your Wagon』(1969年)
- 『真昼の死闘 Two Mules For Sister Sara』(1970年) 監督:ドン・シーゲル
- 『戦略大作戦 Kelly's Heroes』(1970年)
- 『白い肌の異常な夜 The Beguiled』(1971年)
- 『恐怖のメロディ Play Misty For Me』(兼監督)(1971年)
- 『ダーティハリー Dirty Harry』(1971年)
- 『シノーラ Joe Kidd』(1972年)
- 『荒野のストレンジャー High Plains Drifter』(兼監督)(1973年)
- 『愛のそよ風 Breezy』(監督)(1973年)
- 『ダーティハリー2 Magnum Force』(1973年)
- 『サンダーボルト Thunderbolt And Lightfoot』(1974年) 監督・脚本:マイケル・チミノ
- 『アイガー・サンクション The Eiger Sanction』(兼監督)(1975年)
- 『アウトロー The Outlaw Josey Wales』(兼監督)(1976年)
- 『ダーティハリー3 The Enforcer』(1976年) 監督:ジェームズ・ファーゴ
- 『ガントレット The Gauntlet』(兼監督)(1977年)
- 『ダーティファイター Every Which Way But Loose』(1978年) 監督:ジェームズ・ファーゴ
- 『アルカトラズからの脱出 Escape From Alcatraz』(1979年) 脚本:リチャード・タッグル
- 『ダーティファイター 燃えよ鉄拳 Any Which Way You Can』(1980年)
- 『ブロンコ・ビリー Bronco Billy』(兼監督)(1980年)
- 『ファイヤーフォックス Firefox』(兼監督)(1982年)
- 『センチメンタル・アドベンチャー Honkytonk Man』(兼監督)(1982年)
- 『ダーティハリー4 Sudden Impact』(兼監督)(1983年)
- 『タイトロープ Tightrope』(1984年) 監督:リチャード・タッグル
- 『シティヒート City Heat』(1984年)
- 『世にも不思議なアメージング・ストーリー Amazing Stories』(1話監督)(1985年)
- 『ペイルライダー Pale Rider』(兼監督)(1985年)
- 『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場 Heartbreak Ridge』(兼監督)(1986年)
- 『バード Bird』(チャーリー・パーカーの愛称)(監督)(1988年)
- 『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』(製作総指揮)(1988年)
- 『ダーティハリー5 The Dead Pool』(1988年)
- 『ピンク・キャデラック Pink Cadillac』(1989年)
- 『ホワイトハンター ブラックハート White Hunter Black Heart』(兼監督)(1990年)
- 『ルーキー The Rookie』(兼監督)(1990年)
- 『許されざる者 Unforgiven』(兼監督)(1992年)
- 『ザ・シークレット・サービス In the Line on Fire』(1993年)
- 『パーフェクト・ワールド A Perfect World』(兼監督)(1993年)
- 『マディソン郡の橋 The Bridges of Madison County』(兼監督)(1995年)
- 『真夜中のサバナ Midnight In the Garden of Good And Evil』(監督)(1997年)
- 『目撃 Absolute power』(兼監督)(1997年)
- 『トゥルー・クライム True Crime』(兼監督)(1999年)
- 『スペース・カウボーイ Space Cowboys』(兼監督)(2000年)
- 『ブラッド・ワーク Blood Work』(兼監督)(2002年)
- 『ミスティック・リバー Mystic River』(監督)(2003年)
- 『ピアノ・ブルース Piano Blues』(監督)(2003年) 製作総指揮:マーティン・スコセッシ
- 『ミリオンダラー・ベイビー Million Dollar Baby』(兼監督)(2004年)
- 『父親たちの星条旗 Flags of Our Fathers』(監督)(2006年)
- 『硫黄島からの手紙 Letters from Iwo Jima』(監督)(2006年)
[編集] 参考資料
- 『クリント・イーストウッド アウト・オブ・シャドー』ドキュメンタリー(2005年)監督ブルース・リッカー
[編集] 関連する人物
- 山田康雄:ローハイド以降、ほとんどのイーストウッドの吹き替えを務める。
- 野沢那智:山田康雄の死後、映画の吹き替え(主にTV版)の大半を務める。
- 小林清志、納谷悟朗:山田康雄と『ルパン三世』などで共演していた縁で、山田の死後、それぞれビデオ版で『スペース・カウボーイ』、『目撃』の吹き替えを担当(TV版での担当はいずれも野沢那智)。
- 黒沢年男:『パーフェクト・ワールド』TV版吹き替え。
- 瑳川哲朗:『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』TV版吹き替え。
- 伊藤孝雄:『マディソン郡の橋』TV版吹き替え。
- 夏八木勲:『マディソン郡の橋』ビデオ版吹き替え。
- 津嘉山正種:『センチメンタルアドベンチャー』TV版吹き替え。
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