グリーンピース (NGO)
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グリーンピース(Greenpeace)は、国際的な環境保護団体(NGO)。オランダのアムステルダムに本部を置く。環境保全・自然保護の分野において、世界で最も有名な団体である。
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目次 |
歴史
1971年 アメリカ合衆国の核実験に反対する
アメリカ合衆国がアリューシャン列島のアムチトカ島で行おうとしている地下核実験に反対するために、1969年、カナダのバンクーバーに「波を立てるな委員会(Don't Make a Wave Committee)」という組織が誕生した。この組織は、のちに「名前がわかりにくい」という内部批判から、「環境」を意味する「グリーン(green)」と「平和」を意味する「ピース(peace)」をくっつけて、「グリーンピース(Greenpeace)」と改名した。グリーンピースの誕生である。
グリーンピースは、1971年、核実験を阻止することを目指し、アムチトカ島沖合いの公海に船を居座らせて監視をするという方法で圧力をかけるために、ぼろぼろの底引き網漁船「フィリス・コーマック(Phyllis Cormack)」をチャーターして船出した。これがグリーンピースの最初の直接行動である。なお、「フィリス・コーマック」が「グリーンピース1号」、その航海への反響で新たに雇って追加派遣した元カナダ王立海軍の退役掃海艇をチャーターした「エッジウォーターフォーチュン(Edgewater Fortune)」が「グリーンピース2号」と呼ばれている。
この航海は、アムチトカ沖の目標地点まで行き着くことはできなかったものの、あまりの反対の強さ・反響の大きさにたじろいだアメリカ合衆国は、結局その後のアムチトカでの核実験を断念、同地は自然保護区(バードサンクチュアリ)と宣言された。
この航海を通じて、「目撃者となること」「目撃したことを広く伝えること」などのその後の路線がある程度確立された。また、翌1972年5月4日には、グリーンピース財団(Greenpeace Foundation)に組織を変更した。
- 注釈
- この航海に関して、ボブ・ハンター(Bob Hunter/ロバート・ハンター Robert Hunter)著『虹の戦士たち~グリーンピース反核航海記』(原題は「Warriors of the Rainbow: A Chronicle of the Greenpeace Movement」)という本が社会思想社より出版されていたが、同社の解散により、現在(=2005年)は入手できない。
- また、しばしば日本国内では「欧米の手先」として批判を浴びるグリーンピースだが、設立当初より「反米」的な性格も帯びていたことに注意。
なお、この航海の際にメンバーのひとりがネイティヴ・アメリカンの伝承本を持参していた。その中に記載されていた「炎の目(Eyes of Fire)」という老婆が語った物語に、「虹の戦士(Rainbow Warrior)」という登場人物がいた。これは、世界が滅亡の危機に瀕したときに立ち上がる伝説の勇者の称号であるとされる。そこから「虹の戦士」はグリーンピースの活動家の自称となり、またグリーンピースを象徴するキャンペーン船の名称ともなった。この当時のグリーンピースのメンバーの多くはサブカルチャーにも理解を示す(あるいはサブカルチャーにどっぷりつかった)人々であり、決して欧米の考え方を無批判に是認し欧米流の生き方をしてきたわけではないという評価もある。
1972年 フランスの核実験に反対する
1972年には、フランスが南太平洋のムルロア環礁で行おうとしていた核実験に反対する航海を企画した。
この航海は、この時からグリーンピースに参加し、のちに代表となるデビット・マクタガート(David McTaggart)が指揮を執り、1973年にマクタガート自身の38フィート・2本マストの小さなヨット「ヴェガ S.V.Vega」を「グリーンピース3号」として核実験エリアの風下につけることで核実験を阻止しようとした。「グリーンピース3号」がそこにいる限り核実験が行えないため、フランス軍は軍艦を派遣して拿捕し排除した。しかしこのキャンペーンはイギリスなどでの大きな動きにつながり、グリーンピースの旗をエッフェル塔やノートルダム大聖堂に掲げるなどの行動が行われた(主義主張を記した横断幕を建物に掲げるといった「非暴力直接行動」の誕生)。
さらに翌1974年にもムルロア沖に船を出しての同様の抗議行動を行った。この時には、マクタガートらが拿捕しにきたフランス軍の兵士から過酷な暴行を受け重傷を負ったが、その暴行の写真の撮影と秘匿に成功し、直後にキャンペーンを行った。南太平洋における核実験反対運動は、フランス政府に恐れられ、のちにフランス国家によるグリーンピースに対するテロを引き起こすほどの衝撃を与えた。
なお、この行動の際に、フランス軍は、マクタガートらが乗船する「グリーンピース3号」を襲うために高速ゴムボート(ゾディアック Zodiac)を使った。その機動性に感動したことから、グリーンピースもゾディアックを導入し、海上での抗議行動に使うようになったと言い伝えられている。ゾディアックを使っての海上での抗議行動は、その後のグリーンピースの象徴ともなり、日本国内でも1997年に高レベル核廃棄物輸送船「パシフィック・ピンテール」の迎撃行動の際に青森県は六ヶ所村の東方海上で展開された。
- 注釈
- 捕鯨問題などに関してはフランスと共同歩調を取ることが多く、しばしば日本国内では「欧米の手先」として批判を受けるグリーンピースだが、この頃から今に至るまで途切れることなく、こと原子力問題では、フランス政府と激越に対立している。
捕鯨問題と環境問題への接近
同じ頃、ニュージーランド出身で、後に国際的な鯨類学者となるポール・スポング (Paul Spong)が、バンクーバーのグリーンピースに接近し、クジラをめぐる問題について注意喚起を行った。このスポングの接近は、グリーンピースが捕鯨問題に進出するきっかけとなった。
またこのことは、グリーンピースが「もっぱら反核を主張する組織」から「広くさまざまな自然保護問題について行動する組織」へと脱皮することにもつながった。1971年から参加していたポール・ワトソン Paul Watson らが主力となり、1975年から捕鯨船の目の前にゾディアックを繰り出して捕鯨に反対するというキャンペーンが開始された。なお、ポール・ワトソンは、1977年に「グリーンピースは軟弱に過ぎる」として袂を分かち、環境過激派の筆頭格とされる組織・シーシェパード Sea Shepherd を設立する。ポール・ワトソンが一時期グリーンピースに所属していたことから、シーシェパードの行動のいくつかが日本国内ではグリーンピースの行動と混同されている。
- 注釈
- 1972年にストックホルムで行われた国連人間環境会議が反捕鯨の潮流の原点であるとした上で、その背後にグリーンピースがいたとする説があるが、1972年の時点でまだグリーンピースは反捕鯨を主張していなかった。ストックホルム会議での鯨類保護決議はグリーンピースとは無関係である。
さらにその後、毛皮を目的とするアザラシの乱獲問題などにも手を広げた。1977年には、世界中に15ないし20程度の支部(グループ)が誕生しており、名実ともに国際的な環境保護団体となっていった。
1979年 グリーンピース・インターナショナルの設立
1979年10月14日に、それらの各国のグループを統合するかたちで、グリーンピース・インターナショナルが設立された。本部はオランダのアムステルダムに置かれた。なお、同年11月のグリーンピース・インターナショナルの会議に参加したのは、カナダ・米国・フランス・ドイツ・デンマーク・英国・オーストラリア・ニュージーランド・オランダの9カ国のグループの代表だったとされる。
1985年、フランス軍によるテロ攻撃
その後もグリーンピースは多方面のキャンペーンを展開しており、それまでの核実験反対なども継続していたが、その中で1985年7月10日に、グリーンピースがどれほどの影響力を持つにいたったかを如実に明らかにするような出来事が発覚した。
グリーンピースの帆走キャンペーン船「虹の戦士 S.V.Rainbow Warrior」は、ムルロア環礁におけるフランスの核実験に抗議・反対する航海のためにニュージーランドのオークランド港で出港準備をしていたが、この船が同日夜、爆破・撃沈された。この際、ボランティアとして乗船していたポルトガル人フォトグラファーのフェルナンド・ペレイラ Fernando Pereira が死亡した。爆破が衝撃的だっただけではなく、このとき「虹の戦士」は、小さなヨットなどから構成される抗議船団のための物資供給などを担当する母船として位置づけられていたために、核実験に反対する側の陣容にも大きな悪影響を与えた。
この爆破事件は、フランス情報機関(対外治安総局 DGSE)によるテロであることが突き止められ、ニュージーランドから逃げ遅れたフランス軍士官のテロ作戦指揮官2名が逮捕された。実行犯4名はヨットによって逃亡し、その後の消息は不明である。他にも逃亡に成功したフランス軍人はいるものと考えられている。フランスの国家をあげた犯罪だったため、旅券などはすべて偽造のものであった。逮捕された指揮官2名は偽造のスイス国籍の旅券を所持していた。
- 注釈
- この事件に関しては、サンデータイムズ・インサイトチーム著『虹の戦士号爆破事件:フランス情報機関の謀略』(原題は「Rainbow Warrior: the French attempt to sink Greenpeace」)という本が社会思想社より出版されていたが、同社の解散により、現在(=2005年)は入手できない。
- この事件はさまざまな小説・映画などで扱われている。たとえば佐々木譲の「ネプチューンの迷宮」はこの事件を基とした爆破事件から話が始まっており、景山民夫の「遠い海から来たCOO」にも同様の逸話がある(なお、小説「遠い海から来たCOO」には「グリーンピース」という名の国際自然保護団体が登場するが、それは武器を携帯するような戦闘的な組織であり、実在するグリーンピースとは大きく食い違っている。そのためグリーンピースは「誤解を招く」として抗議しており、映画では別名に差し替えらている)。また、2005年に公開された映画「スパイ・バウンド」は、この爆破事件の指揮官としてオークランドに滞在していて逮捕されたフランス軍のドミニク・プリウール Dominique Prieur 大尉の手記が原作となっている。
1995年、フランス核実験への抗議行動
虹の戦士号爆破事件から10年後の1995年、フランスはまたムルロア環礁での核実験を計画した。この際には、グリーンピースは総力を挙げて弔い合戦を決行した。撃沈された船の名を受け継いだ「虹の戦士2 S.V.Rainbow Warrior II」のほか、旗艦「グリーンピース M.V.Greenpeace」、最初のムルロア核実験反対行動から参加している「ヴェガ S.V.Vega」、チャーター船の「マニティア」、ゾディアック十数隻、グリーンピース号搭載のヘリコプターなどがムルロア環礁に集結して激しい抗議行動を繰り広げ、また呼びかけに応え各国から駆けつけた百隻を越える「平和船団」がムルロア環礁を取り囲んだ。
結局、この時も核実験を止めることはできなかったものの、あまりの抗議行動の激しさにフランス政府は以後の核実験を断念すると確約せざるを得なくなった。
現在のグリーンピース
活動分野
グリーンピースが展開する個々の活動については、あまりに幅が広く、簡単にまとめることはできない。主たる分野を列挙すると以下のようになる。
- オゾン層破壊:特定フロンをはじめとするオゾン層破壊物質の抑制。フロンを使わない炭化水素冷媒による冷蔵庫「グリーンフリーズ」の開発・普及。炭化水素冷媒のグリーンフリーズ型冷蔵庫は、グリーンピースの開発委託を受けたドイツのDKK社(その後フォロン社に名称変更)が、1992年に世界に先駆けて発表。1993年中にはドイツの他企業も追従し、また同時に断熱材に使われていたフロンも炭化水素などに置き換えられた。他国の大手家電企業へのグリーンフリーズ型冷蔵庫の生産要請なども行ってきた。
- 原子力問題:核兵器への反対運動は継続している。1993年には、ロシア海軍による核廃棄物の日本海への海洋投棄を摘発し日本に衝撃を与えた。また、原子力発電をはじめとするいわゆる「平和利用」に関する反対運動も展開(高速増殖炉や核燃料再処理、それに伴う放射能汚染問題・プルトニウム管理問題など)。1995年と1997年には、フランスから日本まで航路や輸送スケジュールが発表されていなかった核物質輸送船を追跡するプロジェクトを展開(前者はチャーター船の「スミット・ニューヨーク」、後者はキャンペーン船「ソロ M.V.Solo」が追跡船)。
- 化学物質汚染問題:塩素系化合物などを含む化学物質汚染問題や、その一部の原因となっているごみ処理・ごみ焼却処理の問題。日本では、ほかに瀬戸内海の豊島におけるシュレッダーダストの投棄問題などにもかかわっている。
- 気候変動問題:いわゆる「地球温暖化」。二酸化炭素をはじめとする温暖化ガスの排出抑制を目指している。エネルギー問題とも密接に関係するほか、特定フロンのかわりに導入された、オゾン層破壊係数が低いかわりに強い温室効果をもたらす代替フロンの使用抑制についても活動している。
- 主に日本国内での活動
- 共謀罪創設に対する反対アピール:2006年、日本政府の共謀罪(正式名称:組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律)関連法案の審議に対する反対運動や抗議の呼びかけ。
組織概要
本部はオランダのアムステルダム。支部は世界45国にある。世界全体でのサポーター(会費を払い活動を支援する会員)は290万人(日本は5500人)。有給専従職員は1000人(日本では17人)。
※いずれも2005年現在。
グリーンピース・ジャパン
グリーンピースの日本事務所(グリーンピース・ジャパン(GPJ))が設立されたのは1989年4月。それ以前にも日本にグリーンピースを名乗っていた人々がいることは確認できているが(たとえば太田竜など)、それらはグリーンピース・インターナショナルとは無関係であり、単に「欧米の派手な運動」として知られていたグリーンピースの名を勝手に使っただけのものである。
また、グリーンピース・ジャパンが設立されグリーンピースからの日本語による正式な声明が出されるようになるまで、対立する側が「グリーンピースはこう言っている、それはけしからんことだ」といった構造の批判的キャンペーンを展開してきたという経緯もあり、これが日本での悪い印象を生み出した一因になっているとも言える。捕鯨に関しては反対の立場にあるが、インターネットテレビで出演者が鯨肉を食べるところを放映するなど、一定の理解を示している。
活動に対する日本国内の評価
日本国内では、時として「エコ・テロリスト」[1]などと批判が挙がるほど過激な抗議行動から、「暴力的な行動を伴う団体」という印象も強い。しかしそれらの印象は、「他団体の行動との混同」や「欧米と日本における市民運動の様式の違い」といった背景の影響を指摘する意見もある。だが、彼らの活動の一部が違法行為にあたる可能性があることは否定できない。
グリーンピースの活動は、横断幕を掲げて建物によじのぼったり、キャッチフレーズを対象物に大書したりするような、欧米でも「かなり派手で目立つ」ものであった。ある意味で、グリーンピースは、「目立ってなんぼ」という、あたかも自然保護の分野でのイベント屋・広告代理店とでも言うべき戦略を採用してきた。
しかしながら、欧米流の非暴力直接行動などはあまり日本ではなじみのない手法であることから、しばしば逆効果になっているという批判もある。 また、船のスクリューに鎖を巻く等、一部の直接行動に対しては、日本政府などに「テロリズムである」と認定された例もある。
日本政府や水産業界・原子力業界との摩擦
1992年11月にフランス沖合いで、グリーンピースのキャンペーン船「ソロ」と、核物質を搭載して日本に向かっていた輸送船「あかつき丸」を護衛していた海上保安庁の巡視船「しきしま」の接触事故が生じている。
事故現場は、輸送船「あかつき丸」の後方数キロメートル地点で発生している。この輸送に際してグリーンピースは輸送経路を明らかにするために追跡を行うと予告していた。日本側は、その追跡船が「ソロ」であると誤認し、その追跡を断念させるためにソロに対して威嚇を行った際に操船を誤り衝突させたものと見られている。「しきしま」の異常な操船については、近隣の無関係な民間船舶からイギリスの航路管轄官庁への報告もなされている。この際も、日本側は「ソロがぶつけてきた」と主張しているが、ソロよりはしきしまの方が10ノット以上最高速度が速いこと、ソロはしきしまから見て右舷側に位置していたことなどを理由に、しきしま側の誤操船であると指摘する意見もある。
2001年12月、南極海で、日本の調査捕鯨船団と、グリーンピースの船「アークティック・サンライズ号」が遭遇した。 この際、日本の調査捕鯨を委託されている日本鯨類研究所の理事長である大隈清治は、グリーンピースを『エコ・テロリスト』だと批判するプレスリリースを発表、即座にグリーンピースは抗議声明を出している。
2005年12月に、南極海で調査捕鯨をしていた日本の捕鯨船の周辺で、グリーンピースの船が抗議行動を行って双方の船が接触する事件が発生した。双方にけが人は出なかったが、この時、グリーンピース側は今後も抗議活動を続けるという声明を発表していた。
それを裏付けるように、その翌月には、捕鯨船団に対しての抗議中にグリーンピースの活動家1人が海に転落する事件が発生した。 グリーンピース側は、「捕鯨船が狙っていたミンク鯨を守ろうとしていたボートから活動家が転落した」と主張しているが、 それに対し、日本鯨類研究所は、捕鯨船の陰に隠れていたボートが突然出現した画像を公開し反論、 グリーンピースの行動について、「報道機関の関心を維持するため、だんだん危険な行動をとっている」と批判した。
なお、この件に関して反捕鯨国であるオーストラリアの環境相が「人命を危険にさらすような戦術を人々が尊敬するとは思わない」とグリーンピースに対し自制を求めた。
2006年1月8日、南極海で日本船の調査捕鯨をを監視していたグリーンピースの監視船「アークティック・サンライズ」が、日本の捕鯨母船「日新丸」にぶつけられたと発表した。 一方、捕鯨船団を派遣した日本鯨類研究所は、他船に貨物を移し替える為停船していた日新丸に意図的にグリーンピースが追突したと発表し、両者の見解が対立している。双方共にビデオ・写真を公開して、事件の説明をしている。
2006年1月18日、捕殺調査名目での捕鯨に対して、死亡したナガスクジラの博物館への輸送の途上で、ベルリン市のデモ許可を取得してドイツの日本大使館前で公開するとともに、「ストランディング(漂着・座礁のこと)した鯨の調査で十分である」という意図を伝えるという抗議行動を行った。その後、この鯨体は博物館への輸送が続行されたが、日本では一部で「大使館前に放置した」という説が流れていた。
2006年2月17日には青森県六ケ所村に存在する日本原燃の使用済み核燃料再処理工場で2006年4月に開始される試験運転に反対する抗議行動として、原子力安全・保安院などが入る経済産業省別館の壁面に『STOP!再処理』と書かれたメッセージを投影した。
2006年2月21日夕方には青森県庁本館の壁一面に『放射能汚染、立入禁止』の文字と放射能マークが入った貼り紙の映像を投影している。この行動についてグリーンピースは、青森県議会の全員協議会で討議された六ヶ所再処理工場のアクティブ試験安全協定素案に問題があったためと主張している。
参照文献
- ^ "「エコ・テロリズム」発言などに対し、グリーンピース、日本鯨類研究所へ正式抗議" グリーンピース: 2001-12-14. 2006年11月16日閲覧.
関連項目
外部リンク
- Greenpeace International(英語)
- グリーンピース・ジャパン
- グリーンピース(英語版Wikipedia)
- ICFA・環境テロリストの行動を批判
- 鯨類捕獲調査における不法なハラスメント((財)日本鯨類研究所)
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