チャイニーズタイペイ
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チャイニーズタイペイ(中華台北、Chinese Taipei)は、中華民国(台湾)が国際連合を追放された1970年代以降、同国が国際社会に参加する上で、「中華民国」あるいは「台湾」という名称を使うことにより中華人民共和国の主張する「一つの中国」論に抵触して参加できなくなるという事態を避けるために、妥協として主権・国家承認問題を棚上げして用いる対外的な名義・名称である。
最初にこの名称が使われたのは、台北に本部を置く国内オリンピック委員会 (NOC)「中華奧林匹克委員會」の英文名称と、オリンピックへの参加名義としてである。このため「中華民国」という国名にかえ「中華台北 (Chinese Taipei)」名義を用い、国旗である青天白日満地紅旗を使用せずに(オリンピックでは代わりに後掲のオリンピック委員会旗を使用する)国際的な場に参画することを「オリンピック方式(奧運模式)」あるいは「オリンピック委員会方式(奧會模式)」と称する。オリンピック以外の国際競技大会や国際的な民間組織でも、中華民国・台湾の代表がオリンピック方式で参加している事例が多い。
その後アジア太平洋経済協力 (APEC)、旧GATTへのオブザーバー参加、世界貿易機関での加入名義の略称、また経済協力開発機構 (OECD) の一部委員会への参加など、国際組織(政府間組織)でも用いられるようになった。
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[編集] オリンピックにおける両岸問題
中華民国(中国)におけるオリンピック委員会の歴史は、1922年に上海に創設された「中華業餘運動聯合會(China National Amateur Athletic Federation=中華アマチュアスポーツ連合会)」が、同年パリで行われた国際オリンピック委員会 (IOC)年次総会でNOC「中國奧林匹克委員會(China Olympic Committee=中国オリンピック委員会)」として認められたことに始まる。1932年ロサンゼルス、1936年ベルリン、1948年ロンドンの3大会では、中国代表選手はこの体制の下で参加した。
国共内戦の結果、1949年に中国大陸に中華人民共和国が成立し、中華民国政府は台北に逃れた。1951年に「中国オリンピック委員会」は台湾に移転したとの通知がなされ、IOCに認められた。
1953年には中華人民共和国・北京に中国オリンピック委員会が設立された。1954年には、アテネで開かれたIOC総会で台湾海峡両岸の二つの「中国オリンピック委員会」がともに承認された。1956年のメルボルンオリンピックでは、中華民国が青天白日満地紅旗を掲げて参加することに抗議して、中華人民共和国が直前に参加を取りやめた。1958年には北京のオリンピック委員会が『二つの中国』をつくる動きに抗議するとして、IOCと複数の主要な国際競技連盟 (IF)を脱退、関係断絶を宣言した。
一方、1959年5月28日、IOC総会で台北のオリンピック委員会について、全中国を代表・統括していないとして、「中国オリンピック委員会」名義で承認し続けることはできないとの決議が採択された。台北のオリンピック委員会は、これを受けて即座に「中華民國奧林匹克委員會 (Republic of China Olympic Committee)」と改称しIOCに申請した。IOCは1960年にこれを認めたものの、試合には「台湾 (Taiwan)」または「フォルモサ (Formosa)」の名義を使用することを求めた。台北側は「台湾」名義の使用を受け入れず、同年のローマオリンピックでは入場式で「フォルモサ」の呼称が使われたことに対して抗議デモをしている。1968年、IOCではR.O.C.の名称を使うことで一応の決着を見た。
1971年国際連合総会で、中国の唯一の合法的代表は中華人民共和国であり「蒋介石の代表」を即時追放するという内容の2758号決議が通過したことにより、中華民国は国連脱退を宣言した。また1970年代、中華人民共和国は西側諸国との関係強化に乗り出し、中華民国は孤立化に追い込まれていく。こういった動きに対応するため、1973年台北のオリンピック委員会は、日本の日本体育協会に相当する「中華民國體育協進會」を分離して「中華奧林匹克委員會」に改組を行った。一方、1975年4月、中華人民共和国はIOCに復帰を申請した。書類不備を理由に棚上げされたが、国連と同様に一国一代表の前提に立ち台湾追放を条件(「国連方式」)としていたために難航し、中国復帰問題は当時のIOCと国際スポーツ界における最大の懸案の一つとなった。
1976年のモントリオールオリンピックでは、1970年に中華人民共和国と国交を樹立した開催国のカナダが「R.O.C.=中華民国」の呼称とその国旗である青天白日満地紅旗を使う限り、台湾からの選手団を受け入れられないとの方針をとった。IOCは1969年に交わした取り決めに反するとして非難したが、カナダは態度を変えず、この問題によりモントリオール開催の中止も検討された。IOCが示した「台湾」という呼称を使い五輪旗を掲げる妥協案を台北の中華奧林匹克委員會(R.O.C.オリンピック委員会)は受け入れず、アメリカでカナダ入国を待っていた選手団を呼び戻した。
中華人民共和国側はIOCとIFへの復帰交渉を通じて、「国連方式」を断念し台湾除名の主張を撤回、台湾を含む統一チームでの参加を主張して態度を軟化させ、さらに台湾は中国の一地域として別個のチームとして参加を認める、と段階的に譲歩した。
1979年10月25日、名古屋で開かれたIOC理事会の決議で、台北の中華奧林匹克委員會が「Chinese Taipei Olympic Committee」の名称のもと、旗・歌についてはそれまでのもの(中華民国の国旗・国歌)と異なるIOCが認めたものを使うという条件で残留し、中華人民共和国が「Chinese Olympic Committee(中国奥林匹克委员会=中国オリンピック委員会)」の名義で国旗五星紅旗と国歌義勇軍行進曲を使用してオリンピックに復帰することが認められた(名古屋決議)。その後、現行のシンボル、他のNOCとの対等な権利・地位、IOCや関連IFでの会員資格の保証が認められたことにより、1981年3月23日、中華奧林匹克委員會は名称(英文名称)・旗・エンブレムの変更を受け入れた。以降、このページではチャイニーズタイペイオリンピック委員会と表記する。
1984年のサラエボ(冬季)・ロサンゼルス(夏季)両大会から、台湾海峡両岸の選手団が共にオリンピックに参加するようになった。
1989年4月6日、中国オリンピック委員会主席(会長)何振梁とチャイニーズタイペイオリンピック委員会秘書長(事務局長)李慶華が香港で行った協議で、台湾のスポーツ団体の中国語名称を「中華台北」とすることで合意した。それまでChinese Taipeiの中国語名称について共通の認識がなかったが、翌1990年に北京アジア大会を控えとりまとめる必要があった。
[編集] オリンピック委員会旗
チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗(中華奧林匹克委員會旗)は、オリンピックに中華民国の選手が「中華台北」代表として出場する際に、中華民国の国旗の代わりに使用、掲揚される旗である。
同旗は白地で、国旗に使われる青白赤で中華民国の国花である梅をかたどり、その中に中華民国の国章(青天白日の紋章)とオリンピックシンボルである五輪をあしらったオリンピック委員会のエンブレムを中央に配置している。表彰式などでは国旗歌が演奏される。
また、チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗は、オリンピック関連ではない大会でも使用される場合がある。世界バレーやワールドベースボールクラシックなどの例がある。このほか、パラリンピックやユニバーシアード、個別競技の統括団体の旗・エンブレムも、多くがこのオリンピック委員会旗と共通するデザイン要素を有している。
[編集] 呼称問題
Chinese Taipei を中国語でどう表現するかは政治的にデリケートな問題である。
チャイニーズタイペイオリンピック委員会の名称は、前述のように対外名称である英語名称はChinese Taipei Olympic Committeeであるが、対内的な名称である中国語名称では「台北」の文字を使わず「中華奧林匹克委員會」としている。他の競技団体では、オリンピック委員会同様英語名称にChinese Taipeiを使うが、中国語名称を「中華民國○○協會」としている場合が多い。
台湾では、代表チームを「中華隊(隊=チーム)」と呼ぶのが一般的である。台湾本土化を支持する泛緑連盟系のメディア(自由時報など)では「台湾隊」という呼称を使用している。
一方中国大陸では、試合会場などの公式な場では「中華台北」と呼んでよいが、報道では「中国台北」と呼ぶべきであるとしている。なお、中国大陸では同じ文脈で香港は「中国香港」、マカオは「中国澳門」と呼ばれている。公式・対外的な場で中国語での呼称として「中国台北」が使われた場合には、台湾側が抗議を申し入れることがある。代表チームについて「中華台北」という名称が使われるのは、香港などに限られる。ただし香港においても大公報・文匯報といった中国系メディアは「中国台北」を使う。シンガポールでは「中国台北」と「中華台北」の双方が使われるが、前者が優勢のようである。
蒋介石・蒋経国政権時代、中華民国側が「台湾」や「フォルモサ」という呼称を拒否したのは、中華民国政府が中国を代表する正統政府であると主張していて、中華民国(中国全土)を代表する以上、台湾を称することはその正統性をおびやかすこと(「法理独立」)に繋がるからである。当時中華民国では民間団体であっても全国的なものの名称に「台湾」を使用することはできず、中華民国又は中国、中華を使用しなければならなかった。「台北」で落ち着いたのは、「ワシントン」がアメリカを表すような首都(政府所在地)名を国名の代わりに使う呼び方が慣習としてあり、台湾より受け入れやすかったからだといえる。本省人である李登輝総統が政権基盤を固め、「來自台灣的總統(台湾から来た総統)」としてシンガポールを訪問し「務實外交(現実外交)」を展開するようになる1989年3月以降とは状況が違っていた。なお、2005年7月陳水扁総統はAPECにおけるチャイニーズタイペイという名義について、「この名称には不満だが、尊重しなければならない。なぜなら、これはもともとの暗黙の了解」だからだと述べている(台湾週報「陳総統が韓国にAPEC首脳会議への出席を要請」)。
[編集] 使用例
[編集] スポーツ
- 国際オリンピック委員会(IOC)
- 国際パラリンピック委員会
- 国際大学スポーツ連盟(ユニバーシアード) - オリジナルデザインの旗を使用
- 国際アイスホッケー連盟(IIHF) - オリジナルデザインの旗を使用
- 世界空手道連盟(WKF)
- 国際サッカー連盟(FIFA) - サッカー協会旗を使用
- 国際自転車競技連合(UCI)
- 国際柔道連盟(IJF) - オリジナルデザインの旗を使用
- 国際ソフトボール連盟(ISF)
- 国際綱引き連盟(TWIF)
- 国際テニス連盟(ITF)
- 国際バスケットボール連盟(FIBA)
- 国際バドミントン連盟(IBF)
- 国際バレーボール連盟(FIVB)
- ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)
- 国際ラグビー評議会(IRB)
[編集] 国際機関
[編集] 例外
- 国際剣道連盟(FIK) - 中華民国(台湾)名義で参加。英文表記はROC(TAIWAN)
[編集] 同趣旨で用いられる名称
- 中国台北 (Taipei, China)
- アジア開発銀行
- 中華民国は創設以来のメンバーだったが、1986年に中華人民共和国が加盟した際、「中国台北」名義に変更された。これに抗議して中華民国側は1986年、1987年の総会をボイコット、1988年のマニラ総会から復帰、1989年には北京総会に出席。
- 台澎金馬個別関税領域 (Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu)
- 世界貿易機関