プラウダ
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プラウダ (Правда) はかつてのソビエト連邦共産党の機関紙であったロシア連邦の新聞、またそれを発行する出版社(新聞社)。ウラジーミル・レーニンによって1912年4月22日(ロシア旧暦、西暦では5月5日)に発刊された。プラウダとはロシア語で真実・正義の意。
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[編集] 概要
最盛期には発行部数は1,000万部を超え、かつては世界一の発行部数を誇ったが(ちなみに2位は日本の読売新聞)ソ連崩壊後発行部数を大きく減らした。それでも2000年代初頭においてロシアで第2位の発行部数がある。
ソ連時代は政府機関紙のイズベスチヤとともに国民に対する党・政府のプロパガンダ紙であり無味乾燥な公式発表とスローガンばかりで広告や写真の少ない新聞であった。党にとって都合の悪い事は極力書かれず、ときには事実をねじ曲げられ、捏造も行われた。多くの国民もそのようなことはわかっていたので行間を読む、裏を読むといったこで真実を探ろうとした。そのような状況から「ソ連の二大新聞プラウダとイズベスチヤの違いはなにか?プラウダにイズベスチヤ(ニュース)はなく、イズベスチヤにプラウダ(真実)は無い」というような小咄(アネクドート)も生まれた。
2000年代初頭にはUFOや超常現象、陰謀論などを扱うようになりこの方面でも注目されている。たとえば超常現象研究家のコンノケンイチはプラウダのサイトに載った「地球外文明によってつくられた月面都市」の記事を著書『UFOとアポロ疑惑 月面異星人基地の謎』で引用している。
[編集] 歴史
1912年にサンクトペテルブルクでレーニンによって発刊される。その後たびたび政府により発刊禁止と紙名を変えての発刊が繰り返される。
第一次世界大戦中は発刊されなかったが、1917年の2月革命後にペテルスブルグで復刊する。しかしケレンスキー政府により発刊停止を命じられる。10月革命でレーニンらボルシェビキが権力を握るとプラウダも再び発刊された。1918年にはソビエト政府とともにモスクワに移転する。革命後は党の機関紙として党員・一般国民に対して党の考えを伝えるプロパガンダ紙の役目を果たした。
ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ、グラスノスチ政策の時代にはイズベスチヤにくらべ保守的な記事が多く時にはゴルバチョフの政策を批判することさえあった。ソ連崩壊後は古き良きソ連時代を懐かしむといった論調も目立つものの内容はずっと軟化している。
[編集] プラウダの発行する主な新聞・雑誌
- プラウダ
- コムソモリスカヤ・プラウダ(Комсомольская правда)
- かつては青年同盟機関紙。日刊。
- アガニョーク(Огонёк、ともしびの意)
- かつてはソビエト共産党の機関誌、週刊。
- クロコディル
- セルスカヤ・ジーズニ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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