二俣川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界 > アジア > 東アジア > 日本 > 関東地方 > 神奈川県 > 横浜市 > 旭区 > 二俣川
二俣川(ふたまたがわ)は、神奈川県横浜市旭区にある地名で、1丁目と2丁目からなる。周辺の本村町・本宿町・南本宿町・さちが丘・今宿・中尾・中沢を含めた地域名として使われることもある。
相模鉄道二俣川駅が当地域の中心にあり、この駅からいずみ野線が分岐する。また、神奈川県運転免許試験場の最寄駅であることから、本試験場を「二俣川」と呼ぶことがある。
当地域は隣の鶴ヶ峰と共に、「二俣川・鶴ヶ峰副都心」として、横浜市の副都心に指定されている。また、旭区では二俣川のみ「丁目」の数字をアラビア数字で表す。
目次 |
[編集] 概要
二俣川駅周辺以外は住宅街である。厚木街道・鴨居上飯田線沿いは比較的平坦な谷間であるが、道の両側には坂が迫っている。旭区で一番栄えている地域であるが、区役所は隣の鶴ヶ峰にある。
二俣川駅の北側の中尾には、県内唯一の運転免許試験場がある為、神奈川県で運転免許を取得した人ならば、一度は行った事のある場所である。
二俣川駅・駅前は交通の要衝となっており、相鉄2路線、大きな通りが2本通っている。厚木街道と鴨居上飯田線を結ぶ陸橋は、両端に信号があるが、待機スペースが短い為、陸橋前後で慢性的な渋滞が起こっている。
2006年現在、南部の鴨居上飯田線が拡幅工事中である。
[編集] 畠山重忠
畠山重忠(はたけやましげただ)は、鎌倉時代の武蔵国男衾郡(現:埼玉県深谷市)の武士で、源頼朝の忠臣であった人物。
1205年、重忠のことを疎ましく思っていた北条時政は、重忠を討つために「鎌倉に異変あり、至急参上されたし」と偽りの手紙を重忠に送り、鎌倉に呼び寄せる。重忠は家臣たちを連れて埼玉の居城から出発し、二俣川付近まで来たときに、北条の軍が牧ヶ原(現:万騎が原)に大挙しているとの報を受けるが、退かずに鶴ヶ峰に布陣した。畠山軍(134騎)は北条軍(1万騎以上)と激戦を繰り広げるも、戦力の差が大きく、戦には敗れ、重忠は討死してしまう。
1955年6月22日に、没後750年を記念して、鶴ヶ峰と埼玉県川本村の有志が、万騎が原に「畠山重忠公碑」を建立した。二俣川古戦場周辺には、「重忠首塚」「すずり石水」「六ッ塚」「駕籠塚」など、重忠に纏わるものが多く残る。
[編集] 歴史
- 1205年 - 畠山対北条の「鶴ヶ峯の戦い」が起こる。
- 1830年 - 新編武蔵風土記稿に、「本宿村の東南の方なり、この地のつゞきなる隣村を今宿と云、恐らくはこの本宿は昔の驛場などにて、今宿ももとは二又川の内なりしが、一旦かの驛場を移せしことあるにや」とある。
- 1871年8月29日、廃藩置県により、神奈川県が誕生。
- 1878年7月22日 - 郡区町村編制法により、行政区画としての都筑郡が編成される。
- 1888年 - 市制施行により横浜市が誕生。
- 1889年4月1日 - 町村制の施行により、都筑郡今井村・二俣川村・三反田村・小高新田・市野沢村が合併し、「二俣川村」となる。
- 1926年5月12日 - 相鉄線二俣川駅が開業する。
- 1927年10月1日 - 横浜市の区制施行により保土ケ谷区が成立。
- 1939年4月1日 - 二俣川村が保土ケ谷区に編入され、「横浜市保土ケ谷区二俣川町」となる。
- 1964年 - 二俣川町・小高町の一部から新設され、「二俣川1丁目・2丁目」となる。
- 1969年4月1日 - 保土ケ谷区が再編成され、旭区が分区し、「旭区二俣川1丁目・2丁目」となる。
- 1976年4月8日 - 相鉄いずみ野線が開業する。
- 1989年5月28日 - 二俣川駅の鉄道設備改良工事により、二俣川が暗渠になる。
- 1990年 - 二俣川駅北口に共同ビル「相鉄ライフ」が完成する。
- 1996年 - 二俣川駅北口に再開発ビル「アルコット二俣川」が完成する。
- 横浜厚木線拡幅工事が完了。
- 1999年 - 二俣川駅の改良工事が完了。
[編集] 地名の由来
- 二俣川の由来は、帷子川と二俣川という、二つの川の合流点であるからという説や、二俣川とその支流が分かれる分岐点であるからという説など、いくつかある。
- かつては「二又川」「二又河」「二俣河」とも書いた。
[編集] 周辺
[編集] 二俣川
- 二俣川駅
- アルコット二俣川
- 長崎屋二俣川店
- 西友二俣川店
- 二俣川銀座商店街
- サンハート(横浜市旭区民文化センター)
- 神奈川県立ライトセンター
- セントラルフィットネスクラブ二俣川
- 三井住友銀行
- 横浜銀行
- 横浜昭和幼稚園
[編集] 本村町(ほんむらちょう)
1961年に二俣川町から新設された。
町名は、旧二俣川村にあった、最大規模の集落の中心だったことから。
- 横浜旭郵便局
- 旭警察署
[編集] 本宿町(ほんじゅくちょう)
1962年に旧二俣川町から新設された。
町名は、昔、宿場だったからだと考えられている。東部は鶴ヶ峰駅が最寄。
[編集] 南本宿町
- 旭消防署南本宿出張所
- 南本宿公園
- 横浜市立南本宿小学校
[編集] さちが丘
1964年に二俣川町、小高町、万騎が原の一部から新設された。町名は住民投票により、「幸」が多いようにと選ばれた。
- 旭消防署さちが丘出張所
- 日吉神社
- 長昌寺
- さちが丘ダイカンプラザスポーツメント
[編集] 中尾
1963年に二俣川町・小高町の一部から新設された。1996年に住居表示が実施され、中尾町から、中尾一丁目・二丁目となる。町名は、二本の川を持つ谷に南北を挟まれた、尾根・丘陵などを「中尾」と呼んだことから。県有地の占める割合が多く、2010年度から県施設の大規模な地区内移転が行われる予定。
- 神奈川県運転免許試験場
- 横浜中尾郵便局
- 神奈川県立がんセンター
- 神奈川県立二俣川看護福祉高等学校
- 横浜市立中尾小学校
- 中尾保育園
- 神奈川県立公文書館
- 神奈川県立よこはま看護専門学校
[編集] 中沢
1968年に旧二俣川町の一部から中沢町が新設された。1996年に住居表示が実施され、中沢一丁目~三丁目となる。町名は、帷子川から続く、低地の中央にある沢の意だと考えられている。
- 二俣川ニュータウン(東急が造成)
- 横浜富士見丘学園中等教育学校
[編集] 今宿(いまじゅく)
今宿村が1889年に都岡村に編入され、都岡村大字今宿となり、1939年に横浜市に編入され、今宿町となった。 1997年に住居表示が実施され、今宿町の一部を今宿一丁目・二丁目としてできた。町名は、本宿より後にできた「集落」という意味。宿場という意味ではない。
- 旭消防署今宿出張所
- 横浜今宿南郵便局
- 横浜市立旭中学校
- 二俣川ニュータウン
[編集] 万騎が原(まきがはら)
1963年に二俣川町・小高町の一部からより新設された。町名の「万騎」は、元々「牧」であり、牧のあった地域だと考えられている。西部は南万騎が原駅が最寄。
- こども自然公園
- 横浜市立万騎が原中学校
[編集] 周辺道路
- 神奈川県道40号横浜厚木線(厚木街道)
- 国道16号保土ヶ谷バイパス
- 自然公園通り
- 試験場通り
- ニュータウン通り
- 都市計画道路鴨居上飯田線
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 二俣川Style
- 横浜市都市整備局 二俣川・鶴ヶ峰駅周辺地区
- 神奈川県警 運転免許試験場のご案内
- サンハート
- 神奈川県立ライトセンター
- 神奈川県立がんセンター
- 神奈川県立二俣川看護福祉高等学校
- 横浜市立万騎が原中学校
- 横浜市立旭中学校
- 横浜市立二俣川小学校
- 横浜市立中尾小学校
- 横浜市立南本宿小学校
カテゴリ: 日本の地理関連のスタブ項目 | 横浜市