北海道札幌西高等学校
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北海道札幌西高等学校 | |
過去の名称 | 北海道庁立第二中学校 北海道庁立札幌第二中学校 北海道立札幌第二高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 北海道 |
併合学校 | なし |
創立 | 1912年 |
校訓 | 自由 自律 叡知 創造 |
教育方針 | やることはやる やるときはやる やれるだけやる |
創立記念日 | 5月1日(開校記念日) |
創立者 | 不明 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型連携型ともになし |
分校 | なし |
課程 | 全日制 定時制 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | なし |
専攻科 | なし |
別科 | なし |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒064-8624 |
北海道札幌市中央区宮の森4条8丁目1 | |
電話番号 | 011-611-4401 011-611-4403(FAX) |
外部リンク | 公式サイト |
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北海道札幌西高等学校(ほっかいどうさっぽろにしこうとうがっこう)は、北海道札幌市中央区にある公立(道立)高校である。全日制普通科、定時制普通科を併設。
目次 |
[編集] 沿革
- 1912年7月8日 「北海道庁立第二中学校」の名称決定。
- 1912年9月30日 札幌市北3条西19丁目に起工。
- 1913年4月1日 開校
- 1915年 校名を「北海道庁立札幌第二中学校」と改称。
- 1923年5月7日 札幌中等夜学校として定時制が開校
- 1933年 定時制が「札幌夜間学校」と校名変更
- 1943年 定時制が「札幌第二中学校夜間部」となる。
- 1947年 学制改革により、「北海道立札幌第二中学校」と改称。
- 1948年 「北海道立札幌第二高等学校」と改称、定時制も「札幌第二高等学校夜間課程」となる。
- 1950年 男女共学実施、校名を「北海道札幌西高等学校」と改称。定時制も「北海道札幌西高等学校定時制」となる。定時制の厚別分校、琴似分校を設置。
- 1960年7月9日 火災により、校舎の大半を焼失。
- 1962年 現在地に校舎建築、移転。
- 1972年 制服廃止、服装自由化。
- 1984年10月30日 - オレゴン州・ポートランド市、ウッドロウ・ウイルソン高校の姉妹校となる。
- 1994年 屋内体育館・格技場改築。屋内プール完成。
- 1995年 現校舎完成。移転。
- 1996年 落成記念式典、輔仁会館(同窓会館)完成
- 1997年 第二体育館完成
- 2005年 定時制に3年間での卒業単位を取得を可能とする制度が始まる。
[編集] 校訓
「自由、自律、叡知、創造」
[編集] 行事
- 入学式
- 羅針盤セミナー(現役生徒に対する先輩の講演)
- 大運動会
- アトリウムコンサート
- 芸術鑑賞
- 西高祭(文化祭)
- 体育大会
- 見学旅行
- クリスマス
- 節分
- 卒業式
- サイエンス・パートナーシップ・プログラム(SPP)「研究者招へい講座」
[編集] 部活動・同好会など
[編集] 概要
徒会執行部を初め、放送・図書・新聞の3局、体育系16・1、文科系14・1の部活動・同好会がある。
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- かつては「社会科学研究」(通称:社研)、「孔版」、「落語研究会」(通称:おちけん、亭号は「うゑすと亭」)、「女性史研究」、「アマチュア無線」、「郷土研究」、「拳闘」等の部が存在した。
[編集] 記録
- 1962年 - オーケストラ部NHK器楽合奏コンクール道大会1位
- 1971年 - 西高5期・李(岸本)恢成氏芥川賞受賞
- 1980年 - 北海道学生書道展 最優秀校
- 1983年 - 高野連 第36回秋季大会 全道大会1回戦 対 駒大岩見沢1-3 (全校応援)
- 1983年 - NHK放送コンテスト ラジオ番組 優秀校
- 1988年 - 高野連 第26回春季大会 地区2位
- 1988年 - 高文連 囲碁 全国大会 準優勝
- 1988年 - 高文連 化学 総合賞
- 1988年 - 朝日書道展 団体・最優秀校、学生書道展 団体・優秀校
- 1989年 - 高文連 化学 総合賞「紫キャベツの色素研究」
- 1989年 - 高野連 第71回秋季大会 地区準決勝敗退
- 1990年 - 高野連 第43回秋季大会 地区2位
- 1990年 - 朝日書道展 団体・優秀校、学生書道展 団体・ 優秀校
- 1990年 - 第10回全国高等学校クイズ選手権優勝
- 1991年 - NHK放送コンテスト ラジオ番組 全国大会 準々決勝(全道3位)
- 1991年 - 朝日書道展 団体・優秀校、学生書道展 団体・優秀校
[編集] 国際交流
[編集] 姉妹校活動
- 米国オレゴン州ウイルソン高校との提携
- 1964年札幌市がオレゴン州ポートランド市と姉妹都市となったことをきっかけに教育の分野でも連携を図る機運が高まり、同市ウッドロウ・ウイルソン高校(Woodrow Wilson High School、4年制公立高校、生徒数約1.500名)の当時の学校長ウイリアム・ブロップ氏と本校学校長萩原獅郎氏との間で、1984年10月30日、姉妹校として合意した。まず互いの教師が相互訪問を行った。
- その後、同校生徒以外にも米国からのを留学生を受け入れている。
[編集] ユネスコ活動
- 「高等学校ユネスコの集い」参加。
[編集] 進学・就職
道内有数の公立進学校として知られており、特に北海道大学(北大)への進学者が多い(現役卒業生の約20%)。過年度生を含めると、例年100名以上が北大へ進学している。進学傾向は北大の他、道内国公立大学(現役卒業生の約14%)と道外私立大学(現役卒業生の約17%)への進学者が多いことも特色といえる。因みに道外国・公立大学(現役卒業生の約9%)である。いわゆる浪人となり、目標の大学進学を果たす者が多い。浪人を望まない生徒は道内の私立大学・短大、専門学校を選択する事が多い。卒業生の殆どが、いずれかの大学・準大・短大・専門学校、留学等も含めて進学しており、就職者は極めて少ない。
[編集] 同窓会・支援団体
- 「輔仁会(ほじんかい)」とは、卒業生と名誉会員となる教職員で組織する同窓会である。1954年に西高同窓会と一本化された。会員のネットワーク構築と、西高の発展に寄与する事を目的としてる。1996年「輔仁会館」を建設し本校に寄贈。多目的ホールとして活用されている。また東京支部を初め、道内に幾つかの支部を持つ。
- 財団法人札幌西高会とは西高の卒業生とPTAの役員らが、理事や評議員を務める組織である。「西高山」と呼ばれる学校林を札幌市内に3ヶ所、延べ11万6000坪所有しており、育英奨学金をはじめ、楽器補修や学校花壇整備、皆勤賞記念品などの支援を行っている。尚、東京都立西高等学校に同様な名称の組織がある。
- 札幌西高文化体育後援会とは西高の保護者と賛助会員による組織である。その名の通り、教育活動の推進について後援するために設立された。進路に対する特別委員会、補習や部活動等に対する補助を行い、卒業生と学校とのパイプ役機能も果たしている。
- 札幌西高等学校PT会とは生徒の、学校・家庭・社会生活の改善と向上を目的に、保護者と教職員により組織されている。学年・広報・教養委員会のほか、サークル活動等を行っている。またホームページを開設し、学校の様子がタイムリーに分かるように工夫している。
- 札幌西高振興会(札幌西高サポーターズクラブ)とは生徒会や部活動など西高生の諸活動を、資金面で支援するために、輔仁会、西高会、西高PTA、2004年企業の参加を得て組織された。「西高サポーターズクラブカード」(クレジットカード機能を有する)を発行し、その収益の一部で生徒の体育・文化活動に必要な支援を行っている。
[編集] 備考
- 定時制では大検の合格科目も単位として認めており、大検合格科目の単位もトータルして3年で卒業することも可能である。
- 数年前から学校案内やホームページ等に「West is Best!」というキャッチコピーが使われている。
- 卒業生数は約29,000人に迫る。(2006年3月)
- 1995年に竣工した、独特の外観を持ち、上空から見ると「W」の形を模した新校舎は、西高21期生の設計によるものであり、従来の羊羹形の校舎から、一変して3線式の校舎となり、1~3階まで吹き抜けのアトリウムは、道内では珍しいものである。またフーリースペースとなった正面玄関前は、一般市民も自由に散策でき、地域住民の憩いの場としても利用されている。
- 通称として地元では「札西(さつにし)」、もしくは「西高(にしこう)」と略される。一般的には、「札幌西高」と呼ばれる。時折「西校」という誤記も見受けられるが、定時制課程を指して意識的に表記する場合もある。地元では定時制課程は、「西定(にしてい)」と呼ばれている。
- 校名の由来については、学制改革に伴い旧制中学にあたる庁立学校を便宜的に市中心部からみて機械的に割り振ったもので、所在地名とは一致しない。度々間違われるが、「西高」の名称から、札幌市西区にあると思われがちだが、実際は中央区に所在する。
- 西高祭(当初「文化祭」、一時「学校祭」とも呼ばれた。1972年より学校祭から名称復活)は、行灯行列をはじめ、校舎の一般公開、PTAやOBらによる展示・販売(とりわけ近年はオリジナル商品)を行うなど、地域と連携を図りながら華やかに展開されることで有名である。また女子生徒の多くは浴衣で参加する。バザーの収益は各種後援会を通して、同校に寄贈される。
- 校歌は四部合唱であり、当然、入学式・卒業式などでは「校歌合唱」と呼称される。
- 「西校は消えず!」(1960年の火災により、校舎の大半を焼失したが、焼け残った木造校舎の外壁にチョークで書かれていた文言)
- 1960年代には、政治活動も活発化し、「本道初の高校生デモ参加」と報道されたが、当時の第13代宮田校長は「未成年であり、就学途上にある高校生が政治デモに参加することは決して好ましいことではないが、さりとて、このように明日の日本がどうなるかわからないような、何人も深い憂慮と重大な関心を抱かざるを得ないこの時期に、独り高校生だけが問題の圏外にたって無関心でおれといったところで、果たして可能だろうか。また、そのような無感動な人間を作ることが果たして教育といえるだろうか」と述べた。札幌東高も西高同様、条件付で認めたが、札幌南、啓北、札幌北は禁止。札幌第一高等学校は退学処分も辞さないという強い態度を取った。
- 旧二中校舎前から旧レンガ校舎前に移植された伝統の黒松も、新校舎建設に当たって、移植もしくは伐採が考えられた。「移植後の成長は保障できない」とされたが、道内では北星学園女子中学高等学校の構内と二本しかないことが判明し、当時の教頭が中心となって、移植作業に取り組んだ結果、二中校舎時代から三代目の現在まで生き続けている。
- 旧二中の跡地(中央区北3条西18-19丁目)には、現在札幌龍谷学園高等学校(旧札幌女子高等学校)が所在するが、その傍らに、ひっそりと「二中公園」が存在し、二中記念碑「青春」(西高8期生作)の像が建立されている。
[編集] 所在地
札幌市中央区宮の森4条8丁目1
[編集] 最寄駅
[編集] 周辺
同校の横の道路1本隔てて、西区と接している。周辺の中央区宮の森、西区山の手は、札幌市内では古くからの高級住宅地であるが、西部にはすぐ近くに山々がそびえており、四季折々の眺望は美しい。最も近い「三角山(標高311m、一等三角点が設置)」は、過去には冬季間にその斜面で体育のスキー授業・スキー大会が行われていた。北一条通が未整備で近隣地域の宅地化が進む以前には、山から学校までノンストップでスキーで戻って来ることができた。
[編集] 著名な出身者
[編集] 政治
[編集] 経済
[編集] 学問
- 大和田榮治(薬学者、北海道薬科大学学長)
- 中野美代子(中国文学者、元北海道大学教授)
- 秦宏一(英文学者、帝京大学英語文献学教授)
- 前田朗(まえだあきら、法学者、東京造形大学人間教育科教授)
- 矢沢正士(やざわまさお、農学者、北海道大学農学工学科教授)
- 山内亮史(やまうちりょうじ、教育社会学者、旭川大学学長)