南大東村
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南大東村(みなみだいとうそん)は、沖縄本島の東方に位置する沖縄県最東端の南大東島を行政区画とする沖縄県の村。開村以来サトウキビの生産が村の中心的産業である。近年航空機の大型化などで観光客が容易に訪れることが可能になり、豊かな自然を生かした観光地としても注目されてきている。
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[編集] 地理
気候は亜熱帯海洋性気候に属し、珊瑚礁が隆起して出来た島。周囲は断崖絶壁で、島の中央が窪んでおり、皿上の形態を呈している。典型的な隆起環礁であり、世界の地形学の教科書の説明モデルにもなっている。
- 面積
- 地域
- 池之沢(いけのさわ)
- 北(きた)
- 旧東(きゅうとう)
- 在所(ざいしょ)
- 新東(しんとう)
- 南(みなみ)
[編集] 歴史
- 1543年 スペイン人、B・デ・ラ・トーレが大東諸島を発見(ただしかなりの昔から沖縄の人達の間では「ウファガリジマ(=琉球方言:東の果ての島)」と言われていた)。
- 1820年ロシア人、ポナフィディンが大東諸島を発見、ボロジノ諸島と名付けられる(この頃から欧米の地図では「ボロジノ諸島」とされる)。
- 1885年 日本領土に編入される。
- 1900年 玉置半右衛門を中心とした八丈島からの開拓団により、大東諸島の開拓開始。
- 戦前は、南大東島で製糖業を営む企業である玉置商会~東洋製糖~大日本製糖が島全体を所有していた。特例として町村制は施行されず、それらの各企業に島の自治が全面的に委ねられていた。即ち、日本の行政機関による地方行政が及ばない、公的届出すら事実上不可能な「社有島」であった。島民は、一部の管理的役職の者を除けば全て製糖会社にサトウキビを納める小作農であり、島への渡航手段から商店・学校・郵便局などに到るまで、すべて社有であった。また、島民は重労働を強いられたうえ、収穫されたサトウキビは安く買い叩かれ、無許可の離島が禁じられるなど、厳しい監視下に置かれていた。一方で、戦前この島を支配していた大日本製糖は、「この島こそが植民地経営の最も貴重な参考資料である」と自画自賛していた。
- 1946年 沖縄のアメリカ軍政開始により、製糖会社による島の支配から脱する。村制が施行され、南大東村となる。
- 1964年 島内の耕作地の所有者が大日本製糖ではなく島民であることが最終的に確認される。
- 1972年 沖縄返還により、日本領土に復帰。
- 1984年 NHKがゆり2号aによる衛星試験放送開始で、テレビ放送開始。
- 1997年 南大東空港が移転、従来の19人乗りDHC-6型機にかわり39人乗りのDHC-8-100型機が就航し那覇との交通が大幅に改善される。これにより、観光客の来訪が容易になった。
- 1998年 地上波テレビ放送開始。但しNHKの東京本局と民放キー局のTBS・CX・ANB(現EX)にて。
[編集] 交通
[編集] 飛行機
- 南大東島空港⇔那覇空港(約1時間)
- 琉球エアーコミューターが、1日2便運航。(うち2便目は曜日によって行き・または帰りに北大東空港を経由することになる。一部運賃を除き、北大東経由でも直行便と同じ運賃となる特例がある。)
- 南大東島空港⇔北大東島空港(約15分)
- 前記の2便目が曜日によって行き・または帰りに北大東空港を経由する形で、琉球エアーコミューターが運航。風向きによって北大東島へ一直線に飛ぶ際の飛行時間は3分間。日本で最も運航距離の短い航空路線であり、距離あたりの運賃が最も高い路線(2007年2月搭乗分で普通片道運賃が7,200円)でもある。但し、那覇⇔南大東便と同日に南大東⇔北大東便を利用した場合は那覇⇔北大東への直行便と同じ料金で搭乗可能(逆の路線も同じ)。
[編集] 船舶
- 泊港南岸⇔南大東島
- 大東海運が、ほぼ5日おきに1便(週に1~2便、月に5~6便)運航(南大東島経由北大東島行きか、北大東島経由南大東島行きという様に行き先が交互に変わる、所要時間約15時間)。
[編集] 道路
[編集] 産業
サトウキビ産業が盛ん。1983年までは、サトウキビ輸送のための専用鉄道も存在した。詳しくは沖縄の鉄道#玉置商会~東洋製糖~大日本製糖~大東糖業を参照。
小規模ながら特産のサトウキビを使ったラム酒の蒸溜も行われている。
[編集] 観光
かつては「島外の人間がいると職務質問された」とまで言われるほどで滅多に観光客が訪れることがなかったが、1997年の南大東空港拡張移転により大型のプロペラ機が就航したため、観光地としても注目されはじめている。
- 星野洞(洞窟)
- ビジターセンター(島まるごと館)
[編集] 放送
[編集] テレビ
- 1975年にNHK沖縄放送局が放送試験局として開設し、テレビ放送開始(コールサインはJO7D-TV)。この実験局はNHK沖縄局(制作部)の編集によるカセットテープ数本が、1週間に2回(航空便の本数による)届けられたものを、地元の者数名交代により夕方4時間ほど放送された。
- そして1984年5月に、放送衛星による衛星放送の実験放送が開始され、ようやくテレビの同時放送が開始された(当時はNHKBS1のみで総合テレビと同じ内容だった)。またこの日からNHKの全国の天気予報に南大東島の天気が表示された。
- しかしテレビ放送がNHKのBSだけしか放送されないため、沖縄県でありながら県内のローカルニュースは放送されず、そして民放が放送されてないため、沖縄本島でビデオ録画された地上波放送の番組をレンタルビデオで貸し出す店もあったという。
- 1998年にようやく地上波放送が開始されたが、沖縄本島と南北大東島の間には琉球海溝があり、且つ400kmも離れているため技術的に海底ケーブルを敷設することはできず、東京都が小笠原諸島向けに送信・利用されている通信衛星による受信方式を採用している。このためNHKの地上波(総合・教育)のローカル放送も沖縄のものではなく、東京(関東地方)のものが放送されており、民放も沖縄県内の民放ではなく東京のキー局が放送されており、しかも沖縄に系列局をもつTBS、フジテレビ、テレビ朝日の3局しか放送されない(日本テレビとテレビ東京は沖縄に系列局がないため放送されない)。なお、沖縄のローカル情報は電話回線(衛星回線)によりテロップで表示される(台風情報で進路にあたる場合は予報画像も表示されるという)。
- 沖縄では2006年に開始された地上デジタル放送、南大東ではNHKが2009年に中継局を設置予定だが、民放は検討中で時期は未定(設置予定)。このため沖縄ローカルの情報が本島と同時に受信できるのはそれ以降になる。
- テレビ中継局(TVの単位はCH)
所在地 | BS1 | BS2 | 総合 | 教育 | TBS | CX | EX |
---|---|---|---|---|---|---|---|
南大東 | 4 | 6 | 54 | 52 | 56 | 58 | 60 |
(衛星放送は出力100Wで北大東島へもカバーしている。地上波は出力30Wと南大東島のみカバーしているが、北大東局への放送波への伝送もしている。音声多重放送・文字放送に対応。)
[編集] ラジオ
- 中波(AM)放送は沖縄本島の親局から昼間は受信可能であるものの、夜間は同局が電離層により外国の放送と混信するため受信が困難(かわりに他県の放送は電離層により受信が可能)だったが、2007年4月1日にNHKラジオ第1放送と、民放の琉球放送(RBCiラジオ)とラジオ沖縄がFM波による中継局が開局し、昼夜問わずクリアに受信可能となった(中波だと夜間に外国との混信により良好な受信が困難であるためで、沖縄県内では沖縄本島北部と先島諸島が同様なケースを取っている。先島諸島へは沖縄本島から海底光ファイバーケーブルで結ばれているが、沖縄本土から南大東島の送信所への伝送は通信衛星を経由して送られる)。
- 超短波(FM)放送は終日受信不可。テレビ同様技術的な面からNHK-FM放送も含め、今のところ設置の予定はないが、NHK-FM放送も台風や災害時の情報手段の観点から将来的に中継局が設置される可能性が出てくるものと思われる。
- 衛星放送(BS・CS)によるラジオ放送や短波放送(ラジオNIKKEI)、NHK国際放送(NHKワールド・ラジオ日本)は終日受信可能。
- ラジオ中継局(2007年4月1日開局、単位はMHz)
所在地 | NHK1 | RBCi | ROK |
---|---|---|---|
南大東 | 83.5 | 81.4 | 79.6 |
(出力はいずれも100Wと高く、周辺海域でも受信は可能)