糸満市
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糸満市(いとまんし)は沖縄本島最南端の市。「サバニ」と呼ぶくり舟に乗り南洋各地へ出漁した糸満漁夫で知られ、男は追込漁、女は漁行商に従事した。戦後出漁海域が沖縄周辺に限られたが、1982年には大型船用の糸満漁港が完成、水産加工工場を立地するなど商工業の一中心として発達している。伝統工芸に、琉球ガラス村に代表されるガラス工芸(琉球ガラス)や漆器がある。畑作を中心とした農業、畜産も盛ん。那覇市に近く、近年は人口増加、都市化が著しい。旧暦5月4日のハーレー(他市町村はハーリーという)船競漕の海神祭、旧暦8月15日の大綱引きは五穀豊穣無病息災の行事。南部の旧三和村一帯は沖縄戦最大の激戦地で、ひめゆりの塔、健児の塔などがたち、沖縄戦跡国定公園に指定されている。
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[編集] 地理
島尻層群を基盤岩とし、その上を琉球石灰岩が覆うという地形構造になっており、この島尻層群と琉球石灰岩からなる地域には、断層が縦横に走り、地集の境界あるいは急崖を形成する要因となっている。また、北西部の沿岸域の中心市街地と埋立地一帯は細かい粘土や砂などの沖積層からなっている。
土壌は地質構造の影響を受けており、島尻層群からなる地域には保水性のある肥よくな灰色のジャーガルが分布し、琉球石灰岩からなる地域には保水性に乏しい赤色の島尻マージが分布している。
島尻層群がみられる北部は、緩斜面と急斜面が織り成す比較的変化のある丘陵地形となっており、東部には標高168mの与座岳がある。それに対し、琉球石灰岩で覆われている中央部から南部は、石灰岩台地の平坦面が断層によって切断された傾動地塊となっており、瓦屋根を重ねたような南に緩やかな斜面、北に断層崖を持つ台地群からなる地形。そして、摩文仁の丘からは崖下にサンゴ礁が広がり、すばらしい眺めを堪能することができる。また、北西部の沖積層からなる埋立地と市街地は、平坦な低地を形成している。
東から西へ全長約10kmの報得川が市を横切って流れている。
また、市の東シナ海と面する地域付近には、西崎運動公園がある。
[編集] 地域
もともと1町3村による合併で現在の市域となったため、4つの地域(糸満・兼城・高嶺・三和)に分かれるが、市制施行後の埋め立てで西崎や潮崎の新たな地域が誕生したため、これら埋立地域を糸満地域に入れる場合もある。また合併前の旧糸満町(糸満地域)がもともと兼城村から分離したため、地理的に近い西崎も加え兼城と糸満を1つの地域にすることもある。さらに、三和地域は戦後に真壁・摩文仁・喜屋武の3村の合併にできたため、場合によっては戦前の旧村単位に分けることもある。
住居表示は2000年以前に市制施行した沖縄本島内の市ではうるま市の旧具志川市同様(旧石川市では半分近く実施されている。なお2000年以降に市制施行した豊見城市や南城市ではすべて未実施)あまり行われていない(実施されているのは西崎の一部と西川町のみで1994年の1回のみ)。特に糸満地域は字糸満の番地が2400番台まであり、市街地であるため番地が1つ違うだけで場所が違うところもあるため、合併前の旧糸満町時代から8つの区(南・前端・新川・新島・新屋敷・上之平・西・町端)に分かれて地域活動しているものの、沖縄本島で同じ市街地形成で実施に積極的だった名護市の字名護・宮里地域とは違い、全く未実施である(土地区画整理が今でも行われているため、実施する状況には至っていない)。
原則的に小・中学校の校区は市街地である糸満・西崎・潮崎地区を除き、旧村単位の地域ごとに分かれているが市街地に近い照屋や真栄里、一部の集落では地理的関係から番地によって近い学校に通学させるところもある。
[編集] 糸満・西崎・潮崎地域
- 糸満地域
- 糸満(いとまん) 便宜上地域名に加えて1~8区と数字で呼ぶこともある。
- 南(みなみ)区(1区)
- 前端(まえばた)区(2区)
- 新川(あらかわ)区(3区)
- 新島(にいじま)区(4区)
- 新屋敷(しんやしき)区(5区)
- 上之平(うえのひら)区(6区)
- 西(にし)区(7区)
- 町端(まちばた)区(8区)
- 西川町(にしかわちょう) 住居表示実施地区(1994年実施、実施前は糸満の西川区で合併後の埋め立てで誕生した)
西崎と西崎町に分かれているが、住居表示実施で「町」が取れているだけで基本的に同一地域であり、郵便番号も西崎の「901-0305」と書けば西崎町でも届く。
- 西崎(にしざき)1丁目・2丁目・6丁目(住居表示実施地区・1994年実施)
- 西崎町(にしざきちょう)1~5丁目(住居表示未実施、1丁目と2丁目は大半が実施済なためほとんどない)
- 潮崎町(しおざきちょう)1~4丁目(住居表示未実施)
[編集] 兼城地域
- 阿波根(あはごん)
- 賀数(かかず)
- 兼城(かねぐすく)
- 北波平(きたなみひら) もともとは波平だったが米須地域の波平(現・南波平)と区別するため北波平となった。
- 座波(ざは)
- 潮平(しおひら) 今帰仁按司の子孫が製塩を営んでいたことに由来するといわれている
- 武富(たけとみ)
- 照屋(てるや)
[編集] 高嶺地域
- 大里(おおざと)
- 国吉(くによし)
- 豊原(とよはら)
- 真栄里(まえざと) 兼城地域(間切)に属している時もあった
- 与座(よざ)
[編集] 三和地域
- 新垣(あらかき)
- 伊敷(いしき)
- 糸洲(いとす)
- 宇江城(うえぐすく)
- 小波蔵(こはぐら)
- 名城(なしろ)
- 真栄平(まえひら)
- 真壁(まかべ)
- 喜屋武(きゃん)
- 束里(つかざと) もともと束辺名と上里が合併してできた集落であるため、場合によっては2つに分けることある。
- 束辺名(つかへな)区
- 上里(うえざと)区
- 福地(ふくぢ)
- 山城(やまぐすく)
- 米須(旧摩文仁村)地域
- 伊原(いはら)
- 大度(おおど)
- 米須(こめす)
- 摩文仁(まぶに)
- 南波平(みなみなみひら) もともとは波平だったが兼城地域の波平(現・北波平)と区別するため南波平となった
[編集] 歴史
- 1908年(明治41年) 島嶼町村制により兼城(かねぐすく)・高嶺(たかみね)・真壁(まかべ)・喜屋武(きゃん)・摩文仁(まぶに)の5間切がそれぞれ村となり、兼城間切糸満村が分離して糸満町となる。
- 1946年(昭和21年) 真壁・喜屋武・摩文仁の3村が合併し三和(みわ)村となる。
- 1961年(昭和36年)10月1日 糸満町・兼城村・高嶺村・三和村が合併し(新)糸満町となる。
- 1971年(昭和46年)12月1日 市制施行
- 1974年(昭和49年) 市立中央公民館が完成
- 1975年(昭和50年) 沖縄平和祈念資料館が開館(2000年にリニューアル)
- 1978年(昭和53年)10月1日 平和祈念堂が完成
- 1982年(昭和57年) 真栄里に県立南部病院、市救急診療所、市社会福祉センターが完成
(救急診療所は2002年に廃止、南部病院は2006年に県から民間の医療法人に管理を移譲) - 1984年(昭和59年)6月19日 大規模な埋立地(西崎地域)が竣工
- 1989年(平成元年)2月 プロ野球オリックスが市内で春季キャンプ開始(1992年まで、1990年にはオープン戦も開催)
- 1991年(平成3年)8月21日 第73回全国高校野球(甲子園)県代表で市内の沖縄水産高校が2年連続準優勝(高校野球で連続準優勝の記録はこの大会だけ)
- 1993年(平成5年)4月25日 第44回全国植樹祭が市内山城で開催(現在は平和創造の森公園として整備)
- 1995年(平成7年)6月23日 平和の礎完成
- 1997年(平成9年)4月1日 市内初のコミュニティFMとなるいとまんコミュニティエフエム放送(FMたまん)が開局
- 1997年(平成9年)7月 中央図書館が開館
- 2002年(平成14年)5月 市庁舎が現在の潮崎町に移転
- 2005年(平成17年) 糸満観光農園が開園(市が半分出資する第3セクター)
- 2006年(平成18年)4月 県農業試験場が那覇市首里崎山町から真壁に移転、県農業研究センターに改称された
[編集] 糸満町(1961.10~1971.11)
1961年10月に旧糸満町と兼城・高嶺・三和の3村を合併して誕生した糸満町は小さな港町から沖縄本島南部では大きな面積を抱え、同島最南端の町となった。漁業中心の町に加え、農業や旧三和村一帯が沖縄戦最後の激戦地であるためひめゆりの塔をはじめ多くの慰霊碑が建立され観光にも力を入れるようになった。戦跡地一帯はのちに沖縄戦跡政府立公園(現在の沖縄戦跡国定公園)に指定された。
町役所は旧糸満町役所(現在の新島郵便局付近)におかれ、旧3村の村役所は支所としたが数年後にすべて廃止された(支所廃止後は兼城・高嶺・真壁の各農協として使用された)。
糸満漁港を中心に次第に埋め立ても始まり面積はさらに拡大していった。町役所も手狭になり、市制施行直前に漁港西の埋立地に移転した(2002年に老朽化と国道331号バイパス建設のため南側埋立地の潮崎町に再移転した)。
[編集] 行政
市長:西平賀雄(にしひらがゆう、2004年7月就任)
助役:大城弘明(おおしろひろあき)
収入役:山城勉(やましろつとむ)
[編集] 糸満市議会
議員定数:24 現議員数:24 欠員:0 任期:平成17年12月3日~平成21年12月2日
議長:玉城朗永(新政クラブ)
副議長:砂川金次郎(公明党)
- 会派別構成
- 市政クラブ:3人
- 糸翔クラブ:3人
- 新政クラブ:3人
- 市民クラブ:3人
- 公明党:2人
- 社社クラブ:2人
- 日本共産党:2人
- 南風:2人
- 創政会:2人
- かりゆしクラブ:3人
- 党派別構成
- 自由民主党:1人
- 民主党:0人
- 社会民主党:1人
- 公明党:2人
- 日本共産党:2人
- 無所属:18人
[編集] 産業
[編集] 農業
- 県農業研究センター(2006年4月に那覇市首里崎山町にあった県農業試験場が移転し名称変更)
- 糸満観光農園
[編集] 漁業
- 糸満漁港
- おさかなセンター
[編集] 交通
[編集] 路線バス
琉球バス交通・沖縄バス・那覇バスが運行している。琉球バス交通と沖縄バスは、糸満バスターミナルを中心に豊見城市や八重瀬町を経由して那覇バスターミナル方面へ行く路線と、南部支線(ほとんど糸満市内線のようなルートの路線)に大きく分かれるが、中には与那原町や南城市方面に行く路線もある。那覇バスは2社とは別のところにある糸満営業所から豊見城市や那覇市を経由して西原町への路線バスが運行されている。
- 那覇方面へ向かう路線
- 33番(糸満西原(末吉)線) 那覇バス
- 34番(東風平線) 沖縄バス
- 35番(志多伯線) 沖縄バス
- 46番(糸満西原(鳥堀)線) 那覇バス
- 89番(糸満(高良)線) 琉球バス交通・沖縄バス
- 100番(白川線) 沖縄バス
- 与那原、南城市方面へ向かう路線
- 36番(糸満~新里線) 沖縄バス
- 南部支線(主に糸満市内線)
いずれも琉球バス交通が運行している
- 81番(西崎・向陽高校線)
- 82番(玉泉洞糸満線)
- 85番(国吉(大里)線)
- 86番(国吉(真栄里)線)
- 107番(南部循環(真壁)線)
- 108番(南部循環(喜屋武)線)
[編集] 道路
- 一般国道
- 一般県道
- 沖縄県道3号線
- 沖縄県道52号線
- 沖縄県道54号線
- 沖縄県道134号線
- 沖縄県道223号魂魄之塔線
- 沖縄県道250号糸満具志頭線
- 沖縄県道平和の道線(番号未定・予定)
[編集] 隣接している自治体
[編集] 学校
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
[編集] 小学校
- 糸満市立糸満小学校
- 糸満市立糸満南小学校 [5]
- 糸満市立兼城小学校
- 糸満市立喜屋武小学校
- 糸満市立光洋小学校
- 糸満市立米須小学校
- 糸満市立潮平小学校 [6]
- 糸満市立高嶺小学校 [7]
- 糸満市立西崎小学校
- 糸満市立真壁小学校
[編集] その他
- 沖縄県立西崎養護学校 [8]
[編集] 健康
[編集] 医療
沖縄県立南部病院は財政難や沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの新設に伴い、民間に経営を移譲した。
- 医療法人友愛会 南部病院(字真栄里870)
- 医療法人陽和会 南山病院(字賀数406-1)
- 医療法人以和貴会 西崎病院(字座波371-1)
- 医療法人福和会 白銀病院(字糸満204-1-5)
[編集] 福祉
[編集] 名所・旧跡・観光スポット
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 姉妹都市
[編集] 友好都市
[編集] 出身芸能人
- 石嶺聡子(歌手)
- 金城毅(THE GRANDWAZOO ボーカル)