南弘
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南 弘(みなみ ひろし、明治2年10月10日(1869年11月13日) - 昭和21年(1946年)2月8日)は日本の官僚・政治家。1869年(明治2年)現在の富山県氷見市仏生寺の豪農岩間覚平の次男として生まれ、幼名を鉄郎といった。
[編集] 経歴
岩間家は3代にわたり県議会議員を生みだした名家で、広大な屋敷地や山林を所有していた。生家の近くに御田神社があり、幼少時よりその宮司平井正承の教えを受け、その後富山中学、第四高等学校に進み、明治二十九年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、高等文官試験にも合格して、国の官僚となった。
高岡の旧家で第二代の富山県議会議長を務めた南兵吉の養子となり、その長女操と結婚したとき名を弘と改名した。
官僚としては、内閣書記官を皮切りに、明治41年に第1次西園寺内閣で内閣書記官長、大正元年貴族院議員、大正2年に福岡県知事、大正7年に文部省次官、そして昭和7年に台湾総督に任ぜられた。総督に任ぜられた2ヶ月後の昭和7年5月、五・一五事件の直後成立した斎藤実内閣の逓信(ていしん)大臣に任じられ、富山県では初の大臣となった。(在任期間2年2ヶ月)就任直後の昭和七年七月、富山県にお国入りし、母校である仏生寺小学校で祝賀会が開かれた。そのときの感動を次のように書き残している。
「村人は余が母校である小学校に集って祝賀会を開いてくれた。此会ほど余が嬉しく感じたものは他に多くはない。一杯の酒は醍醐の法味、一臠の肉は大牢の滋味あるかの如く思はれた。集った村人の中に小学校時代のたった一人雑って居た。互いに手を握ったまま少時言葉も出なかった。」(『南弘先生 その人と業績』117ページより引用)
大臣退任後、昭和9年には国語審議会会長、昭和11年には枢密院の顧問官に任じられた。国語審議会会長として、それまでの国語が文語体、古い仮名づかい、漢字が多いことなど複雑であり学習が困難であることから、その簡素化に尽力した。また枢密院は旧憲法下における天皇の最高諮問機関であり、その会議においては、軍国主義に対して批判的な発言をしたため、軍部にけむたがれたといわれている。終戦後もその任を務めていたが、昭和21年2月8日、炭火による一酸化炭素中毒で会議中に亡くなった。享年78。
学問をよくし、特に漢詩の素養は高く、青園と号して「青園詩草」という漢詩集を残した。昭和12年、内務省から保健部門を独立させ新たな省を設立しようと、省名を検討していた際、中国の古典「書経」の「正徳利用厚生惟和」の一節から引用した「厚生省」の名を推薦して採用されており、「厚生省の名付け親」いわれている。
内閣書記官長
田中光顕 - 小牧昌業 - 周布公平 - 平山成信 - 伊東巳代治 - 高橋健三 - 平山成信 - 鮫島武之助 - 武富時敏 - 安廣伴一郎 - 鮫島武之助 - 柴田家門 - 石渡敏一 - 南弘 - 柴田家門 - 南弘 - 江木翼 - 山之内一 - 江木翼 - 兒玉秀雄 - 樺山資英 - 三土忠造 - 宮田光雄 - 小橋一太 - 江木翼 - 塚本清治 - 鳩山一郎 - 鈴木富士彌 - 川崎卓吉 - 森恪 - 柴田善三郎 - 堀切善次郎 - 河田烈 - 吉田茂 - 白根竹介 - 藤沼庄平 - 大橋八郎 - 風見章 - 田邊治通 - 太田耕造 - 遠藤柳作 - 石渡荘太郎 - 富田健治 - 星野直樹 - 三浦一雄 - 田中武雄 - 廣瀬忠久 - 石渡荘太郎 - 迫水久常 - 緒方竹虎 - 次田大三郎 - 楢橋渡 - 楢橋渡
内閣官房長官
林譲治 - 西尾末広 - 苫米地義三 - 佐藤栄作 - 増田甲子七 - 岡崎勝男 - 保利茂 - 緒方竹虎 - 福永健司 - 根本龍太郎 - 石田博英 - 愛知揆一 - 赤城宗徳 - 椎名悦三郎 - 大平正芳 - 黒金泰美 - 鈴木善幸 - 橋本登美三郎 - 愛知揆一 - 福永健司 - 木村俊夫 - 保利茂 - 竹下登 - 井出一太郎 - 二階堂進 - 園田直 - 安倍晋太郎 - 伊東正義 - 宮澤喜一 - 後藤田正晴 - 藤波孝生 - 後藤田正晴 - 小渕恵三 - 塩川正十郎 - 山下徳夫 - 森山眞弓 - 坂本三十次 - 加藤紘一 - 河野洋平 - 武村正義 - 熊谷弘 - 五十嵐広三 - 野坂浩賢 - 梶山静六 - 村岡兼造 - 野中広務 - 青木幹雄 - 中川秀直 - 福田康夫 - 細田博之 - 安倍晋三 - 塩崎恭久
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カテゴリ: 日本の閣僚経験者 | 日本の国会議員 (1890-1947) | 日本の官僚 | 都道府県知事・市町村長 | 台湾史の日本人 | 1869年生 | 1946年没