細田博之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生年月日 | 1944年4月5日 |
出身地 | 島根県松江市堂形町 |
最終学歴 | 東京大学法学部 |
学位 | 学士 |
前職 | 衆議院議員秘書 |
役職 | 予算委員会委員 |
世襲の有無 | 二世 父・細田吉蔵 |
選挙区 | 島根1区 |
当選回数 | 6回 |
所属党派 | 自由民主党(町村派) |
党の役職 | 党経理局長 島根県支部連合会副会長 島根県第1選挙区支部長 |
会館号室 | 衆・第二議員会館533号室 |
ウェブサイト | 細田博之ホームページ |
細田 博之(ほそだ ひろゆき、1944年4月5日 - )は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員。島根県松江市出身。
東京教育大学附属駒場高等学校(現・筑波大学附属駒場高等学校)から東京大学法学部へと進学し、大学卒業後、通商産業省に入省。入省後は産業政策局物価対策課長を勤め、1986年に退官。父親の衆議院議員細田吉蔵の議員秘書を経て、1990年に衆議院議員初当選。清和政策研究会(町村派)所属。
目次 |
[編集] 政策
[編集] 科学技術
- 科学技術政策に造詣が深く、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)として、内閣府総合科学技術会議を主宰した。
- 北朝鮮を巡る核開発についても、細田はその豊富な知識で冷静に分析している。アメリカ合衆国国家安全保障会議アジア部上級部長マイケル・グリーンは、細田の分析を聴き、その見識の深さに驚いた。グリーンは6ヶ国協議のアメリカ代表だったこともあり、その後ノート持参で細田の解説を聴きに通ったという。その際、グリーンに同席した駐日アメリカ大使ハワード・H・ベーカー・Jr.は、細田のことを政治家ではなく原子力工学の専門家だと思っていたという。
[編集] 沖縄対策
- 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)としての経験を生かし、沖縄問題に対して造詣が深い。
- 沖縄県知事稲嶺恵一や沖縄問題の民間研究者とも交流がある。
- 内閣官房長官として、米軍基地再編問題に対し下記案(国防総省では「細田私案」と呼称)を提示した。
[編集] 食品安全
- 米国産牛肉輸入再開問題では、内閣官房長官として外務大臣町村信孝と連携し、通商代表部、国務省、ホワイトハウス、国家安全保障会議を相手に交渉を続けた。
- 科学的データに基づく説得をアメリカに対し繰り返した。交渉相手である国務長官コンドリーザ・ライスは細田を「He is so smart.」と評している。
[編集] 評価
- 福田康夫に極めて高く評価されている。内閣官房副長官、内閣官房長官就任時には、福田による内閣総理大臣小泉純一郎への推薦があった。
- ブッシュ政権下のアメリカ政府関係者からは、「歴代最高の官房長官」との賛辞を受けた。
- 大下英治によれば、小泉前首相の秘書官だった飯島勲は、「総選挙(郵政選挙)圧勝の政府側の影の最大の功労者」と評価している。細田は、選挙中に地元へ戻らず、小泉遊説中の行政が停滞しないよう努めたと言う。
- 2006年6月森岡正宏厚労政務官(当時)は東京裁判の正当性、日本無罪論などについて根本から議論すべきと提言。先んじて5月「『いわゆるA級戦犯』を一方的に悪い存在であるかのような不当な処理のされ方をしている」とも発言。 細田官房長官(当時)は同月22日の記者会見で、森岡の発言内容について「正しくないと思っている。日本は平和条約(サンフランシスコ講和条約)により、東京裁判を受諾しているから、不法なものとして異議を述べる立場にはない」と強調。渡部昇一は「『諸判決』と訳すべき平和条約第11条を誤訳悪用している」と厳しく批判している。
[編集] 経歴
- 1990年2月 - 衆議院議員に初当選
- 1994年7月 - 経済企画庁政務次官
- 2002年9月 - 沖縄及び北方対策担当大臣、個人情報保護担当大臣、科学技術政策担当大臣就任
- 2003年9月 - 内閣官房副長官就任
- 2004年5月7日 - 年金未納問題で福田康夫官房長官が引責辞任した後を受け、内閣官房長官に就任
- 2004年5月19日 - 東京都の車両管理会社からの、秘書給与など(8年間で3100万円)の供与が、政治資金収支報告書に未記載であったことが判明
- 2004年12月3日 - 第二次世界大戦中に「従軍慰安婦」であったとされる女性らと面会。日本の閣僚が「『従軍慰安婦』として旧日本軍に強制連行された」と主張する女性と公式に面会したのは初。
- ※この対面は、岡崎トミ子民主党議員の求めに応じたもの。ただし、「慰安婦」の「強制性」自体がそもそも証明されていない上に、同議員が連れてきた韓国人、李容洙さん(当時75)とフィリピン人ベアトリス・トゥアソンさん(当時74)が「慰安婦とされた」年齢は14~15歳(戦線の状況からいえば12~13歳)という計算になり、彼女らの主張には疑問も多い。素性がはっきりとしない元「慰安婦」と面会して謝罪したことには批判も多い。
- 2005年10月31日 - 内閣官房長官を退任。自民党国会対策委員長に就任。
- 2006年9月 - 自由民主党経理局長に就任。
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
|
|
|
|
|
|
|
|
|
内閣書記官長
田中光顕 - 小牧昌業 - 周布公平 - 平山成信 - 伊東巳代治 - 高橋健三 - 平山成信 - 鮫島武之助 - 武富時敏 - 安廣伴一郎 - 鮫島武之助 - 柴田家門 - 石渡敏一 - 南弘 - 柴田家門 - 南弘 - 江木翼 - 山之内一 - 江木翼 - 兒玉秀雄 - 樺山資英 - 三土忠造 - 宮田光雄 - 小橋一太 - 江木翼 - 塚本清治 - 鳩山一郎 - 鈴木富士彌 - 川崎卓吉 - 森恪 - 柴田善三郎 - 堀切善次郎 - 河田烈 - 吉田茂 - 白根竹介 - 藤沼庄平 - 大橋八郎 - 風見章 - 田邊治通 - 太田耕造 - 遠藤柳作 - 石渡荘太郎 - 富田健治 - 星野直樹 - 三浦一雄 - 田中武雄 - 廣瀬忠久 - 石渡荘太郎 - 迫水久常 - 緒方竹虎 - 次田大三郎 - 楢橋渡 - 楢橋渡
内閣官房長官
林譲治 - 西尾末広 - 苫米地義三 - 佐藤栄作 - 増田甲子七 - 岡崎勝男 - 保利茂 - 緒方竹虎 - 福永健司 - 根本龍太郎 - 石田博英 - 愛知揆一 - 赤城宗徳 - 椎名悦三郎 - 大平正芳 - 黒金泰美 - 鈴木善幸 - 橋本登美三郎 - 愛知揆一 - 福永健司 - 木村俊夫 - 保利茂 - 竹下登 - 井出一太郎 - 二階堂進 - 園田直 - 安倍晋太郎 - 伊東正義 - 宮澤喜一 - 後藤田正晴 - 藤波孝生 - 後藤田正晴 - 小渕恵三 - 塩川正十郎 - 山下徳夫 - 森山眞弓 - 坂本三十次 - 加藤紘一 - 河野洋平 - 武村正義 - 熊谷弘 - 五十嵐広三 - 野坂浩賢 - 梶山静六 - 村岡兼造 - 野中広務 - 青木幹雄 - 中川秀直 - 福田康夫 - 細田博之 - 安倍晋三 - 塩崎恭久