熊谷弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年(昭和15年)6月26日 - )は、日本の官僚、政治家。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。静岡県磐田郡水窪町(現浜松市)出身。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 一橋大・通産官僚・政界入り
長野県飯田高等学校を経て、1964年に一橋大学社会学部を卒業し、通商産業省に入省。大臣官房秘書課、中小企業庁長官官房総務課などを経て、1977年、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補し当選する。
1983年の総選挙で衆議院議員に鞍替えし当選。当選後は、田中派を経て、竹下派に所属する。第2次中曽根康弘内閣では経済企画政務次官を務めた。
[編集] 自民党離党
熊谷にとって大きな転機となったのは、1992年、竹下派が分裂し羽田孜・小沢一郎率いる改革フォーラム21(羽田・小沢派)に参加したことである。熊谷は小沢側近として派閥の運営を取り仕切った。羽田・小沢派は1993年、宮沢内閣不信任案に賛成し自民党を離党、新生党を結成した。不信任案可決による解散総選挙で自民党は過半数に届かず、その後の非自民非共産各党により成立した細川護煕内閣で通商産業大臣に就任した。通産大臣時代、棚橋泰文(現衆議院議員・棚橋祐治元通商産業事務次官の長男)の情実人事問題で、内藤正久産業政策局長を更迭。背景には「一六戦争」に絡む省内の人事抗争があったとも言われる。
1994年、細川内閣の総辞職により成立した羽田内閣では内閣官房長官に横滑りする。
[編集] 小沢との闘争
同年12月に結成された新進党に参加するが、羽田内閣がわずか2ヶ月で退陣して以来、小沢との間に微妙な距離が生じ、そこに目をつけた自民党の野中広務の意向を受け、反小沢の急先鋒となった。1996年、総選挙での新進党敗北後、首班指名に党首である小沢の名前を書かず新進党を離党した。この時離党届を小沢に提出した熊谷は「小沢一郎との闘争を続ける。」と述べた後、除名処分となった。自民党復党も検討したが12月に羽田や奥田敬和などと太陽党を結成する。
1998年、前年の新進党解党を受け分裂した保守系各党と民政党を結成し、その後菅直人・鳩山由紀夫率いる民主党に合流した。民主党では、幹事長代理、国会対策委員長、副代表などを務めた。
[編集] 与党への回帰
2002年、鳩山が党代表を辞任したことを受けた代表選で、自ら推した岡田克也が菅に敗れた。菅体制で非主流派に転じた熊谷は、同じ1983年衆院初当選組で自民党時代からの旧知の仲であった保守党幹事長・二階俊博と急接近した。民主党での活動に限界を感じた熊谷と、結党以来国政選挙で勢力を減らす党の状況を打開したい二階の思惑が一致した。同年12月、民主党を離党した熊谷は二階と保守新党を結成、自らは党首である代表となり、与党入りした。なお民主党は離党届を受理せず、除名処分とした。
しかし、野党から政権に参加したいがために離党、与党入りしたという批判も重なって当初目指していた民主党保守系の受け皿になる構想は全く進まず、党勢は伸長しなかった。自民・公明両党に埋没したままで臨んだ2003年の総選挙では、宿敵とする小沢が合流した民主党が躍進、保守新党は惨敗し熊谷自身も落選した。
熊谷を破ったのは、保守系無所属の城内実で、実質総裁派閥である森派の支援を受けていた。いわば、自民党に見捨てられたばかりか、刺客を送られたのである。その上選挙後、運動員による選挙違反に問われ、さらに保守新党そのものも自民党に吸収合併されてしまった。熊谷は選挙後、政界から引退を表明した。
[編集] 経歴
[編集] 政歴
- 1977年 第11回参議院議員通常選挙(静岡地方区)に自民党から出馬し、初当選。
- 1983年 第37回衆議院議員総選挙に自民党から出馬し、初当選。
- 1986年 第38回衆議院議員総選挙に自民党から出馬し、2期目当選。
- 1990年 第39回衆議院議員総選挙に自民党から出馬し、3期目当選。
- 1993年 自民党を離党し、新生党の結党に参加。第40回衆議院議員総選挙に新生党から出馬し、4期目当選。細川内閣で通商産業大臣に就任。
- 1994年 羽田内閣で内閣官房長官に就任。新生党解党により、新進党に参加。
- 1996年 第41回衆議院議員総選挙(旧静岡9区)に新進党から出馬し、5期目当選。新進党を離党し、太陽党の結党に参加。
- 1998年 太陽党を解党、民政党を結党。その後、民政党の解党により、民主党に合流。
- 2000年 第42回衆議院議員総選挙に民主党から出馬、6期目当選。
- 2002年 民主党を離党し、保守新党の結党に参加。
- 2003年 第43回衆議院議員総選挙(静岡7区)に保守新党から出馬、落選。政界引退を表明。
[編集] 外部リンク
内閣書記官長
田中光顕 - 小牧昌業 - 周布公平 - 平山成信 - 伊東巳代治 - 高橋健三 - 平山成信 - 鮫島武之助 - 武富時敏 - 安廣伴一郎 - 鮫島武之助 - 柴田家門 - 石渡敏一 - 南弘 - 柴田家門 - 南弘 - 江木翼 - 山之内一 - 江木翼 - 兒玉秀雄 - 樺山資英 - 三土忠造 - 宮田光雄 - 小橋一太 - 江木翼 - 塚本清治 - 鳩山一郎 - 鈴木富士彌 - 川崎卓吉 - 森恪 - 柴田善三郎 - 堀切善次郎 - 河田烈 - 吉田茂 - 白根竹介 - 藤沼庄平 - 大橋八郎 - 風見章 - 田邊治通 - 太田耕造 - 遠藤柳作 - 石渡荘太郎 - 富田健治 - 星野直樹 - 三浦一雄 - 田中武雄 - 廣瀬忠久 - 石渡荘太郎 - 迫水久常 - 緒方竹虎 - 次田大三郎 - 楢橋渡 - 楢橋渡
内閣官房長官
林譲治 - 西尾末広 - 苫米地義三 - 佐藤栄作 - 増田甲子七 - 岡崎勝男 - 保利茂 - 緒方竹虎 - 福永健司 - 根本龍太郎 - 石田博英 - 愛知揆一 - 赤城宗徳 - 椎名悦三郎 - 大平正芳 - 黒金泰美 - 鈴木善幸 - 橋本登美三郎 - 愛知揆一 - 福永健司 - 木村俊夫 - 保利茂 - 竹下登 - 井出一太郎 - 二階堂進 - 園田直 - 安倍晋太郎 - 伊東正義 - 宮澤喜一 - 後藤田正晴 - 藤波孝生 - 後藤田正晴 - 小渕恵三 - 塩川正十郎 - 山下徳夫 - 森山眞弓 - 坂本三十次 - 加藤紘一 - 河野洋平 - 武村正義 - 熊谷弘 - 五十嵐広三 - 野坂浩賢 - 梶山静六 - 村岡兼造 - 野中広務 - 青木幹雄 - 中川秀直 - 福田康夫 - 細田博之 - 安倍晋三 - 塩崎恭久
|
|
|
|
|
|
|
|
|