和歌山県立桐蔭中学校・高等学校
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和歌山県立桐蔭高等学校(わかやまけんりつとういんこうとうがっこう)は、和歌山県和歌山市吹上に立地する県立の高等学校である。スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている。2007年4月6日から和歌山県立桐蔭中学校(併設型中高一貫校)が開校している。
和歌山県立桐蔭中学校・高等学校 | |
過去の名称 | 和歌山県立和歌山中学校 |
国公私立の別 | 公立学校(県立) |
設置者 | 和歌山県 |
設立年月日 | 1879年3月1日 |
校訓 | 文武両道 改革と文化 |
開校記念日 | 3月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 数理科学科 総合人文科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒640-8137 |
和歌山県和歌山市吹上5-6-18 | |
電話番号 | 073-436-1366 |
FAX番号 | 073-423-8033 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
旧制和歌山県立和歌山中学校からの伝統を引く和歌山県内でも屈指の伝統校であり、県内有数の進学校としても知られている。野球部が大正10年(1921年)及び大正11年(1922年)に全国中等学校優勝野球大会で夏の甲子園で史上初となる2連覇を成し遂げるなど甲子園強豪校としても有名であった。現在もその伝統を引き継ぎ、桐蔭高になってからも昭和23年(1948年)、36年(1961年)、61年(1986年)に夏の甲子園の出場を果たし、23年と36年は準優勝している。
平成13年度にスタートした講義体験事業である「桐蔭総合大学」は、全国の大学から教授、助教授など講師陣を招いて行われており、生徒の知的好奇心の喚起や将来の進路を考えるきっかけとすべく行なわれている。 また、文部科学省から平成15年度より3年間、スーパーサイエンスハイスクールに指定されていたが、平成18年度から更に2年間の継続指定を受けている。
[編集] 校訓
- 文武両道
- 改革と文化
[編集] 教育目標・重点目標
- 豊かな人間性を備えた個人の育成
- 生徒の持つ能力の開発
- 健全な心身の育成
- 社会的連帯意識の確立
- 世界的視野と郷土愛をもった人間の育成
[編集] 校名
1948年5月10日の開校に際し松野三郎初代校長の命名によるもので、朱子の「少年老い易く学成り難し...階前の梧葉(梧桐の葉)すでに秋声」より「桐のようにすくすくと真っすぐに育て」という願いと「寸刻を惜しんで勉強をしよ」 という意味がこめられている。
[編集] 校章
[編集] 高等学校
桐の花に「高」の字を図案化したもの。
[編集] 中学校
和歌山中学校の校章の一部を配置した桐の葉3枚に「中」の字を図案化したもの。
[編集] 歴史
- 1879年(明治12年)3月1日- 和歌山中学校開設(現在の県立美術館・県立博物館付近)
- 1889年(明治22年)3月17日- 和歌山城西の丸跡に新築移転
- 1915年(大正4年)4月- 現在地に移転
- 1948年(昭和23年)5月10日- 桐蔭高等学校として開校、旧和歌山県立和歌山高等女学校校舎に設置。全日制(普通課程・商業課程)、定時制・通信教育部をおく。
- 1949年(昭和24年)4月1日- 元県立和歌山中学校校舎の一部を東校舎として使用
- 1951年(昭和26年)4月1日 東校舎に移転。普通科のみの単一制高等学校として使用
- 1954年(昭和29年)4月1日 定時制を和歌山県立青陵高等学校として独立
- 1964年(昭和39年)4月1日 通信制を和歌山県立通信制高等学校(現和歌山県立陵雲高等学校)として独立
- 1991年(平成3年)4月1日 数理科学科を設置
- 1999年(平成11年)4月1日 総合人文科を設置
- 2007年(平成19年)4月6日 - 和歌山県立桐蔭中学校(併設型中高一貫校)設置
[編集] 学科
- 普通科
- 数理科学科
- 総合人文科
[編集] クラブ活動
[編集] 体育クラブ
柔道部・水泳部・卓球部・バスケット部・テニス部・ソフトテニス部・登山部・硬式野球部・軟式野球部・サッカー部・ボート部・剣道部・バレーボール部・陸上競技部・ハンドボール部・ラグビー部・体操部
[編集] 文化クラブ
茶道部・音楽部・家庭部・美術部・園芸部・科学部・創作部・演劇部・写真部・書道部・社会部・華道部・吹奏楽部・ESS・囲碁将棋部
[編集] 外局
応援団・放送局
[編集] 専門部
出版部・図書部
[編集] 和歌山県立桐蔭中学校
併設型中高一貫校として、2007年に開校式・第1回入学式が行われた。桐蔭中では、桐蔭高校普通科中高一貫コースへの進学を目指す。
初年度の07年度には、定員80人に対して621人が出願し倍率は7.76倍であった。
[編集] 著名な出身者
- 南方熊楠 - 博物学者、菌類学者、民俗学者
- 井上正仁 - 東京大学教授(刑事訴訟法)
- 竹中平蔵 - 政治家(前総務大臣)、学者
- 津本陽 - 小説家
- 有吉佐和子 - 小説家
- 杉村楚人冠 - 新聞記者、随筆家、俳人 / 中退
- 野村吉三郎 - 海軍軍人、外交官
- 寺島 健 - 海軍軍人、政治家
- 井口貞夫 - 外務事務次官
- 青木得三 - 大蔵省主税局長、中央大学商学部・経済学部長 / 新潟中学へ転入
- 筒井竹雄 - 陸上幕僚長(陸将)、朝鮮総督府出身
- 高橋克己 - 学者、ビタミンAの抽出・分離に成功
- 西田修平 - ロス・ベルリンオリンピック棒高跳び銀メダリスト
- 西本幸雄 - 元プロ野球選手、監督。「悲劇の闘将」と呼ばれた。戦前の東京六大学野球・立大選手。野球殿堂
- 宇野光雄 - 元プロ野球選手・監督。戦前の東京六大学野球・慶大野手
- 小川正太郎 - 戦前の東京六大学野球・早大投手。野球殿堂
- 井口新次郎 - 同上・早大選手。野球殿堂