学校法人桐蔭学園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
学校法人桐蔭学園(がっこうほうじんとういんがくえん)は、1964年(昭和39年)に「真のエリートの育成」を目指し創立された、幼稚園から大学院、さらに総合病院を擁する大規模な学校法人である。横浜市青葉区鉄町に広大な敷地のキャンパスを所有し、ドイツにはドイツ桐蔭学園を所有している。
目次 |
概要
- 中高一貫校として、桐蔭学園中学校/高校男子部、桐蔭学園中学校/高校女子部と、男子のみの桐蔭学園中等教育学校がある。さらに女子部には女子中等教育コース(※中等教育学校とは別である)と従来型の女子中学/高校コースがある。入学偏差値は、男子部中学校、女子部中学コースよりも、中等教育学校、中等教育コースの方が高い。
- 高等学校は、一学年に一千五百人以上の生徒が存在する、日本では3番目に生徒数が多い学校(ちなみに生徒数最多の高校は作新学院高等学校)として有名。
- 原則として能力別の授業編成を行っており、年4回の定期考査の成績によりレッスンルーム(能力別に編成された授業集団)間の移動が行われる。
- 開校当初は生徒集めに苦労し、現在の学園幹部が周辺地域への戸別訪問を繰り返したこともあったという。その後野球部が甲子園で優勝したことを契機に学校宣伝を積極的に行い、生徒を集め、90年代前半には東京大学の合格者は100名を超えた。
- 法学部、及び法科大学院、医用工学部などを持つ桐蔭横浜大学を併設している。
- 学園創立者・初代理事長は、茗渓会会長、茗渓学園理事長、科学技術学園理事長なども務めた柴田周吉。柴田周吉理事長のもとで桐蔭学園の理事会の監事をしていた長男・柴田矩雄が1977年3月に死去し、後任監事として次男の柴田紘次が就任したが、1982年10月2日に柴田周吉理事長が亡くなった後、鵜川昇が学園創立以来の理事を一掃し、理事長と校長の両ポストに就いて学園長と称するようになり権力の集中を図った。また鵜川は後に、柴田と同様、茗渓会会長、茗渓学園理事長にも就任している。鵜川は、「一流校合格への父親学」など、いくつかの著書がある。
部活動
- 野球部:1971年(昭和46年)に高校野球で初出場、初優勝。プロ野球選手を多数輩出。引退した選手では、長内孝(広島)渋井敬一(ヤクルト)水上善雄(ロッテ)。彼らは高校卒業後の入団である。その後、大学や社会人を経ての入団として小桧山雅仁(横浜)高木大成(西武)副島孔太(ヤクルト→オリックス)等。現役では関川浩一(楽天)、高橋由伸(巨人)、平野恵一(オリックス)たちがいる。高木、副島、高橋は同時期に在籍。中学校野球部は、全国大会(全日本少年軟式野球大会)で平成元年、12年の2回優勝。平成18年準優勝。
- サッカー部:全国大会出場、最高は全国ベスト2、多数のプロ選手を輩出。W杯、五輪にも戸田和幸、森岡隆三らを送り込んだ。中学は最高で全国大会連続準優勝。
- ラグビー部:全国大会出場、最高は全国大会準優勝。中学の最高は東日本優勝。
- 剣道部:全国大会出場。最高は全国優勝。
- 柔道部:全国大会出場。最高は全国優勝。五輪選手輩出。
- 水泳部:五輪選手(高校在学時)輩出。
- テニス部:全国大会出場、最高は全国優勝。
学園祭(ポロニア祭)
- 鵬翔祭(ほうしょうさい)
- 男子の高校、中学ともにこの名称を用いている。中等教育学校はそれぞれ前期は中学と、後期は高校と一体化している。特に高校は予算が1千万円規模で運営され、近年では総合学習を中心とした発表が行われている。そのため、模擬店などの出し物はあまりない。また、高校2年理数科及び中等教育5年は課題研究の発表を行っている。
- 鸞鳳祭(らんほうさい)
- 女子の高校、中学ともにこの名称を用いている。毎年クラブごとの模擬店や、縁日のようなイベントなどを行っている。
- 男女での比較
- 男子部は装飾などは少ないがイベントや、有志によるライブなどに力を入れている。
- 女子部は複数のクラスを装飾に当てるなど校内装飾に力を入れている。
- 燦爛祭(さんらんさい)
- 大学の学園祭。学生による飲食販売の模擬店が残されている。
沿革
- 1964年4月:学校法人桐蔭学園設立。桐蔭学園高等学校開設。
- 1965年4月:桐蔭学園工業高等専門学校開設
- 1966年4月:桐蔭学園中学校開設。
- 1967年4月:桐蔭学園小学校(現桐蔭学園小学部)開設。
- 1969年4月:桐蔭学園幼稚園(現桐蔭学園幼稚部)開設。
- 1971年4月:桐蔭学園高等学校に理数科を開設。
- 1981年4月:桐蔭学園中学校・高等学校に女子部を開設。
- 1987年4月:ドイツ桐蔭学園(中学校・高等学校)開設。
- 1988年4月:桐蔭学園横浜大学(現桐蔭横浜大学)工学部開設。桐蔭学園工業高等専門学校の生徒募集を中止。
- 1991年11月:桐蔭学園工業高等専門学校廃止。
- 1993年4月:桐蔭学園横浜大学(現桐蔭横浜大学)法学部開設。
- 1997年4月:桐蔭学園横浜大学を桐蔭横浜大学に改称。
- 2001年4月:桐蔭学園中等教育学校開設。
- 2004年4月:桐蔭横浜大学法科大学院を開設。
- 2005年4月:桐蔭横浜大学医用工学部開設。
主なOB
サッカー
- 長谷部茂利(引退・ヴェルディ川崎→川崎フロンターレ→ヴィッセル神戸→ジェフ市原)
- 廣長優志(引退・東京ヴェルディ1969・アトランタオリンピック日本代表)
- 福永泰(引退・サッカー解説者、元選手)
- 内田潤(駒澤大学→鹿島アントラーズ→アルビレックス新潟)
- 阿部祐大朗(横浜F・マリノス→モンテディオ山形)
- 林健太郎(駒澤大学→東京ヴェルディ1969→ヴァンフォーレ甲府、元日本代表)
- 戸田和幸(清水エスパルス→トッテナム(イングランド)→デンハーグ(オランダ)→清水エスパルス→東京ヴェルディ1969→サンフレッチェ広島、元日本代表)
- 米山篤志(駒澤大学→東京ヴェルディ1969→川崎フロンターレ、元日本代表)
- 山田卓也(駒澤大学→東京ヴェルディ1969→セレッソ大阪、元日本代表)
- 小林慶行(駒澤大学→東京ヴェルディ1969→大宮アルディージャ)
- 森岡隆三(鹿島アントラーズ→清水エスパルス、元日本代表・シドニーオリンピック日本代表)
- 井上渉(名古屋グランパスエイト)
- 栗原圭介(駒澤大学→ヴィッセル神戸)
- 原田慎太郎(横浜F・マリノス→大宮アルディージャ→徳島ヴォルティス→アローズ北陸)
- 奈良安剛(コンサドーレ札幌→ザスパ草津→JFL群馬FCホリコシ→ロッソ熊本→松本山雅FC)
- 栗原明洋(アルビレックス新潟→アルビレックス新潟・シンガポール)
- 加賀見健介(引退・FC東京など)
野球
- 水上善雄(引退・ロッテオリオンズ→広島東洋カープ→福岡ダイエーホークス)
- 長内孝(引退・広島東洋カープ)
- 渋井敬一(引退・ヤクルトスワローズ)
- 関川浩一(阪神タイガース→中日ドラゴンズ→東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 小桧山雅仁(引退・横浜ベイスターズ)
- 高木大成(引退・西武ライオンズ)
- 副島孔太(ヤクルトスワローズ→オリックス・ブルーウェーブ、現:茨城ゴールデンゴールズ選手兼打撃コーチ)
- 高橋由伸(読売ジャイアンツ)
- 川岸強(中日ドラゴンズ)
- G.G.佐藤(西武ライオンズ)
- 浅井良(阪神タイガース)
- 普久原淳一(中日ドラゴンズ)
- 平野恵一(オリックス・バファローズ)
- 由田慎太郎(オリックス・バファローズ)
- 小野剛(西武ライオンズ)
- 吉田好太(引退・独立リーグ→大阪近鉄バファローズ→横浜ベイスターズ)
- 鹿取真央(アマ野球・茨城ゴールデンゴールズ)
- 栂野雅史(読売ジャイアンツ)
その他スポーツ
- 高松正裕(柔道オリンピック選手)
- 小野卓志(柔道81キロ級)
- 天野美沙(アテネオリンピック競泳出場)
- 四宮洋平(ラグビー関東学院大学→ヤマハ→ボーランド・キャバリアーズ→ヨハネスブルク・レイダーズ→ワールド)
- 山下大悟(ラグビー日本代表・茗渓学園中→桐蔭学園高→早稲田大学→サントリーサンゴリアス)
芸能人
- 織田裕二(俳優)
- やくみつる(漫画家)
- デーモン小暮閣下(アーティスト)
- 五十嵐公太(元JUDY AND MARYドラマー)
- グローバー義和(ミュージシャン)
- 西川史子(タレント・医師)
- 林真里花(女優・声優)
- 水嶋ヒロ (俳優)
- 野田洋次郎(RADWIMPSボーカル&ギター)