寝台列車
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寝台列車(しんだいれっしゃ)とは、夜行列車のうち編成内に寝台車を連結して運行されるものを指す。
その厳密な定義は曖昧であり、専門家や鉄道ファンの間でも多様な解釈が存在する。「ブルートレイン」と同一視する向きもあるが、「ブルートレイン」ではない寝台列車(サンライズエクスプレス・トワイライトエクスプレス・カシオペアなど)が存在するため正確な認識とは言い難い。
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[編集] 狭義の寝台列車
編成内の全車両、もしくはほとんどの車両を寝台車で占める夜行列車を指す。
[編集] 日本
[編集] 寝台専用列車以前
かつて大量の寝台車が存在し、"all-Pullman"と呼ばれる寝台専用列車が多数存在したアメリカを例外とすれば、世界各国の鉄道において、長距離を運行する夜行列車は、寝台車と一般座席車の混結編成を組むことが普通であった。これは、優等客と大衆乗客のいずれのニーズにも応じることが目的であった。
日本においてもその例に漏れず、1900年に山陽鉄道が日本初の寝台車を運行開始して以来、寝台専用列車というものは長らく存在しなかった。たとえ優等客専用の列車であっても、寝台車と座席車の双方が連結されていたのである。
但し、例外的な存在として、太平洋戦争中まで東京~神戸間を運転していた夜行急行列車1往復(長期にわたり、17レ・18レの列車番号を与えられていた)には、2等座席車1両の他は、1等・2等寝台車と食堂車のみで編成された時期がある。
上流貴顕の乗る列車として、「名士列車」の俗称で知られたこの列車を、日本最初の「寝台列車」とする考え方もあるが、「1・2等の優等客専用の夜行列車」という性格で、3等寝台車を連結した戦後の「寝台列車」とは、やや方向性が異なる。この列車は戦時中の1943年に廃止されている。
[編集] 寝台専用列車の出現
戦後の1950年代以降、日本国内の鉄道においては全体の輸送量が著しく増大した。
一方で、戦時中の1941年に一時廃止されていた3等寝台車(1960年より2等寝台車、1969年よりB寝台車)が1956年に復活、比較的廉価な料金で寝台利用が可能になったことで、寝台車そのものへの需要も高まった。
東海道本線全線電化に伴う1956年11月のダイヤ改正では、東京~博多間特急列車「あさかぜ」が新設される。10両編成中に寝台車が5両を占め、当時としては寝台車の比率が高かったが、好成績を収めた。
更に1957年10月からは、東京~大阪間夜行急行の「彗星」が寝台列車化される。14両編成(うち1両は荷物車)中、座席車は最後尾の3等座席指定車1両のみで、残り12両は2等寝台車(マロネ40形など)と3等寝台車(ナハネ10形など)が半数ずつであった。
この列車は、列車番号が戦前の「名士列車」と同じ17・18列車であったことから「名士列車の再来」と言われた。この「彗星」を、本格的な寝台専用列車の最初と見る考え方もある。
1958年には日本初の固定編成客車として20系客車が登場、特急「あさかぜ」に投入された。13両編成(うち食堂車・電源荷物車各1両)中、座席車は3両のみで、他はすべて寝台車であった。なお、座席車も後に寝台車化改造される。
1959年9月には、常磐線経由の上野~青森間夜行急行「北斗」が寝台列車化された。
12両編成(うち食堂車1両、荷物車2両)中、2等寝台車2両、3等寝台車6両で、座席車はやはり3等座席指定車1両のみだった。あぶれた座席利用客は、同じ区間を雁行する急行「十和田」を全車座席車編成として救済している。
なお、「彗星」・「北斗」に1両だけ座席車が連結されていたのは、1950年代~1960年代初頭の寝台車に緩急車がほとんど存在しなかったためである。夜行急行列車の寝台列車化措置は、当初は列車全体の居住性改善や保守・点検の合理化などの目的があったとされる。
[編集] 寝台専用列車の増加
1956年以降、国鉄の優等旅客列車には電車・気動車が盛んに用いられるようになった。
当時の電車・気動車には寝台車が存在せず、夜行列車として運転される場合にも全車一般座席列車とならざるを得ない。そこで寝台需要に対しては、ほとんど寝台車のみで構成された客車寝台特急・急行を運行し、一般座席需要については昼行急行用の電車・気動車を夜行列車にも共用、これらを別便の急行列車として雁行させるという手法が採られるようになった。こうすれば、無動力の寝台車だけを新規製造することで輸送力増強が実現できたのである。
この傾向は1961年10月の全国白紙ダイヤ大改正から顕著となった。東海道本線の昼行急行列車が153系電車の大量投入で電車化・大増発され、夜行列車に関しても棲み分けが図られた。
この需要の増大に応じ、旧型客車改造の軽量2等寝台車オハネ17形が大量に増備された(1961年~1965年、計302両を国鉄工場で製造)。それでも不足する分は、戦前の旧3等寝台車であるスハネ30形(戦時中に3等車スハ34形に改造)ほかを数十両、寝台車に復活改造して充当したほどである。
東海道新幹線の開業で東海道本線の夜行急行列車が衰退した後も、山陽本線や東北本線、北陸本線等では、寝台急行列車と座席夜行急行列車の雁行が行われた。
[編集] 寝台専用列車の一般化
20系客車のうち、座席車のほとんどは1964年から1972年までに寝台車へと改造され、20系使用の特急列車は完全な寝台専用列車となった。唯一残存したナロ20形3両は「あさかぜ」1往復に連結されていたが、1975年に運用を離脱、廃車となっている。しかし、1980年代後半以降の客車寝台特急では、高速バスへの対抗を目的として座席車を1両のみ連結するケースがある(現在の該当例は「あかつき」のみ)。また「あけぼの」には、寝台車を使用しながら毛布や浴衣を備え付けずに座席車扱いとした、「ゴロンとシート」という車両が連結されている。
また、583系寝台電車の場合は、同車の昼夜兼行使用という特殊な性格により昼行列車との兼ね合いからリクライニングシートのグリーン車を1両連結していることが多く、夜行運転時でも必然的に座席車を連結することになった。
[編集] 寝台専用列車の衰退
1975年以降の運賃・各種料金の大幅な値上げや、1980年代以降の新幹線(整備新幹線)や高速道路網、航空路線など高速交通網の整備が進んだ結果、寝台列車を含む夜行列車全体の利用客が減少し、最盛期の1960年代に比べ大幅に削減されてしまった。
背景については、ブルートレイン (日本)#平成以降の退潮や夜行列車#現状を参照のこと。
[編集] 欧米における寝台専用列車
[編集] アメリカ合衆国
19世紀の末から20世紀の中頃にかけてのアメリカ合衆国では、旅客の移動における鉄道輸送の占める割合が非常に高かった。
国土の広さゆえ、数日を要する鉄道旅行は当たり前で、経済水準が比較的高かった事から寝台車への需要も高く、鉄道会社はプルマン社などの寝台車保有会社と提携して、寝台車を連結した旅客列車の運行を盛んに行った。
中でも、需要の高かった東海岸の路線や、シカゴとロサンゼルスを結ぶ路線などでは、19世紀の終わりごろから、座席車を連結しないプルマン寝台車のみの旅客列車"all-Pullman"を運行する事が常態化していた。
寝台専用列車として有名な列車としては、ニューヨークとシカゴを結んだ「20世紀特急(The Twenty Century Limited)」、「ブロードウェイ特急(Brodaway Limited)」、ワシントンとシカゴを結んだ「キャピトル特急(Capitol Limited)」、ニューヨークとニューオーリンズを結んだ「クレセント(Cresent Limited)」、シカゴとロサンゼルスを結んだ「カリフォルニア特急(California Limited)」、「スーパーチーフ(Super Chief)」などが挙げられる。このうち、いくつかの列車については1930年代以降、全車の個室寝台化も行われた。
第2次大戦後の飛行機の普及はアメリカの旅客輸送に大打撃を与えた。旅客列車は激減し、従来寝台専用列車だった列車にも座席車が連結されるようになった。1967年、最後まで"all-Pullman"として残っていたブロードウェイ特急に座席車が連結され、アメリカから寝台専用列車は消滅した。現在のアムトラックの夜行列車は全て寝台、座席併結列車である。
[編集] ヨーロッパ諸国
観光列車を別にすれば、寝台専用列車が盛んに運行された地域として注目すべき地域はヨーロッパである。
ベルギー人のジョルジュ・ナエルマーケス(Georges Nagelmackers 1845 - 1905)が1872年に発足させた国際寝台車会社(Compagnie Internationale des Wagons-Lits、日本での通称ワゴン・リ社)は、個室寝台車を欧州各国の鉄道で運行して成功を収めた。同社の車両による「オリエント急行(L'Orient-Express)」、「トラン・ブルー(Train Bleu)」といった列車は、寝台車を中心に編成され、豪華で利便性の高い列車として世界的な名声を得た。
現在では、オリエント急行は座席車中心の夜行列車に名前だけを残すのみとなってしまっているが、かつてのトラン・ブルーのルートであるパリと南仏のニースとの間には、寝台専用列車が残っている。また、スペインとヨーロッパ各地を結ぶ、「ホテルトレイン」の一部には寝台専用列車が存在する。
[編集] 広義の寝台列車
編成内に寝台車を1、2両だけ連結していた場合でも、「寝台列車」と呼ばれることが少なくない。北海道で気動車列車に1~2両だけ寝台車を連結している例もあるが(「オホーツク」「利尻」「まりも」ただし、「まりも」以外は季節運転)、これらも寝台列車扱いされるケースがある。