岳南鉄道線
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岳南鉄道線(がくなんてつどうせん)は、静岡県富士市内の吉原駅と岳南江尾駅とを結ぶ岳南鉄道の鉄道路線である。本項では岳南鉄道線と書いているが、正式には路線名はない。
目次 |
[編集] 路線データ
[編集] 運行形態
完全なパターンダイヤは採用されていないが、旅客列車は基本的に約30分間隔で運行されている。車両は2編成を使用し、途中の本吉原か岳南原田で離合することが多い。
吉原~比奈間では、1日4往復の貨物列車が運行されている。基本的に有蓋車のみで編成されているが、希にコンテナ車も連結される。
[編集] 運輸状況
旅客乗車 | 旅客降車 | 貨物発送 | 貨物到着 | |
---|---|---|---|---|
全体 | 689,846人 | 689,846人 | 120,009t | 1,910t |
吉原 | 306,051人 | 232,302人 | - | - |
ジヤトコ前 | 6,718人 | 5,745人 | - | - |
吉原本町 | 180,472人 | 186,816人 | - | - |
本吉原 | 31,409人 | 67,746人 | - | - |
岳南原田 | 24,937人 | 41,643人 | 9,578t | 238t |
比奈 | 24,078人 | 23,732人 | 110,431t | 1,672t |
岳南富士岡 | 41,997人 | 50,648人 | - | - |
須津 | 37,938人 | 37,992人 | - | - |
神谷 | 19,397人 | 22,119人 | - | - |
岳南江尾 | 16,849人 | 21,023人 | - | - |
[編集] 利用状況
沿線には工場が立ち並び、最盛期には99.9万トン(1969年)の貨物輸送量があった。その後、トラック輸送への転換が進み、14万トン(1999年)にまで落ち込んで、1991年以降は旅客収入が貨物収入を上回っている。その旅客収入も最盛期の6分の1まで落ち込んでいる。
[編集] 輸送実績
岳南鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は激減しているが、最近では減少幅が小さくなっている。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色の枠で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 貨物輸送量 万t/年度 |
特 記 事 項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合計 | |||
1969年(昭和44年) | 99.9 | |||||
1975年(昭和50年) | 85.5 | 113.3 | 86.3 | 285.1 | 60.5 | |
1976年(昭和51年) | 64.7 | 104.3 | 83.3 | 252.3 | 60.5 | |
1977年(昭和52年) | 48.8 | 85.9 | 68.7 | 203.4 | 54.8 | |
1978年(昭和53年) | ||||||
1979年(昭和54年) | ||||||
1980年(昭和55年) | ||||||
1981年(昭和56年) | 44.1 | 57.7 | 77.1 | 179.0 | 45.2 | |
1982年(昭和57年) | 44.5 | 46.4 | 74.7 | 165.6 | 40.7 | |
1983年(昭和58年) | 43.7 | 40.7 | 72.6 | 157.0 | 36.4 | |
1984年(昭和59年) | 41.3 | 39.4 | 70.3 | 151.0 | 31.1 | |
1985年(昭和60年) | 38.8 | 38.9 | 71.5 | 149.2 | 29.1 | |
1986年(昭和61年) | 37.4 | 41.2 | 68.7 | 147.3 | 23.6 | |
1987年(昭和62年) | 35.0 | 43.7 | 68.7 | 147.4 | 22.2 | |
1988年(昭和63年) | 32.9 | 40.5 | 64.7 | 138.1 | 29.5 | |
1989年(平成元年) | 34.2 | 42.2 | 71.5 | 147.9 | 27.7 | |
1990年(平成2年) | 33.9 | 43.5 | 68.0 | 145.4 | 26.2 | |
1991年(平成3年) | 36.6 | 39.9 | 69.1 | 145.6 | 24.5 | |
1992年(平成4年) | 33.9 | 38.7 | 68.1 | 140.7 | 23.8 | |
1993年(平成5年) | 33.2 | 35.9 | 67.5 | 136.6 | 24.0 | |
1994年(平成6年) | 29.1 | 30.7 | 59.5 | 119.3 | 22.9 | |
1995年(平成7年) | 28.5 | 29.6 | 58.3 | 116.4 | 20.7 | |
1996年(平成8年) | 26.0 | 25.8 | 58.5 | 110.3 | 16.5 | 新型電車(7000型1両)導入 |
1997年(平成9年) | 24.0 | 24.4 | 56.2 | 104.6 | 17.0 | 新型電車(7000型1両)導入 |
1998年(平成10年) | 20.6 | 19.2 | 51.0 | 90.8 | 14.0 | |
1999年(平成11年) | 17.9 | 15.7 | 47.3 | 80.9 | 14.1 | |
2000年(平成12年) | 16.6 | 14.0 | 44.1 | 74.7 | 14.6 | |
2001年(平成13年) | 18.1 | 12.2 | 41.8 | 72.1 | 15.2 | |
2002年(平成14年) | 17.3 | 9.3 | 41.5 | 68.1 | 12.5 | 新型電車(8000型2両)導入 |
2003年(平成15年) | 16.9 | 8.1 | 41.9 | 66.9 | 11.2 | |
2004年(平成16年) | 18.6 | 9.2 | 41.2 | 69.0 | 12.2 | |
2005年(平成17年) | ||||||
2006年(平成18年) |
[編集] 収入実績
岳南鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。収入総合計額は年々減少している。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色の枠で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 貨物運輸 収入 千円/年度 |
運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 |
||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 手小荷物 | 合 計 | ||||
1975年(昭和50年) | 77,576 | ←←←← | 63,701 | 2,247 | 143,524 | 175,541 | 32,460 | 351,525 |
1976年(昭和51年) | 69,750 | ←←←← | 62,188 | 2,691 | 134,629 | 207,790 | 38,790 | 381,209 |
1977年(昭和52年) | ←←←← | |||||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | |||||||
1979年(昭和54年) | ←←←← | |||||||
1980年(昭和55年) | ←←←← | |||||||
1981年(昭和56年) | ←←←← | |||||||
1982年(昭和57年) | ←←←← | |||||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | |||||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | |||||||
1985年(昭和60年) | ←←←← | |||||||
1986年(昭和61年) | ←←←← | |||||||
1987年(昭和62年) | ||||||||
1988年(昭和63年) | ||||||||
1989年(平成元年) | 34,125 | 28,515 | 102,358 | 0 | 164,998 | 179,069 | 60,890 | 404,957 |
1990年(平成2年) | 34,135 | 31,144 | 102,349 | 0 | 167,628 | 171,992 | 59,452 | 399,072 |
1991年(平成3年) | 38,351 | 29,744 | 105,348 | 0 | 173,443 | 168,187 | 52,516 | 394,146 |
1992年(平成4年) | 34,900 | 29,330 | 104,327 | 0 | 168,557 | 163,875 | 52,956 | 385,388 |
1993年(平成5年) | 34,310 | 27,263 | 103,645 | 0 | 165,218 | 162,999 | 58,646 | 386,863 |
1994年(平成6年) | 30,263 | 22,895 | 91,630 | 0 | 144,788 | 152,968 | 58,528 | 356,284 |
1995年(平成7年) | 31,445 | 22,816 | 97,334 | 0 | 151,595 | 137,463 | 57,447 | 346,505 |
1996年(平成8年) | 29,860 | 20,950 | 99,555 | 0 | 150,365 | 108,906 | 49,108 | 308,379 |
1997年(平成9年) | 26,960 | 19,819 | 94,195 | 0 | 140,974 | 112,110 | 44,606 | 297,690 |
1998年(平成10年) | 28,721 | 18,554 | 103,518 | 0 | 150,793 | 91,851 | 43,561 | 286,205 |
1999年(平成11年) | 24,757 | 15,139 | 95,938 | 0 | 135,834 | 90,600 | 39,998 | 266,432 |
2000年(平成12年) | 22,911 | 13,408 | 89,539 | 0 | 125,858 | 93,502 | 40,791 | 260,151 |
2001年(平成13年) | 25,083 | 11,929 | 85,161 | 0 | 122,173 | 98,392 | 41,139 | 261,704 |
2002年(平成14年) | 23,790 | 9,019 | 84,433 | 0 | 117,242 | 80,136 | 41,420 | 238,798 |
2003年(平成15年) | 23,368 | 8,251 | 84,897 | 0 | 116,516 | 71,205 | 35,637 | 223,358 |
2004年(平成16年) | 25,607 | 8,798 | 83,625 | 0 | 118,030 | 79,480 | 53,233 | 250,743 |
2005年(平成17年) | ||||||||
2006年(平成18年) |
[編集] 車両
2006年現在に至るまで、電車・電気機関車共全て中古車で占められている。上記のとおり輸送量の急激な減少から、1981年当時電車12両、電気機関車7両在籍であったものが、2006年現在電車5両、電気機関車4両(うち1両休車)と各半減となっている。
[編集] 現有形式(電車)
いずれも元京王3000系中間車の先頭車化改造車である。
- モハ7000形(7001~7003):元京王井の頭線3000系デハ3100形を両運転台化改造したものである。改造は京王重機整備で実施され、前面上半分は3000系先頭車前面のパノラミックウィンドゥ化による発生FRP成形品を流用しているほか、尾灯、運転台機器等に京王5000系の発生品を流用している。制動方式はHSC電磁直通ブレーキである。本形式により、日中は単行ワンマン運転となった。塗装は、旧来からのオレンジに白帯を前面のみに施し、側面はオレンジの帯が巻かれている。
- 8000系モハ8000・8100形(8001+8101):元京王井の頭線3000系デハ3000+3050形にそれぞれ運転台を新設したものである。前面改造の内容はモハ7000形を踏襲しているが、運転台機器は京王6000系のものを流用しているため、ワンハンドルマスコン化されており、制動方式もHRD全電気指令式電磁直通ブレーキである。塗装は、塗り分けは7000形のそれを踏襲するものの、5000系の東急時代を再現したグリーン塗装の好評を受けて、オレンジがライトグリーンに変更されている。本編成のみ“がくちゃんかぐや富士”という愛称がつけられており、主にラッシュ時等に使用されている。2両固定編成であるが、ワンマン運転対応となっている。本形式と代替に、予備車として存続していた5000系が完全に運用離脱した。
[編集] 旧在籍形式(電車)
[編集] 1981年以降
- 5000系モハ5000・クハ5100形:雑多な釣り掛け車を置き換えるために投入された、元東急5000系(初代)(以下「東急5000系」と称する)で、モハ5000形+クハ5100形が2連4編成在籍した。改造内容は前照灯のシールドビーム1灯化、標識灯、急行札受け等の撤去等であるが、制御車クハ5100形は東急サハ5350形、デハ5100形に運転台を新設する改造(デハ5100形は電装解除も)が行われた。新設運転台は本来の5000系のそれと殆ど同一のものとされている。さらに、東急デハ5000形は偶数・奇数で向きが異なるが、5001・5004Fと5002・5003Fとで甲種車両輸送経路を変えることで、岳南鉄道到着時に電動車の向きが同一となるようにした。但し、床下機器の配置やジャンパ連結器、エアホースなどは両者で逆のままとなっているほか、先頭車化改造時の向きの関係上、クハ5100形5101・5104は片側3枚全ての客用扉が連結面方向に開く一方、5102・5103は中央と連結面寄りの2枚が前面方向に開く特徴がある。なお、本来東急5000系先頭車の客用扉は全て連結面方向に向かって開く。
- 本形式の導入により、特に電力消費量が著しく改善され、電力会社の契約電力量をワンランク下げることができたというエピソードがある。編成を下記に示す。*付きの編成は本来奇数向きであったものを、前述のとおり方向転換したものである。
- モハ5001-クハ5101*
- モハ5002-クハ5102
- モハ5003-クハ5103
- モハ5004-クハ5104*→吉原
- 塗装は旧来からのオレンジに白帯であるが、運用末期には5001Fが東急時代のライトグリーンに変更された。2006年現在全て運用を退いているが、解体はされず比奈-岳南富士岡間のヤードに5001・5003F、岳南富士岡駅構内に5002・5004Fと4編成全てが留置されている。塗装剥離や腐食が進み、状態は良好とはいえないが、原型を留めた今や数少ない元東急5000系として貴重な存在となりつつある。
[編集] 1981年以前
5000系入線以前は、木造車の鋼体化車や元小田急車等の雑多な旧型車で占められており、更に老朽車を1両単位で置き換えていたこと、それに当たって場当たり的に形式車号が決定されていたため形式車号と実車の相関性が希薄であること、台車等の振り替えも頻繁におこなわれていたことから、その内容や変遷は極めて複雑である。なお、鋼体化車や小田急車入線以前は木造車が大勢を占め、中には前面5枚窓の富岩鉄道(現富山ライトレール富山港線)買収国電払い下げ車等も在籍していた。以下に1981年当時の在籍車を示す。
- 日本車輌標準型鋼体化車:モハ1100形(1101・1103・1106)
- 汽車会社製セミステンレス車体鋼体化車:モハ1100形(1105)
- 元小田急クハ1350形:クハ1100形(1107)
- 元小田急デハ1600形:モハ1100形(1108)、モハ1600形(1602・1603)、クハ2600形(2601)
- 元小田急クハ1650形:クハ2100形(2106)
- 元小田急デハ1900形:モハ1900形(1905)
- 元小田急サハ1950形:サハ1950形(1955) 計12両
このうち、1100形鋼体化グループは国鉄形CS5系主制御器で、クハ1107・2601は鋼体化グループに連結対応する改造が行われており、それ以外の旧小田急車は三菱ABF系主制御器を搭載していたため、これら相互の総括制御は不能であった。5000系置き換え直前の編成を下記に示す。
CS系グループ
- モハ1101+クハ2601
- モハ1103+モハ1105
- モハ1106+クハ1107
ABF系グループ
- モハ1108-クハ2106+モハ1603
- モハ1602-サハ1955-モハ1905→吉原
モハ1103・1105はラッシュ時に他のCS系2編成に増結され、3連でも使用された。即ち、最大3連3列車と予備1編成を組成していたことになり、この当時、通勤・通学客を中心に未だ多くの旅客需要があったことを伺わせる。
小田急車は本来の主電動機が4000形に転用されたため、本来のそれとは異なる国鉄中古品などを装備していた。これに関連して台車の振り替えが頻繁に行われていた。
5000系入線により運用離脱したこれら旧型車のうち、モハ1101・1103・1106が近江鉄道へ、モハ1105が大井川鉄道へ譲渡された。
2006年現在、モハ1105が大井川鉄道千頭駅構内に留置、クハ1107・モハ1602・クハ2106・サハ1955の廃車体(台車無し)が比奈駅付近で倉庫として使用されている。
[編集] 現有形式(電気機関車)
- ED40形:元松本電鉄で本来はダム開発の資材運搬用として新造されたものである。2両在籍している。吉原-比奈間の貨物輸送に、主力として用いられている。
- ED50形:1928年川崎造船製の元上田温泉電軌(現上田電鉄)で、名古屋鉄道を経て入線したもの。1両在籍している。比奈構内の入換と、各引込線、専用線への小運転に用いられている。定期運用を持つ電気機関車としては国内最古参級である。
- ED29形:1927年日本車輌製の元豊川鉄道買収機である。2006年現在休車として岳南富士岡駅構内に留置されている。
[編集] 旧在籍形式(電気機関車)
いずれも1形式1両のみであった。
- ED10形:1949年日立製の元大井川鉄道のE10形103。貨物削減後大井川鉄道へ戻り、SL急行の補機等として使用されている。
- ED28形:1930年川崎車両製の元小田急ED1021である。箱型車体に船舶用といわれる丸窓が並ぶ車体が大きな特徴であった。
- ED32形:1927年三菱電機製で、ウェスティングハウスタイプの凸形機である。伊那電気鉄道から国鉄買収を経て当線に入線した。
[編集] その他
激減する鉄道輸送の活性化方策のひとつとして、2006年11月よりJR北海道から線路と道路を走行できるDMVを借り入れ、同月24日から3日間、市場踏切~岳南原田駅間でテスト走行を行った。この結果を受けて、2007年1月に富士市民のモニター参加者を乗せてデモ走行を行った。道路での運行は富士急行と富士急静岡バスが担当した。
[編集] 歴史
吉原は東海道の宿場町であったが、東海道本線は町の近くを通らず、町外れに鈴川駅(現:吉原駅)が設置されただけであった。戦後になって、鈴川駅と吉原の中心部とを結ぶ鉄道として開業した。鈴川~旧左富士信号場間は、戦前に敷設された日産重工業(現:日産自動車)の専用鉄道を利用した。
岳南江尾から沼津方面への延伸も計画されていたが、資金難で中止された。
- 1936年(昭和11年)8月5日 日産重工業専用鉄道の使用開始
- 1948年(昭和23年)12月15日 岳南鉄道設立
- 1949年(昭和24年)11月18日 鈴川駅(現:吉原駅)~吉原本町駅間が開業
- 1950年(昭和25年)4月18日 吉原本町駅~本吉原駅間が開業
- 1951年(昭和26年)12月20日 本吉原駅~岳南富士岡駅間が開業
- 1953年(昭和28年)1月20日 岳南富士岡駅~岳南江尾駅間が開業
- 1956年(昭和31年)4月10日 鈴川駅を吉原駅に、吉原駅を本吉原駅に改称
- 1969年(昭和44年)9月10日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧
- 1984年(昭和59年)2月1日 須津~岳南江尾間の貨物営業廃止
- 1997年(平成9年)3月22日 一部列車でワンマン運転開始
- 1997年(平成9年)12月12日 全列車ワンマン運転開始
- 2005年(平成17年)4月1日 日産前駅をジヤトコ前(ジヤトコ1地区前)駅に改称
[編集] 駅一覧
*印の駅では列車の交換不能。他の駅はすべて列車の交換可能。
吉原駅 - *ジヤトコ前(ジヤトコ一地区前)駅 - *吉原本町駅 - 本吉原駅 - 岳南原田駅 - 比奈駅 - 岳南富士岡駅 - 須津駅 - *神谷駅 - 岳南江尾駅
[編集] 接続路線
- 吉原駅:東海道本線