敦賀港駅
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敦賀港駅(つるがみなとえき)は、福井県敦賀市金ヶ崎町1-19にある日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅。北陸本線貨物支線の終着駅で、嶺南地方の鉄道貨物輸送の拠点駅。
貨物駅であるが、現在でもイベントなどで旅客列車が設定されることがある。また、かつて行われていた旅客営業についてはボート・トレインを参照。
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[編集] 取扱貨物
- コンテナ貨物
- 12ftコンテナ、20ft大型コンテナを取り扱う。
- 産業廃棄物・特別産業廃棄物の取扱許可を得ている。
- 1996年まで車扱貨物も取り扱っていた。駅北側の金ヶ崎山をトンネルで抜け、敦賀セメント敦賀工場へ至る同社の専用線があり、セメントを当駅から北陸地方や滋賀県・京都府のサイロへ発送していた。
[編集] 駅構造
1面のコンテナホーム、1本の荷役線、その他数本の側線を有する。
かつては、1943年に当駅の構内側線扱いとなった敦賀港に面する敦賀新港駅(敦賀市蓬莱町1にあった)付近には倉庫群があり、側線に有蓋貨車が乗り入れ貨物の積み降ろしを行っていた。
[編集] 歴史
戦前は国際連絡運輸の関係で敦賀港から出る船舶への接続列車が旅客列車として設定されていた。
- 1882年(明治15年)3月10日 - 金ヶ崎駅(かねがさきえき)として開業。
- 1897年(明治30年)9月20日 - 旅客扱いを廃止、貨物駅となる。
- 1912年(明治45年)6月15日 - ウラジオストク航路発着日に限り旅客輸送を再開。
- 1919年(大正8年)1月11日 - 敦賀港駅に改称。
- 1932年(昭和7年)9月20日 - 敦賀新港駅までの貨物支線が開業。
- 1940年(昭和15年)頃 - 第二次世界大戦勃発などの影響を受け旅客列車が廃止。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 当駅に敦賀新港駅を併合し廃止。構内側線扱いとして1980年頃まで存在。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 旅客営業を正式に廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR貨物の駅となる。
[編集] 隣駅
- 日本貨物鉄道
- 北陸本線
- 敦賀駅 - 敦賀港駅
[編集] 再現駅舎
1999年(平成11年)夏に「敦賀きらめきみなと博」が敦賀港で催された際、国際連絡運輸実施時代に使用されていた駅舎(1913年竣工)を復元した。現在、貨物駅として使用されている敦賀港駅の駅舎とは別の場所(港町、きらめきみなと館近く)に建設され、現在も敦賀港の歴史や観光をPRするために一般公開されている。
[編集] 関連項目
米原 - 坂田 - 田村 - 長浜 - 虎姫 - 河毛 - 高月 - 木ノ本 - 余呉 - 近江塩津 - 新疋田 - 敦賀 - 南今庄 - 今庄 - 湯尾 - 南条 - 王子保 - 武生 - 鯖江 - 北鯖江 - 大土呂 - 越前花堂 - (貨)南福井 - 福井 - 森田 - 春江 - 丸岡 - 芦原温泉 - 細呂木 - 牛ノ谷 - 大聖寺 - 加賀温泉 - 動橋 - 粟津 - 小松 - 明峰 - 寺井 - 小舞子 - 美川 - 加賀笠間 - 松任 - 野々市 - 西金沢 - 金沢 - (貨)金沢貨物ターミナル - 東金沢 - 森本 - 津幡 - 倶利伽羅 - 石動 - 福岡 - 西高岡 - 高岡 - 越中大門 - 小杉 - 呉羽 - 富山 - (貨)富山貨物 - 東富山 - 水橋 - 滑川 - 東滑川 - 魚津 - 黒部 - 生地 - 西入善 - 入善 - 泊 - 越中宮崎 - 市振 - 親不知 - 青海 - 糸魚川 - 梶屋敷 - 浦本 - 能生 - 筒石 - 名立 - 有間川 - 谷浜 - 直江津
貨物支線: 敦賀 - (貨)敦賀港