日本におけるゲーム機戦争
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日本におけるゲーム機戦争とは、日本国内におけるゲーム機の販売競争のことである。
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[編集] 概要
日本におけるゲーム専用機のシェア競争の結末は、ほとんどの場合が一機種による独占である。ファミリーコンピュータの登場以後、シェアトップのゲーム機(以下、ハード)の出荷が1500万台を下回った例はなく、対照的に2位以下のハードが600万台を超えたことはない。
このため、ハードメーカー各社はシェアトップのトップシェア機を作ろうと激しい販売競争を展開することとなる。少しでもハードを普及させるため、ゲーム機の価格を原価割れするほど低く設定することもある。またハード開発には多額の費用が必要となり、その他プロモーション費用も巨額になるため、強い経営体力のある企業でなければゲーム機を開発し、普及させることは困難である。
これは以下の理由による。 ハードウェアが一定数以上普及すると、その販売機会の大きさに期待したサードパーティーの参入が促進される。これは、消費者にとっては、ソフトの選択肢が増えることになる。 その結果として、ハードウェアを新規購入する消費者は、購買するソフトウェアの選択肢が多いハードウェアを選択するようになる。 一度、この好循環が形成されると、市場が飽和し、飽和した先の結果として衰退するまで、このサイクルは続く。 逆に、普及率で劣ったハードは、これと丁度逆のパターンで、負のスパイラルに突入することになる。 このような現象が生ずる理由は、経済学上、ネットワーク外部性という概念で説明されている。
一見すると、「シェアが低くても地道に売り続ければなんとかなるのでは」と思わせる。 しかし、家庭用ゲーム機は、ほとんど例外なく、他者に対してアドバンテージを得るために、もともと本体価格を原価割れで販売している。 そのため、シェアが獲得できないと、初期投資を償却するまでにハードウェアの赤字に耐えきれずに、ハードウェアベンダの事業が自壊してしまう。
なぜこのような、ある種の危険な賭けに出るかといえば、他社に対して価格性能比で少しでもアドバンテージを得て、その結果として市場に支配的なシェアを獲得できれば、そのリスクを帳消しにするリターンがあるからである。
基本的に、ファミリーコンピュータ以降の家庭用ゲーム機のサードパーティは、ソフトの製造数に応じて、ハードベンダーにライセンス料を支払っている。 このためハードベンダーは、通常は新製品の発売に際し、将来的なライセンス収入を考慮して、収益性の見込みを立てる。 たとえば、ライセンス料がソフト1本につき1000円であれば、ユーザーが平均6本以上ソフトを購入する見込みがあるならば、5000円まで原価割れで本体を製造販売しても、ハードベンダーは最終的には利益が出ることになる。 もっと俗な表現を使えば、初期投資の採算分岐点を1度越えれば、それ以降は、参入メーカーがソフトを製造しただけで、ハードベンダには利益が入ることになる。 この水準まで達すると、ハードウェア本体のコストダウンや更なる拡販に、さらに潤沢な予算を投下できるようになるため、前述したように自身の市場が飽和しきって衰退するまで、市場での優位性が絶対のものとなる。
ゆえに、限界までリスクを取って、各社は初年度に市場の拡大を最優先するわけである。 その結果としてハードウェアの原価を極限まで安く設定する。あるいは、大幅に原価割れした価格に設定する。 この原価には、広告宣伝費なども含むが、実際は、発売後1~2年程度は、ハードウェアそのものも原価割れしていることが多い。
これは、逆に言えば、初期投資の原価償却水準までハードウェアが普及しなかった場合は、事業を閉鎖するまでの間、莫大な赤字を垂れ流し続けるということであり、加速度的な勢いで負債を抱え込むことになる。 たとえば、マイクロソフトのXBOXは、当初は1台あたり250ドルの原価割れだと言われていた。ゲームメーカーのセガは、家庭用ゲーム機事業撤退の遠因となった、セガサターン事業やドリームキャスト事業においては、それぞれのモデル末期でも本体1台につき5000円程度の赤字が出ていたと言われる。同時期の同社業務用ゲーム機事業(開発、機器販売、施設運営)は概ね黒字であり、家庭用ハードウェア事業から撤退するまでは、家庭用ゲーム機事業が他部門の利益を完全に食いつぶす状態だった(もちろん、家庭用ゲームソフトウェアの中にはヒット作もあるが、それ以上の割合でハードウェアの赤字が嵩んでいた)。
これが、家庭用ゲーム機は、発売時点においてパソコン等と比較して価格性能比が極端に良好な理由であり、また同時に、機能的に問題がなくても、初年度から2年目までに勢いがつかないと、ハードウェアベンダーが莫大な負債を抱えて撤退する羽目になる理由でもある。
ゲーム機業界においては、このビジネスモデルは任天堂が発祥であると言われることが多いが、実際は、それ以前にも上位あるいは主力機種を売るために、それらと同じものを意図的にチープな仕様に改変し、下位機種として原価割れで売ることはあった(なお、"まず損してでも市場に地歩を築いて、あとから得を取る"という手法そのものは、高度成長期に海外に進出した日本企業がよく選んだ戦略である点に注意されたい)。 余談であるが、なぜか日本国内の媒体では、海外発の記事と、ごく一部のプログラマ向けの書籍を除けば、このライセンス料収入を前提としたビジネスモデルについて触れられることがまずない。
近年では、各ハードの差別化が進み、従来とは異なりある程度ハードが共存できるのではないかとの指摘もなされている。一方で、ソフト開発費の高騰からソフトあたりの販売本数を増やす必要があり、市場規模の小さなシェア2位以下のハードはむしろ苦しい立場に追い込まれているとの見方もある。
また、一機種の極端な独占は日本特有の傾向で、北米市場ではシェアにおいて2位以下のハードもある程度売上を伸ばすことができる。その例としては、ニンテンドウ64、メガドライブ、Xboxがあげられる。
[編集] メーカー
現在の主なハードメーカーは、次の三社である。
- 任天堂
- ゲーム&ウオッチからゲーム業界に関わるメーカー。本業はカードゲームをはじめとする玩具・娯楽用機器の製造販売で、玩具の一種としてゲーム機ビジネスに参入した。現在でも新しい遊びの提案をハード開発の最重要項目として掲げている。据え置き機市場では、ファミリーコンピュータ、スーパーファミコンで独占状態を維持し、1996年のNINTENDO64でトップシェアの座を奪われた後も、一定のシェアを獲得している。一方、携帯機市場ではゲームボーイ以降トップシェアを守り続けている。現在はニンテンドーDSとWiiを主力として販売している。ソフトメーカーとしても日本最大手で、自社の人気ソフトを原動力としてハードを普及させるというスタイルをとる。販売するゲーム機の特徴としては、枯れた(開発されてから時間の経った)技術を上手に活用した設計、低コストで廉価、高い信頼性、新奇なユーザーインターフェイスなどが挙げられる。一方で、最新技術を用いることは少なく、サードパーティー製ソフトの売り上げが弱い点が指摘されている。
- ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)
- 1994年にプレイステーションによって据え置きゲーム機のトップシェアとなり、続くプレイステーション2でもその状態を維持した。親会社の本業はAV・音響機器を核とした家電の製造販売で、ハードにもDVD再生機能の採用等国際的AV機器メーカーとしてのソニーの特色が生かされている。現在はプレイステーション3とプレイステーション・ポータブルを販売している。DVD・Blu-ray再生機能などを付け加えることでハードの価値を高め、普及を促進する。ゲーム機の特徴としては、最新技術のふんだんな活用、総合AV機能、原価割れしているハードの赤字分をソフトの売り上げやハード自体のコストダウンによって補うビジネスモデル、スマートで洗練されたデザインなどが挙げられる。弱点としては、前述のハードの体質のほか、先進的な機能を廉価で盛り込む反面として信頼性の低さがしばしば露呈すること、ファースト製のソフトの売り上げがやや弱く、経営体力もMSや任天堂に比べて弱いとみられることがあげられる。
- マイクロソフト(MS)
- 2002年にXboxで参入し、現在はXbox360を販売している。本業は世界最大のコンピュータソフト会社であり、圧倒的な経営体力を持つ。パソコン市場でのノウハウを活かし、パソコンとの連携やオンラインサービスを売りにしている。ハードの特徴は極めて良好なソフト開発環境を準備する所にあるとされ、映像的に優れたゲームを安いコストで開発できる事に関しては定評がある。弱点として、日本におけるゲーム機メーカーとしての知名度・ブランド力の低さ、日本の住環境と日本人の嗜好に合致しないハードの特性(騒音、大振りなコントローラー、大味なデザインなど)が指摘されている。
セガも長年独自のハードを販売してきたが、ドリームキャストを最後にゲーム機事業からの撤退を余儀なくされた。しかし、セガの復帰を願う声も少なくない。
[編集] ゲームマニアに注目される理由
ゲーム機シェア競争の動向は、ゲームマニア、通称ゲーマーと呼ばれるユーザー層にとっても大きな関心事となることが多い。もしユーザーの購入したゲーム機が非トップシェア機になってしまうと、そのハード用のソフトをサードパーティーが開発しなくなるため、ソフトの数が少なくなり、新たにトップシェア機を購入する必要が生じる可能性が高いためである。特に有力サードパーティーのスクウェア・エニックスはトップシェア機と非トップシェア機への対応の違いが大きく、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストといったビッグタイトルのファンが非トップシェア機を購入すると経済的に2重負担になるケースが多い。このためヘビーユーザーやファースト製のソフトのファン以外は、トップシェア機を購入したいと考え、次世代ハードが登場するたびにトップシェア機がどれになるのか注目するのである。
[編集] 競争を左右する要素
ここでは指摘されているゲーム機の競争を左右する要素を挙げる。
- キラータイトル
- ハードの普及を促進するソフトの有無がゲーム機シェア競争に及ぼす影響は非常に大きい。これまでの例では、ファミリーコンピュータの『スーパーマリオブラザーズ』、プレイステーションの『ファイナルファンタジーVII』、ゲームボーイの『ポケットモンスター』、ニンテンドーDSの『脳トレ』シリーズ等が著名である。
- なお、据え置きではサードパーティーで唯一200万~300万本強の売上げを見込めるビッグタイトルを抱えるスクウェア・エニックスが自社の主力ソフトをどのハードに提供するかが特に注目される。2006年末では、据置き機最大のキラータイトルとされていた『ドラゴンクエスト』が携帯機のDSに移籍し、一般ニュースや新聞でも報じられるなど大きな話題となった。
- トップシェア機の後継機
- 日本のゲーム機シェア競争において、前世代のトップシェア機の後継機ではないゲーム機が勝利した例は、今のところプレイステーションのみである。その他のSFC、PS2、GBA、DSは全て前の世代のトップシェア機の後継機種である。ユーザーの心理としてトップシェア機を見極めそれを購入したいというのがあり、前の世代のプラスイメージを引き継ぐ事ができるハードが有利だと思われる。
- 垂直立ち上げ
- 他機種よりも早く販売し普及できたゲーム機は、上記のネットワーク外部性の面で有利となる。一定の市場が形成されたハードにはサードパーティーも参入しやすくなるためである。発売二日で一気に100万台を出荷したプレイステーション2がその成功例として挙げられる。
- 一方発売日がPS2より遅れたゲームキューブや、発売はPS2より先行したものの生産面の問題で垂直立ち上げに失敗したドリームキャスト等は失敗例と見られることが多い。
- 高性能さにあらず
- その他に、大きな特徴として挙げられるのが『高性能なゲーム機が勝利するとは限らない』という点である。ユーザーはハードの性能の良さよりも、発売されるソフトや、ゲーム機が持つ付加価値によってハードを選ぶケースが多い。ファミコンのようにゲーム以外の付加価値を切り捨て、圧倒的な性能と低価格を売りにライバル機種を駆逐したようなケースもあるが、ゲームボーイ、PS2、DSといった代表的なトップシェア機の多くは、ほぼ同時期に発売されたライバル機種に比べ性能的に優れていたわけではなく、操作性やキラータイトル、 あるいは付加価値を売りにトップシェアをとったと見なされている。現在の据え置き機競争でも、Wiiが高性能なライバル機種を追い抜いてトップに立っている。
- 価格
- 家庭用ゲーム機には、一般的な家電やPCよりも安い販売価格が求められるとされる。過去のトップシェア機のロンチ時の販売価格はそれぞれ、FC=14800円、SFC=25000円、PS=39800円、PS2=39800円、GB=12800円、GBA=9800円、DS=15000円。過去にも高性能を売りにする4万円から5万円を超える高額なハードも発売されたが、何れも広く普及するには至らず短命で終わっている。現在のゲーム機シェア競争でもPS3の高価格に懸念が集まり、SCEは発売前に値下げを余儀なくされた。
[編集] 据え置き型ゲーム機
[編集] 1980年代初期~中期
1980年代初期には、国内外の玩具メーカー・電機メーカーがこぞって各社各様のゲームマシンを発売していた。
1983年、ともにアーケードゲームメーカーであった任天堂とセガが、それぞれファミリーコンピュータとSG-1000を発売した。特に前者は、当時のアーケードゲームを再現するのに充分な能力と14800円という安価さで一気に市場を独占した。翌年にはサードパーティーの参入を認め、多数の良質ソフトを生み出し、ファミコンブームを巻き起こした。セガも1985年、画面表示機能を大幅に向上させたセガ・マークIIIを発売するものの、ソフトメーカーがセガ1社では巻き返しが出来ず、トップは奪えず終了した。この頃にゲームとプログラミングという新たな手法としてMSXのような8ビット統一規格機も発売され一定の市場を築くも、ファミコンの独占状態を崩すまでには至らなかった。
[編集] 1980年代後期~1990年代初期
任天堂・セガの1強1弱状態に、1987年、参入したのがNECホームエレクトロニクスのPCエンジン。発売当初からナムコ等の有力サードパーティーがおり、開発元のハドソンの『R-TYPE』をキラータイトルとして用意するなど、主に中高生以上のゲーマー層に訴えかけた。
1988年、セガはアーケードゲームの主流CPUだったMC68000搭載のメガドライブでこれに対抗。任天堂もスーパーファミコン(SFC)を発表するが、延期を重ね、実際の発売は1990年と3機種の中では最後発となった。
この3機のトップシェア争いでは、国内ではファミコンのブランドを活かした任天堂がダントツ、2位にNEC、3位にセガという結果に終わったが、海外ではソニック・ザ・ヘッジホッグをもつセガが健闘した。
[編集] 1990年代中期 32ビットゲーム機シェア競争
1991年、任天堂はソニーと共同でSFC用CD-ROMの開発を開始、同時にソニーもCD-ROM一体型SFC互換機の発売を発表した。その名称は「プレイステーション」であった。しかし次第に両社の意見が合わなくなり共同開発は中止された。
1994年、ソニーの関連会社として発足したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)は32ビット機であるプレイステーション(PS)を発売した(前述の通り、任天堂との共同開発版はスーパーファミコン互換機の予定であり、これとは名称が同じだが関連性は無い)。ほぼ同時期にセガも32ビット機セガサターン(SS)を発売した。
プレイステーションとセガサターンは共に32ビットCPUでCD-ROMドライブを持っていたが、PSは3Dに特化したハード構成で、サターンは2D性能に秀でていた。PSはこの大容量と3D性能の高さを併せ持っていたことが評価され、『鉄拳』、『バイオハザード』などのヒット作が続々とリリースされた。また、SFCのカセットは当時10,000円前後と高価格化していたが、PSはソフトの価格を平均6000円で発売していたことも支持された。そして、1996年にスクウェア(当時)がFFシリーズ初の3DRPGである『ファイナルファンタジーVII』(FFVII)をプレイステーション用ソフトとして発売することを発表すると販売台数が飛躍的に伸びていき、セガサターンに大差をつけた。
PS、SSに遅れて約1年半、SFCで圧倒的シェアをもっていた任天堂が1996年に64ビット機(実質32bit機)であるNINTENDO64を発売した。64はPSやSSより高性能で、4人対戦が可能だったが、SFC同様に単価が高く、容量が少ないロムカセットを採用したことから、スクウェア、エニックス、ナムコ、カプコンなどのソフトメーカーの流出を食い止めることができず、最終的にPSがトップシェアとなった。
なお、これらに先行してパナソニックからは3DOが発売されたものの、ハードの価格が高いことや、ソフトのラインナップが乏しく、性能がPS、SSに及ばなかったことから台数を伸ばすことが出来なかった。また、PCエンジンの流れを汲んだPC-FXは2D(動画再生能力)に特化した性能のため、当時のゲーム業界の流れであった3D化の流れから外れ、また「95年内に50万台以上普及させる」という目標も達成出来ず短命に終わった。
[編集] 2000年前後 セガ撤退、マイクロソフト参入
プレイステーションに対抗してセガは1998年にドリームキャスト(DC)を発売した。CD-ROMの2倍の容量をもつGD-ROMの採用や、業務用「NAOMI基板」とのリンク、そして家庭用ゲーム機としては初のモデムの標準搭載などをアピールし、更に湯川専務などのCMキャラクターも話題になった。
一方、2000年にSCEはプレイステーション(PS)の後継機であるプレイステーション2(PS2)を発売した。PS2は家庭用ゲーム機では初めて下位機種との互換性を持ち、CD-ROMの7倍の容量を持つDVD-ROMを採用。PS1で獲得したユーザーをそのまま取り込み、発売と同時に大ヒットを記録した。DCはPS2に比べて機能が劣っていることや、DVDが使用出来ないこと、セガサターンとの互換性が無いこと等があって売上が低下していった。そして2001年、セガはドリームキャストの販売を終了すると同時にハードウェア事業から撤退した。
同年、任天堂がN64の後継機であるニンテンドーゲームキューブ(GC)を発売。また2002年には、世界のソフトウェア最大手のマイクロソフトが日本のゲーム機市場に参入し、Xboxを発売した。これによって日本のゲーム機シェア競争は任天堂、SCE、マイクロソフトの三つ巴となった。
GCもXboxも性能的にはPS2を上回っており、開発もしやすかったものの、GCはPS2より発売が遅すぎたこと、DVD再生機能が無かったことや、下位機種との互換性が無かったことなどがあり、Xboxも発売が遅かったこと、ロンチタイトルが充実してなかったことなどが影響して、どちらも販売台数が伸びず、サードパーティの獲得に失敗した。結果、GCは日本においては一定の評価は得ているが海外では伸び悩み、Xboxは逆に海外で健闘しているものの日本では低迷している状態になった。2003年頃には国内外ともにPS2がトップとなった。
ただ、PS2がトップシェア機の時代はPS時代以前と比べて日本の据置きゲーム市場が低迷し、反面ソフトの大作化や評価が低いPS2のソフト開発環境の問題からソフト開発費が高騰し、経営が苦しくなったサードパーティーの統廃合が進むなど、日本のゲーム業界全体を見渡すとPS2は決して成功したハードとは評価されていない。PS2のソフト売り上げは2004年にピークに達するが、その後は急激に普及した新型の携帯ゲーム機(ニンテンドーDSなど)に押され下降線をたどっている。DSの台頭とPS2の低迷は、ゲーム業界においてそれまでニッチ的な存在だった携帯機が主流となり、むしろ据置き機がニッチ的な存在へと転落したとの評価も生んでいる。
[編集] 2000年代中期 Xbox360・PS3・Wiiのシェア競争
2005年12月10日にマイクロソフトがXbox 360を、2006年11月11日にSCEがプレイステーション3(以下、PS3)を、2006年12月2日に任天堂がWiiを発売。今後の動きが注目される。
[編集] 価格
- Xbox360
- 通常版が39,795円。HDDを取り除いた廉価版「Xbox360コアシステム」が29,800円。
- PS3
- HDD20GBモデルが初発表の時62,790円であったが、その後、発売前にも関わらず49,980円まで値下げとなった。
- HDD60GBモデルはオープン価格であり、店頭によって値段は異なるが、60,000円前後で売られているケースが多い。
- Wii
- 25,000円であり、これはスーパーファミコン、NINTENDO64、ニンテンドーゲームキューブの発売時の価格(ただし税抜き)と同じである。
3機種は一般に、Xbox360が最もオンラインに強く、 PS3はゲーム機としては高価だがBlu-ray Discの再生機能があり、Wiiは最も廉価で新しい独特なコントローラが話題となっている。 前世代機種と異なり、Wiiは他に無い付加価値を持っており、Xbox360とPS3はゲーム以外の機能も多数装備しているのが特徴と言える。
※価格はいずれも税込み
[編集] 発売日
上記のとおり、Xbox360は2005年12月10日、PS3は2006年11月11日、Wiiは2006年12月2日となっている。前世代と異なり、マイクロソフトが一番手となった。これはマイクロソフトがXboxの敗因を反省したためと思われる。また、SCEは当初PS3を2006年3月に発売する予定でいたが、後に延期された。これにより、Xbox360は他機種よりも1年近く先行することになった。
任天堂は今回もSCEの後に続く形となったが、PSやPS2に1年半も遅れたN64、ゲームキューブとは異なり、PS3発売から1ヶ月も経たないうちの発売となった。また、テレビCMに関しては任天堂側が早くからDSのCMと並行する形でOAしており、PS3より先となった。
[編集] 互換性
今回は、どの機種も前身である下位機種との互換性を持っている。
- Xbox360
- Xboxのソフトが使用可能だが、ソフト個別に対応したエミュレーターソフトをHDDにインストールすることが必要となる。現在動作するのは約50タイトルであり、今後も増える予定。Xbox本体のハードディスク、あるいはメモリーカードからのセーブデータの移管は行えない。
- PS3
- PS1、PS2の殆どのタイトルが使用可能とされている。2006年11月11日の段階で、全7841タイトルのライセンスタイトルのうち、803タイトルに大小の不具合が報告されている。これらの問題はファームウェアのバージョンアップにより改善された。また従来のメモリーカードからゲームセーブデータなどを読み込ませるには専用の周辺機器が必要となる。
- Wii
- ゲームキューブのソフトの全てが使用可能だが、ネットワーク機能には互換性がないためモデムアダプタおよびブロードバンドアダプタ対応ソフトの通信機能は使用できない。ゲームキューブ用ソフトをプレイするにはゲームキューブ用のメモリーカード、コントローラーが必要となり、Wiiリモコンなどは使用することができない。また、厳密に言えば互換性とは別物だが、Wiiはバーチャルコンソールシステムにより、ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン、NINTENDO64、メガドライブ、PCエンジン、MSX、NEOGEOのソフトを有償ダウンロードしてプレイすることができる。
[編集] 携帯ゲーム機との連動
- PS3
- PSPとPS3本体を、USBケーブルで有線接続することによって、連動プレイが可能となる。HDD60GBモデルなら、無線接続も可能である。また、ゲームアーカイブスにより、PS1のソフトをPS3やPSPにダウンロードしてプレイすることも可能である。将来的にはPS2やメガドライブのソフトも遊べるようになる予定としているが、メガドライブに関しては、発売元であるセガは未定としている。
- Wii
- ニンテンドーDSとの無線通信によって、連動プレイや体験版のダウンロードが可能になる予定。ちなみに、このシステムを最初に搭載したソフトは『ポケモンバトルレボリューション』である。
Xbox360はマイクロソフトが携帯ゲーム機を発売していないこともあって、上記のようなプレイはできない。一時期、DSやPSPをXbox360と連動させる計画もあったが、任天堂、ソニー側より否定される。
[編集] 売り上げ
2007年3月現在、日本市場ではWiiがリードしており、後を追うXbox360とPS3は、今後ユーザーを引き込めるソフトを多数出せるかが浮上の鍵を握ると言われている。
また世界市場では北米市場、欧州市場での重要性が増しており、売り上げ状況によっては日本市場への影響が大きいといわれている。
- Xbox360
- 北米市場では先行の利を生かしてリードしているものの日本国内では非常に苦戦している。日本においてもゲームマニアには一定の評価を得ているものの、ライトユーザーへの訴求力の弱さが今後の課題とされている。2006年10月26日までの日本国内での累計台数は約16万台。全世界の累計出荷台数は800万台である。
- PS3
- 発売前はカタログスペックの高さ、PS2との互換性、BD-Videoの再生機能、ハイビジョン対応などから次世代ゲーム機の大本命とされる一方で、高価格、ソフト制作の困難さゆえに苦戦するとの見方も少なくなかった。量産体制が整わず、初回出荷量は8万台と限られたために即完売、しばらくは入手困難であったが、1月あまりで品不足は解消された。国内向け生産出荷台数は2007年1月17日に100万台に到達したが、2006年12月末までの日本国内での累計販売台数は46万6716台(エンターブレイン調べ)と、計画出荷台数を大幅に下回る結果になった。このため、2007年4月以降の出荷目標は当初目標より下方修正された。品薄が解消された後も販売台数が伸び悩んでいることや、任天堂製ハードと比べ店頭在庫が目立つことから、PS3の苦戦を伝える報道が目立ち始めている。そのため、欧州で発売するPS3などは徹底的なコストダウンを試み、CELLを90nmプロセスから量産体制が整っている65nmプロセスに移行するなど低価格化に着手している。当初欧州での反応は冷ややかと思われていたが、実際にはWii、Xbox360を上回り、据え置き型のゲーム機の売り上げ記録を更新した。
- Wii
- 2006年のE3で、「Best of Show」を受賞し、また、ヒット商品となったニンテンドーDSと同様に特殊なインターフェイスを搭載しているため、発売前から期待が高まっていた。初回出荷量は40万台弱であり、完売し、購入できなかった人も多くいた。任天堂は現在急ピッチで生産を進めているが、今後の供給は週15万台程度になるため、品不足はしばらく解消されない見込みである。2007年1月7日までの日本国内での累計販売台数は113万5671台(エンターブレイン調べ)。2006年内では約98万台を売り上げており、目標としていた年内販売数100万台は、ほぼ達成されたと言える。ソフトウエアでは、Wii SportsとはじめてのWiiが次世代機初のミリオンセラーに達したが、その一方で、ゼルダの伝説のような従来のユーザーを対象としたソフトは、思うほどの売り上げを記録できずに苦戦しており、また、サードパーティのタイトルもこれまで同様、苦戦する傾向から抜け出せておらず、今後の課題として指摘されている。
[編集] その他
この頃になると、インターネットオークションを個人売買として利用することが容易になり、発売日に大量に本体を買い付け、オークションで高値で売りさばくバイヤーも報道されるようになった。また日本で購入した後に海外で高値で売りさばく者もおり、日本での入手が難しい原因のひとつとも言われている。特にPS3発売時にはこれらのことが多く見られたため、Wii発売時には多くの店舗に「転売目的の購入お断り」と書かれた札が立った。おかげで、Wiiは海外への転売はある程度食い止められたものの、オークションへの転売はあまり食い止められず、発売直後は、PS3同様に定価の2倍以上の価格で取引されている様子もしばしば見られた。だが、現在ではあらかた落ち着いてきており、PS3の高値転売は収束し、Wiiも高くても3万円から4万円弱で取引されている。また、これらの転売行為に対してあまり快く思わない者も多く、一部では、YahooオークションなどでIDを2つ用意し、本命のIDで1円で入札しその後もう一方のIDで超高額で入札し締め切りギリギリでその入札を取り消し、1円で落札し転売屋を大損させようとする試みもあった。
[編集] 携帯型ゲーム機
[編集] 1990年前後 ゲームボーイの発売
1989年に任天堂が携帯型ゲーム機のゲームボーイを発売した。対抗して、1990年にセガがゲームギア、日本電気ホームエレクトロニクスがPCエンジンGTで参入した。
ゲームボーイは『テトリス』などの記録的ヒットなどに支えられ、携帯ゲーム市場でトップに立った。ゲームギアはゲームボーイのような人気コンテンツを提供できず、またカラー液晶採用による消費電力の大きさが問題となり、GBに大きく水をあけられる結果に終わった。PCエンジンGTは据え置き機のPCエンジンと互換性があるほか、当時は珍しいカラー液晶を使用していたが、その分高価で電池の消耗も速く短命に終わった。1990年代初頭は液晶・バッテリーとも技術的に未成熟であり、カラー液晶は多数の乾電池を短時間で消費するなど実用的でなかった。当時の技術ではモノクロ液晶を採用したGBが最も現実的な設計だったと言える。
[編集] 1990年代中期 携帯型ゲーム機市場の縮小と復活
1994年に登場したプレイステーションやセガサターンは、メディアにCD-ROMを採用したことでROMカートリッジに比べてソフトの価格を大きく下げることに成功した。それによって携帯型ゲーム機用のソフトは据え置き型ゲーム機用ソフトに比べて割高に感じられるようになり、売れ行きが悪化し、市場は縮小していった。ゲームギアはこの時期に販売を終了し、かつては大きな話題となったゲームボーイも新作ソフトが月に数本程度しか出ない状況が続いた。
だが、1996年にゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』が登場。携帯ゲーム機ならではの特性を活かしたこのソフトは世界規模で大ヒットを記録した。それに支えられる形で携帯ゲーム機市場は再活性化された。
[編集] 1990年代後期 ゲームボーイカラーの発売
1998年に任天堂がゲームボーイカラーを、SNKがネオジオポケットを発売、1999年にバンダイがワンダースワンを発売した。ネオジオポケットはゲームボーイカラーやワンダースワンを上回る処理性能を持った。ワンダースワンは軽量さと安さをセールスポイントとし、『ファイナルファンタジー』のリメイクを発売した。
ゲームボーイカラーでは、1999年にポケモンシリーズ第2弾、『ポケットモンスター 金・銀』が発売され、大ヒットを記録した。この時期のヒットタイトルには、エニックス(現スクウェア・エニックス)の『ドラゴンクエストモンスターズ』、コナミの『遊☆戯☆王』シリーズがある。ネオジオポケットとワンダースワンは共にカラー版を発売したが、ソフトのヒットが続くゲームボーイの独占状態を崩すにはいたらなかった。
[編集] 2000年代初期 携帯ゲーム機市場の任天堂の独占
任天堂は2001年にゲームボーイアドバンスを、2003年にその改良型のゲームボーイアドバンスSPを発売した。ワンダースワンの後継機種であるスワンクリスタルも登場したがGBAには対抗できず、ネオジオポケットと共に携帯ゲーム市場より撤退した。
この結果携帯ゲーム機市場からGBAの対抗機種が全て消え、任天堂が完全に市場を独占した。しかしGBAは『ポケモン』シリーズと、『ファミコンミニ・スーパーマリオブラザーズ』(再販含む)以外にミリオンタイトルがなく、前世代機のGBや後継機のDSに比べ市場が多少低迷していた感があった。任天堂の市場の独占はSCEがPSPを発売する2004年まで続いた。この時期のヒットタイトルとしてはカプコンの『ロックマンエグゼ』シリーズがある。
[編集] 2000年代中期 携帯型ゲーム機市場拡大
2004年12月2日に任天堂がニンテンドーDS(DS)を、同年12月12日にSCEがプレイステーション・ポータブル(PSP)を発売し、携帯ゲーム機市場においても任天堂とSCEとのシェア競争が起こった。どちらの機種もカラー液晶や無線LANを搭載しており、携帯ゲーム機における次世代のライバルと言われた。
一時期任天堂の独占状態であった携帯ゲーム機市場において、PSPは以前のライバル機以上に健闘し、ある程度のシェアを獲得したものの、DSの大ブームにより携帯型ゲーム機市場そのものが拡大。ゲーム機市場全体においては任天堂がプレステ陣営からシェアを大きく奪回する結果となった。据え置き機に匹敵する高スペックで従来の携帯ゲーム機市場を切り崩そうとするPSPに対し、スペック的には見劣りするものの2画面、タッチスクリーンによる新しい操作性で市場を新たに開拓したDSという方向性の違いが結果に表れたといえる。
2005年9月14日にはGBAの新型であるゲームボーイミクロが発売されたが、DSの爆発的な普及時期と重なってしまい、短命に終わった。
[編集] ニンテンドーDS
2005年春より『Touch! Generations』シリーズが投入され、それまでゲームに興味を持たなかった層へのアピールや、従来型のゲームに飽きていた層の回帰に成功。徐々に社会現象とも言うべき大ブームに発展し、2005年末からは深刻な品不足が発生するまでになった。2006年3月2日に上位機種ニンテンドーDS Liteの発売がされたこと、『ポケットモンスター』等に代表されるミリオンソフトが多く登場したことで、品薄は長期化の様相を見せ、2006年内は品薄が解消されることはなかった。2006年7月、発売20ヵ月という日本ゲーム機市場最速の記録で1000万台突破。2007年2月には1500万台を突破した(メディアクリエイトの調査より)。世界累計では2005年度までで1673万台、2006年度単年では2300万台を見込んでいる。
ソフトの販売も順調で、2006年11月現在、13本のソフトが100万本の売上を達成し、そのうち5本が300万本を突破するなど、PS2や次世代の据え置き機を抑えてゲーム市場の中心的存在となった。当初はミリオンソフトのほとんどが任天堂発売のゲームであったが、DS市場の拡大に伴い、サードパーティ製のヒット作品も登場しつつある。さらに『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』が、DS向けに発売されることが公式発表されるなど、DS人気が据え置き機と携帯機といった枠を崩しつつある。
[編集] PSP
2005年第1四半期にはDSの売れ行きをも上回ったものの、それ以降は徐々にシェアの差をつけられ、2006年7月にはSCEもDSに苦戦していることを認めた。その後は地道に台数を伸ばし、2007年には国内販売台数500万台を突破(メディアクリエイトの調査より)し、世界累計では1700万台を出荷するなど、プレステ世代を中心としたユーザー獲得は一定の成功を収めDSに次ぐ地位を確立した。またメディアプレイヤーやエミュレーター、GPSモジュールなどPSPをモバイル機器として愛用するユーザーもいる。
当初はPSPの高性能を生かしたソフトの制作に時間がかかり、なかなかヒットに恵まれなかったものの、2005年末の『モンスターハンターポータブル』を初め、『メタルギアソリッド ポータブル OPS』や『テイルズオブザワールド レディアントマイソロジー』などDSでは不可能な高いクオリティを持ったソフトが人気を集め、『モンスターハンターポータブル 2nd』はPSP初のミリオンを達成した。今後は、人気シリーズの最新作である「クライシス・コア ファイナルファンタジーVII」や「ファイナルファンタジータクティクス 獅子戦争」などに期待が寄せられている。
またPS3本体でPS3のソフトを動作させ、それをネットワーク経由でPSPで遊べるようにすることも予定されている。
[編集] 関連項目
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